=== 返信モード ===

下に表示した記事(No. 3420)に返信します。

3420   更新のお知らせ。「サリンジャーの事を恐る恐ると」。    SYU   [ 2018/04/01 03:21 ]
超不定期雑記帳に、「サリンジャーの事を恐る恐ると」について、をアップしました。

作家のサリンジャーを語ったエッセイ、興味がある方は一度見て下さいね。


3421    うみこ     [ 2018/05/04 16:06 ]

SYUさん、こんにちは。

私の記憶の中の一番古いサリンジャーは、実家の本棚にあった、母親の高校時代の英語のテキスト“A Perfect Day for Bananafish”、それから中学時代に読んだ吉田秋生の『BANANA FISH』でした。
英語のテキストを見つけた頃は幼かったので、「バナナ フィッシュ」という不思議な名前しかわからなかったのですが、吉田秋生のマンガを読んで「薬物についてあるイメージを持たせるような、メジャーな言葉、メジャーな物語だったのか」と初めて知った次第です。

その後、大学時代に「サリンジャー、読んどかないとなぁ。」と思い、『ライ麦畑でつかまえて』『フラニートゾーイー』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』『シーモア―序章―』そして『ナイン・ストーリーズ』を図書館で借りて読みました。
『ライ麦畑』の感想は、「読むのが遅すぎた!」でした。中学校時代に読んでおけば、もっと共感的に受け止められたのに、20才にもなってしまって…と、とても残念に思ったものです。

『ナイン・ストーリーズ』の「エズミに捧ぐ―愛と汚辱のうちに」は、私にとっても最も心に残った作品でした。このたびSYUさんのエッセイを読んで、そうそう、特に最後の…と、我が家の本棚から『ナイン・ストーリーズ』を取り出そうとして初めて気づきました。

「ナイン・ストーリーズ…買ってなかった…」

大学の図書館で読んだきり、『ライ麦畑』『大工よ、…』しか買っていなかったという事実。ないとわかったとたんに無性に読みたくなって、本屋に走りました。

「エズミに捧ぐ」やっぱりよかった。
サリンジャーについて語ることはできない私ですが、もう一度ゆっくり他の物語も読み返そうと思います。

再読の機会をありがとうございました。

3422    SYU     [ 2018/05/05 03:49 ]

うみこさん、こんにちわ。

サリンジャーが、しかも「バナナフィッシュ日和」が、お母様の英語の教材だったなんて、素晴らしいです。
私も高校時代、バナナフィッシュが英語のテキストだったら、もっと英語が出来るようになっていたのになあ!
なわけないか。

> 大学時代に「サリンジャー、読んどかないとなぁ。」と思い

ですよねえ。
一時期、サリンジャーは「一般教養」だったような気がします。
私は大学時代、漫画研究会というサークルに入っていたのですが、そこでもやはり「漫画を描く人のサリンジャーは一般教養」だったような気がします。
が、ま、私以外読んでいる人は少なかったけども。

> 「エズミに捧ぐ―愛と汚辱のうちに」は、私にとっても最も心に残った作品でした。

素晴らしいです。
「ナイン・ストーリーズ」の中では「笑い男」も良くなかったですか?
私はこれを読むたび、いつもわんわん泣く(わんわん泣くは嘘ですが)のでした。


3423    うみこ     [ 2018/07/09 01:05 ]

SYUさん、こんにちは。
お住まいのところは、雨の状況はどうだったでしょうか。何事もなかったのであればよいのですが…。

先日から「BANANA FISH」のアニメが始まったのですが、
(私としては設定が80年代から現在に変更されているのが何だかなぁなのですが、そこは今回の本題でなく)
アニメを見ていた高校生の息子が、
「サリンジャーのバナナフィッシュって、何だよー」
と言い出したのです。アニメでも話に出ていたのですが、
「だから、サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の中の「バナナフィッシュにうってつけの日」に出てくるのよ。本棚にあるから読みたかったら読むといいよ。」
と種をまいておきました。

息子が興味をもって読むかどうかはわかりませんが、こうやっていろんな種だけばらまいてみる我が家です。

逆に子ども達からまかれることも多いのですが、それもまた楽し、です。

それでは!


3424    SYU     [ 2018/07/10 03:23 ]

うみこさん、こんにちわ。
今回の豪雨、私のところは無事でした。ありがとうございます。

お話のアニメ「BANANA FISH」、YOUTUBEにPV(宣伝プロモーション)があったので観てみました。
その中で多分キャッチーなセリフとして出て来たのですが、「サリンジャーの小説にあるんだよ。バナナフィッシュという魚に出会うと、死にたくなるんだよ」。
セリフの前後の流れも、原作漫画での使われ方も判らないのですが、私はこれに「?」と思ったのでした。
吉田秋生の漫画「BANANA FISH」は、この名前で呼ばれる麻薬に翻弄される人々を描いている事は知っています。

でも。
サリンジャーの「バナナフィッシュ日和」の中の「バナナフィッシュ」は、別に「出会ったら死にたくなる謎の魚」「死にまつわる不吉な魚」ではないですよね?
海の中、狭い洞窟のようなところがあって、その中に「バナナフィッシュ」の餌がたくさんある。
そこに入り込んで、その餌をたくさん食べまくっていたら、太ってその洞窟から出られなくなってしまった。
つまり、「自由に自分の好きな事ばっかりやっていたら、結果、自分が縛られてしまった」「自由を求めてたら、結果、不自由になってしまった」という隠喩の魚ですよね?

ところで。
私が推測するに、読書家のうみこさんの家の本棚は、さぞかしいろんな種の宝庫なのでありましょう。
素晴らしいです。


3425    うみこ     [ 2018/08/21 22:47 ]

SYUさん、こんにちは。
返信がすっかり遅くなってしまってすみません。

私もアニメのPVを息子と見ている際、
「別にサリンジャーのバナナフィッシュは“死にたくなる魚”ではないんだけどねー」
と話していました。

シーモアの繊細で傷ついた内面とはかけはなれた、外の即物的な社会をたとえているのか、あるいは自分自身も解放されない穴にはまりこんでしまっているというのか、私の浅い読みでは判然としないのですが、見た人を死にいざなうという書かれ方はしていないですよね。

吉田秋生は、サリンジャーの物語の中では「出会ったら死にたくなる魚」ではないことを承知の上で、「戦争で傷ついた者」「死」をイメージさせる(という設定で)「バナナフィッシュ」という印象的な言葉を引っ張ってきたのだろうなと思っています。
「サリンジャーの小説」も、小道具のひとつかと。
「バナナフィッシュにうってつけの日」とは切り離して受け止めています。

分析しながら読書をされるSYUさんと違って、私はいつもなんとなく雰囲気で読んでいるので、「読書家」とは言えません。お恥ずかしい。
でも冊数だけはどんどん増えていくので、最近はできるだけ家にある本を繰り返し読むようにしています。
(先日書店で『本で床は抜けるのか』というルポを見かけて、ちょっと怖くなったので・・・)

普段ぼーっと読んでいるので、何年かたって再読すると、新鮮な発見があったりします。

しかし本って、「もう読まない」とわかっている物でも、読んだ頃の自分が思い出されたり、受けた影響を考えたりすると、なかなか手放せないですよね。


=== ご注意 ===

プログラムによるスパム投稿阻止のため

  • 日本語(カタカナ、ひらがな)を含まないコメントは禁止します。
    Please post your messages in Japanese.
投稿者名
コメント
Mail
URL
パスワード (修正・削除用 半角英数)




戻る