大学生時代 親しかった三人の、今はもういない人たち。 一人は病気で亡くなり、もう一人は事故で亡くなりました。 そして、三人目は自殺したのです。 今回は昔、自殺した山口君の事をつらつらと思い出して、書きます。 大学時代、山口君は「漫画研究会」の私の一年後輩でした。 「漫画研究会」ですから漫画やアニメが好きな事はもちろん、SF映画やSF小説好き、昔のテレビドラマ好き、昔のテレビアニメ好き、東宝の怪獣や特撮映画好き、つまり 円谷英二好き、クレージーキャッツ好き、そしてプラモデル好き等々、趣味が合ってよく一緒に遊んでいたのでした。 お互い大学を卒業して社会人になって数年後、その山口君が自殺したのでした。 山口君の家は埼玉県川口市にあって、「川口の山口君」と最初の頃よく言っていたモノです。 立派で大きなな川口市役所、その前を通る広い道路「市役所通り」、その真向かいに山口君の実家がありました。 木造の二階建て日本家屋、通りに面した一階には、祖父が働く小さな設計事務所がありました。 大学時代遊びに行くと、よくその祖父が図面を引いていた事を思い出します。 隣の住居から隔つ黒塀に囲まれた裏庭には小さな井戸があり、子供の頃、夏、スイカを冷やして家族みんなで「美味しいね」と笑いながら食べたそうです。 山口君は子供の頃、真向かいの川口市役所にある「公会堂(川口市民会館)」で、「ザ・ドリフターズ」のTBSテレビの「8時だョ!全員集合」の公開収録をよく観に行っていたそうです。 その事をいつも誇らしげに自慢していました。 山口君は祖父と祖母、母の3人で暮らしていました。 父は山口君がまだ幼い時に亡くなったそうです。 山口君は「祖母(ばあ)ちゃん子」でした。 祖母は山口君の事を小さい頃からとても可愛がっていたのです。 私も大学時代、山口君の家に何回か遊びに行った事があります。 当時、私たちは漫研有志で8ミリフィルムでアニメーションを作っていたのです。 もちろん、セルを使い色を塗ってプロの真似事をやっていたのです。 そのセルの色塗りやコマ撮り撮影を、彼の実家の彼の部屋を使って行っていたのです。 山口君の部屋は二階で、階段を上がってすぐの所。 隣の部屋は仏壇とかある布団部屋だったような気がします。 私たちが山口君の部屋でアニメの撮影をしていると、隣の部屋では祖母が針仕事をやっていました。 よく山口君を呼んでいたような気がします。 「何だよ?婆ちゃん」と少し面倒臭そうに、そして照れくさそうに、度々呼び出されていたように思います。 その山口君の祖母が亡くなったと聞いたのは、私が大学を卒業し社会人になった年だったのかな。 その後、何年かして山口君の母が家を出て行ったと聞きました。 こうして、山口君は祖父と二人暮らしになったのでした。 あれは私が社会人になって何年目だったか。 今、調べて見たら「12年目」でした。 当然,山口君も社会人になっていました。 その頃、友人と一緒に小さな「編集プロダクション」を創立し、そこで働いていました。 当時私は毎日忙しく、徹夜徹夜で朝帰りが続いていた日々でした。 その日も徹夜明けで家に帰り、そして大学時代の漫研仲間から届いていたメールを読んだのでした。 「山口君が自殺したみたいです」。 何が一体、一体何が起きたのか? 誰かに電話して聞くにはまだ時間が早く、どうして良いか判らないうち朝10時、電話が鳴りました。 メールとはまた別の漫研時代の友人からでした。 「あの・・・聞いたかも知れないけれど・・・山口君が亡くなって・・・・・・・・・・・・。それで・・・今日の・・・夜・・・6時から・・・お葬式で・・・それで・・・川口駅に・・・5時に・・・みんな・・・あの・・・集まろうと・・・いう事に・・・なったんだけど・・・・」。 電話のR氏の声は聞いたことの無い、やっと絞り出すようなモノでした。 斎場でのI氏の話。 開かれた窓と閉じた窓の話。 「例えばさー。人の心の中には誰にも小さな家があってさー。小さな家だけど、壁にはたくさん窓が付いているわけ。 その窓はしょっちゅう開いたり閉まったりパタンパタンしているんだけど。開いた窓は外が見えるし明日が見える、希望も見える。でも、閉まった窓からは何も見えない。希望も見えないんだよね。 うまく出来たモンで、そのしょっちゅうパタンパタンしている窓は、こっちが閉まったらあっちが開いている、あっちが閉まったらこっちが開くんだよね。 そのしょっちゅうパタンパタンしているたくさんの窓が、ある時、何かの全くの偶然で窓が全部閉まっちゃう時がある。 そんな時、人は死にたくなっちゃうのかも知れないね。よく判らないけど」。 山口君は一階の祖父の事務所の鴨居に紐を吊って、そこで自殺したのでした。 最近、「編集プロダクション」で購入したパソコン代金「50万円」の事で一人悩んでいたといいます。 何かの掛け違いがあったのか、山口君としては、その「50万円」は取引先が払ってくれるモノと思っていたのです。 結局、山口君一人が背負い込む事になったのでした。 T氏のセリフ。 「50万ぐらいで死ぬなんてバカだよ!50万ぐらい貸してやったのに!山口はバカだよ!!」。 その「50万円」は自殺の切っ掛けにはなったかも知れませんが、それだけじゃないように私は思います。 いろいろな事で、私が知らないいろいろな事に裏切られて疲れて、何もかも嫌になって、そして自殺したのだと思います。 私の好きな歌に「岡林信彦」の「君に捧げるラブ・ソング」というのがあります。 「ラブ・ソング」というタイトルが付いていますが、これは男女の「愛」を唄ったモノではなく、男女に関係なく親しかった人が突然亡くなって、何も出来なかった自分の無力さを嘆く歌なのだそうです。 「♪悲しみにうなだれる君を前にして そうさ何も出來ないでいるのがとてもつらい せめて君の為に歌を書きたいけど もどかしい想いはうまく歌にならない 今 書きとめたい歌 君に捧げるラブ・ソング 君の痛みの深さはわかるはずもない 何か二人遠くなる 目の前にいるというのに そうさ僕は僕 君になれはしない ひとり闘うのを ただ見つめているだけ 今 書きとめたい歌 君に捧げるラブ・ソング 二人はためされてるの 君は僕の何 これで壊れてゆくなら僕は君の何だった 何も出來はしない そんなもどかしさと のがれずに歩むさ それがせめての証し 今 書き止めたい歌 君に捧げるラブ・ソング 今 書き止めたい歌 君に捧げるラブ・ソング♪」。 「SYUさん、俺の事も書いてよ」。 今やっと書いたよ、山ちゃん・・・。 |
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