| (本エッセイは以前、宮崎メカ模型クラブの掲示板に投稿した文章を、,再考・訂正・大幅加筆したものです) 宮崎駿作品の登場人物たちは、各々「自らの色」を持っていると、私は昔から思っていました。 一番判り易く特徴的なのは「ナウシカ」が持っている正義の「青色」です。 「ナウシカ」は風の谷の族長の娘で、村一番の風使いの少女です。 それがある日突然、近隣諸国同士の戦争に巻き込まれ、辺境の村「風の谷」から、遠い異国の世界へ連れ去られてしまうのです。 平穏に続いていた「日常」が、突然「異界」へ連れ去られ、そして最後は再び「日常」へ戻ってくるという物語。 これは私の好きな「児童文学」の王道バターンであります。 宮崎駿作品の多くが、この「児童文学」の構造に基づいている事に気がつきます。 そして問題は、「ナウシカ」の服の「青色」です。 これは「正義」や「聡明」、そして「自由」の象徴なのだと思っています。 この「青い服を着た少女」は宮崎駿作品の中では、「未来少年コナン(1978)」の若い頃のモンスリー、「ルパン三世 さらば愛しきルパンよ(1980)」の小山田マキ、「風の谷のナウシカ」のナウシカ、「天空の城ラピュタ(1985)」のシータとドーラ、「ハウルの動く城(2004)」のソフィー等々、頻繁に登場するキャラクターです。 宮崎駿作品における物語の主人公たちは、得てして「青い服を着ている」のです。 これは別に私が初めて気づいた事ではなく、ファンの間では昔から有名な話でした。 少女ではないにせよ、「On Your Mark(1995)」の主人公の二人の警官や、「もののけ姫(1997)」のアシタカの服も「青色」でした。 興味深いのはナウシカです。 彼女は一端ペジテの少女の「マゼンダ色の服」に着替えるのですが、その後(エンディングに向け)王蟲の血を全身に浴び、再び「青色」に戻るのです。 こうして彼女は、劇中で神話として語られてきた「青き衣の人」になるのです。 そう、宮崎駿は頑なに「青色」に、「主役」「正しき者」「王道」「純血」のイメージを与え続けるのでした。 宮崎駿作品には「児童文学」の匂いを感じる、と前に書きました。 「日常」から「異界」へ、そして再び「日常」に戻る、「児童文学」の王道パターンを踏んでいるからだ、と書きました。 私の大好きな「J・R・R・トールキン」の「指輪物語(1954〜55)」。 その前日譚でもある「ゆきてかえりし物語(1934)」。 そのタイトルそのものが(原題、THE HOBBIT,OR THERE AND BACK AGAIN.The Hobbit,)「児童文学」を的確にそして見事に言い表しているのです。 宮崎駿作品の多くが、「未来少年コナン」も「風の谷のナウシカ」も、「天空の城ラピュタ」も「もののけ姫」も「千と千尋の神隠し(2001)」も皆、「ゆきてかえりし物語」なのであります。 「宮崎駿」が監督になる前の作品にも、何人かの「青い服の少女」を見つける事が出来ます。 東映動画時代、アイディア構成を務めた「どうぶつ宝島(1971)」の海賊の娘「キャシー」。 ボブヘア頭の二丁拳銃の名手で、青いワンピースに皮ブーツ姿がとても凜々しく格好良いのです。 場面設定やレイアウトを務めた「母をたねて三千里(1976)」の「フィオリーナ」。 人形劇の旅芸人「ペッピーノ一座」の次女で、荒野を彷徨う主人公マルコを陰からいつも支えていました。 この「活発で男勝りの女の子」と「母のように見守る女の子」、この二人の「青い服の少女」も決して欠かすことの出来ない宮崎駿の「青い服の少女」なのでした。 これは今年の暑中見舞用に私が描いた、「未来少年コナン」で帰港したバラクーダ号を迎える際の「モンスリー」の姿です。 |

| 超磁力戦争で世界が滅ぶ前、インダストリアへ来る前の幼いモンスリーは「青い服」を着ていました。 で、です。 戦闘服は一端脱いだものの、まだ青い服には戻れないモンスリーが・・・、私はとても大好きなのでした。 |
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