| 「風」とは、ある時にはゆったりと優しく、またある時には厳しく凶暴な、「大気の流れ」の事であります。 【浮世絵】 19世紀中頃(1830〜34、天保元年〜5年)、日本の浮世絵師「葛飾北斎」が描いた「冨嶽三十六景 駿州江尻(すんしゅうえじり)」は、初めて「風を絵に描いた」と評判になりました。 東海道五十三次の宿場町「江尻宿」。その街道を歩く旅人たち。 そこに一陣の突風が吹き、葦原も大きくうねります。その時の街道を行く旅人たちの姿が描かれています。 身を屈め寒さに耐える人、被っていた笠を飛ばされる人、持っていた懐紙(持ち歩くメモ用紙)を空へ吹き飛ばされる人。 傍らには大きく撓(しな)る樹が、さらにその奥には何事も無かったかのように「でん」と構える霊峰「富士の山」が見えます。 この浮世絵が、当時の西洋の画家たちに「風を絵に描いている!」と驚愕させたのでした。 旅人の手許から、空中に高く舞い上がるたくさんの紙の束の描写が、目には見えない「風」を感じさせたのです。 北斎の「浮世絵」や画集「北斎漫画(1814〜78)」には、「絵に風を描く」「誇張した表現で滑稽さを出す」「コマ割りで物語を展開する」等々の、今まで無かった「斬新な手法・工夫」がありました。 北斎が「今の漫画を創った」と言われる所以であります。 現代漫画でよく使われる「集中線」(対象物に四方から集まる実線)も、「北斎」が初めて描いた手法だと知り、私はすごくビックリしたのでした。 【ディズニー】 「生物」が動くのは当たり前。 風や建物といった「無生物」も自在に動かすのがアニメーションの醍醐味であります。 「白雪姫(1937)」「ピノキオ(1940)」「バンビ(1942)」等々の劇場長編アニメーションが登場するまで、ディズニーは劇場短編アニメーションを作る会社でした。 短編アニメーション・シリーズ「シリー・シンフォニー(1929〜39)」です。 全75編中、68番目の「風車小屋のシンフォニー(1937)」は、後世に残る傑作アニメーションでした。 とある村はずれの小さな沼。 その傍らに建つ一軒の古びた「風車小屋」。 ずいぶん前に粉挽きも中止され、そこは小鳥たちやネズミたち小動物が暮らす憩いの隠れ家になっていました。 ある夜、大嵐に見舞われます。 歯車を止めていたロープが千切れ、風車小屋は狂ったように動き始めます! 大パニックになる小動物たち! ついに風車も壊れ、一夜明け台風が過ぎ去った翌朝、何事も無かったかのように、再び彼らは平穏な暮らしに戻るのでした。 とても短い「9分にも満たない」本作品は、ディズニーが初めて「マルチプレーン・カメラ」を使ったアニメーションでした。 第10回アカデミー賞短編アニメ部門・技術部門を受賞しています。 普通のアニメーションの撮影台は、真下を向いたカメラと、下にはガラス板で動画セルと背景絵を挟む「作業台」が置かれています。 「マルチプレーン・カメラ」は、その「セル作業台」が距離を離して何層もあるのです。 カメラのフォーカスを一番上の「作業台のセル」に合わせると、下の段の「作業台のセル」はボケて見える。 下の「セル」にフォーカスを合わせると、今度は上の「セル」はボケて見えるのです。 この「作業台」が何層もあり人の身長より高く、そのため「マルチプレーン・カメラ」は大がかりなアニメ撮影台、大がかりな作業となるのです。 本作では風車小屋の中を「それぞれの場所で暮らす動物たち」を、次から次へとワンカットで紹介していくのに使われていました。 「マルチプレーン・カメラ」は、ディズニーの「ピーターパン(1953)」の、ネバーランドへ向かって飛行する一行のシーンや、 「フライシャー兄弟」の「バッタ君 町に行く(1941)」の、田舎から出て大都市に到着するまでのオープニングで使われていました。 【宮崎駿】 繰り返しでできる「旗」の動きは、アニメーションの「基本の基本」だと言えます。 (ちなみに、そこから派生する「髪の毛のなびき」は、日本アニメの「基本の基本の基本」と言えるでしょう) 「旗」は風を、その場の大気を描く事が出来る優れた「素材」であると言えます。 その「基本の基本」の技法を使い、「生活感」を出す小道具として、宮崎駿は「洗濯物」を良く作品中に登場させているのでした。 「未来少年コナン(1978)」のオープニング・アニメーション。 小舟に乗り、煌めく波を蹴立て大海を進む「コナン」と「ラナ」。 大陽の光を浴び、「残され島」の輝く草原の大地を疾走する「コナン」と「ラナ」。 やがて二人は「ロケット小屋」に辿り着きます。 そこで気持ち良く旗めく「洗濯物」を後にして、少年少女は一緒に空を見上げるのでした。 その場面がストップモーションとなり、全体が白黒に暗転して、制作会社「日本アニメーション」のタイトルが決まります。 このオープニング・アニメは、シリーズ全26話 全ての大冒険が終わった後、再び「残され島」に戻って来た「コナン」と「ラナ」が描かれていた事は、もはや有名な話です。 「未来少年コナン」が「コナンとラナ」の、正統的な「ボーイ・ミーツ・ガール(Boy Meets Girl)」物語である事は、以前私が「宮崎駿のアニメーションは児童文学だ」と言った証左でもあります。 「ボーイ・ミーツ・ガール」は「児童文学」に決して欠かせない構成要素の一つだからです。 その「ボーイ・ミーツ・ガール」物語の最後が、塔の上に立つ二人と「洗濯物」である事も、「これは良い児童文学だ!」と実に感動させるのです。 陽の光をたくさん浴び自由に風に舞う「洗濯物」は、宮崎駿のアニメーションでは「多幸感」の象徴でもあるのです。 「名探偵ホームズ(1984〜85)」は日伊合作のテレビアニメとして企画され、いろいろあって結局 宮崎駿は6作品にしか関わっていませんが、その6作品いずれも「超傑作揃い」なのです。 「コナン・ドイル」の「シャーロック・ホームズ譚」からインスパイアされた設定で、ホームズの適役 悪の天才「モリアーティ教授」の秘密のアジトの一つが、ロンドンのケンジントン公園の「丸池」の地下にあるのです。 「ケンジントン公園」も「丸池」も本当にある場所ですが、その地下が「モリアーティ教授のアジト」になっているのは(多分)嘘です。 「モリアーティのアジト」は教授の大(珍?)発明である「プテラノドン型飛行機」の格納庫にもなっています。 そこに教授と手下の「トッド」と「スマイリー」との三人暮らし。秘密の隠れ家となっています。 男やもめ三人の暮らしは乱雑混沌大混乱を極め、部屋の中、あらゆる場所に教授の発明品や戦利品、たくさんの食料品のストック、食い散らかした食べ物や食器などが散らばっているのでした。 そして部屋の壁から壁へロープが何本も渡っており、男三人の靴下やらパンツ、股引やらタオル等々、色とりどりの洗濯物が吊されているのでした。 「天空の城 ラピュタ(1986)」に登場するのが、空中海賊船「タイガーモス号」です。 雲海を進むその艦上では、ロープに干された大量の洗濯物が風に旗めいています。 空中海賊「ドーラ一家」は、老婆の船長「ドーラ」以外は、皆むさ苦しいマッチョな男たちばかり。 それとは相反して彼らの「洗濯物」は、自由に、自然に、気ままに、気持ち良さそうに風に舞っているのでした。 「千と千壽の神隠し(2001)」。 神々の棲む異界にある巨大な温泉宿「油屋」。 建物の中央にある巨大な吹き抜け空中回廊。 夕暮れ時、それぞれの宴会場では既に夕餉(ゆうげ)の宴が始まっています。 ひとっ風呂浴びて来たのでしょう、廊下には客人たちの「手拭い」が点々と干されているのでした。 「ハウルの動く城(2004)」でも「洗濯物」はたびたび登場しています。 まるで綱引きのようなヒロイン「ソフィ」と案山子男の洗濯物干しは有名です。 映画の最後、最終形態になった「空飛ぶ動く城」でも、「ソフィ」と「ハウル」のキスシーン背景に、風に旗めく「洗濯物」が登場していました。 これ以外にも宮崎駿のアニメには、さまざまな場所に「洗濯物」が登場しています。 「洗濯物」は、絵で作られた虚構世界の空気感を出すための、宮崎駿にとっての必須な小道具なのでした。 宮崎駿アニメーションの登場人物たちは、例え物語の主役の正義の味方であっても、例え世界征服を狙う悪の親玉であっても、 皆、パンツを洗い靴下を干し、毎日毎日勤勉に「洗濯物」を作り続けるのです。 宮崎駿が好きだったかどうかは判りませんが、大昔の少年マガジンで「松本零士」の「大山昇太」が「男おいどん(1971〜73)」でやっていた、漫画の最後に仰々しい「巻紙ナレーション」で独り言する、「パンツを洗い靴下を干し、こうして男は毎日毎日、明日を夢見て今日も眠るのだ・・・」みたいな世界感を、私は凄く感じるのでした。 |
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