SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.5
「夢の言葉」について

(2001年11月21日)


「夢」について書きます。
「夢」といっても、「ボクは大きくなったら偉い人になりたいです」という「夢」ではなくて・・・
夜寝ている時に見る「夢」の話であります。

私は夢を見るのが好きで、夢を見たいがために「寝る」事も度々あります。ですから当然「今見た夢の続きが気になって」もう一度寝てしまう事も頻繁にあります(困ったモノです)。
また、他の人の「夢の話」を聞いたり読んだりするのも好きです。
インターネット上にも多くの「夢日記」が公開されていますので、私だけじゃなく、大勢の人が「夢を見るのが好き」で、また「他人の夢に興味がある」のでしょう。
夏目漱石の「夢十夜」やつげ義春の「夢日記」なども、何回読んでも面白いものです。
私も昔の一時期、枕元にノートを置いて「夢日記」なるモノを頻繁に付けていたのですが、今は目が覚めてしばらくたっても覚えている夢だけを書き留めておく事にしています。

私の見る夢は大別すると三つの種類に分けられます。
A)気味が悪く恐ろしい、いわゆる「悪夢」。
B)私自身が登場して過去や現在の知人達が出てくる夢。
C)夢の中に実際の私の存在はなく、まるで映画や漫画を読んでいる様な客観的でストーリィ性のある夢。
という三つです。
当然、これらが「複合」した夢も多く見ます。

例えば「Cタイプ」にはこんな夢がありました。
「ロケットの夢」です。

巨大な隕石群が地球に降り注いでいる。
地球の最後が迫っている。
脱出用のロケットが計画・建造され、実行に移される。
だが、全ての人間がそのロケットに乗れるわけではなく、不公平の無いようにクジ引きで搭乗券が得られるという仕組みが考案される。
私は妻と二人、幸運な事にクジの当たりを引く。
だが、実際にロケットの中に入ってみると、妻の座席はあるのだが私の座席は無い。出発間近、慌ててロケットを一人出て確認すると、私の「当たり」は間違いだった事が判明する。
タラップをはさんでロケットの中の妻と地上の私。
「あなたが行けないんじゃ私も残る」という妻に私は「大丈夫だ。大丈夫だよ」と言う。
そして続けて「君の中にはもう一人のボクがいるんだから」と言う。
そう妻は妊娠していたのだ(この瞬間、二人はその事に気がつく)。
「君の中でボクは生きる」と私。
タラップが上がり、妻の乗ったロケットが出発していく。
「ああ、良かった。本当に良かった」と私・・・。

ま、夢ですから細かいところの整合性もオチもないのですが、それでも私、この夢から覚めた後もしばらくは「ああ、良かった良かった」とまるで映画を見終わった後の様に大感動していたのでした。
自分の夢に感激しながら目覚めるっていうのも、これ我ながら「変わっているなあ」と思うのですが。
この夢は今から数十年前に見た夢なのですが、今でもハッキリと覚えているのでした。

ところで、私の好きな昔の都々逸に「夢を見るよじゃ惚れよが足りぬ。ホントに好きなら眠られぬ」、というのがあります。
あ、これは本文とはまったく関係ありませんでしたね・・・。



目次へ                               次のエッセイへ


トップページへ

メールはこちら ご意見、ご感想はこちらまで