SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.100
「今日の名台詞 その(13)」
について

(2009年1月4日)


私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。

と言うワケで、今回も昔の日記からそれらを抜き出してご紹介するのであります。
(今回は2002・3年頃の日記からの抜粋です)

コメントはその当時のモノ。
※印付きのコメントは、今の私の補足説明です。

またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。
今回はいつもより「ちょっと」長いです。



「恋愛なんて取るに足りない行為ですよ。際限なく繰り返すことができるんですからね」
アルフレッド・ジャリ「超男性」より。
※「アルフレッド・ジャリ」は19世紀末のフランスの小説家。
「超男性」は彼の代表作。
このセリフを聞くと、樹村みのりの昔の漫画「菜の花畑は満員御礼(1977)」の中の、「好きもきらいも たかだかこの世でのことじゃないかね」を思い出します。
あっ。ここから採ったんだな。
今、気が付きました。


「百匹目の猿」
猿の行動形態のこと。
ある猿に芋を与えると、水で洗ってから食べるという行動をとるようになった。
その行動は群に広がり、百匹目が芋を洗うようになった時には、日本中の猿が芋洗いをするようになっていたと言う。
※それをSFにしたのがヴァン・ヴォークトの「スラン(1940)」です。
嘘です。


「作者を忘れてしまったが、誰だったか一コマ漫画にこういうのがあった。若い男が寒風の中で、立ち食いそばをすすりながらつぶやいている。
『愛も希望もなくなっても、ちゃんと生きちゃってたり・・・したりして・・・』。
これこそ『とほほ精神』の真骨頂であって拍手を送りたい」

中島らも「とほほのほ」より。
※中島らもはコピーライターでエッセイストで小説家。
上記の漫画は「東海林さだお」っぽいけど、違うかな?
なるほど、「愛も希望」もなくても、人は生きているモノであります。


「不幸というものは虎や熊のようにそこに存在していて襲ってくるものではなく、人が『不幸』という名を与えるまでは存在しないものである。
『幸福を知るまでは人は不幸ではない』という諺があるが、まさにそのとおりで、不幸は常に『想定される幸福』との対比において初めて成り立つ」

中島らも「とほほのほ」より。
※以前にも書いた事がありますが、私は病院に行くのが嫌いです。
病院に行き、医者から病気の診断を貰うと、途端に病気になってしまうからです。
それまでは病気じゃなかったのになあ・・・。


「しかし実る恋だけが恋じゃないだろ・・・」
「そう・・・破れた恋も恋のうち」

しりあがり寿「ヒゲのOL」より。
※しりあがり寿も一時期ハマっていた漫画家でした。


「アッという間に、相手は、まるでどろでこしらえた人形がくずれでもするように、グナリと、前の机の上に平たくなった。
見ると、そこには、相手の奥村一郎所有の小型ピストルが光っていた。
『おれが殺したんだ』
ギョクンと、のどがつかえたような気がした」

江戸川乱歩「灰神楽」より。
「グナリ」「ギョクン」、特殊な擬音の使い方である。
何かの本で読んだのだが、「小説における擬音はあまり平凡なモノを使わない方がよい。小説まで平凡に見えてくるから」とあったが、実に納得したのであった。
※小説における擬音で好きなのが筒井康隆です。
人を刀で斬った時の擬音「ずんべら」を初めて見た時、この人は天才だ!と思ったモノなのであります。


「戦争ってのはいつも熱すぎるか寒すぎるかだ」
ロバート・ミッチャム「眼下の敵(1957)」より。
※「眼下の敵」は第二次世界大戦時のイギリスの駆逐艦とドイツのUボートの戦いを描いた戦争映画の傑作です。
この映画やドイツ映画「Uボート(1981)」などから、「潜水艦映画に駄作無し」などと定説のように言われていますが、実は結構、ツマラナイ潜水艦映画も多いのであります。


「大雪のあとは、人の善良さが素直にでるわ」
アイラ・レヴィン「ローズマリーの息子」より。
※「ローズマリーの息子(1998)」は、あの傑作恐怖小説「ローズマリーの赤ちゃん(1967)」の30年後、同じ作者によって書かれた由緒正しい続編です。
が、面白かった前作に反して、「なんじゃこりゃ?」と言う仕上がりで、久しぶりに「怒髪天を衝」いたモノでした。


「大丈夫。同じ間違いは二度と犯さんよ」
「代わりに新しい間違いを犯そうとしている・・・」

マイケル・クライトン「ロスト・ワールド」より。
小説が面白いのは、時々こういったセリフに巡り会える事である。
※得てして「間違いを犯す」事によって、その物語は始まるのであります。


「なぜ怖くなくなるかということなんだけど、いろんなことが分かっちゃうということも確かにあるんだけども、大人になるということは、子供が怖いなと思った、その怖いものに、少しずつなっていくからだと思うんですよ。
子供が怖いと言っているものというのは、いろいろありますよね。お化けもそうですよね。
しかし、大人になるということは、だんだん、お化けになっていくことだから。自分が怖いものの立場になっちゃうので、自分は怖くなくなっちゃうんですよ」

楳図かずお。綾辻行人「セッション」より。
※「セッション」は綾辻行人の対談集。
「子供の頃、恐かった物に、大人になったら成っている。だから、もうそれは恐くないのだ」と言うのは卓見であります。


「例えばウスターソース、あれはイングランドの、ウスターというところで生まれたソースなんです。
イギリスはそういう良質のソースを持ったために、いわゆるイギリス料理なるものを持てなかったといわれています」

逢坂剛「幻の翼」より。
※逢坂剛は小説家。
「イギリス料理に旨いモノ無し」と言われていますが、私はイギリスで食う「インド料理」と「中華料理」が美味しいと思います。
大昔、世界各地に「植民地」を持っていた結果であります。


「何ギガになろうと速くなろうと、保存されるのはエロ画像という罠」
2ちゃんねる。
100GBのメモリーが開発されたと言う。
もうハードディスクはいらないんじゃないか、と言う。
※エロによりメディアもハードも進化していくのは、これ人類文化史の歴史的事実なのであります。


「形の美しいモノは速いんだ」
当時新幹線をデザインしたのは、戦時中「銀河」という爆撃機をデザインした「三木忠直」という人だった。
NHK「プロジェクトX」、「新幹線を開発した男達の物語」より。
※このセリフには納得するのですが、第二次世界大戦時のロシア戦車、「宮崎メカ」が持つ「無骨で遅そう」なデザインにも、私はとても格好良いと思うのであります。


「『強い』チームが勝つのではない。
勝ったチームが『強い』のだ」

ワールドカップで誰かが言ったセリフ。
※この手の言い回しもいろいろとあります。
有名なところでは、「『正義』だから勝ったのではない。勝った国が『正義』なのだ」とか。


「高圧電流銃」
痴漢撃退用のバチバチと電気を出すヤツをこう呼ぶのだそうだ。
なんか昔のSFに出てきそうで格好良い。
※この「スタンガン」ってヤツ、TVや映画等で見ると、ホント恐そうです。


「近ごろ。この世の中は知らないことばかりで成り立っている・・・」
植田弘隆「シャーロック・ホームズ遊々学々」より。
※「近ごろ」でなくても、昔から世の中は私の知らない事ばかりで成り立っているのであります。。
図書館とか行くと、読んだ事のない本が五万とあり(当然ですが)、私が生きている間にはこれを全部読む事は出来ないという明白な事実に、いつも深く絶望してしまうのでした。


「アイ子は、海が見たいと言ったんです。
涙こらえて言ったんです。
肩をふるわせ泣いたんです。
一人で見るのが怖いから、いっしょに見ようって泣いたんです」

つかこうへい「熱海殺人事件」より。
※私は一時期「つかこうへい」にもハマっていました。
文庫本や単行本、全部買ってたけど、みんな捨てちゃったなあ。
私はこのセリフ泣けるのですが、これが泣けるかどうかは、この戯曲を何歳の時、いつの時代に読んだかにもよるのでしょう。
つーか、今の人は「つかこうへい」自体知らないか。


「殺す数が少ない方がなぜか残酷に見える」
「荒馬と女(1961)」より。
※「荒馬と女」は、「クラーク・ゲーブル」と「マリリン・モンロー」が出演したハリウッド映画です。
この手のセリフは映画によく登場します。
「ひとりを殺せば殺人だが、100万人殺せば英雄だ」と言ったのはチャップリンの「殺人狂時代(1967)」でした。


「何を信じるの?」
「理性と論理。原因と結果・・・」

ティム・バートン「スリーピー・ホロウ(1999)」より。
※18世紀末、大都市からやって来た科学を信奉する捜査官が、田舎町の首無し幽霊事件の謎に取り組むという映画でした。
まるで「シャーロック・ホームズ」のセリフみたいです。


「先生はよく、漫画は文字を絵に書くんだと言われていますね。
文字もよく書かれますが、文字と絵の違いはどのへんにあるんでしょうか?」
「これはよく言ってることなんですが、『絵を文字にするのが小説、絵を絵にするのがイラスト、文字を絵にするのが漫画、文字を文字にするのが評論』だと思うんです」

コミックトム創刊号(1980年5月号)インタビューより。
答えているのは手塚治虫である。
※言い得て妙、であります。


「底なし沼に底はない」
モダンチョキチョキズより。
※「モダンチョキチョキズ」は90年代に活躍した、私の大好きな「大所帯バンド」です。
イカした楽曲はもちろん、そのちょっと変な歌詞も大好きだったのでした。
この身も蓋もない上記のセリフは、昔から言われる「降れば土砂降り」と同様の意味であります。
後、モダチョキの歌詞の中で好きなのは、「有馬ポルカ」の中の「阿弥陀如来を頭に埋め込んで光速で走るよ」です。
シュールで素敵。


「貧乏な俺の家には、貧乏なサンタしか来ませんでした」
2ちゃんねるより。
※この年(2002年の私の日記)ぐらいから、巨大掲示板「2ちゃんねる」で見つけた「名セリフ」が増えてくるのでした。
面白かったり、気の利いた言い回しだったり、私の知らなかった事などを、みんな良く知っているモノなのであります。


「トランプに赤のカードと黒のカードがあるわけは、これで世界の昼と夜を表している。
カードの四種類のマーク(これをスーツと呼ぶ)は、一年の春夏秋冬を表す。
また、52枚の合計は364となり、ジョーカーを加えて一年365日に当たる。
また、ジョーカーが二枚入っているのは、一枚は閏年のためである」

泡坂妻夫「曾我佳城全集」より。
※「泡坂妻夫」はマジックを偏愛する推理小説家です。
美人マジシャン「曾我佳城」が活躍するこのミステリー短編は、彼の代表作であります。


「七という数は、人間がたくさんに感じる数の中でも、最小の数なのです。
奇術師が九羽とか十羽といった数の鳩を取りだして見せても、お客さんが感じるのは、七羽見た時とたくさんの感じがそう違わないものなのです」

泡坂妻夫「曾我佳城全集」より。
※ちなみに、昔聞いた原始人の数え方は、「ひとつ。ふたつ。いっぱい」なのだそうです。


「奇跡の驚くべきところは、奇跡が本当に起こることだ」
チェスタトン。奥泉光「グランド・ミステリー」より。
※「奥泉光」は私の好きな小説家です。
一応「純文学」に分類されているのですが、書く小説は十分「エンターティメント」しているのでした。
「幻想小説」「奇想小説」かな?
上記のセリフは作中、有名な推理小説作家「ギルバート・ケイス・チェスタトン」の格言として紹介されていました。


「デジタルで映像を作りますとね、風景にならないんです。
フィルムだと、パーコレーションを歯車で送るとき、どうしてもガタというか、ブレが生じます。
撮影のときも、映写のときにもブレが生じて、複合されるわけです。それで映画は息づくんですね。
デジタルで映像化したものをビデオで見ると、止まった絵はただの死んだ絵で、映画館の幻燈のCMみたくなっちゃうんです」

宮崎駿「虫眼とアニ眼」より。
※「デジタルで作られた映像は死んだ絵で、風景にならない」とは卓見です。
デジタル合成やCGは早い段階でそれに気づき、「画面にブレを作る」事をして来ましたが、それでもやはり「風景」にはなっていない様に思います。


「ぼくは、子供の本質は悲劇性にあると思っています。
つまらない大人になるために、あんなに誰もが持っていた素晴らしい可能性を失っていかざるをえない存在なんです。
それでも、子供たちがつらさや苦しみと面と向かって生きているなら、自分たちの根も葉もない仕事も存在する理由を見出せると思うんです」

宮崎駿「虫眼とアニ眼」より。
※これも卓見です。
そんな子供たちのために、宮崎駿は作品を作りたいと昔から言っていました。


「稚拙な口論は、最後に相手の悪口を言ったほうが勝ちになる」
霧舎巧「名探偵はもういない」より。
※「霧舎巧」はミステリー作家。


「頭の硬さはカボチャの硬さと同じ」
自動車衝突実験より。
※出典は不明ですが、「自動車衝突実験」ではよく言われている事みたいです。
この「カボチャ」を使って、頭蓋への損傷をテストするのです。


「探偵小説はある意味において魔術文学であるから、当然これら三つの分野の魔術とも関係を持っている。
探偵小説の興味はミステリーと合理主義の両要素の組み合わせからなっている。
探偵小説の犯罪事件はできるかぎり不可思議、神秘、超自然にはじまり、それが結局は一点の隙もない合理的解明に終わるというのが定跡であり、理想型である」

江戸川乱歩「魔術と探偵小説(昭和21年10月新青年のエッセイ)」より。
※「探偵小説」は「魔術文学」である、とは卓見です。
この「不可思議、神秘、超自然に始まり、最後は合理的解釈で終わるべき」と言うのは、大御所乱歩以降も、いろいろな推理作家たちが提唱していますね。


「本当に才能のある者は、たいていその才能をうとましく思っている。
人目を避け、自分の才能がさらされることを嫌う。
弾がギッシリつまった銃より空砲の方が、うるさく音をたてるものだ」

チューホフ。セシル・ビートン「マイ・フェア・レディ日記」より。
※アントン、チューホフは19世紀のロシア人作家。
「マイ・フェア・レディ日記」は1964年のミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」のメイキング本です。
「能ある鷹は爪を隠す」「弱い犬ほどよく吼える」のであります。


「そうは言いますけど、やっぱり私は『チャールズ・ブロンソンかっこいー』、『マックィーンしびれるっ』っていった次元でこの映画大好きで、そりゃ『無常感、敗北感が無い』、『コクや刺激が無い』って言われればそればその通りなんですけどね。
残念ながら『かっこいい』という言葉以上にこの映画を擁護する言葉が見つかりません。
おっしゃる通り『感覚の問題』、『比較するのが野暮』であるのですが、なにか、『今年は暑くて寝れないねー』と話しているところへ地球温暖化の話をされているようで、非常にやるせない気持ちです」

2ちゃんねる。
日本映画「七人の侍(1954)」とハリウッド映画「荒野の七人(1966)」を比較して語っているスレッドがあった。
ある時「荒野の七人は面白い!」と書いた人に、「それは君の観方が浅い」と何人かが噛み付いた。
それに対してのセリフ。
※私も断然「七人の侍」の方が面白いのです。
それでも、「今年は暑くて寝られないねー。と話しているところへ地球温暖化の話をされるようで」というフレーズには感心しました。
なるほどなあ。


「ミステリ作家は6作以上は力のこもった作品を書けない」
ヴァン・ダイン「名探偵の世紀」より。
※ん?これ、前にも書いかも?
「ヴァン・ダイン」も超有名な昔のミステリー作家です。


「映画で最も重要な部分は最初の5分と最後の20分であり、その他の部分は穴埋めでしかない」
ジョージ・ルーカス「ハリウッドを超えた映像帝国の若き成功者」より。
※私もそう思うのでした。
全ての創作において、重要なのは「入口」と「出口」です。
それさえ上手く行けば、途中は「ワヤ」でも何とかなるモノなのであります。
小説や漫画でも、TVでも映画でも、そして模型製作やフルスクラッチでも、「入口」と「出口」が重要だと私は思うのでした。


「地元の商店街を歩いていると、俺の前に自転車に乗った若い母親がいた。
自転車前の買い物カゴには3歳ぐらいの小さな子供が乗っていた。
その子供が突然『あの犬、穴が開いているね』と言った。
それを聞いた母親『え?ああ、尻尾の下の穴ね。ウンチが出てくる穴』と応えた」

いやあ、子供って凄いなあ。
※これは私が経験した出来事です。
子供が発見したのは白い小さな犬でした。
「穴の開いた犬」と思った子供の感性も素晴らしいし、それに即答した母親も偉いと思ったのでした。


「画家のパブロ・ピカソの名は、パブロ・ディゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメデオス・クリスピノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダアト・ルイス・イ・ピカソ、と言う」
織田正吉「ジョークとトリック」より。
※「ジョークとトリック」は「講談社現代新書」の一冊です。
とても面白い本です。
あまりにも面白いので、当時の日記を見ると、ここから大量に「今日の名台詞」を抜き出していました。
と言うワケで、この「ジョークとトリック」から抜粋した「名台詞」だけを、別エッセイ「今日の名台詞(14)」にさせて頂きます。
興味がある方は読んでみて下さいね。


「私は戦いで死傷する兵士を見て、機関銃の開発を思い立った。100人の兵士が100挺の銃を肩に出陣してゆくが、機関銃なら一人でよい。
99人は危険な戦場に赴く必要がなくなり、安全な所にいられるようになる」

岩堂憲人「機関銃・機関砲」より。
手回し機関銃を開発した「リチャード・ガトリング」のセリフ。
※「ガトリング銃」で有名な「リチャード・ガトリング」が、こんな事を考えて機関銃を作ったと言うのは、どこか「言い訳」めいています。
本書の筆者も「ガトリングは、人道的な発明の動機をこのように記している。しかし、いうまでもなく、これは建て前で、本音は金もうけにあったことは間違いないだろう」と言い切っています。
そうだよなあ。


「ヨーロッパで私は一人の友人に会ったが、彼はこんなことを言った。
『電気なんか止めてしまえ。もっといいことは年がら年中、殺し合いばかりしているヨーロッパの連中に、もっと能率のいい殺人道具を売りつけることだ』
それを聞いて私は決心したのだ」

岩堂憲人「機関銃・機関砲」より。
マキシム機関銃の生みの親、機関銃王の「ハイラム・スティーヴンス・マキシム」のセリフ。
※「マキシム機関銃」も「AFV者」なら誰でも知っている有名な機関銃です。
発明家であった彼は、あの「トーマス・エジソン」との「電気事業競争」に敗れ、アメリカからイギリスに渡って機関銃を作ったのでした。
しっかし、「電気なんか止めて兵器を作れよ」って言った友人も、今にして思うと「悪いヤツ」です。


「博多来る時ゃ一人で来たが 帰りゃ人形と二人連れ」
2ちゃんねるより。
※これは有名な「都々逸」なのかな?
私は「博多人形」なんて買った事がありませんが、実家や親戚のおじさん、おばさん家に行くと必ずありました。
昔、ブームだったのかな?


「妄想とは『女が亡い』って書くものさ」
2ちゃんねるより。
※素晴らしい。


「結論から言うと閑古鳥とは『カッコウ』という鳥のことです。
もう少し詳しく説明しますと、カッコウは昔から鳴き声と名前が一致している鳥であり、その鳴き声は時代によって聞こえ方が変わり、それに応じて名前も変わっているのです。
例えば奈良時代は鳴き声が『カツポー』『カツフオー』と聞こえたため『カホドリ』と呼んでいました。
これが平安時代に入ると『フワッコー』と聞こえたらしく、『ハコドリ』と呼ぶようになり、平安末期にはこれは『カンコー』と聞こえたために『閑古鳥』と呼んでいたのです。
この鳥は昔から寂しいことの代名詞でしたが、その理由が通常の鳥が夜明けから午前中にかけて鳴くのに対して、カッコウは夕方から夜にかけても鳴く鳥だからといわれています。
そのため、この鳥は『冥土鳥』というちょっと怖い別名も持っています。
ですから閑古鳥が鳴くというのは死にかけている状態を表すようになったのです」

2ちゃんねるより。
※なるほど、勉強になります。


「宮崎駿が脚本なしで絵コンテを描きつづることは先に説明した。
彼は、コンテを出来上がったぶんからスタッフに渡していく。
無論、なりゆきばったりに物語を展開させているのではない。15分ごとに山場がくるよう、秒数計算しながら絵コンテを描いている。
アシタカの旅立ち(10分目)、怪僧ジコ坊との対話(15分目)、タタラ場に到着(30分目)、サン、タタラ場を夜襲(45分目)、ディダラボッチ現る(60分目)、ジコ坊がタタラ場に到着(75分目)、地侍の集団と戦闘中のタタラ場(90分目)、アシタカ、エボシと森で対決(105分目)。
これはハリウッド映画編集の手法を宮崎流に応用したものだ」

出展不明。
※同様な事を、私は「ルパン三世 カリオストロの城(1979)」で調べてみた事があります。
ストップウォッチ片手に観ていったのです。
この時は「15分ごと」どころか、「5分ごと」に「名セリフ」「名場面」が次から次へと登場し、とてもビックリしたモノであります。
こりゃ面白いワケです。


「日本で初めてアメリカ・ヨーロッパ風の漫画をかいたのは、北沢楽天(1876〜1955)という画家だった。
楽天は、埼玉県の大宮で生まれたが、育ちは東京の下町で、学歴は神田の小学校を卒業しただけ、あと画塾で絵の修業をしたに過ぎない。
楽天が生まれたのは、日本に近代的な学校制度が作られてから数年後のことだから、大学に進学する学生なんて、珍しかったのだ。
楽天は、十代の終わり頃に、横浜の英文雑誌社に入社、ここで英語や海外の漫画を学び、のちに時事新報社という新聞社に入社して、盛んに新感覚の漫画をかく。
昔から伝わっているお笑い風俗画みたいな絵は、戯画・おどけ絵・ポンチ絵などといわれていたのだが、楽天が登場してから『漫画』という言葉が普及するようになり、いまも使われている。
楽天は『漫画』という言葉を、いまの漫画と同じ意味で使った最初の日本人なのだ」

秋山正美「戦争漫画の世界」より。
※今日日「楽天」と言うと、インターネットか野球しか思い出さない名詞になってしまいました。


「1930年代にも、坂本牙城(1895〜1973)みたいに、ロボットをかいた人がいる。題して『タンク・タンクロー』
我が国初のSF漫画といわれる」

秋山正美「戦争漫画の世界」より。
※「タンク・タンクロー(1934〜36)」を知らない方もいらっしゃるかも知れません。
それは球体状の胴体各所に穴が開いており、そこから顔や手足、さらには刀や鉄砲等を自由自在に出す「可変ロボット」なのであります。
手塚治虫を待たずとも、TVのロボットアニメを待たずとも、日本のロボットは大昔から「可変・変形」するのが「デフォルト」だったのであります。


「いや、平均寿命だけじゃなくても、飛行機事故とか 高いところから飛び降りて心中した男女のうち女が生き残ったとかよく聞く話。
一緒に受験したカップルで女は受かり、男は落ちるって話もよくある。
恋愛でも人生壊れる男はいっぱいいるし。
そういうとこからも見て、何か女は男と生命力というか生命の作られ方が違うんじゃないかって思っているんだけど」

2ちゃんねるより。
※「生命の作られ方が違う」ってフレーズに感じます。
そう言えば、最近有名な分子生物学の「福岡伸一」の「できそこないの男たち(2008)」でも、「生物の基本はメスで、オスはその使い走りに過ぎない」って言ってます。
そうですか。とほほ。


「敵に回したら怖いけど味方にしたら頼りない」
2ちゃんねるより。
オリジンは何処かにあった様な。
※「用心棒にもいろいろあらぁ。雇ったほうで用心しなきゃならねぇ用心棒だってあらぁ」と言ったのは、黒澤明の「用心棒(1961)」でした。


「10年前も0.01秒前も、記憶。人間は今を見ていない、記憶を見ている」
2ちゃんねるより。
※「人間は今を見ていなく、単に『記憶』を見ているだけ」とは、押井守の「攻殻機動隊(1995)」みたいです。


「全く政治に関わろうとしないことって、とても政治的だと思う」
2ちゃんねるより。
※これも卓見だと思います。


「木星と聞いて浮遊大陸に波動砲とかいうのは、今は足をあらったかつてのアニメファン。
ジュピターゴーストとかいうのは、時代に取り残されたSFファン。
ガンバスターとかいうのは、救いようがないアニヲタ」

2ちゃんねるより。
※「木星」と聞いて、大昔「淀川長治」が解説していた頃の「日曜洋画劇場」のエンディングを思い出す私は、一体どうしたら良いでしょうか?


「そもそも、僕、という言葉を使い出したのは吉田松陰である。
松陰が初めて『僕』という一人称を用いたのは嘉永四年、江戸遊学中に書いた漢文の手紙の中である。
漢字の殆どがそうであるように、『僕』もまた中国からはるか昔に伝えられてきた言葉で、平安時代からあったらしい。
が、その読みは『やつがれ』であり、音読みの『ぼく』を謙称として使うことはなかった。おそらく松陰が初めてであろうといわれている。
松陰が使うことによってその門下生が揃って『僕』を連発し、のちの奇兵隊でも高杉晋作の影響で隊士がみな使うようになった」

出展不明。
※今は普通に使われている事でも、それを最初に始めた人は結構近い過去にいるモノなのであります。
ところで、「吉田松陰」と聞いて「つボイノリオ」を思い出す私は、何か問題あるでしょうか?


「そんなもんだよ・・・サイト運営って。
うちもまさにそうで、稀に話のわかりそうなやつが書いてくれると喜んで返信してしまう。
でもそういう頭の良さそうなやつは、馴れ合いに興味がないので、一度挨拶しただけですぐROMに戻ってしまう。
心が寒い。
それがサイト運営だ」

2ちゃんねる。
「サイト運営に疲れた管理人の依頼の場」より。
※心が寒い・・・。
そんなモンなのであります・・・。



とりあえず今回はここまで。

昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。
その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。




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