SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.103
「温泉の浴衣は何故脱げる」
について

(2009年6月20日)


あなたも鄙びた温泉地の宿屋に泊まった事があると思います。


「あの。予約を入れていたSYUと申しますが」「あ、どんぞどんぞ。お待ち申し上げておりましたぁ」と宿の女将と挨拶を交わした後、二階の部屋へトントントンと案内されます。
学生時代からの友人と二人旅は気楽なモンです。
八畳ほどのほど心良い広さ。
必要最低限の家具しかないから広く感じるのでしょうか。
座敷には大きな座卓と、窓際の板の間には小さなテーブルと椅子が二脚。
窓を開けると下には意外なほど近くに渓流が流れています。
夕食までの間をあなたと友人は風呂に入る事にします。
少し離れた所にある露天風呂。
旅館から渓流に向かって階段を少し下りた所にあります。
あなたはそこで数十年ぶりに悪ふざけで泳いでしまったりするかも知れません。
風呂から上がると夕食の宴がすでに部屋に用意されています。
思いの他、意外なご馳走に舌鼓を打ち、普段は飲めない酒も進みます。
そんな時の友人との語らいはとても楽しいモノです。
至福の時は続き、夜は静かに更けていきます。
「寝る前に、も一回、風呂行こうか」
露天から立ち上がる湯煙の向こうには見事な満月。
渓流の音に混じり何処かで蟋蟀も鳴いてます。
再び部屋に戻り、火照った身体にビールをまた一杯。
時間はすでに零時を過ぎています。
「今日はぐっすり眠れそうだ」
気持ち良く乾燥した布団に潜り込んだあなたは、次の瞬間には豪快な鼾を上げています。
そして翌日。
カーテンから差し込む目映い朝日に起こされます。
気が付けば掛け布団は向こうに遠く押し遣られ、枕は足下。
寝る前はきちんと着ていた浴衣は、見るも無惨、肌も露わに胸ははだけ、太股剥き出しパンツ一丁、腰ひも一本で辛うじて身体に繋がっているだけになっているのでありました。

何故、温泉の浴衣は朝になると必ず脱げるのでしょうか?

考えてみるに、それには四つの理由があると思います。



まず一つ目。
それは「和服」が着慣れてないせいであります。
普段から「着物」で生活している人は稀だと思います。
ましてや、寝る時だけ着る「浴衣」には、意識下でも無意識下でも、その着慣れない服に抵抗感が生まれてしまうのです。

二つ目は身体が「火照っている」せいであります。
日常、一日何回も風呂に入る人はいません。
しかし温泉宿では、一日に数回(宿に着いてまず一回、夕食前に一回、夕食後に一回、寝る前に一回、深夜に起きた時に一回、そして翌日朝食が始まる前に一回と都合6回、風呂に入った人を私は何人か知っています)入るのです。
これで身体が火照らないワケはないのです。

三つ目は「よく干した布団」で眠る事であります。
太陽の日差しを一杯吸い込み気持ち良く乾燥したシーツと、フカフカに膨らんだ敷き布団、掛け布団の素晴らしさ。
それら洗い立て干したての寝具にくるまる「快感」には、誰も逆らえる事は出来ないのであります。
この「快感」は、寝具と人の皮膚が「直に触れ合う」事によって起ります。
「皮膚感覚」で気持ち良いのです。
寝る時に下着姿、極端な場合は全裸で寝る人が多いのはそのためです。

四つ目は「音」が関係しています。
温泉宿がある場所の「環境音」です。
大都市の「ビジネスホテル」でない限り、温泉旅館は自然の中に立地してします。
温泉がそういう場所にあるためです。
海近くの温泉地なら海鳴りの音が、山の温泉地なら渓流のせせらぎが聞こえてくるでしょう。
繰り返し聞こえるそれら自然音には「深い催眠効果」があると同時に、日常とは違う環境音には「浅い睡眠」という、アンビバレンツな状態をもたらします。
この深い眠りと浅い眠りが、人に「頻繁な寝返り」を促すのです。


かくして、着慣れない浴衣から逃れるため、火照った身体を冷やすため、肌が寝具と直に触れ合うため、朝まで続く寝返りのため、結果、温泉宿に泊まった翌日には「浴衣」は見事にはだけているのでありました。



いや、実は世には知られていない五つ目の理由がありました。
これこそ、「何故、温泉宿で浴衣が脱げるのか」の真の理由なのかも知れません。
それは・・・。

深夜、皆が寝静まった丑三つ時、旅館の天井からぐっすり眠り込んだあなたの元へ「にったらにったら」嗤いながら舞い降りてくる、「妖怪 浴衣脱がし」の仕業なのであります。


今考えた
大嘘ですけども。




(※ちなみに「浴衣が脱げる四つの理由」自体、冗談です)




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