夏になるといつも思い出す、昔の怪獣映画があります。 「空の大怪獣 ラドン(1956)」です。 昭和31年夏。 阿蘇山の北の麓に位置する「北塩炭鉱」は今日も活気に溢れていた。 一日24時間、昼夜三交代で屈強な男たちが坑道の奥へと消えて行き、代わりに汗と炭で真っ黒になった男たちが吐き出されて来る。 それが月曜から土曜まで6日間、毎日繰り返されるのだ。 その年は特に暑い夏だった。 新聞では「地球温暖説」が騒がれていた。 何でも北極と南極の水が全部溶けてしまうと、地球はみんな水の中に呑み込まれてしまうという。 8月に入った最初の水曜日の事だ。 技師事務所の電話が突然けたたましく鳴った。電話に出たのは若い炭鉱技師の「河村繁」である。 「え!?水が出たって?何処?」 出水したのは坑夫たちから通称「西坑、右の15番」と呼ばれる場所だ。近くに地下水源などなく、何故水が出たのか判らない。 現場に駆け付けてみると、すでに奥に入っていた坑夫たちの避難は終わっていたが、「由造」と「五郎」の二人が出てこないと言う。 河村は少し嫌な予感がした。 由造と五郎は、数日前からつまらない事で喧嘩をしていたのだ。 数名の坑夫を引き連れ、河村は坑道の奥へと入って行った。 坑内炭車は使用出来ず、みな歩きだ。 5分ぐらい歩いた頃、彼らは腰の辺りまで水に飲まれていた。 こんな大量の水、何処から出て来たんだろう。 「ひやあ」 前を歩いていた坑夫の一人が素っ頓狂な声を上げた。 「お、脅かすなよ」 「河村さん、あ、あれ」 前方の水の中に俯せのまま男が浮かんでいた。 慌てて駆け寄り起こしてみると、すでに事切れていた由造であった。 「こりゃ事故死じゃなく、致命傷は頭の傷だな」 由造が運び込まれた炭坑療養所の水上医師が言った。 「傷?」 「刃物で切られたんだ。でも、あんな風にバッサリ切れる刃物なんて見た事がない・・・」 再び坑道へ捜索隊が派遣された。 由造を殺したのは今だ出てこない五郎であると、今度は警官の「田代巡査」をリーダーに坑夫長「捨やん」と「仙吉」が入って行く事になった。 坑道の水の中を慎重に進む3人。 その時、激しく水が跳ねる音が聞こえた。 「五郎?五郎か!?」 応えはない。顔を見つめ進もうか戻ろうか躊躇する3人。 再び「ばしゃり」と水の音。 それに加え今度は気味の悪い「キュキュキュキュ」と金属を擦るような音も聞こえてきた。 「な、な、な」 その時、突然悲鳴を上げ、水の中へ捨やんが引き込まれた。 驚いた田代巡査は拳銃を発砲したが、彼もすぐに水の中に呑み込まれてしまった。 「キュキュキュキュキュ」 怪音に追いかけられ一人坑道を逃げる仙吉。 外の事務所に通じる坑内電話へ飛び付く。 が、受話器を外した途端、その怪音の主は仙吉へと覆い被さっていった・・・。 再び炭坑療養所。 再び運び込まれた死体。 最初と違っているのは、死体が3つに増えている事である。 「坑道の中で何が起こっているんだ!?田代巡査の首は皮一枚残して、ほとんど千切れかかっているんだぞっ!!」 それに応えられる者は・・・、誰もいなかった。 いやあ、調子に乗って「小説風」にオープニングを書いていたら、こんなに長くなっちゃいました。 すいません。 「ゴジラ(1954)」から始まった東宝SF映画は、「ゴジラの逆襲(1955)」へ続き、そして三本目に本作「空の大怪獣 ラドン(1956)」が作られました。 これは日本で初めてカラーで作られた「怪獣映画」「東宝SF映画」であります。 (東宝特撮映画としてはその半年前に公開された、白夫人の妖恋〈1956〉の方が〈初のカラー作品〉となりますが)。 本作は冒頭の様に始まります。 北九州の炭坑で起こる謎の猟奇連続殺人事件。 それは実は巨大怪昆虫「メガヌロン」の仕業でした。 メガヌロンは古生代、石炭紀「巨大トンボ(メガネウラ)」の幼虫(ヤゴ)です。 巨大トンボと言っても実際には70センチぐらいだったみたいですから、映画に出てくる5メートルもあるメガヌロンは、「突然変異」で巨大化した姿だったのでしょう。 この映画は、主役「ラドン」の前座であるはずの「メガヌロン」の方が魅力的で、話もとても面白いのです。 本作は「82分」の作品ですが、その内「約54分」がメガヌロンの話なのには注目に値します。 ラドンが登場するのはトータル「約19分」のみ。 全体の「2/3」がメガヌロンの話で構成されているのです。 これは素晴らしい。 尺を取り、丁寧に丁寧にメガヌロンのエピソードを描写していく。 これにはちゃんとした理由があるのです。 一つは、主役ラドンは「登場したらどうせ街中で大暴れする」のに決まっているからであります。 主役が登場した以降の話が決まっているのならば、その前段は「自由勝手に遊んだ方が面白い」、のであります。 二つ目はラドンの「超巨大さ」を表現するため、です。 「佐原健二」演ずる炭坑技師の河村は、ある時、坑道の奥に閉じ込められてしまいます。 そこには異様な地下の大空洞が広がっていました。 そこで彼は無数に蠢くメガヌロンの群れを発見します。 両手のハサミで人間を軽々持ち上げてしまう5メートルもあるメガヌロンが、大空洞の中、いたる所で動いていたのです。 しかし河村が本当に恐怖したのは、そのメガヌロンの群れより、その先、大空洞の奥にある直径数十メートルの「超巨大な卵」だったのです。 河村の見ている前でその卵にヒビが入り、中から超巨大な雛が顔を出します。 そして驚いた事に、その雛は周りを蠢くメガヌロンたちを、次から次へと啄んで行くのでした。 つまり、人間<メガヌロン<ラドンの雛<成体のラドン、という一発で判る「スケール感の表現」をしているのでした。 これは一説によると、監督の「本多猪四郎」に、当時東宝で監督仲間だった「黒澤明」によるアドバイスだった、と聞いた事があります。 いや「怪獣映画にも季節感があった方が良いよ」と言ったんだっけかな。 三つ目は「スケール感の表現」と同じ意味合いですが、「強さ恐ろしさの表現」のため、であります。 人間を簡単に惨殺するメガヌロン<を呆気なく喰ってしまうラドンの雛<が成長した凄まじい破壊力を持ったラドン、という仕組みです。 四つ目は「地下深くで蠢く怪物の物語」が、やがて「大空を超音速で飛翔する怪物の物語」になるという、展開の妙のため、であります。 狭いところから広いところへ、暗いところから明るいところへ、話は進んでいくのです。 メガヌロンの造形も見事です。 外骨格の体節から成り、6本の肢体を持つ。 さらに両手が鋭利なハサミで、恐ろしいかぎ爪の顎と、何を考えているか判らない複眼がとても不気味です。 巨大トンボの「ヤゴ」ですから「水棲昆虫」という事になるのでしょう。 「キュキュキュキュキュ」と甲高い鳴き声を上げ、夜、炭坑の長屋へ裏庭を通り、縁側から突然、室内に入って来るあの恐ろしさは、子供の頃トラウマになった人も多いと思います。 これは日本家屋の畳の部屋へ、巨大怪昆虫が入って来るという「原初的生理的嫌悪感」なのかも知れません。 撮影は5メートルもの大きな「着ぐるみ」に、大人3人が入り芝居したとの事。 これは「数人で操作する怪獣のルーツ」だと言えます。 本作には「平田昭彦」演ずる古生物学者「柏木博士」が登場します。 黒縁のロイド眼鏡を掛け、優しそうで紳士的な博士です。 これは本作の2年前、ゴジラで個性的な「マッド・サイエンティスト」を演じた平田昭彦に対する「洒落」たキャスティングだったのでしょう。 その柏木博士がメガヌロンが生まれた理由をこう説明しています。 「石炭層の中にメガヌロンの卵が埋もれていた。それが孵化するに相応しい温度なり湿度に恵まれた。ご存知でしょうが3・4年前、何千年か昔の蓮の実から芽が出て、花が咲いたという話もありました」。 この「蓮の花理論」は、怪獣映画で何度も見かけるロジックです。 意地悪く「蓮の花はそうだろうけど、怪獣は違うやろ」と思ってしまいますが、それも怪獣映画ファンは「出た〜〜!蓮の花理論!」と嬉しくなってしまうのであります。 また、柏木博士はラドンの誕生にも理由をつけています。 「私もその原因については確信がありません・・・。ただ一つ考えられるのは原水爆実験です。空気や海水を汚したばかりではなく、大地にも相当大きな影響を与えている・・・。その新しい強烈なエネルギーが、2億年も眠り続けていたラドンを今日になって揺り起こした・・・」。 出た〜〜!原水爆実験! 「空の大怪獣 ラドン」は、戦争映画で飛行機を飛ばす事を得意としていた東宝の、初の空を飛ぶ怪獣でもありました。 監督の「本多猪四郎」も、特技監督の「円谷英二」も、二人とも「飛行機好き」で有名ですから、本作でのラドンが飛ぶシークエンスも、とても格好良いのであります。 また、ちょっと「小説風」に書いてみます。 熊本県警の西村警部の所へ、阿蘇地震研究所の砂川技師から電話があったのは昼前、11時12分の事だった。 「阿蘇山に噴火の兆候があります」 「何だって!?」 同日同時刻。 福岡県春日にある西部航空隊司令部の管制センターは騒然としていた。 定時偵察に出ていた航空自衛隊の「北原機」から緊急連絡が入ったのだ。 「こちら北原。国籍不明の一機、福岡方面に向かって飛行中。高度2万。進路北北西、超音速!」 「何?音速を超えている!?」 夏の蒼穹の空の下、みるみる二つの飛行機雲が伸びて行く。 先頭を行くのは国籍不明機。その後を追うのが航空自衛隊のF-86Fセイバー、北原機である。 その数秒後、再び北原から連絡が入った。 「福岡上空。北北西に向かって追跡中。速力は我が方の一倍半!」 「何?一倍半?」 「国籍、機種、共に判明せず!」 「北原機、追跡しろ!出来る限り食い下がるんだ!」 「了解」 しかしそれはすぐ北原の悲鳴へと変わった。 勤続9年の熟練パイロット、いつもは冷静な彼の絶叫に一同が皆驚いた。 「あっ!方向を変えましたっ!突っ込んで来ました!途方もない巨大な、ち、ちくしょーっ!!」 「北原!?北原っ!?」 その後、管制センターのスピーカーに北原から連絡が入る事は、もう二度となかったのである。 いやあ、格好良い。 自分でこれを書きながら、思わず鳥肌が立ってしまいました。 「空の大怪獣 ラドン」のハイライトは、やはりラドンの福岡襲来シーンでありましょう。 炎も光線も吐かず、空を飛ぶだけの怪獣に何が出来るんだって疑念を、いともあっさり(嬉しい事に)裏切ってくれます。 この福岡大破壊の凄まじさは、当時の東宝映画の、いやその後ずっと続く日本特撮映画の中でも、特筆に価する大スペクタクルとなっています。 阿蘇から飛び出たラドンは、福岡に来る前にまず長崎県佐世保にあるアーチ橋「西海橋」を倒壊してしまいます。 福岡破壊前の、行きがけの駄賃、みたいな事でしょうか。 そして福岡博多天神に飛来するラドン。 衝撃波でビルが破壊され、地上にある車やバス、トラックなどみな舞い上がってしまいます。 市街の中心を流れる川の水は激しく逆巻き、建物の破片や車が次々と飛び込み、盛大な水柱を上げていきます。 ミニチュア・ビルの壁面を崩れ落ちる瓦礫の、その窓内には逃げる複数の人間が見えています。 これは鏡を使った「合成ではない」トリックだったのは有名な話です。 ランドマークの「西鉄駅ビル岩田屋デパート」に降り立つラドン。 当時福岡に住んでいた私の友人は、子供の頃この映画を観て死ぬほど吃驚したそうです。 西鉄福岡駅舎を破壊し、連結した電車も簡単に軽々千切り飛ばしていきます。 民家の瓦屋根など一溜まりもありません。 私が日本の特撮怪獣映画が好きなのは、職人技の様な「瓦屋根の破壊シーン」が観られるからです。 自衛隊の戦車部隊はすでに地上展開しています。 線路脇の木柵や広告塔を轢き倒し、ラドンに近づき発砲していくM24チャーフィー戦車。 ラドンと共に、自衛隊によっても蹂躙されていく都市の断末魔。 怪獣映画は「都市戦」を描いた映画でもあるのです。 俗に「東宝自衛隊」と呼ばれるミサイル兵器「ポンポン砲」も盛大にミサイルを連射しています。 スポーツセンターの大屋根を木っ端微塵に破壊して、街路樹にしがみつく自衛隊員を無情に吹き飛ばしてしまいます。 ラドンの圧倒的な羽ばたきが、何十トンもある自衛隊車輌さえ押し戻していきます。 そしてその時、突然やって来たもう一匹のラドン。 私は、この「もう一匹ラドンはいた!」ってのを、も少し上手く出来なかったのかなあ、といつも思うのですが、まあ、出来なかったのでしょう。 二匹のラドンが去った福岡の街は、いつまでも紅蓮の炎に包まれているのでした・・・。 結局ラドンたちの「巣」は阿蘇山中にある、って事になります。 そこに自衛隊の集中攻撃を加える事になるのです。 その作戦会議の際、「自衛隊組」と「科学者組」との言い争いがあり、ここも私の好きなシーンです。 これもちょっと「小説風」に書いてみると。 福岡大襲撃から2日目の事である。 関係者一同が博多の半壊した自衛隊特別室に集まっている。 柏木博士たちの調査の結果、ラドンの「巣」は阿蘇にある事が判った。 動物はみな生まれた場所に戻る性質を持っているのだと言う。 まず最初に作戦の概要を述べたのは自衛隊の向井2等陸左であった。 「第一次攻撃隊はあらゆる火砲を阿蘇火口に撃ち込んで、洞窟の入口を閉鎖する。同時に第二次攻撃隊はこの陥没地帯を爆破し、徹底的にラドンの脱出を不可能にする」 すかさず阿蘇地震研究所の砂川が異論を挟んだ。 「ちょっと待ってください。そんな事をしたら阿蘇は大爆発を起こします」 「噴火が誘発されたら返ってめっけ物じゃないのか」 「とんでもありません!もし溶岩が山麓一帯に流れ出したらどうします!」 「もちろん、そうするためには危険地帯の住民を即刻避難させる」 「それだけで済む問題ではありません!」 普段温厚な砂川が思わず資料を握り潰した。 「そんな事になれば、山林は、田畑は・・・!」 熊本県警の西村警部が諭すように砂川を見つめ返した。 「ご覧なさい。北九州一帯のこの大被害を。ラドンが生きている限り、我々は文句の持って行き場のない被害を、再び被らなければならないのです」 砂川は黙るしかなかったのである。 結局、ラドンは阿蘇で止めを刺されます。 阿蘇山はオープンセットを作り、製鉄所から取り寄せた「溶炉」の溶鉄を実際に流し込んだのは有名な話。 ラドンを操演していた「ピアノ線」の一本がたまたま切れ、「がっくり項垂れる」芝居が良くて、特技監督の円谷英二が「そのまま回せっ!」と叫んだのも有名な話です。 この阿蘇のシークエンス、昔から「ちょっと長いなあ」と思っているのですが(82分の作品中、12分もある!)、これは「生まれてくる時代が悪く、非業の死を迎えた無念の二匹」を、監督が思い入れたっぷり描きたかったから、なのかも知れません。 今回のエッセイ、も少し続きます。 この大好きな映画、LDを持っており、それで昔から何回も観ているのですが、本エッセイ書くにあたりDVDもレンタルして来ました。 それで分かったのは、それぞれ「キャプチャータイトル」が違っている事です。 興味深いので、その両方を記しておくと。 【LDキャプチャータイトル】 01)予告編 02)オープニング タイトル〜クレジット 03)メガヌロン出現 04)ボタ山の戦い 05)坑道での戦い 06)地殻変動 07)国籍不明機出現 08)国籍不明機アジアを蹂躙 09)ハネムーンの惨劇 10)国籍不明機の正体 11)甦った記憶〜ラドン誕生 12)サイド2オープニング〜ラドン飛翔! 13)ラドン VS F-66セイバー 14)ラドン撃墜! 15)ラドン博多上空に襲来 16)ラドンの猛威 17)もう一頭のラドン 18)攻撃部隊集結! 19)攻撃開始〜ラドンの最後 【DVDキャプチャータイトル】 01)タイトル 02)阿蘇の炭鉱 03)謎の増水 04)坑道の惨劇 05)闖入者 06)坑道の戦い 07)落盤 08)地殻変動 09)国籍不明機 10)超音速の恐怖 11)プテラノドン 12)甦る記憶 13)ラドンの出現 14)空中戦 15)西海橋 16)博多襲撃 17)ラドン捜索 18)攻撃準備 19)攻撃開始 20)噴火 「伊福部昭」の音楽の事をちょっと書きます。 東宝SF映画に欠かせないのは、監督の「本多猪四郎」、特技監督の「円谷英二」、そして音楽の「伊福部昭」の3人です。 伊福部昭は最初の「ゴジラのテーマ」が超有名ですが、次に有名なのは誰が何と言おうと「宇宙大戦争(1959)」「怪獣大戦争マーチ(1965)」で使われた、俗にいう「自衛隊マーチ」でありましょう。 あの「♪チャチャチャチャチャーチャー、チャチャチャチャチャーチャチャ、チャーチャーチャーチャチャ、チャーチャーチャチャチャ♪」ってヤツです。 って、判らないかー。 丁寧にシチュエーション事に作曲する人ではありませんでしたが、今日日の映画音楽作曲家の様に、「空の大怪獣 ラドン」も構成に合わせそれぞれ作曲していたとしたら、 ●メインタイトル ●最初の犠牲者 ●連続する怪事件 ●博士の仮説 ●驚愕の真相 ●対策本部 ●第一次攻撃隊 ●惨めな敗北 ●第二次攻撃隊 ●反撃〜破壊される都市 ●最後の決戦 ●奇跡の大勝利 ●鎮魂歌〜エンディング となるのではないでしょうか。 で、そうして見るとある事に気が付きました。 これは「空の大怪獣 ラドン」だけじゃなく、ほとんどの「東宝SF映画」に当てはまるのです。 もちろん作品によっては、多少の追加は必要でしょう。 もしその映画に「緊迫した要素」が必要ならば、 ●〇.〇三の確率 なんて曲が作られるかも知れません。 その映画に「尊い犠牲精神」が出てくるのならば、 ●峰岸の特攻 なんて曲が作られるかも知れません。 親娘、恋人の純愛を描くのならば、 ●三枝子の祈り なんて曲もあるのかも知れません。 「空の大怪獣 ラドン」は私の大好きな東宝SF映画です。 「怪獣映画」としても「怪奇映画」としても「SF映画」としても、大好きな映画なのです。 阿蘇炭坑の猟奇連続殺人事件から始まり、福岡大破壊のスペクタクルで終わる、怪奇で始まりSFで終わる、その展開と構成の見事さに、いつもいつも感心してしまうのです。 当時のポスターには「地に地熱を呼び、水は龍巻と化す大猛威!紅蓮の炎に包まれ天翔る世紀の怪鳥ラドン!」と書かれてあります。 これには思わず「いよっ!名調子っ!」と叫んでしまうのでした。 (本エッセイの小説部分は基本的に映画に準じていますが、一部の固有名詞、例えば『北塩炭鉱』とか『福岡県春日にある』とか『熊本県警』とかは、私が邪推したモノで映画公式設定ではありません。会話も少しだけ捏造しているかな) |
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