SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.114
「漫画における『ない』けど『ある』(2)」
について

(2010年4月24日)


「目は口ほどにものを言う」。
「目に角を立てる」。
「目は心の窓」。
「目に余る」。
「目に物を見せてやる」。
ん?何だ、最後のよく考えると至極当たり前のフレーズは?


漫画が「記号」で成り立っているのなら、漫画における「目」の表現も「記号的」であるべきです。

冒頭のことわざで示した様に、「目」は人の感情や思惑を表現する一番特徴的な部分だと言えるでしょう。
当然、漫画における「目」にも、それらが求められるのであります。


まず、基本形がこれとして、



この「黒目」部分を「弓形」にすれば、



笑っている表現になります。
実際には「黒目」が「弓形」になるワケではないので、これはいかにも「漫画的な表現」だと言えます。

人が笑う時、口角が上がり、それに連れて頬の筋肉が持ち上がり、結果「眼が弓形になる」、のを「黒目」に置き換えているのでしょう。

この部分を「斜め線」にすれば、



怒っている表現になります。
これは怒った時に眉間に皺がより、結果、眉毛や眼が「吊り上がる」を「黒目」に代用したのでしょう。

この線を「水平」にすれば、



「呆れた」表現になります。
吹き出しが横に付くなら「・・・。」となるでしょう。
これは瞼が半分降りた「半目」の状態だと思われます。
「脱力した状態」なワケです。

基本的にはこうして「白目」の中の「黒目」の形状で感情を表現するのですが、時には「黒目」がなく「白目」だけの場合もあります。



これです。

これは「茫然自失」「心ここに無い」状態を表しています。
「黒目」が無い事で「心ここに無い」としているのです。

上の絵では少々判りにくいので(豚の鼻か、何だかよく判りませんよね)、「白目」を大きくし、その輪郭を「ダブらした」表現がよく使われます。



「心ここに無」く、さらに輪郭線を「ダブらす」事によって「動揺している」事も表現しています。

ここには「汗」という「記号」も加えた方が、もっと判り易くなるでしょう。



この表現は70年代以前の昔の漫画には無く、「みなもと太郎」の「ホモホモ7」あたりから、頻繁に見かけた様な気がします。
違うかな?

この「白目」だけで「心ここに無く」「動揺している」の元ネタは、「ムンクの叫び(1893)」なのかも知れません。

「黒目無し」のもう一つの代表的表現がこれです。



吊り上がった「白目」です。

もちろん、ここに「黒目」を描き入れても良いのですが、「黒目」が無い方で「睨んでいる」感じがするのです。
これは「白目を剥いて睨む」という慣用句を、そのまま漫画表現にしたモノなのでありましょう。

さらに特殊で、今ではあまり見られないのが、



この「白目」が「ハート形」です。

これは70年代の「弓月光」あたりに、よく見られた表現でした。
今でも「ラブコメ」辺りでは生息している様子で、元ネタは40年代の外国アニメーション、「MGM」の「トムとジェリー」や「ワーナー・ブラザーズ」の「バックス・バニー」あたりにある様な気がします。
それらのアニメでは目がハートに変わり、さらに顔から飛び出して来たモノでした。

もっともっと特殊なのがこれです。



もはや「白目」ですらなく、本当に「記号の星」なのであります。
これは一時期「少女漫画」で見られた形で、「ビックリした!」時に用いられていました。
大昔の「萩尾望都」も、確かやっていたなあ。

この様に、「漫画」における「目の記号」は、時代と共に「流行り廃り」があるのでした。

これらの「記号としての目」は、例で紹介してきた様な「シンプルな線画」だけではなく、もちろん普通の「漫画」にも有効であります。



ま、あんまり「シリアスな漫画」には、



やっぱ、向かないかな。


最後に蛇足ながら。

「目」を見るだけで作者が判る漫画があります。



「藤子不二雄」であります。
これも、



よく見る「藤子目」ですね。

と言うワケでー。

この「漫画は記号だ」の話、後、も1回(かな?)続きます。
えへへ。




目次へ                               次のエッセイへ


トップページへ

メールはこちら ご意見、ご感想はこちらまで