漫画というのは「記号」で成り立っている表現形式です。 「省略」され「簡略化」している「絵」を、自分の頭の中で「推測」「補完」し「再構成」する事によって完成させる創作物なのです。 漫画は、「ない」けど「ある」のです。 しかし反対に、「ある」けど「ない」パターンもあるのでした。 例えばこれ。 ↓ 「気づき線」です。 何かに気づいた時に、その人の頭の上、空中に出現する「点線」であります。 もちろん、実生活でこんな線が出る事はありませんので、これは「漫画的表現」という事になります。 「漫画表現」の中でも、一番多用されている効果だと思います。 私たちはこれを「見」て「意味を理解」し、そして「無かった事」「見なかった事」にするのです。 これにはいろいろなパターンがあります。 「点線」以外で他の方法が考えられているのです。 ↓ これは「破裂」です。 まるで風船が破裂した様な表現です。 この形で吹き出しが描かれ、中に文字「何ッ!?」とか書かれる事もあります。 ちなみに吹き出しは「スピーチバルーン(Speech balloon)」と言い、まさに空中に浮かんだ「風船」の中に、登場人物たちの台詞が入るのです。 近年では、 ↓ 感嘆符「ビックリマーク(Exclamation mark)」も、「身も蓋もなく」直接描かれる事も多くなりました。 昔の漫画家だったら「いくら何でもそんな工夫も何も無い」と避けていた事が、近年では「判り易くデザイン的で良い」と判断が変わってきたのでしょう。 (と思ってフト調べてみたら、60年の〈関谷ひろし〉の漫画ですでに使われていました・・・) もう一つ。 これはギャグ漫画より、シリアス漫画に向いていると思うのが、 ↓ この「稲妻・発光」型です。「フラッシュ」と言うのかな? これも「気が付いた」「思いついた」「衝撃を受けた」の意味で使われています。 これら「実際には存在しないけど漫画表現として存在する」効果の事を、漫画の符号「漫符(まんぷ)」と呼んでいます。 命名は漫画評論家の「竹熊健太郎」だったと思います。 いくつか「漫画」における「気づく漫符」を上げてみましたが、次に紹介するのは、「感情の漫符」であります。 ↓ これは「汗を掻いている」状態です。 人が汗を掻く事はもちろん実際にある事ですが、「漫画」における「汗を掻く」には、「不味い」「困った」「焦る」等のマイナス感情の表現となるのです。 上の絵の場合、「暑くて汗を掻いた」とは少々違うのです。 近年この「漫符」も、実際には有り得ない「強調」をして描かれています。 ↓ こんな大きな汗が、しかも流れ落ちもせず、頬の横に溜まっている事は有り得ないのですが、この「漫符」は、結構シリアス漫画にも多く見られる表現なのでした。 次は「怒り」の「漫符」です。 ↓ 「こめかみ」に浮き出る「血管」であります。 これも「汗」同様、激怒した時、額に血管が浮かび上がる事はありますが、この場合も「必要以上に強調」されているのでした。 さらに「×字型」で血管が浮かび上がる事なんて、絶対にないのです。 これも「漫画的表現」の「血管」なのでした。 「血管」以前に「怒り」を表す「漫符」で、昔から使われていたのが、 ↓ この「頭から湯気が昇る」絵であります。 人は怒る時、血圧が上がり、体温が上昇する事は確かですが、顔から「湯気が出る」事はなく(多分)、これも昔からある「漫画的表現」なのです。 しかし、これは今ではあまり見かけられなくなった「漫符」の一つだと思います。 反対に昔からあるのに関わらず、今でもよく見る「漫符」が、 ↓ 「困惑」であります。 この頭の上に描かれた「ぐちゃぐちゃ線」は、「困った」「何だかなあ」「とほほ・・・」「対処不能」といった感情を表しています。 これは「縺れた糸」を描写しているのでしょう。 次は「ラッキー!」とか「良かったっ!」の「漫符」であります。 ↓ 頭の上に「音符」が出現しているのです。 これは「音楽を思い浮かんだ」の「漫符」では無く(そのパターンもあるかも知れませんが)、登場人物の感情が「ハッピー」になった時の「漫符」なのであります。 そしてこれは、 ↓ 頭の上に様々な記号、「三角」「バツ」「土星」「渦巻」「クエスチョンマーク」「ビックリマーク」が散らばっているのであります。 「何が何だか判らない…」、つまり「意味不明」「頭の中グチャグチャ」「混乱」状態を表しています。 「ドラクエ」で言うところの「メダパニ」状況であります。 これは1956年の「久里一平」(あのタツノコ・プロの創設者の一人です)の「テスターZ」から採りました。 さらに有名ながらも、今では一切見かけない「漫符」が、 ↓ これです。 頭の上に「電球が点いた」絵であります。 これは「あっ思い付いた!」を意味しています。 この表現を考えついたのは「手塚治虫」でしたが、当時の手塚フォロワー以外に、この表現を踏襲する人はいなかったのです。 以前にも書いた様に、「漫画表現」には「流行り廃り」があるのでした。 今年2010年は週刊漫画誌が創刊されて、「半世紀ちょい」が経ちます。 「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」が創刊されたのが、「半世紀ちょい」前の1959年の事。 もちろん、それ以前から月刊漫画誌はありましたが、週刊誌化により、漫画文化は狂騒的に一気に開化したのです。 【1】50年代が月刊漫画誌の時代。「漫画黎明期」です。 【2】60年代が週刊漫画誌の時代。「浸透・発展期」と言えます。 【3】70年代が青年漫画誌の時代。「拡散・熟成期」であります。 初の青年漫画誌「漫画アクション」が刊行されたのは「1967年」ですが、青年漫画誌が出揃ったのは70・80年代になってからでした。 【4】80年代は様々な漫画雑誌が発刊され、まさに百花繚乱の「漫画黄金期」と言えるでしょう。 「大友克洋」「高野文子」等の「ニューウェーブ」と呼ばれた作家たちが活躍し始めたのもこの時期でした。 【5】90年代は同人誌漫画の時代。「コミケ」が始まったのは70年終盤ですが、隆盛を極めたのは「晴海・有明」に移行した90年代の事でしょう。 商業誌にも多くの同人誌作家が導入され、この年代は「試行・変革期」と言えるかも知れません。 また少年ジャンプの発行部数が650万を越したのも90年代中期の事でした。 【6】)00年代は新雑誌創刊と廃刊が繰り返された時代でした。 この時期は「混沌・迷走期」と言えるのかも知れません。 さて。 今年10年代は漫画にとって、どんな時代になるのでしょうか? 漫画雑誌がずいぶん前から「売れなくなった」と言う話はよく聞きます。 また新たな「変革期」が始まるのかも知れません。 「劇画」は戦後「貸本漫画」から生まれ、それまでの「幼児向け」「子供向け」から、青年・大人の観賞にも堪える物語を目差して来ました。 「劇画」と言うのは漫画家「辰己ヨシヒロ」が58年に作った「新語」でしたが、今ではわざわざ「劇画」と呼ばずとも、一部の「幼児・低学年向け漫画」を覗き、全ての「漫画」は「劇画」になってしまいました。 「漫画」という単語が消えたのではなく、「劇画」が「漫画」に吸収されてしまったのです。 一時期「漫画と言う呼称は止め『萬画』と呼ぼう」と、「石森(石ノ森)章太郎」がアジっていた事もありましたが、それも結局は浸透しませんでした。 「漫画」は「マンガ」「コミック」などの別称で呼ばれつつも、やっぱり「漫画」は「漫画」が一番良いのだと思います。 取り敢えず、「漫画における『ない』けど『ある』」はこれで終わりますが、また何か思いついたら・・・。 また書いちゃう、のであります。 えへっ。 |
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