SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.115
「漫画における『ない』けど『ある』(3)」
について

(2010年5月1日)


漫画というのは「記号」で成り立っている表現形式です。

「省略」され「簡略化」している「絵」を、自分の頭の中で「推測」「補完」し「再構成」する事によって完成させる創作物なのです。
漫画は、「ない」けど「ある」のです。

しかし反対に、「ある」けど「ない」パターンもあるのでした。


例えばこれ。



「気づき線」です。
何かに気づいた時に、その人の頭の上、空中に出現する「点線」であります。

もちろん、実生活でこんな線が出る事はありませんので、これは「漫画的表現」という事になります。
「漫画表現」の中でも、一番多用されている効果だと思います。
私たちはこれを「見」て「意味を理解」し、そして「無かった事」「見なかった事」にするのです。

これにはいろいろなパターンがあります。
「点線」以外で他の方法が考えられているのです。



これは「破裂」です。
まるで風船が破裂した様な表現です。

この形で吹き出しが描かれ、中に文字「何ッ!?」とか書かれる事もあります。

ちなみに吹き出しは「スピーチバルーン(Speech balloon)」と言い、まさに空中に浮かんだ「風船」の中に、登場人物たちの台詞が入るのです。

近年では、



感嘆符「ビックリマーク(Exclamation mark)」も、「身も蓋もなく」直接描かれる事も多くなりました。

昔の漫画家だったら「いくら何でもそんな工夫も何も無い」と避けていた事が、近年では「判り易くデザイン的で良い」と判断が変わってきたのでしょう。
(と思ってフト調べてみたら、60年の〈関谷ひろし〉の漫画ですでに使われていました・・・)

もう一つ。
これはギャグ漫画より、シリアス漫画に向いていると思うのが、



この「稲妻・発光」型です。「フラッシュ」と言うのかな?
これも「気が付いた」「思いついた」「衝撃を受けた」の意味で使われています。

これら「実際には存在しないけど漫画表現として存在する」効果の事を、漫画の符号「漫符(まんぷ)」と呼んでいます。
命名は漫画評論家の「竹熊健太郎」だったと思います。

いくつか「漫画」における「気づく漫符」を上げてみましたが、次に紹介するのは、「感情の漫符」であります。



これは「汗を掻いている」状態です。
人が汗を掻く事はもちろん実際にある事ですが、「漫画」における「汗を掻く」には、「不味い」「困った」「焦る」等のマイナス感情の表現となるのです。
上の絵の場合、「暑くて汗を掻いた」とは少々違うのです。

近年この「漫符」も、実際には有り得ない「強調」をして描かれています。



こんな大きな汗が、しかも流れ落ちもせず、頬の横に溜まっている事は有り得ないのですが、この「漫符」は、結構シリアス漫画にも多く見られる表現なのでした。

次は「怒り」の「漫符」です。



「こめかみ」に浮き出る「血管」であります。
これも「汗」同様、激怒した時、額に血管が浮かび上がる事はありますが、この場合も「必要以上に強調」されているのでした。
さらに「×字型」で血管が浮かび上がる事なんて、絶対にないのです。
これも「漫画的表現」の「血管」なのでした。

「血管」以前に「怒り」を表す「漫符」で、昔から使われていたのが、



この「頭から湯気が昇る」絵であります。
人は怒る時、血圧が上がり、体温が上昇する事は確かですが、顔から「湯気が出る」事はなく(多分)、これも昔からある「漫画的表現」なのです。
しかし、これは今ではあまり見かけられなくなった「漫符」の一つだと思います。

反対に昔からあるのに関わらず、今でもよく見る「漫符」が、



「困惑」であります。
この頭の上に描かれた「ぐちゃぐちゃ線」は、「困った」「何だかなあ」「とほほ・・・」「対処不能」といった感情を表しています。
これは「縺れた糸」を描写しているのでしょう。

次は「ラッキー!」とか「良かったっ!」の「漫符」であります。



頭の上に「音符」が出現しているのです。
これは「音楽を思い浮かんだ」の「漫符」では無く(そのパターンもあるかも知れませんが)、登場人物の感情が「ハッピー」になった時の「漫符」なのであります。

そしてこれは、



頭の上に様々な記号、「三角」「バツ」「土星」「渦巻」「クエスチョンマーク」「ビックリマーク」が散らばっているのであります。

「何が何だか判らない…」、つまり「意味不明」「頭の中グチャグチャ」「混乱」状態を表しています。
「ドラクエ」で言うところの「メダパニ」状況であります。

これは1956年の「久里一平」(あのタツノコ・プロの創設者の一人です)の「テスターZ」から採りました。

さらに有名ながらも、今では一切見かけない「漫符」が、




これです。

頭の上に「電球が点いた」絵であります。
これは「あっ思い付いた!」を意味しています。
この表現を考えついたのは「手塚治虫」でしたが、当時の手塚フォロワー以外に、この表現を踏襲する人はいなかったのです。

以前にも書いた様に、「漫画表現」には「流行り廃り」があるのでした。



今年2010年は週刊漫画誌が創刊されて、「半世紀ちょい」が経ちます。

「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」が創刊されたのが、「半世紀ちょい」前の1959年の事。

もちろん、それ以前から月刊漫画誌はありましたが、週刊誌化により、漫画文化は狂騒的に一気に開化したのです。


【1】50年代が月刊漫画誌の時代。「漫画黎明期」です。
【2】60年代が週刊漫画誌の時代。「浸透・発展期」と言えます。
【3】70年代が青年漫画誌の時代。「拡散・熟成期」であります。
初の青年漫画誌「漫画アクション」が刊行されたのは「1967年」ですが、青年漫画誌が出揃ったのは70・80年代になってからでした。

【4】80年代は様々な漫画雑誌が発刊され、まさに百花繚乱の「漫画黄金期」と言えるでしょう。
「大友克洋」「高野文子」等の「ニューウェーブ」と呼ばれた作家たちが活躍し始めたのもこの時期でした。
【5】90年代は同人誌漫画の時代。「コミケ」が始まったのは70年終盤ですが、隆盛を極めたのは「晴海・有明」に移行した90年代の事でしょう。
商業誌にも多くの同人誌作家が導入され、この年代は「試行・変革期」と言えるかも知れません。
また少年ジャンプの発行部数が650万を越したのも90年代中期の事でした。
【6】)00年代は新雑誌創刊と廃刊が繰り返された時代でした。
この時期は「混沌・迷走期」と言えるのかも知れません。

さて。
今年10年代は漫画にとって、どんな時代になるのでしょうか?
漫画雑誌がずいぶん前から「売れなくなった」と言う話はよく聞きます。
また新たな「変革期」が始まるのかも知れません。


「劇画」は戦後「貸本漫画」から生まれ、それまでの「幼児向け」「子供向け」から、青年・大人の観賞にも堪える物語を目差して来ました。
「劇画」と言うのは漫画家「辰己ヨシヒロ」が58年に作った「新語」でしたが、今ではわざわざ「劇画」と呼ばずとも、一部の「幼児・低学年向け漫画」を覗き、全ての「漫画」は「劇画」になってしまいました。
「漫画」という単語が消えたのではなく、「劇画」が「漫画」に吸収されてしまったのです。

一時期「漫画と言う呼称は止め『萬画』と呼ぼう」と、「石森(石ノ森)章太郎」がアジっていた事もありましたが、それも結局は浸透しませんでした。

「漫画」は「マンガ」「コミック」などの別称で呼ばれつつも、やっぱり「漫画」は「漫画」が一番良いのだと思います。



取り敢えず、「漫画における『ない』けど『ある』」はこれで終わりますが、また何か思いついたら・・・。

また書いちゃう、のであります。
えへっ。




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