SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.12
「過ぎ去りし未来」について

(2002年1月3日)


「レトロ・フューチャー」とか「ポスト・フューチャー」という言葉があります。
訳すと「「過ぎ去りし未来」とでもなるのでしょうか。

21世紀も2年目になり、当然「ディスカバリー号」は木星に到着し「ボーマン船長」は「スターチャイルド」に生まれ変わり、地上の都市は全て「超高層ビル」になり、そのビルの谷間を縫うように「エア・チューブ」のハイウェイは走り、その中の車はみんな「エア・カー」もしくは「無重力車」。
来年の4月7日にはついに高知能を持った自律型ロボット「アトム」も完成するという今日この頃。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

例えば映画「2001年」を公開当時の1968年に観た人は「リアルな未来を描いているSFだ」と誰もが思ったものだと思います。つまり「後33年も経つと、こんな宇宙ステーションやら月基地が当然出来ているだろう」と思ったと思うのです。
「まさか後33年ぐらいでこんな宇宙ステーションが出来ているハズはない」と思った人は少数派なのではないでしょうか?
しかし現実は未だにあの様な「宇宙ステーション」も「月面基地」も出来ていない有様です。これは一体どういう事なのでしょうか?

子供の頃に夢見た未来図は、残念な事に決してその通りには実現しません。
微妙に、または大きく違った未来がやって来ます。
その理由の大きな要因は「それを実現するための技術が完成しなかった」という事や「よくよく考えたら、その必要性がなかった」というモノです。
例えば私が子供の頃には、21世紀には各家庭に「テレビ電話」が開通されている予定でしたが、現実はそんな事になっていません。その理由は「電話をする時に相手の顔を見る必要性がない」というモノです。
一部の携帯電話やインターネットで「テレビ電話」的なモノが出てきてはいますが、これは決して一般的にはならないだろうと私は思っています(とか思っているとすぐ一般的になってしまうのかも知れませんが・・・)。

また反対に、子供の頃には想像もしていなかった様なモノが現在一般的な存在になっている、というのも一杯あります。
例えば「使い捨てカメラ」。
一度使っただけで後は捨てるというカメラが一般的になっているなんて、子供の頃には想像だにしなかった事であります。
また「携帯電話」。
子供の頃、「小型で持ち歩き出来る通信端末」は将来実現するだろうとは思っていましたが、それはみな「科学特捜隊」だの「ウルトラ警備隊」だの「特殊組織が使う秘密兵器」であり、まさか、普通の中学生や高校生達が(今日日は小学生が)持つ一般的なアイテムになっていようとはまったく想像もしていなかったのでした。
何故なら当時「普段の生活の中で思いついた時に何処にいても他人と会話したい(しかもその話したい内容はあまり大した事ではない)」などとはみんな思ってもいなかったからです。
ちなみに、今後携帯はもっともっと小型になり、今に「身体の中に埋め込まれる」形式になっていくだろうと妄想している私です。これはもうSFの超能力「テレパシー」の世界ですね。

また「21世紀になっても戦争が起こっている」というのも、これ私の子供の頃には想像していない事でした。よく「20世紀は戦争の時代」とか言われていますが、現実には21世紀になっても戦争は起こり、そして続くらしいのでした。
もし子供時代の私がその未来の現実を知ったならば、「え?何でそんな不経済で意味のない事を21世紀でもやっているの?」と多分不思議に思った事でしょう。

「レトロ・フューチャー」、実現しなかった過ぎ去りし未来。

「平行宇宙」という考え方があります。「パラレル・ワールド」とも言われています。
つまり、同時並列的に「異なった進化をした宇宙が可能性の数だけ多数存在している」というモノです。
その「パラレル・ワールド」の中の一つには「ディスカバリー号」も「パイプのハイウェイ」も「アトム」も実在している宇宙があるのかも知れません。
その世界の中では私は、21世紀の未来を一体何をやってどう過ごしているのでしょうか?

などと少々リリカルに、今回のエッセイは終わるのでありました。



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