SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.13
「ポートピア連続殺人事件」について

(2002年1月10日)


「Xボックス」はもちろん、「ゲームキューブ」も「PS2」も「ドリームキャスト」も、当然「NEO・GEO」も「PS」も「セガサターン」も、さらに「3DO」も「スーパーファミコン」も「メガドライブ」も「PCエンジン」もなく、単にテレビゲームといえば「ファミコン」だった時代。
ひとつの傑作ゲームがありました。
そう、1985年にエニックスから発売された「ポートピア連続殺人事件」であります。
「ポートピア」という名称自体知らない若い人がいるかも知れませんので、少々説明いたしますと、「ポートピア」とは1981年に神戸の人工島「ポートピア・アイランド」で開催された「神戸ポートピアアイランド博覧会」というイベントの事であります。

そのポートピア会場近くで起こった殺人事件。
悪徳サラ金会社の社長「山川耕造」が自宅で殺されます。しかも、殺された書斎のドアには内側から鍵がかけられていて・・・。
そう、これは「密室殺人事件」なのでした。
プレイヤーは捜査主任の刑事となって部下の「ヤス」を使い、いろいろな容疑者を尋問し、いろいろな場所を調べていきます。

テレビゲームの代名詞である「ファミコン(ファミリーコンピュータ)」が世の中に出たのは1983年の事。
その2年後に発売されたゲームソフトがこの「ポートピア連続殺人事件」でした(元は1983年にアスキーからパソコンゲームとして発売された)。
当時テレビゲームは「アクション・ゲーム」や「シューティング・ゲーム」が主流でしたが、その中で「アドベンチャー・ゲーム」という新ジャンルを打ち出したのがこの「ポートピア連続殺人事件」だったのです。
原作(脚本・演出)は言わずと知れた「堀井雄二」氏。
「ポートピア」の翌年の1986年に「ドラゴンクエスト」で「大ブレーク」する前のファミコン作品でしたが、本作品によって「そうか。ゲームってのも映画とか小説、漫画と同じで誰が作ったかによって面白いとかツマラナイとか決まるんだ」とユーザーに「ゲームにおける作家性」を認識させた最初のテレビゲームであったと思います。
この「ポートピア」があったからこそ、次の「ドラゴンクエスト」も「あの堀井雄二が作ったから」と、みんなが注目し、そして大ヒットしたのだと私は思っています。

このゲームは今から考えるともの凄くシンプルです。
「ドット絵」で描かれた「記号的なビジュアル」と、「ばしょいどう」だの「ひとにきけ」だのといった「数個のコマンド」を選ぶだけでゲームは進行していきます。効果音やBGMといった「音」もすごくシンプル。
それでも多くの人が当時このゲームに「のめり込んだ」のでした。
それは、今でも「ポートピア連続殺人事件」のファンサイトがインターネットの世界で数多く存在している事でも分かると思います。

捜査が進むに連れて、複雑な人間関係が次第に浮かび上がってきます。
次から次へと現れる容疑者たちと意味ありげな証拠品の数々。
港町神戸を中心に、捜査範囲はやがて京都や淡路島へと広がっていきます。
このゲームで初めて「淡路島の洲本」なる地名を知った「関東在住」プレイヤーも多かったのではないでしょうか?
そして第二の殺人事件が起こるに至って、事件は意外な方向に・・・。

このゲームには遊び心もいっぱいで、特に劇中登場する「電話」は最高です。
直接事件とは関係ない、いろいろな所にかけられる仕組みになっているのです。多分、このゲームをプレイした人はすべからく「自分の電話番号」にかけてみた事でしょう(するとどうなるかと言うと、ツーツーと話し中音が聞こえるのでした)。

またこのゲーム、「アドベンチャー・ゲーム」だと言うのに、当時の技術では「セーブ」する事が出来ず、一度電源を切ってしまうと「また最初からやり直し」になってしまいました。
そこで、事件が解決するまで数日間「ファミコンの電源を入れっぱなし」にしておいた人も多かったと思います。

昔に比べ、現在テレビゲームは格段の進歩を遂げました。
まるで超大作映画の様なリアルなCGムービーやフル・オーケストラチックな音楽。そして複雑な操作体系。
十数年前の「ドット絵」と「電子音のBGM」からすると、「よりリアル」に近づいている様に一見思えます。
でも私は思うのです。
はたして「実写に近づく事が本当に『リアル』なのかなあ」と。

これまた昔のテレビゲームに「ウィザードリィ」という「迷宮RPG」があります(これも元はパソコンゲームでした)。
これも「単純なドット絵のモンスター」と「単純な面だけで構成された迷路」で作られたシンプルなゲームでありましたが、このゲームを評して「このゲームの中には神が存在する」と言った人がいます。
プレイヤーはそのシンプルな世界に確かに「リアル」を感じたモノなのでした。
いや、シンプルなビジュアルやシステムであったからこそ、プレイヤーは自分の中で「空想」を膨らませ、自分の中で「自分にとってのリアル」をそれぞれ思い描いたのかも知れません。

本エッセイの冒頭に「Xボックス」「ゲームキューブ」「PS2」「ドリームキャスト」「NEO・GEO」「PS」「セガサターン」「3DO」「スーパーファミコン」「メガドライブ」「PCエンジン」「ファミコン」と、歴代のテレビゲーム・ハードを並べてみましたが、この十数年の間にゲーム会社はハードを出しすぎの様な気がします。
「技術の進歩は後戻りが出来ない」という「事実」はもちろん私も認めていますし、「毎年確実に世代交代する子供たちに向けて」新しいハードを出し、需要を得て行こうという「ゲーム会社の台所事情」も理解しています。
が、問題なのは「大人になってからゲーム好き」になった者たちです。なんやかんやと「結局全てのハードを買ってしまっている」事になっていたりするのでした(ちなみに私は全てのハードを持っているわけでもないのですが)。

去年の暮れの大掃除でついに「ファミコン」をようやく捨てた私ですが、でも「ツイン・ファミコン(カートリッジとROMディスクの両方使えるヤツ)」と当時のファミコン・ソフトは、しばらく悩んだ挙げ句、結局捨てられなかった私です。

何故かというと「またいつか、あのファミコンの名作ゲームたちをプレイしたくなる時が必ずやって来るに違いない」と思っているからなのでした。



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