SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.14
「血は生命の水だから」について

(2002年1月20日)


今回は「吸血鬼ドラキュラ」に関してのエッセイであります。

私は子供の頃から「モンスター好き」なのですが、その中でも「吸血鬼」が一番「好き」で、そして一番「恐い」のでした。
あの鋭い牙で「血を吸われてしまう」というのが恐いワケじゃありません。
蚊にだって血ぐらいは吸われてしまいますから。
何が恐いかって、「一度血を吸われた人間は吸血鬼になってしまう」というのが本当に恐ろしいと思うのです。
怪物に襲われて殺されるのならまだ良いのですが(よくないか)、襲われた結果「自分も怪物になってしまう」という事に、深い恐怖を感じるのでした。
「恐い」けど「好き」。
「好き」だけど「恐い」。
この複雑で「アンビバレンツ」な気持ちが、私が子供の頃から現在に至るまで「吸血鬼」に魅了され続けている理由なのでしょう。

今や「吸血鬼」の代名詞となっている小説「ドラキュラ」が発行されたのは19世紀末、1897年の事です。
作者は当時ロンドンの舞台俳優ヘンリー・アーヴィングのマネージャーをしていた「ブラム・ストーカー」。
この小説によって、「血を吸われた者も吸血鬼となる」だの「吸血鬼は心臓に杭を打ち込まないと殺せない」だの「鏡にはその姿が映らない」だの「ニンニクや十字架に弱い」だのといった、後世に引き続けられる吸血鬼に関するいろいろなお約束事が確立されたのでした。

「ドラキュラ」のモデルになったのは、15世紀のワラキア公国(現在はルーマニアの一部)に実在した「ヴラッド・ツェペシュ」別名「串刺し公」です。彼は戦争の後、敵の捕虜を見せしめのために串刺しで処刑したと言われている人物です。
彼は串刺しにした犠牲者を見ながら広場で宴会を開いて楽しむといった残酷な性格の暴君として、自国や隣国にはもちろん、当時のヨーロッパ中にその悪名を轟かせていました。
また彼は「ドラクル」とも呼ばれていましたが、それはルーマニア語で「龍」とか「悪魔」という意味で、これが「ドラキュラ」の語源なのでありました。
この15世紀の「ドラクル」と、「ヨーロッパ各地の吸血鬼民間伝承」を合わせ、ストーカーは小説「ドラキュラ」を創り上げたのでした。

小説「ドラキュラ」以前にも「吸血鬼」をテーマにした小説は幾つもありました。
例えばゲーテの「コリントの花嫁」や、プロスペル・メリメの「ラ・グズラ」、アレクセイ・トルストイの「ヴルダラク家の人々」、ゴーゴリの「ヴィイ」、ポリドリの「吸血鬼」、シェリダン・レ・ファニュの「カーミラ」、トマス・プレスケット・プレストの「吸血鬼ヴァーニー」などなど。
しかし、やはり何と言っても小説「ドラキュラ」の登場こそが、その後の「吸血鬼文学」に多大な影響を与えたと言えるでしょう。
それは、小説「ドラキュラ」が発行されて以来、数多くの「ドラキュラ」のパロディや、パスティーシュ小説が作られてきた事が証明しています。
それは、まったくの冗談小説から、本家「ドラキュラ」をしのぐほどの傑作まで、非常に多くの「ドラキュラ」小説を生み出してきました。

さて、その中から私がお薦めの近年発行された「ドラキュラ」小説を二つほど紹介したいと思います。

最初は「シャーロック・ホームズ対ドラキュラ」。
作者は「ジョン・H・ワトスン著、ローレン・D・エスルマン編」。
当然、本当の作者は後者の人であります。
あの「ホームズ」と「ドラキュラ」の組み合わせは、一見するとまるで昔の東映まんがまつりの「マジンガーZ対デビルマン」の様な「お子さま向け」みたいな印象を与えるかも知れませんが、実はこれ、かなりきちんと作られた物語です。
ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」は19世紀末が舞台。
ドラキュラ伯爵が新しい獲物を求め、「トランシルバニア」の古城からやって来たのが「ヴィクトリア朝時代」のロンドンです。
ドラキュラ伯爵の手による真夜中の霧のロンドンで繰り広げられる怪奇な連続殺人事件に、あの「ホームズ」が乗り出さないワケがありません。
基本的には小説「ドラキュラ」の設定通りに話は進みつつ、そこに上手にホームズが絡んでいきます。
「ドラキュラ好き」であり「ホームズ好き」である私には、「一粒で二度美味しい」大変面白い小説なのでありました。


二つ目は「ドラキュラ紀元」。作者は「キム・ニューマン」。
これは小説「ドラキュラ」の後日談であり、また「もしドラキュラ伯爵のロンドン征服が成功していたら」という発想で作られた「架空歴史吸血鬼小説」です。
宿敵「ヴァン・ヘルシング教授」との戦いに勝ち残ったドラキュラ伯爵は、その後、なんと「ヴィクトリア女王」と結婚。大英帝国をその手中に収めます。
そう、これは「有り得なかった19世紀末ヴィクトリア朝」を舞台にした「伝奇ロマン超大作」なのでした。
この小説の面白い点は、国民の大多数は吸血鬼となりつつも、残った人間と共存しているという事です。
そんな中、吸血鬼の娼婦たちが連続して惨殺されるという事件が発生します。その連続殺人鬼「切り裂きジャック」を捕まえるべく、人間と吸血鬼の混成捜査チームが結成されます。
人間側の代表は、あのシャーロック・ホームズの兄「マイクロフト・ホームズ」が所属する政府の秘密諜報機関「ディオゲネス・クラブ」の中堅捜査員「ボウルガード」。
(ちなみにこの小説の中にはホームズは登場しない。ドラキュラが政権を握ったと同時に刑務所に入れられてしまっている)。
吸血鬼側の代表は、外見は16歳の美少女だけど実は四世紀半も生き続けてきた謎多き「ジュヌヴィエーヴ」嬢。
この二人の異色のコンビが「切り裂きジャック」を追いつめて行きつつ、物語全体としては「ドラキュラ大英帝国」の存亡が語られていくのでありました。
またこの小説には、当時の歴史上の人物やヴィクトリア朝を舞台にした小説に登場する人物、そして古今東西の吸血鬼小説、吸血鬼映画に登場する人物たちが、こぞって多数登場します。
巻末に「50ページ」に渡って記されている「登場人物事典」だけでも「一級の吸血鬼人物資料」となっており、「吸血鬼マニア」はここを読むだけでもこの本を購入する価値があると言えましょう。
(ちなみに、この続編で『ドラキュラ戦記』という本がある。こちらは時代が変わって第一次世界大戦の話で、舞台はドイツ帝国。が、私的には一作目の面白さはなかった)。


という事で、今回は「ドラキュラ」を中心に「吸血鬼」小説について書いてみましたが、機会があれば今度は「漫画における吸血鬼」や「映画における吸血鬼」についても書いてみたいと思います。

また、本エッセイタイトルは、「F・マリオン・クロフォード」の吸血鬼小説「血は命の水だから」から(少し変えて)頂きました。私はこの小説のタイトルが昔から好きで、「吸血鬼」というモノの存在を的確に、また多少ロマンチックに、そして少し謎を残したまま言い表していると思っているのでした。



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