SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.125
「今日の名台詞 その(16)」
について

(2011年1月1日)


私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。
中には「名台詞」じゃないけども、当時私が本、テレビ、ネット等で気になった「雑学」も入っています。

と言うワケで、今回も昔の日記からそれらを抜き出してご紹介するのであります。
(今回は2005・6年頃の日記からの抜粋です)

コメントはその当時のモノ。
※印付きのコメントは、今の私の補足説明です。

またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。



「今年の目標、全員生きていること」
2ちゃんねる。
※これは2005年元旦の2ちゃんねるで見つけました。
ウケ狙いの書き込みでしょうが、私には冗談とは思えなかったのです。
何故なら前年の夏、長い間親しくしていた友人が突然亡くなり、2005年から現在に至るまでに、仕事上の先輩が3人、親戚が4人、そして数年前には肉親も亡くしたからであります。
だから今年こそ・・・。
「全員生きていること」。


「666は獣の数字に非ず−− 新約聖書に新たな研究結果。
この度行われた新約聖書の研究によると、これまで『獣の数字』とされてきた666が正確には616だったことが判明したとのこと。
この獣の数字(Number of the beast)と呼ばれる666は、黙示録に記されるアンチ・キリストを指し示す象徴的な数字として、これまで神学者や宗教学者、 果ては悪魔を礼賛するヘヴィ・メタル・ロックバンドなどに親しまれてきた数字である。
しかし今回、かつてエジプトはオクシリンクスの遺跡から発見されたギリシャ語による最古(3世紀頃)のヨハネの黙示録の紙片を新たな写真技術で解析、研究した結果、実際には獣の数字は616と書かれていたことが明らかになったという。

英バーミンガム大学の新約聖書研究家デヴィッド・パーカー教授はこれまでにも、この獣の数字が666であるか、616であるかという議論はしばし行われてきたものの、今回の研究によって616が正確な数字であることを確信したと話している。
『これは典型的なゲマトリア(数字置き換えの暗号)の一種です。当時、キリスト教者たちは彼らを迫害していた人物の名を数字に置き換えて聖書の中に暗示していたわけです。例えばこの616は、そのままローマ皇帝カリグラを示しています』

イエスの弟子ヨハネによって記されたと言われる黙示録には666が アンチ・キリスト(反キリスト)の象徴として記され、また今日においてもキリスト教原理主義者の説教などでは、しばしこの数字が効果的に用いられてきた。
しかし今回の指摘を受け、米ニューヨークのサタニスト教会教父ピーター・ギルモア氏は特に動揺することもなく次のように語っている。
『666というのは、我々がキリスト教者を恐怖させるために用いてきた数字です。 もし数字が616になるのなら今度は我々はそれを使う。それだけのことです』」

2ちゃんねる、出典不明。
※本文は2005年の日記から抜粋したので、「666は実は616であった」という情報自体、もう古いのですが、教父の「616が正しいのなら今度はそれを使う。それだけのことです」というのが、格好良いと思ったのであります。


「トランシルバニアの馬は何よりも速い。ウルフマンよりもね」
「ヴァン・ヘルシング」より。
※「ヴァン・ヘルシング」は小説「ドラキュラ(1897)」に出てくるオランダ人科学者で、今でこそよくある設定ですが、吸血鬼ハンターの「始祖」であります。
これは映画のタイトル「ヴァン・ヘルシング(2004)」でもあり、上記のセリフは映画の方で、「狼男よりドラキュラの馬車の方が速いぞ」という、昔の「ユニバーサル・モンスター」好きには堪らないセリフなのであります。


「視野の狭さ。思い込みの激しさ。臆面のなさと厚かましさが同居する」
2ちゃんねる。
※世の中こんな最悪なヤツらが多いのであります。
一言でいうと「厚顔無恥」な人です。


「映画っていうのは作り終わった途端に、『しまった』っていうものの累積なんですよね」
宮崎駿。
2005年10月23日、六本木アカデミーヒルズで行われた「宮崎駿」と「ニック・パーク」の対談「映画の企画のあれこれ」にて。
※宮崎駿は映画が終わった際、必ず不機嫌になり「最低だ」みたいな事を言いますよね。挙げ句に「もう引退だ」とか。
これは昔チャップリンが「あなたの自信作は?」と聞かれ(これも無神経な質問ですが)、「次回作」と言うのと一緒なのでありましょう。


「トーキーは彫刻に色を塗るようなものだ」
チャールズ・チャップリン。
新藤純子「90年代 映画の幻想風景」(幻想文学49シネマと文学)より。
チャップリンは時代がトーキーになっても、「街の灯(1931)」をサイレントで作った。
※情報量が多い事が決して良い事ではない、と私は常々思っています。特に映像面では。
今時のリアルな動きとビジュアルで作られた3DTVゲームよりも、ファミコン時代ドット絵で作られた「ドラゴンクエスト」の方が遙かに素晴らしく感動した、と私は思うのです。


「牡丹灯籠のお露さんがお札を貼った家に入れないのも、紳士マークのついた御不浄に御婦人が侵入されないのも、これは同じことなのでございます。
これらは凡て、文化的背景に支えられた情報による結界−−とお考えください」

京極夏彦「豆腐小僧双六道中」より。
※京極夏彦が面白いのは、彼が一級のコピーライター(の資質を持っている)からだと思います。
「情報による結界」だなんて格好良い言葉、彼じゃないと編み出せません。


「『妖怪』は祀り上げられると『神』になり、逆に祀りが不足したり祀り手がいなくなると『神』は『妖怪』になるのである」
小松和彦「器物の妖怪 付喪神をめぐって」より。
※小松和彦は民俗学者。神と妖怪は同じ「出自」なんですね。


「日本アニメの塗り分け影はアールヌーヴォー以来、印刷物などで一般化した『立体感の平面化』に近く、光源との関係もあいまいで、色層を増やして絵の密度を上げることが大きな狙いであること、一方多くの欧米人にとって陰影はやはり立体表現でなければならずボカシが必要なこと、それが技術的経済的な理由から不可能だったことなどが参考になる。
ディズニー作品のほとんどのポスターでキャラクターは、ぼかした陰影によって『実体化』されている。
これは作品中で活動する陰影のないキャラクターがじつは不完全なものだと告白しているわけで、かれらが本当は陰影をつけるべきだと思っていることを示している。
アメリカのセルアニメに陰影のない第二の理由は、観客である子供たちが陰影のない平明で端的な表現を好むからである」

高畑勲「十二世紀のアニメーション」より。
※高畑勲の「十二世紀のアニメーション」はとても面白い本です。
ディズニーアニメ製作者が「これは立体でないから不完全」と思っていた事、しかし子供たちは平面の絵を好んでいた事等、みんな「なるほど」なのであります。


「映画とは観る側の知性と教養などに見合った感動と興奮しか与えられないものだ、と僕は思っている。
そういう意味で、僕は映画とは『壁』のようなものだと考えている。
ボールを投げるのは製作者側ではなくあくまで視聴者の方であり、視聴者がどういう風にボールを投げるかによって、視聴者への跳ね返り方も変わってくる。
僕はいかに強固で起伏に富んだ壁を作れるかが、映画製作者の命題であると思っている」

押井守。
2ちゃんねる。出典不明。
※「この映画の面白さが何で分からないのか」と思う事もありますが、「何が面白いと思ってこの映画を作ったのか」という製作者も最近多いのであります。
また押井守の上記のセリフは少し「この映画が分からないのは観客が馬鹿だからだ」という「不遜」も、少し感じるのであります。


「真に恐れるべきは有能な敵ではなく、無能な味方である」
ナポレオン・ボナパルト。
※これはよく聞く格言です。
昔から戦争では、格言・名言・金言・箴言が生まれやすいのですね。


あとで判ったことだが黒澤さんの一番嫌いな動物は熊であった。熊の話になると嫌悪が顔に出た。
熊という奴はあの目を見ると判るように、あれは馬鹿だ、と熊の悪口をよく言った。そして、こんな事も言った。
「熊は山で人間が行列で歩いて来るのを見ると、そっと隠れてそれを見送る。
一番先に行く者を見て、『あっ人間だ』
と思う。
次に来る者を見て、『どこへ行くんだろう』。
また次の人間を見て、『食おうかな』。
そして最後尾の人間を見て、『よし食おう』とその人間を襲うのだ」

土屋嘉男「クロサワさーん!」より。
※土屋嘉男は黒澤映画で馴染みの脇役俳優です。
東宝SF映画でもお馴染みで、「黒澤好き」「東宝SF好き」には大変好きな役者さんなのであります。
また黒澤明の逸話と共に、彼の「語り口」も最高なのでした。


「王権説話とは王権の正当性を主張し、その権威の強大さを示す説話である。
(中略)ということは皮肉なことに、王権はその支配の外側に、支配の及ばない『異界』を絶えず想定していなければならなかったのである。
玉藻前も酒呑童子も、このようにして設定された『異界』から出現した妖怪であった。
別の言い方をすると王権はそれを維持するために、絶えず『異界』を周辺部に作り出し、そこから立ち現れる妖怪を退治し続ける必要があったのである」

小松和彦「異界と日本人」より。
※小松和彦は民俗学者。
「王の近くに敵・異形を置く」と言うのは「目から鱗」です。
砕けて言えば「主役近くに悪役を置く」理由は、それは「主役のため」なのでした。


「映画監督の日常は、これ全て選択の連続であり。
決めるということは何かを捨てることでもあり、見つけることでもある」

黒澤和子「回想 黒澤明」より。
※黒澤和子は「黒澤明」の長女で「スタイリスト」です。ん?今でもスタイリストなのかな?
上記のセリフ、決められない監督ほど最悪な監督はありません。
良くも悪くも「監督」というのは「決断し決めて行く職種」だと思うのです。


「P・C・Lの入社試験で『日本映画の根本的欠陥を例示し、その矯正法について述べよ』という問題に、『根本的な欠陥は矯正しようがない』といった内容の論文を提出した」
黒澤和子「回想 黒澤明」より。
※「P・C・L」は「冩眞(しゃしん)化学研究所(Photo Chemical Laboratory)」の事で、東宝映画の前身となった会社です。
「根本的な欠陥は矯正しようがない」とは、いかにも黒澤明っぽいセリフなのであります。
いいなあ「根本的な欠陥は矯正しようがない」のセリフ。


「人はちゃんと生きていれば、それだけで人の足しになるんだよ」
黒澤和子「回想 黒澤明」より。
※黒澤明「どん底(1957)」でも同様の台詞を言ってました。
それは「左卜全(ひだり ぼくぜん)」で、この映画は彼の一番良い映画だと私は思います。


「私が離婚して子育てをしながら新たに映画界で働き始めた頃だったが、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』を夜中に観た父は、翌日、目を腫らして『すごく泣いちゃったんだ。身につまされたよ』と、ポツリと言っていた」
黒澤和子「回想 黒澤明(P59)」より。
※黒澤明が宮崎アニメを観てたのは知っていましたが、「魔女の宅急便(1989)」で泣いた、という話は知りませんでした。
魔女の宅急便を観て泣く黒澤明・・・。
可愛い。


「トトロのネコバスって、乗ってみたいな」
黒澤和子「回想 黒澤明(P87)」より黒澤明のセリフ。
※御殿場の黒澤の別荘で行われた宮崎駿との対談(1993)でも、「ネコバスが良い」と誉めています。
じゃ、もし「黒澤明が『となりのトトロ』を実写化したら」って考えてみましたー。
父(森雅之)
母(香川京子)
さつき(上原美佐)
メイ(二木てるみ)
トトロ(志村喬)
ネコバス(藤原釜足)
草刈りをしている男(土屋嘉男)
だめ?


「コントラプンクト(対位法)。
黒澤明の『酔いどれ天使』の中の、落ちぶれたヤクザが闇市を彷徨うシーンに流れたのが『郭公ワルツ』であった」

黒澤和子「回想 黒澤明」より。
※当時、皆、「黒澤明のコントラプンクト」には驚いたモノでした。
格好良く、見事で。
これは「悲惨・壮絶なシーンに『敢えて』美しくメロディアスな音楽を流す」という演出です。
今でこそ「定番演出」となってしまいましたが黒澤以外では、「砂の器(1974)」で癩病の父と日本全国を旅する幼い息子に流れる美しいピアノ曲が印象的でした。
「ブルークリスマス(1978)」の、クリスマスに始まる「大虐殺」シーンの、ベートーベンの「歓喜の歌」も効果的でしたっけ。


「本は集めるのではなく、読むものだ。
頭の中の無意識の記憶を集めるために、たくさんの本を読むんだよ」

黒澤和子「回想 黒澤明」より。
それが「創作の源」になる。
※そうか。「無意識の記憶を集めるため」に私は本を読んでいるんですね。


「異時同図法。
絵物語に見られる時間経過を同じ絵に記す方法で、『信貴山縁起』等に見られる」

出典不明。前述、高畑勲の「十二世紀のアニメーション」だったかな?
※この技法の現在の後継者は「漫画」であります。
これを自覚的に演出したのが「石森章太郎」だったと思います。
彼の「サイボーグ009」なんて、本当に上手くて今観ても震えるのであります。


「5月29日。ソビエト大使館付き空軍将校、セット見学。
宇宙船の壁の小さな表示パネルを逐一読んだのち、真顔でこういった。
『ご存じと思うが、これはみんなロシア語にすべきだね』」

アーサー・C・クラーク「失われた宇宙の旅 2001」より。
※「失われた宇宙の旅 2001」は、映画「2001(1968)」のクラークが語る「裏話集」であります。
上記の「宇宙船のパネル表記はみんなロシア語にすべき」と言う話も、とても面白いエピソードです。


「また映画では、封切り後まもなく不愉快な根深い神話がひとつ広まったが、よい機会なので、このページを借りてそれを粉砕しておきたい。
小説の中に(16章)はっきり述べられているように、HALは『発見的プログラミングをされたアルゴリズム的コンピューター Heuristically programmed ALgorithmic computer』の略である。
ところが週にひとりぐらいずつ、おかしなことを指摘する人間が出てくる。
HALがIBMのアルファベットを一字ずつ前にずらした名前であるといいだし、スタンリーとわたしがあの立派な組織にケチをつけていると短絡してしまうのだ。
IBMはいろいろと協力してくれた企業なので、これは大層迷惑で、早く気づいていれば避けて通りたかった偶然である。
いや、じっさい偶然なのだ。
確立が26の3乗、というか17576分の1であるにしても・・・」

アーサー・C・クラーク「失われた宇宙の旅 2001」より。
※昔から有名なこの逸話を、クラーク自身、ハッキリと否定しているのでした。
じゃ、誰が「HALはIBMの一文字ずらし」を一番最初に言い出したのでしょうか?


「何であれ、原子力で動く乗り物には放射面が必要で、これによって原子炉から出る余剰熱を取り除く。
ところが、これではディスカバリー号がなんだか変な格好になってしまう。
観客はそれまでもいろんな謎を抱えこんでいるのだ。
宇宙船にどうして翼があるのか、客席で首をひねりながら映画の後半部につきあうというのはあまり好ましくない。
というわけで、放熱器は取り外された」

アーサー・C・クラーク「失われた宇宙の旅 2001」より。
※ディスカバリー号は当初、翼が付いていたみたいですね。
また、この本によればディスカバリー号は「精子をデザイン」というのも事実無根なのだそうです。


クラークの第三法則、「申し分なく発達したテクノロジーは魔法と見分けがつかない」
クラークの第一法則、「一流であるが少々年を取った科学者が何々は可能だといえば、彼のいうことはまず間違いなく正しい。もし、その科学者が何々は不可能だといえば、彼のいうことはおそらく間違っている」(クラークのエッセイ集〈未来のプロフィル〉)
クラークの第二法則、「あることが可能か否かの限界を知る唯一の方法は、その限界を超えて不可能性の領域へ突き進むことである」

アーサー・C・クラーク「失われた宇宙の旅 2001」より。
※クラークの「進化したテクノロジーは魔法と見分けがつかない」は有名ですが、それに「第一法則、第二法則」があるのは知りませんでした。
彼が言うのは「全てに可能性がある」って事なのでしょう。


原田眞人「『七人の侍』のあの駆け引きのところを観て、自衛隊から電話がかかってきて、あれはアメリカ軍のマニュアルを見てやったでしょうみたいな話になって・・・」
黒澤明「そう、みんなそう考えるんだけども、常識があれば戦争なんてできるんだよ。
例えば第二次世界大戦のときに、司令部には民間のいろいろな専門家がつめているわけよ。その常識をみんな取り入れているんですよ。占領軍の政策にしたって何にしたって。
日本はそれをしてないから、全部失敗しているわけよ。軍人だけがやっているから。
そうでないんですよ。
専門家、軍人ばかりにやらせていたって全然だめなんだ。変なものにこだわって、もっと大きな目でものがみれなくなってしまうからね。
その人たち(民間人)の日常的な判断で、作戦自体が変わっているよね。そういうところから練っていくわけよね。
日本のはそうじゃないんだ。専門家ばかりで小さな考えてやっているから、本局的には間違っちゃっているんだよね」

出典不明。
※原田眞人は映画監督。多くのSFファンには大不評の「ガンヘッド(1989)」は私の好きな映画なのでした。
「七人の侍」の戦いが、軍隊戦闘マニュアルを参考にしている、って話は昔からよく聞きます。
それに応えた黒澤の「戦争なんて常識があれば出来るんだ」ってのが、いかにも黒澤明らしいのであります。


「光を描くことは悟りの姿でもある。
以前、チベットの砂絵曼陀羅を描く僧が来日したとき、はじめてテレビを見ていたく感動したという。
テレビの画面は光る。しかも画面に近づくと小さな点、ピクセルがぎっしりと並んでいる。
これは砂絵曼陀羅が描こうとしている悟りの世界『光』そのものなのだという」

布施英利「マンガを解剖する」より。
布施英利は漫画評論家。
※さすがチベット僧でも「テレビを知らない」のはあり得ないのではないでしょうか?
でも「光を描く事は悟りの姿である」と言うのは、とても格好良いセリフです。
近年のSF「ダン・ブラウン」の「天使と悪魔(2000)」でも、これが隠れテーマになっていましたっけ。


「あまりに深い井戸は、昼間でも星を映すという」
杉浦日向子「百物語」より。
座間の星谷寺(しょうこくじ)にある井戸は、昼間でも星の光を映す。
「深い井戸の底から青空を見上げると、昼間も星が見える」という話は昔から聞くが、その逆バージョンである。
※星谷寺には、その「星の井戸」が今でもあるみたいですが、残念な事に、もう星はもう見えないのであります。
そお言えば小説「帝都物語(1985〜)」にも、この「星の井戸」が出て来ていましたっけ。


「マローズというロシア語は、マイナス四十度を越える極寒を言うが、いずれにせよ日本の兵隊が生まれてはじめて体験する冷寒地獄でした。
私たちはひたすら春の訪れを待ったが、あまり冬が長いので、もうこのままでは春は永久にやって来ないのではあるまいかとさえ思ったことでした」

棟田博「陸軍いちぜんめし物語」より。
※戦争時の一般兵士の思い出話は、いつ読んでも興味深いのであります。
ちなみに、ロシアではサンタクロースの事を「マローズおじさん」って呼ぶんですよね。


「読者には誤読の権利がある」
筒井康隆。
※小説でも詩でも映画でもアニメでも、絵画でも造形物でもネットの書き込みでも、何でもかんでも、作者の手から放れた途端、皆、「誤読される」のであります。
それで良いのだ。


「アメリカ監督協会が67年に編集権などを奪われ、意図に反した作品になったときに、監督を守る唯一の道として設定された偽名が『アラン・スミシー』で、二番目のの偽名は『トーマス・リー』であった」
冨谷洋「宇宙船VOL.95 ニュームービー・メガミックス」より。
※「アラン・スミシー」がちゃんとしたモノだったとは初めて知りました。
ちょっと前にレンタルで観た「デューン/砂の惑星 TV放映長尺版」が、この「アラン・スミシー」になっていましたが、これは「デビット・リンチ」とは関係のない「TV放映長尺版」だったのですね。


「ある時、日本人を怒らそうとアメリカ人、北朝鮮人、韓国人、中国人が賭けをした。
まずは韓国人が海上にかってにラインを引き、そこを超えた日本漁民を片っ端から拿捕などして、数十人をアボーンし竹島を取った。
どうだ!これなら怒るだろう!と韓国人は期待した。
しかし日本人は怒らない。

次に北朝鮮人が挑戦した。日本人を拉致し、麻薬、偽札などなど日本社会をひっかきまわした。
さぁ、これにはいくらなんでも・・・、みんな固唾をのんだ。
しかし音なしの構えの日本人。

ならば俺だ、とばかりに中国人。
ODAをもらう調印式を欠席し、回覧で調印するという挑発行為を手始めに、原潜をもぐったまま領海侵犯させるという日本以外なら戦争にさえ発展しかねない行為をした。
さらに執拗に内政干渉。これは中国の勝ちだと誰もが思った。
しかし日本は怒らない・・・。

アメリカは唸った。
日本人は化け物か?
アメリカは憲法を押し付け、首都を制圧できるように軍を配置し、横田基地の日本人への利用を当初の民間機利用案から自衛隊機だけ許可するようにねじこんだ。
依然、首都上空の管制をあけわたさない。
しかし日本人は怒らない。

すると、それまでジッと様子をうかがっていたロシアが言った。
『もう核しかないな。日本人を怒らせるには』

それを聞いたアメリカが、ロシアに言った。

『それ、もうやった』」

2ちゃんねる。
※不謹慎ですがよく出来た話です。
こーゆーのって誰が作るのかなあ。不謹慎ですが感心します。


昔の監督は細部にまで拘ってたからね。溝口とか。
その昔、6代目菊五郎は17代目勘三郎に『大きな嘘をつくためには小さな本当の積み重ねが大事』と言ったらしい。
巨匠と呼ばれた名監督達はその辺のことは百も承知だったんだろうな。
森田がどれだけ現代風にアレンジしようと、それをちゃんとやってくれるなら大丈夫な気がするんだが、こればっかりは出来上がったものを見てみないことには、なんとも言えんしな」

2ちゃんねる。
※これは「森田芳光」のリメイク
「椿三十郎(2007)」の事を言っているのでしょう。
結局その「椿三十郎」がどうなったかと言うと・・・。


「キングギドラの光線にしても、飯塚氏独自のセンスが活かされている。当然、現場から上がってきたフィルムには、ギドラが光線を発射し、地面に着弾するところにタイミング用の鉄筆が入っている。
それを飯塚氏は2コマほどワザとずらした。
つまり、現場での爆発のタイミングに光線を合わせるのではなく、光線が行き過ぎた後、2コマほど遅れて爆発が起こるようにしたのだ。
『爆発したところに光線を描けば、そりゃあタイミングは合ってるさ。でもね、それじゃ迫力がないわけ。
実は最初そういう風にやって失敗しているのよ。
例えば機関銃をドドド・・・と撃つにしても、弾が先に当たって火薬が後を追い掛けた方が凄みがあるんだよね』」

宇宙船VOL.111「ごっつい あの人に会いたい 飯塚定雄(後編)」より。
※「飯塚定雄」は昭和の日本SF映画に欠かせない光学合成の大家です。
上記のキングギドラの引力光線や、最初のゴジラの作画による火炎放射、ウルトラマンのスペシウム光線等々が有名なのであります。


「最強の布陣。
千葉真一(幸田露伴)
真田広之(辰宮洋一郎)
志穂見悦子(辰宮由佳理)
夏八木勲(鳴滝純一)
由美かおる(目方恵子)
藤岡弘(黒田茂丸)
丹波哲郎(泉鏡花)
これなら充分加藤を迎撃できる」

※2ちゃんねる。
確かに、このキャスティングだったら「加藤保憲」は「アッと言う間に瞬殺」される事でありましょう・・・。


「例えば戦艦大和とトヨタカローラで比較したら、殺傷した人の数はたぶん後者の方が多いぞ」
2ちゃんねる。
※もちろんこれは「詭弁」ですが、「戦艦大和」と「トヨタカローラ」を比較するのが面白いのであります。


「男ってそれほど悪いもんでもないわよ。ドアはあけてくれるでしょ、お花は贈ってくれるし、煙草には火をつけてくれる、お勘定は払ってくれるし」
リーナ・モーニングが考えつくのはそれぐらいだった。

ジェリー・ユルスマン「エリアンダー・Mの犯罪(1984)」より。
※この小説は「時間SF」の佳作です。
時間SFに駄作なし。上記のセリフは「男をそんな程度にしか考えていない20世紀初頭の女」のセリフであります。


「ポワロ君、たのむ。君なんとか言ってくれ給え。一体どうして、こんな不可能なことが可能であり得るんだろ?」
「君のいまの一言は、なかなか名言ですよ」とポワロが言った。「不可能な事は現実に起こるはずはないから、その不可能な事というのは外観だけそう見えて、実は可能な事にちがいない」

アガサ・クリスティ「オリエント急行殺人事件」より。
※私がミステリー小説が好きなのは、「謎が謎でなくなる展開」「仕組み」なのでした。


「それは間違っている。君は馬の前に馬車をつけようとしている。
僕なら『その男は何処へ消え失せたか?』と自問する前に、『そんな男が果たして実在したか?』とまず自問しますね」

アガサ・クリスティ「オリエント急行殺人事件」より。
※京極夏彦「京極堂シリーズ」の名台詞「この世に不思議なことなどなにもないのだよ」と同じであります。


「ぼくと狂人との相違は、ぼくが狂人でないという点だけだ」
サルバドール・ダリ。
筒井康隆「アルファルファ作戦」後書き、権田萬治「ナンセンスSFの旗手」のエッセイより。
※「私は狂人ではない」と胸を張って言えるのは「狂人だけだ」と聞いた事があります。
え?私?私は、私は狂人ではないよお。


「なんか昔、誰かのエッセイを読んだら、いろんな社長はたいてい野球部の補欠だった、という様な事を言っていて。
逆上がり出来ない人は、警察とか検察とか行くんじゃないかと言うイメージが個人的にあったんですけども」

「亀は意外と速く泳ぐ」のコメンタリィ、監督「三木聡」のセリフ。
※「亀は意外と速く泳ぐ(2005)」は私の好きな日本映画です。
監督の三木聡も、私の大好きな演出家なのであります。
彼の作品は全部観てるんじゃないかしらん。


「クシャナ様に萌えようが、さつきやメイに萌えようが勝手だが。宮崎アニメのヒロインは最後は結局全てドーラになります」
2ちゃんねる「宮崎駿の妄想スレッド」より。
※身も蓋もない話ですが、その通りなのであります。
がはははは。


「よく第二次世界大戦から現代まで、アメリカ軍のトラックや装甲車の車内にはヌード・ピンナップが貼られているという定番描写があるけども、日本の自衛隊のトラックや装甲車の中には『アニメ絵』が貼られているというのは、どうだろう?」
SYU。
※よく考えると、これは誰でも考えますね。多分。
「コンコルド部隊第88戦闘機隊第3中隊、ハンス中尉の搭乗機には『ミッキー・マウス』が描かれていた。第二次世界大戦を通じてアメリカの漫画、特にディズニー・アニメのキャラクターは、両陣営でよく使われるマークだった」(第2次大戦欧州戦記シリーズ「ポーランド電撃戦」)とありますから、日本でなくともアニメ絵は昔から好きだったのかも知れません。
ちょっと前に、車にアニメ・漫画キャラを大きく描く「痛車」が話題になりましたが、模型の世界では「戦闘機」「戦車」「軍艦・空母」にキャラ絵を描く「痛ミリ(タリー)」が流行った事もありましたっけ。


「広い歴史の視野に立つと、第二次大戦の終結とともに世界は冷戦に進んだ。その原因のひとつは原爆の発明であり、もうひとつは、ドイツを打倒したのが英米ではなくソ連であったことである」
ゲオルギー・ジューコフ。
第2次大戦欧州戦記シリーズ「クルスク機甲戦」より。
※ジューコフは第二次大戦のソ連軍の将軍です。
「ドイツを倒したのが英米ではなくソ連だ」と言い切るのが、いかにも(大戦後の)ロシア人らしいのであります。


「王さま わたしを 一ばんいいくらいに してください」
「そうりだいじんで 一ばんおいしいものを 食べていい人にしてやろう」

杉浦茂「少年西遊記」より。
※杉浦茂は私の好きな戦後の児童漫画家です。
奇妙奇天烈な独特の絵柄と、シュールなセリフと話がとても面白いのであります。
私もいつか「一ばんおいしいものを 食べていい人」になりたいなあ。


「怪星人が どこかに 来ているらしいんです」
「うへえ いやだなあ」

杉浦茂「怪星ガイガー」より。
怪星人は人間を食料にするために地球に来た恐ろしい宇宙人。
彼は人を頭からバリバリ喰らうのだ。
※事態は「いやだなあ」どころじゃないのであります。
杉浦漫画の行動原理はこの様に全てが「食べる」が基本となっているのでした。


「なかなか強いよ さむらいにならないか」
「してくれるの チャッホー」
「名まえは『はなのあな ふたつのすけ』としなさい」
「いい名まえだなあ」

杉浦茂「八百八たぬき」より。
豪傑「稲生平太郎」は武者修行中、弟子志願者たちに名前を付けていく。
「オムレツ たまごのすけ」「はなのあな ふたつのすけ」「大力(だいりき)いわのすけ」「おでぶちゃん」等々である。
※杉浦茂のキャラ名はみな素敵で、有名なのは「ころっけ 5えんのすけ」でありしょう。
「うどんこプップのすけ」なんてのもいたなあ。


「ぼくが沈む夕日が好きなのは、どこかの国の朝日だからです」
永六輔。日本テレビ「遠くに行きたい(礼文島の回)」より。
※「遠くに行きたい」は昔から続く日曜朝の長寿TV番組です。
いつも観ているワケではないのですが、年に2・3回ぐらい、気になる人の回だけ観ているのでした。
上記のセリフは、本当に「名台詞」だと思います。



とりあえず今回はここまで。

昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。
その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。




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