SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.126
「漫画における『ない』けど『ある』(5)」
について

(2011年6月4日)


漫画は「記号」で成り立っている表現形式です。

今回は「目に入るハイライト」について考えてみたのであります。

本エッセイに出てくる「漫画やアニメの絵」は、私が模写したモノなので微妙に、もしくは大幅に似ていませんが・・・、
何卒勘弁して頂きたいのであります。


まず、これが「目に入るハイライト」です。



アップにしてみます。



「目に入るハイライト」とは、「眼球の黒目」に映り込む光源の事です。
実写のスナップ写真なら太陽などの「自然光」が、映画なら人物に当たるライトなどの「照明」が映り込んだ結果であります。

広告写真や映画では「目にハイライトを入れる」とか「目にキャッチ(ライト)を入れる」と言います。
この「目に入るハイライト」は人を活き活きと見せ、存在感を出してくれます。
つまり、「活き活きと見せない」「存在感を出さない」のなら、反対に「目にハイライトを入れない」のであります。

「漫画」は実写映像から抽出した「記号」で成り立っています。
当然、「目に入るハイライト」にも拘りを持ち、昔から現在に至るまで、たくさんの漫画家によって様々なスタイルが編み出されているのでした。

上の絵の「目に入る一つハイライト」を、本エッセイでは便宜上「メイン・ハイライト」と呼ぶ事にします。

このスタイルを頑なに貫き通したのが、ご存知「藤子不二雄(藤本弘1933〜96)・安孫子素雄1934〜)」でありました。

もっとも、藤子不二雄の場合は本来、



こんな風に「ガチャ目」で描く事が多かったのです。
いわゆる「藤子目」であります。

「オバケのQ太郎(1964〜66)」も「怪物くん(1965〜69)」も「ドラえもん(1969〜94)」も、この「ガチャ目」が基本だったのです。
しかし、作品がメジャーになりアニメ化されるに連れ、この「ガチャ目」は描かれなくなりました。

理由は判りますが「藤子目ファン」としては、実に寂しい限りなのであります。

次のこれも「目に入る一つハイライト」ですが、



光源の映り込みが「黒目と白目」に跨っています。

これは「パイカット・アイ」と呼ばれてます。
大昔の漫画やアニメーションに見られた形で、



「白目部分」のハイライトは描かず「黒目部分」だけを描いた結果なのでした。

「パイの様に切り取られた黒目の形」から、「パイカット・アイ」と呼ばれているのです。
これが流行ったのは「50年代」頃でした。
よく使っていたのは「杉浦茂(1908〜00)」でした。
私の好きな漫画家です。

この「パイカット・アイ」は、その後「赤塚不二夫(1935〜08)」に描かれ、一時期「新谷かほる(1962〜)」に渡ったかな?と思わせつつ、結局「内田春菊(1959〜)」に引き継がれたのでした。

最初、「一つ」から始まった「目に入るハイライト」は、次に「二つ」になりました。

「目に入る二つハイライト」の時代です。



漫画の読者が「子供」から「少年」へ、「少年」から「青年」へ、「青年」から「成年」へと変化・拡大し、単に「面白い話」から「物語」に成長するに連れ、今までより一層「感情を表現する事」が求められて来た結果でありました。
これは「60年代頃」から始まった様に思います。

本エッセイでは大きなハイライトを「メイン・ハイライト」、それに付随した小さなハイライトを「サブ・ハイライト」と呼ぶ事にします。

こうして目のハイライトは「メインとサブ」の二つで作られるのが普通になりました。

しかし、「二つ」とも「メイン・ハイライト」という漫画もありました。



「赤塚不二夫」の「天才バカボン(1967〜78)」の「ママの目」であります。
これを一応「メイン縦二つハイライト」と呼んでおきます。

矢印は「睫毛」を指しています。
赤塚作品における睫毛は「奇麗な女性の記号」なのです。


「目に入る一つハイライト」と「パイカット・アイ」の組み合わせも行われました。



これも昔の漫画によく見られた形で、「クリクリした可愛らしい瞳」を表現しています。
流行ったのは「60年代」前後だと思います。

この絵に「白目」の輪郭線を足し、「睫毛」を描いてみると、



「手塚治虫(1928〜89)」の「鉄腕アトム(1951〜68)」になるのであります。

「目に入る一つハイライト」と「パイカット・アイ」の組み合わせは、初期の手塚漫画でよく見られた形でした。
「宝塚ファン」だった手塚が、一見性別の判りにくい「可愛いらしい主人公」を好んで描いていたからでした。
手塚の絵は「中性的」と言われる所以であります。

「目に入る二つハイライト」の話に戻します。
その「メインとサブ」の目は、一時期少年漫画の主流にありました。



これは「山上たつひこ(1947〜)」の「鬼面帝国(1969)」から引きました。
ま、「鬼面帝国」は少年漫画の主流とは言えませんけども。
いやその前に、この絵は似ていませんけど・・・。

漫画の「目に入るハイライト」は当然、テレビの「アニメーション」にも踏襲されていきました。



これは「日本アニメーション」の「七つの海のティコ(1994)」です。
これも似ていません・・・。

アニメでは「目に入るハイライト」に加え「黒目の中心に瞳孔」を、さらに「黒目の水晶体の立体感(影)」も描く様になりました。
漫画に比べ「色を使える」アニメでは簡単に可能出来たのです。

また、「サブ・ハイライト」も「一つ二つ」と数を増やしていきました。
つまり、黒目の中にメインを加え「三つ以上」のハイライトが入る様になって来たのです。



この絵は「ぎゃろっぷ」の「赤頭巾チャチャ(1994〜95)」です。

もっとも、上の絵で示したいのは「サブ・ハイライト」の数が増えた事より、「メイン・ハイライト」の形がグニュっと「潰れた」事なのであります。
また、白目に「瞼の影」が落ちた事にも注目して下さい。

挙げた「七つの海のティコ」「赤頭巾チャチャ」は、「瞳孔」「水晶体の立体感」「瞼の影」「変形ハイライト」の走りではありません。
単に資料が手元にあり、例として私が描きやすかっただけなのでした。あしからず。

詳しく調べると、
黒目に瞳孔を描くのは「ビックX(1964)」で、すでにやっていました。
黒目の水晶体に立体感を出したり、白目に瞼の影を落とすのは「魔女っ子メグちゃん(1974〜75)」で、もうやっていました。
変形ハイライトは「とんがり帽子のメルモ(1984)」や「ダーティペア(1985)」で、もう描いていました。

つまり、
1)「60年代中期から」、黒目に瞳孔を描く。
2)「70年代中期から」、黒目の水晶体に立体感を出す。白目に瞼の影を落とす。
3)「80年代中期から」、変形ハイライトを描く。
と言う事になるでしょうか。

これら「瞳孔」「水晶体の立体感」「瞼の影」「変形ハイライト」により、今までよりも「リアルな目」を描く様になったのでした。
タツノコ・アニメ(漫画は吉田竜夫)で、初めて「目頭(涙丘)」を描いたのも衝撃的でした(マッハGoGoGo〈1967〜68〉)。

しかし、私が今までで一番吃驚したのは、実はこれなのです。



アニメーター「湖川友謙(1950〜)」が「戦闘メカ ザブングル(1982〜83)」でキャラ・デザインをした「目に入るハイライト」であります。
もしかしたら、これが「変形ハイライト」の最初なのかも知れません。
(補足追記・1980年〈マンガ奇想天外 SFマンガ大全集〉の坂口尚の漫画で、すでに、このスリット・ハイライトをやっていました。20120212)

従来、眼球の球体感を出す目的で描かれていた「目に入るハイライト」が、ここではガラスに映る「帯」みたく描かれていたのです。
私はロボット・アニメはほとんど見ていないのですが、これにはとても感激し、当時テレビで何回も観ていたモノなのでした。


再び話をアニメから漫画に戻し、少女漫画の「目に入るハイライト」の事を話をします。と言いう前に・・・。

長くなりそうなので、本エッセイを「前編」、次回「漫画における『ない』けど『ある』(6)」を「後編」と続かせて頂きます。

ちょっと「インターミッション」なのであります。




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