SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.127
「漫画における『ない』けど『ある』(6)」
について

(2011年6月4日)


漫画は「記号」で作られる表現形式です。

前回・今回と「目に入るハイライト」について考えています。

前回「漫画における『ない』けど『ある』(5)」が「前編」、今回「漫画における『ない』けど『ある』(6)」が「後編」となります。


まず、最初の少女漫画における「目に入るハイライト」は、こんな感じで始まりました。



これは「60年代」の少女漫画です。
「西谷祥子(1943〜)」の「レモンとサクランボ(1966)」から引きました。

この絵には40年〜50年代「少女画」で有名だった「中原淳一(1913〜83)」や、「高橋真琴(1934〜)」の影響が強く感じられます。
また、昭和初期のぬりえ画「蔦谷喜一(1914〜05)」や、遡って明治の抒情画「竹久夢二(1884〜1934)」の影響も感じる事も出来るでしょう。

この絵の「目に入るハイライト」には、「メインもサブ」もありません。
様々な形のハイライトが、黒目の中に「ぎゅうぎゅう」に詰め込まれているのです。



中央二つの大きな四角は、一応「メイン・ハイライト」なのでしょう。
回りに散らばるのは「サブ・ハイライト」なのでしょう。
それらが特に区別もされず、しかもここには「フラッシュ光」も入っているのです。

また、この目に「白目」がほとんどありません。
「必要以上」に大きな「黒目」で描かれているのです。
その「黒目」からは直接(!?)、鋭く長い「睫毛」が四方八方に伸びているのです。
これはよく考えると・・・、とても恐い絵だと思います。

目の脇には「鼻梁」の影が、そこから離れた所には「鼻尖」が「ちょん」と描かれています。
もちろん、「鼻孔」は描かれていません。
少女漫画で「鼻の穴」が描かれるのは、ここから20年ほど経たなければならなかったのです。

いずれにせよ・・・。

本エッセイは何処まで続くのでしょうか?
私が模写した絵の周りにある「罫線」は何なんでしょうか?
「罫線」イコール「漫画」とでも言うのでしょうか?
何で?何で?何でーっ??


話を先に進めます。



これは「大島弓子(1947〜)」の「バナナブレッドのプティング(1977)」です。
私の大好きな漫画家です。

「60年代」ベタ塗りされていた黒目が、「70年代」細い「丸ペン」の「くしゃくしゃした線」だけで描かれています。
この「くしゃくしゃした線」が、結果的にたくさんの「ハイライト」を作り出しています。

「線画で描かれた黒目」は、以降、少女漫画の一つの傍流として、今でも多くの少女漫画家たちに引き継がれています。
亜流として「点描で描かれた黒目」も生まれています。

しかし、この時代「白目より黒目が大きい」と言う少女漫画の「記号」は、まだ守られていました。

それが変わるのは「80年代」に入ってからでした。



これは「多田由美(1963〜)」の「お陽様なんか出なくてもかまわない(1988)」の目であります。

「白目と黒目のバランス」が、より実写に近くなっています。
さらに特徴的なのは、黒目をベタ塗りせず、線画や点描で埋める事もせず、黒目が「真っ白」な事でした。
塗り忘れたワケでも、描き忘れたワケでもありません。
端から「黒目の輪郭線と瞳孔」しか描かれていないのです。

少女漫画が、特に大昔の少女漫画が「ハイライト過剰」だった理由は判ります。
これは「夢を夢見る」少女たちの「目の輝き」を表現するための「記号」なのです。

では、黒目にベタを塗らず線画も点描もせず、黒目を真っ白にしてハイライトを描かなくなった彼女たちは、もう夢見る事を止めてしまったのでしょうか?

いや。そうではないと私は考えます。

ハイライトが消えたのではなく、「目に入るハイライト」が増え続けた結果、ついに飽和状態を迎え、黒目を「ハイライトで覆い尽くしてしまった」結果なのだと思うのです。

何故なら、夢見る事を忘れた人は、もう少女漫画なんて描かないと思うからなのでした。

この黒目を塗らないスタイルは「80年代後期」に流行りました。


次に、実写における「目に入るハイライト」について、少し書きます。



これも「絵」ですが・・・「実写」だと思って見て下さい。

前回エッセイの冒頭で、「目にハイライトを入れるのが人物ライティングの基本だ」と書きました。
通常、実写に入るハイライトは「一つ」、またはメイン(キーライト)と抑え(フィルライト)の「二つ」、多くても「三つ」(タッチライト)なのですが、上ではちょっと違います。

アップします。



黒目の瞳孔を囲んで、たくさんのハイライトが並んでいます。
これは合成でなく、一発で撮影しているのです。

写真でも動画でも可能な技術で、パッと見気づかなくても「ん?」と注意を惹く効果を狙っています。

これには、いくつかパターンがあり、



「円」の変わりに「星」が並ぶ事もありました。
「ハート形」もあったかな?

これは人物を撮影する際、普通の照明機材ではなく「円」や「星型」が並んで切り抜かれた「大きな黒いパネル」越しに、ライティングした結果なのでした。
アマチュア用の照明アクセサリーでも、「キャッチライトディフューザー」とか「ダイヤモンドリフレクター」という名で売られてます。

この照明方法は「90年代」頃、広告写真やミュージシャンのPV(プロモーション・ビデオ)で流行っていました。
昔の「モーニング娘。」のPVでも、よく使っていましたっけ。


もう一つ、「目に入るハイライト」で思い出すのが、黒澤明の映画「赤ひげ(1965)」であります。



江戸時代末期の小石川療養所。
そこで繰り広げられる様々な人間模様。喜劇と悲劇。
その中の一つのエピソードです。
無理矢理、入院させられた少女「およと」は心を病んでいました。
彼女の異常性を表現するため、黒澤は暗闇で彼女の目だけを光らせたのでした。
爛々と光り、鬼気迫って見える彼女の目。

これは芝居する役者の目に合わせ、「キャッチライト(エリスポ。光源の強い小型のライト)」を当て、動かしているのでした。
昔は日本映画にも「職人芸」を見せてくれる名人が何人もいたのです。

さて。
話をまた漫画に戻します。

前回「目に入る二つハイライト」、その「メインが二つ」例として「バカボンのママ」の目を挙げました。
が、よく調べてみると以前にも「メインが二つ」を描いた漫画家がいたのでした。
しかも、有名な漫画家です。迂闊でした。



まず、「桑田二郎(次郎)(1935〜)」であります。
上は「まぼろし探偵(1957〜60)」から引きました。

この漫画はマスクを付けた「正義のヒーロー」の走りとなった作品でした。昔のヒーローは皆「マスクや覆面」を付けていたのです。
桑田二郎は「電光少年(1961)」や「8マン(1963〜65)」でも、この「メインが二つ」を描いています。

「バカボンのママ」の目を「メイン縦二つハイライト」と名付けたので、これは「メイン横二つハイライト」と呼ぶ事にします。

もう一人。これも有名な漫画家です。
またまた迂闊でした。



「望月三起也(1938〜)」であります。
上は「0ファイター(1966)」から引きましたが、「ワイルド7(1969〜79)」でもやっていました。
と言うか、彼の漫画は皆「メイン横二つハイライト」を描いていたのでした。

私は「松本零士(1938〜)」の「戦場まんがシリーズ」より早く、望月三起也の戦争漫画で「リアルな銃器」や「リアルな戦車」の格好良さを知っていたのでした。


大昔の漫画には「目に入るハイライト」はありませんでした。



これは「福井英一(1921〜54)」「武内つなよし(1922〜87)」の「赤銅鈴之介(1954〜65)」であります。

「福井英一」は戦後「イガグリくん(1952)」でヒットを飛ばした人気漫画家です。
彼は若く急死してしまい、その後、武内つなよしが受け継いだのです。
上の絵は「武内つなよし」で、「福井英一」よりポップな作画になっています。

当時の漫画は「田河水泡(1899〜1989)」の「のらくろ(1931〜41)」にせよ、「島田啓三(1900〜73)」の「冒険ダン吉(1933〜39)」にせよ、「阪本牙城(1895〜1973)」の「タンクタンクロー(1934〜36)」にせよ、誰も「目に入るハイライト」をしていないのでした。

ハイライトが入る様になったのは、それ以降(当時)の新鋭漫画家たち、「藤子不二雄」や「石森章太郎(1938〜98)」や「赤塚不二夫」によるモノだったのです。
そして、彼らの手本になったのは「手塚治虫」なのでした。

こうして、「目にハイライトが入らない」のは古い漫画、「目にハイライトが入る」のは新しい漫画となりました。
ハイライトがないかあるかは、50年代漫画と60年代漫画の大きな区別だと思います。

しかし、「60年代」に再び「目にハイライトが入らない」漫画を描く人が出て来ました。



「永島慎二(1937〜05)」であります。
上の絵は「陽だまり(1964)」から引きました。

漫画評論家「夏目房之介」は、「永島慎二や岡田史子が相当危ない目を描く時に、心理的な危機とか、精神的にちょっと向こうに行った様な目を描く時に、表情が読み取れない『炭団の様な丸い目』を描いた事もある」と言っています。
(NHKマンガ夜話〈西原理恵子 ぼくんち〉)。

夏目は「西原理恵子(1964〜)」の「炭団目」も、それに通じると指摘したのでした。

ここで、「ハイライトの入らない目」は「危ない目」「表情が読めない目」としています。
が、それに加え「ハイライトの入らない目」は、「無垢の目」「純粋の目」でもあるのだろう、と私は思います。



これは「寺島令子(1958〜)」の「がさつの日々(1983〜84)」から引きました。
寺島令子も私の好きな漫画家です。

「秋月りす(1957〜)」や「須藤真澄(1964〜)も、この「炭団目」を描く漫画家です。
彼女ら何人かの漫画家たちが、この「炭団目」を描く理由の一つは(寺島の影響もあるのでしょうが)、より「記号」に徹した可愛らしさが気に入っているからなのでしょう。

もっとも、「田川水泡」「永島慎二」「寺島令子」「西原理恵子」「須藤真澄」らの描く「炭団目」には、少し違いがある様な気もします。

「田川水泡の炭団目」は、漫画が「戯画」であった時代の「純真さ」であったのでしょう。
「永島慎二の炭団目」は、漫画が物語る様になった時代の「空虚」な「喪失感」を表現したかったのでしょう。
「寺島令子の炭団目」は、4コマ漫画で「児童画」の持つ「無垢さ」を出したかったのでしょう。
「西原理恵子の炭団目」は、主人公が「彼岸」を見つめ「諦念」に至った結果なのでしょう。
「須藤真澄の炭団目」は、彼女の世界感で「無我」で「透明化」したキャラを描いているのでしょう。

同じ「炭団目」でも、時代によって作家によって、意味している事はそれぞれ異なっているのでした。


「目に入るハイライト」は手塚治虫から始まりました。

彼が最初に「実写」や「映画」を意識して、漫画を描いた人だからです。
対象物が何処にいてライトは何処から映しているのか。
カメラは何処からどんなアングルで見ているかを考えた作家だからです。
合わせ、そうやって撮った素材を、どう「編集」するかも考えた作家でした。
これが現在の「漫画」「マンガ」「コミック」が手塚治虫から始まった、と言われる所以であります。

手塚以降、様々な漫画家たちが自分の「目に入るハイライト」を考え出し、多種多様の「目に入るハイライト」を作ってきました。
まさに今、百花繚乱なのであります。



以上、漫画の「目に入るハイライト」を考えて来ました。

結局、最後が「ハイライトが無い炭団目」で終わりましたけども。
え?
それが最初からお前の狙いなんだろうって?

えへ。


(追加補記20111113)
最近「ももいろクローバーZ」のPV観たら、黒目の中、瞳孔の回りにハイライト四つをやっていました。実写でハイライトを不自然なまでに入れるのは、モーニング娘。以来、もはや伝統なのですね。




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