燦々と輝く横長の「東宝スコープ」。 続いて画面一杯に「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」のタイトルが登場。 キャスト、スタッフ紹介のトップクレジット背景は、漆黒の夜から段々と明けてゆく美しい南洋の朝焼け。 音楽は「マカロニ・ウエスタン」風である。 マカロニ・ウェスタンとは1960〜70年代に作られたイタリア製西部劇の事で、本作の公開は「1966年」、題名の「大決闘」からも当時の流行を狙っていた事が判る。 最初のシーンは寒風吹きすさぶ「霊場恐山」。 「弥太は死んでおらん!」 神託を告げるイタコの前に中年女が畏まっている。 彼女は先日、南洋沖で行方不明になったマグロ漁船の乗員「弥太」の母親「カネ」である。 カネの顔に希望の色が広がる。 弥太の若い弟「良太」が警視庁、続いて新聞社に「兄を探して欲しい」と掛け合っている。 が、相手にされず落胆して出て行く良太。 都内のイベント会場。 そこで開催されている「耐久ラリー ダンス・コンクール」。 若い男女たちが狂った様に「ゴーゴーダンス」を踊り続けている。 このイベントは、もう三日三晩に及んでいるのだ。 一等賞の賞金は豪華ヨット。 自力で兄を捜すべく、それに目を付けた良太。 途中棄権の二人の大学生「仁田」と「市野」がそれを一笑にする。 その深夜。 葉山のヨット・ハーバーに三人の姿がある。 興味本位で忍び込んだ新造船「ヤーレン号」に、突如オーナーと名乗る男「吉村」が現れる。 しかし、実は彼は銀行強盗犯で、船を盗んで逃亡しようとしていたのだった。 船内で仮眠を取り朝を待っていた「吉村」「仁田」「市野」は、目が覚めて驚く。 「ヤーレン号」が波止場をから外洋に出ていたのだ。 兄を助けたい一心の「良太」の仕業である。 数日間の漂流の果て、大暴風雨に巻き込まれる。 朝。 彼ら4人は地図にも載らぬ南海の孤島「レッチ島」に漂着していた。 しかし、無人島と思われていたその島は、国際犯罪結社「赤イ竹」の秘密基地であった。 その島に近隣の「インファント島」から多くの島民が連れ込まれて来る。 「レッチ島」周辺には巨大な海の怪物「エビラ」が出没し、島に船で出入りするためには、エビラが苦手の「黄色い汁」を撒かなければならない。 その「黄色い汁」醸造のため、インファント島民の奴隷が必要だったのだ。 銀行強盗の「吉村」、南洋で行方不明の兄を捜す「良太」、大学生の「仁田」「市野」、そこに「赤イ竹」から逃げ延びた「インファント島」の少女「ダヨ」が加わった。 こうして。 不思議な縁で結ばれた5人の「一夏の冒険」が始まったのであった・・・。 「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」は、1966年(昭和41年)12月に公開されました。 1954年(昭和29年)に誕生したゴジラ映画の「第7作目」で、東宝SF映画史で言えば前作「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ(1966.7)」、後作「キングコングの逆襲(1967)」の間に入る作品であります。 監督は「福田純」。 脚本は「関沢新一」。 音楽は「佐藤勝」。 特技監督は「有川貞昌」で、「円谷英二」は監修に回っています。 同年制作の「サンダ対ガイラ」に円谷は係り切りだったのです。 それだけあってか「サンダ対ガイラ」は素晴らしい特撮シーン満載の、私の大好きな東宝SF映画になっています。 福田純は昔からの東宝監督で、SF映画「電送人間(1960)」、加山雄三の「日本一の若大将(1962)」「ハワイの若大将(1963)」、東宝スパイ物「100発100中(1965)」などがあり、ゴジラ映画は本作が初めてでした。 作品歴を見ると器用な監督だという事が判ります。 それは反対に個性のない監督とも言えるでしょう。 私は本作「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」を公開当時観ていたのですが、今回「ちょっと確認したい事」があり、数十年ぶりにレンタルで借りて観たのです。 当時の私の感想は「ゴジラ映画もツマラナクなったなあ」と言うモノでした。 そして今回、数十年ぶりに観直して思ったのは。 「やっぱ、ツマラナイなあ」と言うモノでした。 あ。 もう結論出ちゃった。 私は昔の「東宝SF映画」ファンなのですが、好きなのは最初の「ゴジラ(1954)」から始まり、「ゴジラの逆襲(1955)」「空の大怪獣 ラドン(1956)」「地球防衛軍(1957)」「美女と液体人間(1958)」「宇宙大戦争(1959)」「電送人間(1960)」「ガス人間第一号(1960)」「モスラ(1961)」「世界大戦争(1961)」「妖星ゴラス(1962)」「キングコング対ゴジラ(1962)」「マタンゴ(1963)」「海底軍艦(1963)」「宇宙大怪獣ドゴラ(1964)」「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン(1965)」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966)」なのです。 も少し追加すれば、「緯度0大作戦(1969)」「日本沈没(1973)」「ノストラダムスの大予言(1974)」「エスパイ(1974)」「東京湾炎上(1975)」ぐらいなのです。 (※リンク先は以前私が書いたエッセイへ) 「東宝SF映画」がツマラナクなったのは、それらが「センス・オブ・ワンダーたっぷりのSF映画」から、子供目当ての単なる「怪獣プロレス映画」になった頃だと思います。 作品で言えば「モスラ対ゴジラ(1964)」辺りからでしょうか。 上に挙げた作品でも「ゴジラの逆襲」「キングコング対ゴジラ」「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」「サンダ対ガイラ」は怪獣と怪獣の戦いを描いていましたが、それらは「怪獣プロレス映画」ではなく良く出来た「SF映画」だと思うのです。 ですから、怪獣プロレス映画に成り下がった「モスラ対ゴジラ」以降の、「三大怪獣 地球最大の決戦(1964)」「怪獣大戦争(1965)」「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966)」「キングコングの逆襲(1967)」「怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967)」「怪獣総進撃(1968)」も・・・、あまり面白いとは思えないのでした。 好きな人が多い「決戦!南海の大怪獣(1970)」や「ゴジラ対ヘドラ(1971)」も、私にはツマラナイのです。 当時も今も「昔の方が良かったなあ。やっぱ監督は本多猪四郎、特撮は円谷英二じゃないと駄目だよなあ」と思っているのでした。 じゃ何故、「ツマラナイなあ」と思った映画の事をエッセイを書いているかと言うと、数十年ぶりに観直す原因になった「ちょっと確認したい事」にあるのでした。 それは「エビラは人を喰っているか?」と言うモノであります。 ネットの昭和特撮映画掲示板で、「サンダ対ガイラは良かった。人を喰うし」と書いてありました。 これは私も同意見なのです。 人を喰う怪獣ほど恐ろしいモノはありません。 そんな怪獣映画ほど観たい映画はないのです。 そして、その掲示板では別の人が、「南海の大決闘のエビラも喰っていたね」と続けていたのです。 え? そうだっけか? 東宝「ガイラ(1966)」や大映「ギャオス(ガメラ対ギャオス〈1967〉」を最後に「人を喰う怪獣」は平成に入るまで、しばらく登場していないと私は思っていたのです。 確認しました。 確かに「エビラ」も人を喰ってました。 不覚な事に、私はすっかり忘れていたのでした。 拉致されて来た「インファント島民」。 その内の二人が「赤イ竹」の目を盗み、カヌーを奪って海へ逃げ出す。 突然、カヌーの周囲の海面が激しく泡立ち、十数メートルもある巨大なハサミが浮上してくる。 続けて下から現れたのは海老に似た奇怪な怪物だった。 二人の絶叫をかき消す様にカヌーを持ち上げ、無造作に男たちを海へと放り出す。 それを鋭く尖ったハサミが非情にも串刺しにする。 唯一の救いがあるとすれば。 すれば。 絶命している二人には、自分が怪物の口へ運ばれて行くのが判らない事であった・・・。 このシーンは今でも東宝特撮の白眉です。 カヌーも島民も小さなミニチュアなのですが、実に見事にオールを漕いでいるのです。 「オールを漕ぐミニチュア」は他の東宝映画でも度々観るので、東宝特撮の「お家芸」「伝統芸」なのでありましょう。 また再観賞して、新たに気づいた事が幾つかありました。 キャストが必要以上に「無意味に豪華」なのです。 主演の銀行強盗「吉村」が「宝田明」。 インファント島の娘が「水野久美」。 その村長が「沢村いき雄」と、渋いところを押さえています。 「赤イ竹」の連絡船船長が「天本英世」。 基地司令官が「田崎潤」。 その警備隊長が「平田昭彦」。 「赤イ竹」科学者が「伊藤久哉」で、これも「東宝SF映画」好きには堪らないキャスティングと言えるでしょう。 宝田明と平田昭彦は「ゴジラ」の主役・準主役ですし、平田昭彦はゴジラの「芹沢博士」とは反対側に眼帯(しかも龍模様!)をしているケレン味ぶりです。 水野久美は「マタンゴ」の蠱惑的な演技に魅了されたり、「サンダ対ガイラ」の理知的な女科学者に焦がれた方も多いでしょう。 田崎潤は「海底軍艦」で、天本英世は「キングコングの逆襲」の主役でした。 「沢村いき雄」「伊藤久哉」は東宝作品でよく見かける大部屋役者で、この人たちの顔を見ると、「ああ、オレは東宝映画を観ているんだなあ」と言う至福感に包まれるのであります。 モスラの巨大な卵を前に、インファント島民たちが踊るのはいつもの事。 ただ、「小美人」が「ザ・ピーナッツ」じゃなく「ペア・バンビ」と言う「少し不美人」なのは残念なところであります。 5人の若者たち。 「吉村」「仁田」「市野」「良太」、そして「ヨダ」。 「吉村」の金庫破りの技で「赤イ竹」の秘密基地に潜入。 島からの脱出方法を探るためだ。 しかし、彼らがそこで見たのは「赤イ竹」の原爆製造工場だった。 逃げ出した5人は途中でバラバラになってしまう。 「良太」は「赤イ竹」の観測監視気球に足を取られ空へ。 そのままインファント島へ運ばれてしまう。 そこで行方不明の兄「弥太」と巡り会う。 二人は囚われた仲間を救うため、再びレッチ島へ向かう。 「仁田」は「赤イ竹」に捕まってしまう。 そこで地下で強制労働させられる島民と出合う。 「仁田」はエビラ避けの黄色い汁の「偽物作り」を提案する。 「吉村」「市野」「ヨダ」は島の地下洞窟で眠っていた「ゴジラ」を落雷で復活させようとする。 「ゴジラ」を「赤イ竹」と「エビラ」への対抗手段とするためである。 物語の冒頭、人が集まって来て仲間となり、それが中盤、数人ずつ別れ別れになってしまう。 そのグループが、別の場所、別の問題に遭遇、知恵と勇気で切り抜けて行く。 終盤、仲間が再集結。 それぞれが得た経験を活かし、最後の敵に立ち向かい大勝利を得る。 これは「冒険物」の映画や小説でよく見かける「定番作劇術の一つ」でしょう。 「チームが途中三つに別れる」のが多いかな? 名付けるとすれば、「集合分離再集結大団円型」とでも言うのかな? 映画「ロード・オブ・ザ・リング(2001、02、03)」も(原作〈指輪物語〈1954、54、55〉)そうでした。 しばらく経って「ゴジラ」と「エビラ」の第一回戦が起こります。 「ゴジラ」は尻尾を、「エビラ」はハサミを使って、陸と海から巨岩を投げ合います。 まず最初に相手の力を推し量っているのです。 が、ある時、その巨岩が外れ「赤イ竹」の監視塔を破壊してしまいます。 その時のセリフが面白いのです。 これも本エッセイが書きたかった理由の一つ。 「赤イ竹」の監視塔が、何処からか飛んで来た巨大な岩の直撃を受け、木っ端微塵に吹き飛んでしまう。 「隊長っ!一大事、一大事ですっ!!」 「何っ!一大事!?革命かっ!?」 国際犯罪結社の「一大事」つまりそれは「革命」、と言うコンセプトが面白いのです。 これは基地に迫る「ゴジラ」を見た司令官のセリフ、 「すぐに本部に連絡せいっ!革命的怪物現るっ!!」でも繰り返されていました。 革命的怪物って・・・。 一回目は「エビラ」と引き分けた「ゴジラ」ですが、「ヨダ」に襲いかかって来た「大コンドル」を、熱線であっさり仕留めてしまいます。 突然の事に目を潤ませ「ゴジラ」を見上げ感激する「ヨダ」。 それを見て「ゴジラ」が鼻の横を擦ります。 当時流行っていた「加山雄三」の「ボクはシアワセだなあ」のボディ・アクションをしているのです。 続いて「赤イ竹」の戦闘機の攻撃が始まります。 地面にミサイルを乱射され、まるで「ゴーゴーダンス」を踊っている様に「ゴジラ」が動きます。 いや、音楽も「ダンス・ミュージック」になりますので、これは本当に踊っているのです。 映画序盤「ゴーゴーダンス」が出て来たのは、この伏線だったのです。 前々年「三大怪獣 地球最大の決戦(1964)」で怪獣同士を会話させ、前年「怪獣大戦争(1965)」で「シェー」(当時流行のギャグ)を、本作「南海の大決闘(1966)」で「ボクはシアワセだなあ」と「モンキーダンス」をさせる。 これらを面白がった子供も多かったのでしょうけども・・・、私の好きだった「ゴジラ」は・・・、完璧に終わったのでした。 迫り来る「ゴジラ」に「赤イ竹」は基地周囲の高圧線に「10万ボルト」を流し抵抗します。 最初のゴジラは「5万ボルト」の高圧線ですから、これは「出世したモン」であります。 とは言え、「キングコング対ゴジラ(1962)」では「100万ボルト」、「モスラ対ゴジラ(1964)」では「3000万ボルト」なんて無茶をやっていますので、そおいった意味では「なめられたモン」なのであります。 いずれにせよ。 結局、基地は破壊され、自棄になった「赤イ竹」は島ごと自爆させ脱出しようとします。 悪の報いは針の先。 海へ出た「赤イ竹」は、「仁田」たちの作った「偽黄色い汁」で「エビラ」に襲われて全滅してしまいます。 「ゴジラ」は二回戦目で「エビラ」を始末します。 両手のハサミを、もいじゃうのです。 えっ?海老ってハサミを切られると死んじゃうんでしたっけか? ついにインファント島の「モスラ」が目覚めます。 島民たちを救いに「レッチ島」に飛来して来るのです。 最後に登場し、ご都合主義的に全てを解決し、物語を終える者を「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」と呼びますが、本作の「モスラ」はその役割なのでした。 いよいよ怒濤のエンディングへ雪崩れ込みます。 結局、「モスラ」は「ゴジラ」と一切戦いません。 「モスラ」は島民を救い出すだけなのです。 島から飛び去る「モスラ」を「ゴジラ」が、「え?・・・戦わないの?」と驚く様に見送りますが、当時、映画館で観てた者みなが思った事でありましょう。 「モスラ」に乗って逃げる「仁田」のセリフ。 島に残っている「ゴジラ」を見て叫びます。 「逃げろーっ!!」。 そんな事「ゴジラ」に言っても通じるワケがありません。 が、それを聞き海に飛び込む「ゴジラ」。 え・・・? 次の瞬間、島が大爆発するのでした。 え?え? 続けて「市野(彼は理工部)」が呟きます。 「しかし原水爆の火は消えない。これからは使う人間の良心の問題だな」。 え?え?え? 爆発し沈んでいく「レッチ島」。 島から離れ海原を進む「ゴジラ」。 それを見つけ喜ぶ「ヨダ」。 一斉に沸き上がる若者と島民たち。 「助かったんだわ!!」 え?え?え?え? いいのか・・・。 そんな終わり方で・・・。 (蛇足補記) 焼肉のタレ「エバラ 黄金の味」を見ると、私はいつも「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」を思い出します。 「エバラ」から「エビラ」を、「黄金の」から「南海の」を連想するのかも知れません。 |
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