この前、電車に乗ったのです。 空いている席があり、そこに座ったのです。 しばらくして、新たに乗り込んで来た客があり、私の前に立ったのです。 それは30歳ぐらいの女性でした。 私は電車に乗って座っている時、得てして二つどちらかの行動を取っています。 眼を閉じてジッとしている。決して眠っているワケではありませんが、物思いに耽っているのです。 もう一つは、窓ガラス越しに流れていく景色をボンヤリ見送っているのです。 その時、私は珍しく三番目の行動をしていました。 座っている私の前に立った、その女性の足先をジッと見つめていたのです。 足先とは言え、相手は妙齢な女性ですから凝視するのは、失礼な事だとは分かっていました。 しかし、その時は乗車時間が長い事もあり、私は暇を持て余していたのです。 彼女はサンダルを履いていました。 サンダルと言っても若い人が履く様な「ビーチ・サンダル」や「スポーツ・サンダル」、おじさんの「カジュアル・サンダル」ではありません。 女性が履く、お洒落でヒールの高い「エレガント・サンダル」でした。 それは爪先が全部空く「解放タイプ」ではなく、足の甲から爪先に向かって細く編まれて行くサンダルでした。 まず、彼女の名誉のために言っておくと、彼女は決して太っている女性ではありませんでした。 少々身長が低く目の、全身ムッチリしている肉付きの良い女性でした。 顔立ちは美しく整い、眼がパッチリと大きく、とても可愛い顔をしていました。 私の前に立つと同時に、鞄から文庫本を取り出し読み始めたのを見ると、高い知性も持ち合わせているのでしょう。 私は本を読む女性がいつも好きです。 つまり、私の好きなタイプの女性だったのです。 (フォロー終わり) 彼女は小さめサイズのサンダルを履いていました。 いや、サンダルを買ってから、彼女自身が少し肥えてしまったのかも知れません。 何にせよ、彼女の足は小さめのサンダルに覆われ、パンパンになっていたのです。 特に編み上げられたサンダルの爪先は悲惨でした。 足の五本指がギュウギュウに締め付けられていたのです。 いや、窄まったサンダルの先端に、「無理矢理」自分の爪先をねじ込んでいる感じなのです。 小指は見ていて可哀想なほどで、思わず救い出して上げたいほどでした。 サンダルだけではなく、いつも履いているパンプス類も小さめなのでしょう。 その小指の爪は長い間、成長を激しく拒まれ成人女性の通常のサイズには程遠く、「細長い3ミリほどのスリット状」と化していたのです。 私は思わず心の中で叫びました。 「あんたは纏足しとんのか!」 ご存知じゃない方のために、少し説明させて頂きます。 纏足は「纏足」と書いて「てんそく」と読みます。 「豚足」ではありません。 「纏足」は古代中国「唐」代末期(800年頃)から「清」代まで、一世紀も続いた女性の風俗です。 生まれ幼い頃から布で足を強く締め上げ、それを数年続ける事によって矯正・変形させ、足を小さくする中国の大昔の風習です。 何故、そんな事をするかと言うと「足の小さな女性は美しい」と、当時の中国人男性が思っていたからなのです。 良き伴侶を見つけるため当時の中国人女性は、労働しなくても良い裕福層が多かったのだろうと思いますが、この「纏足」をしていたのです。 中国の大昔の奇習を「野蛮で馬鹿らしい」と思うのは勝手です。 しかし、西洋イギリスでも最近まで「腰の細い女性は美しい」と、コルセットで病気になるほど極端に締め上げていた事を忘れてはなりません。 結局、私は彼女が電車に乗り込んで去るまでの20数分、ずっとその足を見続けていたのでした。 「バナナはおやつに含まれますか?」って、それは「遠足の女」。 私が言っているのは「纏足の女」。 「あたし高校時代100メートル11秒ちょい」って、それは「駿足の女」。 「えっ?この車、靴脱ぐの?」って、それは「土足の女」。 「ミニは嫌い。いつもロングなの」って、それは「短足の女」。 「私よく『リア充』って言われるじゃないですか」って、それは「満足の女」。 「野郎ども!お宝は全部頂きだよ!」って、それは「山賊の女」。 って「纏足」と関係なくなっちゃった。 「足」も関係なくなっちゃった。 最後に私の好きな「戸川純」の「労働慰安唱歌」という歌をご紹介します。 電車でその女性の足を見つめていた間ずっと、この曲が私の頭の中でグルグル演奏(な)っていたのです。 「♪働けども 働けど 働けども 働けど 働けども 働けど 働けども 働けど ポンプ押す纏足の女 牛車引く赤貧の男 労民は寓話と奇跡を信じる 労民は寓話と奇跡を信じる♪」 私はこの最後の「労民は寓話と奇跡を信じる」ってフレーズが、とっても大好きなのであります。 |
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