SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.132
「鞄からパン」について

(2011年10月1日)


私が吃驚したのは、「K」が鞄からパンを取り出した事でした。



もう昔、当時私が勤めていた会社での話です。
「K」が大学を卒業し入って来た年の事です。
「K」は私の5年後輩になります。

その日私たちは社内の会議室で、仕事の打ち合わせをしようとしていました。
10分もあれば済む簡単な打ち合わせでした。

私たちは世間一般的な「サラリーマン」からはほど遠い、と言っても会社から給料を貰っているので「サラリーマン」には違いないのですが、いささか「自由奔放」な会社に勤めていました。
ですから背広やネクタイも、通勤時に付けた事はありませんでした。
私など入社後しばらくし会社に慣れた頃には、オーバーオールとサンダルで出社した事もあったのです。
今にして思えば、いささか巫山戯過ぎでしたが。

背広やネクタイは上司・仕事関係の冠婚葬祭にだけ着る服だったのです。
そうは言っても、当時でも社員は百五十人ほどいて、その職種の会社としては大きな方だったのです。

私たちの打ち合わせは、「クライアント(得意先)」に出掛ける直前の、「あれ持った?これ持った?」という確認でした。
そして、さあ始めようとした時です。
「K」は鞄からパンを取り出して、「突然」食べ始めたのです。
私は本当に死ぬほど驚きました。

「K」の鞄は上部が開いてるトートバッグの類ではありません。
アタッシュケースみたいな立派な物でもありません。
大学生が持つような大きなショルダーバッグで、「B4サイズ」が楽に入り、入口をジッパーでしっかり閉じられるモノでした。
本当に「K」は学生時代から、それを愛用していたのかも知れません。
その鞄からパンを取り出し「K」は食い始めたのです。
それは「総菜パン」。
しかも、「食べかけの総菜パン」だったのでした。

さらに言えば「焼きそばパン」でした。
多分会社近くのコンビニで買って来たのでしょう。
「K」は会社に向かいながら二、三口食べて、会社に到着。
再びパッケージに戻し、当然の様に鞄に仕舞い込んだのです。
「K」は突然その事を思い出したのでしょう。


繰り返しますが、私はとっても吃驚しました。

それは「K」が人前で食事を始めた「無神経さ」にではありません。
今でも電車でファーストフードやホカ弁を平気で食う若い人を見掛けると「ギョッ」とはしますが、単に「この人には近寄らない様にしよう」と思うだけなのです。
小さな子供が親にねだって菓子を食べているのは、見ていて微笑ましいぐらいなのです。

それは「K」が先輩の前で食事を始めた「非常識さ」にでもありません。
私も、それはとても暑い夏の日でしたが、水鉄砲を撃ちながら先輩を会社中、追い駆け回した事があったからです。
二人とも当時買ったばかりの電動式の水鉄砲で撃ち合っていたのです。
私のが「ウージー」、先輩のが「M16」、後日それを見た後輩の女子社員によると、「二人ともおかしくなったんだ・・・」と思ったそうです。

それは「K」が打ち合わせ中に食事を始めた「傍若無人さ」にでもありません。
私も仕事後、飲み屋でしこたま飲んだ挙げ句、「日比谷大音楽堂」の鉄柵をよじ昇って忍び込んだ事があったからです。
私が唆した後輩2人と一緒でした。
そして真夜中の3時過ぎ、観客が誰も居ない「野音」の舞台に立ち、夜が明けるまで「妄想ミュージカル」を演じていた事があったのでした。
最後の曲は「今日の日はさようなら」でした。
これは当時酔った時に始める「妄想ミュージカル」の定番ラストナンバーだったのです。
あ、いやいや、そんな事じゃない!


私が吃驚したのは、「K」が鞄に食いかけのパンをしまい込んでいた、その「軽慮浅謀さ」にあるのでした。
そんな事をしたら、何で「K」は鞄が「パン臭く」なってしまうと思わなかったのでしょうか。
しかも「総菜パン」!しかも「焼きそばパン臭く」に、です!

それが「カレーパン」じゃなかったのはまだ幸いでした。
打ち合わせの度、鞄から「カレーの臭い」がする事を避けられたからです。
「ガーリックトースト」じゃなかったのも幸運と言えましょう。
会議室で「ニンニクの臭い」が漂う事を回避出来たからです。
でも、やっぱり「焼きそばパン」!!
「カレー」「ニンニク」には少々劣るにしても、「ソースの臭い」は凶悪だと思います。
それとも「K」は生まれながらにして、「ソース臭」に強い耐性があったのでしょうか?
何だ?
「ソース臭に強い耐性」って。

百歩譲っても何で「K」は、パンに「鞄の内側の臭い」が移る事を心配しなかったのでしょうか?



それから数十年後。
つい最近の事です。

私も「K」も当時の会社を辞めて、お互い違う仕事をしていました。
ある日突然思い出して、久しぶりに会う事にしたのです。
私の最寄りの駅前で落ち合い、近くのカラオケ屋に早速入りました。

席に座り飲み物・食べ物を注文して、ひとまず落ち着いたところで、その時の事を訊いてみたのです。
「あれって、どういう事だったの?」。
歌詞本を捲りながら、「そんな事、ありましたっけ?」と「K」は私を見て言いました。
持っていた鞄からパンを取り出しながら・・・。
(このオチだけ嘘)




目次へ                               次のエッセイへ


トップページへ

メールはこちら ご意見、ご感想はこちらまで