SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.144
「翼少女の系譜」
について

(2012年12月8日)


「スケクシス」たちに、塔の最上階に追い詰められる青年「ジェン」と少女「キーラ」。
スケクシスは三つの太陽を持つ「惑星トラ」を支配する、鷲に似た醜く邪悪な種族。
ジェンとキーラは人型の最後の「ゲルフリン族」である。

「跳ぶよ」とジェンの手を掴み、その高い塔から飛び降りるキーラ。
見る見る地上が迫ってきた次の瞬間、キーラの背中に巨大な翼が生える。
「き、君、翼があるのか!?」
地面への激突を免れ、大空へ舞い上がる二人。
「え?だって・・・。女の子ですもの」

これは私の大好きなファンタジー映画「ダーククリスタル(1982)」のハイライト・シーンです。
監督は「ジム・ヘンソン」と「フランク・オズ」。
二人ともTVの幼児番組「セサミストリート(1969〜)」で有名なマペット(人形)操演師、映画監督です。
フランク・オズは旧スター・ウォーズの「ヨーダ」の操演と声でも知られています。



「翼を持つ少女」は古今東西、様々な彫刻や絵画、小説や映画、近年では漫画やアニメ等で数多く登場してきました。

過去の「翼少女」の意味は判り易く、皆「天使」を意味していました。
もちろん、「天使」に「男女」の違いは無く、幼児や少年で描かれる事もありました。
また、「男女」の区別のない「両性具有」、つまり「アンドロギュヌス」として描かれる事もありました。
「新世紀エヴァンゲリオン(1995〜96)」の「渚カヲルくん」なども、この「アンドロギュヌス」の匂いがあります。
いや、「渚カヲル」の前に、「永井豪」の「デビルマン(1972〜73)」の「飛鳥了」がそうでした。


私が「翼少女」で最初に思い浮かべるのは、冒頭の「ダーククリスタル」の「キーラ」です。
が、次に浮かべるのは「On Your Mark(1995)」の「翼少女」なのでした。
この作品は「チャゲ&飛鳥」のコンサートのオープニングで上映された、「宮崎駿」の隠れた傑作SFアニメ(7分)だと思います。

近未来。
不穏な動きを見せる新興宗教本部に、突入して行く武装警官たち。
そこで彼らは、教団本部の奥に監禁されていた「翼少女」を発見するのでした。

私は本作品が大好きで、「未来少年コナン(1978)」「風の谷のナウシカ(1984)」等々、宮崎駿のアニメに「SF」を見る事は珍しくないのですが、「On Your Mark」ほど「SFSF」した作品は無いと思います。
「ブレードランナー(1982)」の空飛ぶパトカー「スピナー」に似た乗り物で、超高層ビルの最上階にある「教団本部」に突入する「武装警官」たち。
しかし、教団員はすでに皆「自決」していたのです。
床に倒れた「若い女性」を持ち上げ、「あ、駄目だ。もう死んでる」と呆気なく手を放すシーンなど、「もののけ姫(1997)」の予告編で「宮崎駿の凶暴なまでの情熱が」というコピーが使われていますが、本作「On Your Mark」には、その先駆を感じるのでした。
これも私の好きな宮崎駿なのです。

先の「空飛ぶパトカー」も、防護服に実をまとった「武装警官」たちも、超高層ビルの未来都市も、途中に登場する「突入装甲車」も、全部格好良く、私の大好きな「SFSF」を見せてくれるのでした。

本作は、その成り立ちと上映時間の短さから表に立つ事は少ないのですが、もっともっと評価されるべきだと思います。
また、核汚染で地上に人が住めなくなり、地下都市で暮らしている設定等々、ファンの間では「これはナウシカの前の時代だ」と言う人もいるのでした。
アニメ版「風の谷のナウシカ」のオープニングが、「空を飛ぶ翼少女のタペストリー」から、実際にメーヴェで飛ぶナウシカにOLで繋がる導入も、そのマニアの説に信憑性を与えているのかも知れません。


次に「翼少女」で好きなのは「デビルマン」の「シレーヌ(死麗濡)」です。
彼女はデビルマンに敵対する「悪魔側」の人間(人間?)です。
永井豪が素晴らしい(かった)のは、翼を「背中」に生やさず、頭部の左右に生やした事だと思います。
何と素晴らしい意匠なのでしょう。
彼女のファンは昔から多く、「不動明」「飛鳥了」に次ぐ、3番目の「デビルマン・キャラクター」となっています。
彼女が主役のアニメも作られましたし、今日でも多くのフィギュア作家たちが「シレーヌ」を造り続けているのでした。


映画「コンスタンティン(2005)」の「ガブリエル」も忘れてはいけません。
「コンスタンティン」はアメコミ原作の「悪魔ハンター」の話です。
「キアヌ・リーブス」が主人公を演じ、その最後の適役「ガブリエル」をイギリス人女優「ディルダ・スウィントン」が演じています。
「翼少女」と「少女」と呼ぶには、彼女はちょっと歳を取りすぎているのですが、少女特有の「凛と」した清潔さや「非情さ」や「しなやかさ」は見事に出ていたと思います。
物語の最後、正体を現し、主人公を素足で押さえつけ無表情で「見下ろす」シーンなど、ゾクゾクしたモノでした。
彼女は、数年後には「ナルニア国物語(2005)」では「白い魔女」を演じ、「ああ堕天使から魔女に昇格したんだなあ」と思ったモノでした。


「メトロポリス(2001)」の「マリア」も私の大好きな「翼少女」です。
手塚治虫の原作「メトロポリス(1949)」を、「りんたろう」が劇場映画にした作品でした。
脚本が「大友克洋」だったり、変に「潤色」せず当時の手塚キャラを再現していたり、ちょっと話題になりましたっけ。

大都市「メトロポリス」は金持ちの住む地上と、貧民が住む地下とに別れていました。
そこに「マリア」という謎の「地下と地上」を繋ぐ美少女が現れるのです。
ある朝。
屋根に立つ「マリア」の肩に飛んで来た鳩が止まります。
大きく羽根を広げる鳩。
その瞬間、朝日が「マリアと鳩」を逆光に照らし、そのシルエットが「翼を生やした天使」に見えるのです。
このシーンはとても感心した「映画的」な描写でした。
が結局、最後は、いつもの「りんたろう節」で「巨大建造物の大破壊」で終わるのでした。
「スローモーションで崩れ落ちる都市」のシーンに、「レイ・チャールズ」の「I Can't Loving You」が流れるあたり「あまりに臭い演出」に私は閉口したモノでした。
何で、この人ぁ、「銀河鉄道999(1979)」や「幻魔大戦(1983)」以降以、「終わりはみんなメチャクチャに壊れれば良いのだあ!」になってしまったのでしょうか。


「翼少女」。
「新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを、君に(1997)」でも、最後は「綾波レイ」が超巨大化し翼を生やしていました。
「ダーククリスタル」のキーラや、「Your On Mark」の少女は別にして(シレーヌも少し違うかな)、それ意外の「翼少女」は皆「天使」もしくは「堕天使」の暗喩であったと思います。

本エッセイでは「少女」に拘っていますが、「少女」以外では、これまた私の大好きな「未来世紀ブラジル(1985)」の主人公も、夢の中では翼を生やし甲冑武者と闘っていました。
「バーバレラ(1968)」の盲目の青年も翼を生やしていました。
これは「天使」と言うよりも、「自由への憧れ」の象徴なのでしょう。

「翼を持つ者」のオリジンは、ギリシャ神話の「イカロス」でありましょう。
翼を付けイカロスは、太陽へ昇っていきます。
しかし、太陽に近づき過ぎたあまり、翼を付けた「蝋」を溶かしてしまい、結局、地上へと真っ逆様に落下してしまうのです。
自由を約束したハズの「翼」が、結局は「束縛」をもたらすというのは、実に暗喩的だと思います。


も1つ。
歌の世界でも「翼」は1つのテーマです。

「もしも僕に翼があったら(1964〜69、ひょっこりひょうたん島)」。
「翼をください(1971、赤い鳥)」。
「翼の折れたエンジェル(1985、中村あゆみ)」。
「翼」が付くタイトルはもちろんの事、それこそエヴァの歌詞の中でも、「いつか気づくでしょう その背中には 遙か 未来目指すための 羽根がある事」とあるのです。


ところで。

本エッセイの冒頭に書いた文章は、私の記憶に頼ったモノでした。
先日、実際に映像を観直してみると、ちょっと違っていました。
「スケクシク城」の周りにある崖から、スケクシク配下の「ガーシムたち(甲蟹の様な凶暴な戦闘種族)」に、「ジェン」と「キーラ」が追い詰められて、が正解でした。

その際に翼を広げた「キーラ」が「ジェン」と飛ぶのでした。
無事に崖下に着地した二人の会話。
ジェン「翼だ!僕には無いよ!」
キーラ「そりゃそうよ。男の子だもん」

また、「ダーククリスタル」の当時買っていた小説版(ノベライズ)を読み直してみると(1983角川書店。A.C.H.スミス、山田順子訳)では崖下で交わす会話が、さらに詳しくなっていました。
ジェン「どうして、あんな事が?」
キーラ「知らないの?昔、何代も前のゲルフリンは本当に空を飛べたのよ。私たちみたいに、ただヒラヒラと空中を漂うだけでなくて。ウル・ルーたちはあなたに役に立つ事は何も教えなかったのね?」
ジェン「でも、僕には翼なんて無いよ!」
キーラ「それはそうよ。だって、あなたは男の子ですもの!」

私が主人公とヒロインが悪者に追い詰められて、「塔の最上階から飛ぶ」と勘違いしていたのは、これまた私の大好きな昔の東映動画「長靴をはいた猫(1969)」と混同していたのでした。



さて。

「翼があるから翔びたい、だなんて思うのよ」

これは私の大学時代の友人のセリフです。
遙か大昔の話です。

彼女は私が所属していた「漫画研究会」の後輩で、卒業した後、アメリカの方と結婚してしまいました。
この話は本サイトでも何回も書いていますので、「またか」と思われる人も居るかも知れませんが、また、書きます。

子供も生まれ、夫の実家であるアメリカへ移住してしまいました。

彼女は絵を描くのが得意で、漫研に入ったぐらいだから当然ですが、彼女が最初に持って来た絵が「油絵でリアルに描いた大地に埋もれた夕日の『宇宙戦艦ヤマト』」でした。
そんな時代の話です。

彼女の最初に描いた漫画は「星ふる夜に」という11ページの短編でした。
ヤマトの油絵とは違い「少女漫画マンガした」作品です。
東京から神戸に引っ越した女友達が、主人公の男の子に夢の中で逢いに来る、という話でした。
今にして思えば、この作品の表紙が「星空に浮かぶ翼の生えた天使の絵」でした。

彼女が結婚してからは逢う事も無くなり(特にアメリカに移住してからは)、何十年も思い出す事も無かったのです。

それが去年の暮れ(2011年12月)、アメリカでハイウェイの交通事故に遭い、急に亡くなったのです。
それを私に教えてくれたのも、数年会った事のない、当時の漫研OBでした。

絵を描くのが好きな彼女は、アメリカで水彩画の作品集が出版されていたと聞きます。
地元のサークルで絵の講師もしていたらしく、大きくなった息子も二人いたといいます。
そんな彼女が突然、亡くなったのでした。

「翼があるから翔びたい、だなんて思うのよ」

玲ちゃん・・・。
結局、君は・・・。
「翔べた」のかしらん・・・。
・・・。



(追加補記。テリー・ギリアムの映画「バロン(1989)」の中でも、上記で紹介した「メトロポリス」の様な事をやっていました。
主人公「バロン・フリードリッヒ・ミュンヒハウゼン男爵」が気味の悪い死神に襲われた時、旅一座の娘「サリー」が助けるのですが、気がついたバロンが見上げたサリーの背後に鳥の彫刻があり、それが「羽根の生えた少女=天使」に見えるのでした。20150623)




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