SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.156
「12枚の年賀状」
について

(2015年2月14日)

私は年賀状が嫌いなのです。
出す方も面倒なら、出された方も面倒だと思うのです。

出された方にすれば、「あ。この人から年賀状が来てる。じゃ、こちらも出さないと」と年賀状を送る事となり、それは結局、尽きる事の無い「不幸の連鎖」となるのです。

ですから、私は個人的に親しい、もしくは、特別親しかった人にしか出した事がないのです。
もちろん、そんな事を繰り返していると、年賀状は段々、そして確実に「減って」いきます。
と言うワケで、私の年賀状の最盛期は「小学校の頃」なのでした。

さて。

2004年の申(さる)年から、私は物語を感じる、そう、まるで映画のような「年賀イラスト」を描く事にしていました。
イラストと言っても、私が描くのは「漫画絵」ですから「年賀漫画」でしょうか。

筆無精な私は、そして前から「年賀状」の意味に疑問を感じていた私は、「どうせ出すなら自分が楽しんで描ける方が良い」と思ったのです。
私からの「年賀漫画」を貰った人は、「これは年賀状?」と思ったかも知れませんが、私が楽しければそれで良い、事細かく「設定」を判らせなくても、「何か変」「何かワクワクする」「他の年賀状の中で『箸休め』になれば良い」と思ったのです。


と言ったワケで。

今年、2015年(平成27年)の未(ひつじ)年で、私がテーマを決めて描いてきた年賀状、干支がちょうど一巡「12回」を迎えましたので、ここで発表させて頂くのであります。



2004年(平成16年)の年賀状。干支は「申(さる)」。

2004年は猿年です。

今では考えられませんが、私が小学生の時に書いた「将来の夢」は、「気球に乗って世界中を旅する」事でした。
普通の少年と変わらず「冒険や探検」が大好きで、焦がれていたのです。

ジュール・ヴェルヌの「気球に乗って五週間(1863)」や「八十日間世界一周(1972)」、コナン・ドイルの「失われた世界(1912)」等を夢中になって読み耽たモノでした。
人によっては、ここからトール・ヘイエルダールの「コンチキ号漂流記」に流れる人もいるでしょうが、私の嗜好はあくまで「ドキュメンタリーでなくノンフィクション、創作物」にあったのでした。

上の「年賀漫画」は、「キング・コング(1933)」みたいな世界です。
この「秘境探検モノ」は私の好きな要素が詰まっている映画でした。
「都会とジャングル」「文明と自然」「合理と野蛮」「日常と異界」・・・、そして「美女と野獣」。

映画の最後で、「飛行機(文明)にコングは倒された!」と喝采する警官を遮り、「いや、美女に倒されたんだ」と言う主人公のセリフは、SF映画史上 最も秀逸な「名台詞」だと思うのであります。



2005年(平成17年)の年賀状。干支は「酉(とり)」。

2005年は鳥年です。

私が子供だった頃、TVの前で夢中になって見た「海外SF映画」の多くは、小さな生物が突然変異で「巨大化」し、街中で暴れるというモノでした。

代表的なのはメキシコの砂漠に、巨大蟻が出現する「放射能X(1953)」です。
それ以外にも、巨大タコの「水爆と深海の怪物(1955)」、巨大蜘蛛の「タランチュラの襲撃(1955)」、巨大サソリの「黒い蠍(さそり)(1957)」、巨大カマキリの「死のカマキリ(1957)」、しまいには 人間が巨大化する「戦慄!プルトニウム人間(1957)」など、多くの「巨大化SF」あったのでした。

日本では「巨大化SF」はないと思われがちですが、そうではありません。
大昔のSFTVドラマ「ウルトラQ」には、人口計画により縮小された街に主人公が現れる「第17話 1/8計画(1966)」の「変則巨大化SF」、人間が「モルフォ蝶」の鱗粉を浴び巨大化する「第22話 変身(1966)」の「正統巨大化SF」等の名作があるのです。

上の「年賀漫画」は、50・60年代のニューヨークの摩天楼に「巨大ニワトリが出現する」モノです。
この手の映画では、「巨大化した生物」を攻撃する「ヘリコプターや戦車群」も定番だったのです。



2006年(平成18年)の年賀状。干支は「戌(いぬ)」。

2006年は犬年です。

私の好きなSF映画のひとつに「蝿男の恐怖(1958)」があります。

実験中の「物質電送機」の事故により、人間とハエが「融合」されてしまい、怪物となってしまう恐ろしい物語です。
続編の「蝿男の逆襲(1959)」や、近年 クローネンバーグによりリメイクされた「ザ・フライ(1986)」等の傑作を生み出しました。

上の「年賀漫画」は、物質電送機により「人間」と「犬」が合成されてしまった、という絵なのですが、「人間の身体」に「犬の頭」という絵が漫画にすると実に「当たり前」で、何が何だかちょっと判りにくかったかも知れません。

と言って、逆の「人間の頭」と「犬の身体」にしたら、それはそれで、花輪和一の「信奇山(1981)」や、ティム・バートンの「マーズ・アタック!(1996)」みたく気持ち悪い・シュール・不気味なだけだったでしょう。

この電送機の中のキャラを、「Dr.ドック」略して「DD」と呼んだ人がいましたが、それはそれで「なるほど!」と感心しました。
私は「年賀漫画を見た人の感想」を聞くのが、とても楽しみなのでした。



2007年(平成19年)の年賀状。干支は「亥(い)」。

2007年は猪年です。

この年は正統的な「SF映画」を描いてみました。
つまり「宇宙探検モノ」であります。

月面に今、着陸しようとしている「猪型宇宙船」。
それを待つ「宇宙服」の男と女と犬。
宇宙服が「レトロっぽい」のは私の趣味で、犬まで宇宙服を着ているのは、ベルギーの漫画家エルジュの「タンタン(1929〜)」から来ているのでしょう。

「宇宙SF映画」を大きく変えた二大傑作と言えば、キューブリックの「2001年 宇宙への旅(1968)」と、ルーカスの「スター・ウォーズ(1977)」でありましょう。
これ以前と以後では、宇宙服や宇宙船の「リアル」の概念が全く変わったのです。
それまでの「宇宙SF映画」は、どこか「牧歌的」でした。
私は「2001年」も「SW」も大好きですが、それ以前の牧歌的な「宇宙SF映画」も大好きなのでした。

ジョージ・パルの「宇宙征服(1955)」や、コウモリ蜘蛛の「巨大アメーバーの惑星(1960)」、東宝の「宇宙大戦争(1959)」や、「妖星ゴラス(1962)」。
それらに登場する「流線型ロケット」の格好良さや、「丸いヘルメット宇宙服」の未来っぽさに、「ああ!我が良きSF!」といつも感激するのです。



2008年(平成20年)の年賀状。干支は「子(ね)」。

2008年は鼠年です。

「物語を感じる年賀漫画」、この年は少し変わります。

「主人公とヒロイン」「ナチスみたいな改造軍団」「邪教団」「ドックファイト」「永遠の女」、驚くべき「超兵器」、そして「祭壇の秘宝」。
冒険活劇の映画ポスターよろしく、物語の要素を画面に散りばめたのです。

当時、私は「レイダース/失われた聖櫃(1981)」を観る前、あらすじを読み、「懐古狙いの前時代的 秘境冒険モノなのかな?」と思っていたのですが、全く違いました。
「SFX」をふんだんに使い、次から次へと過剰に展開していく、「超ド級・秘境冒険モノ」だったのです。
続く「キングソロモンの秘宝(1985)」「ロマンシング・ストーン(1984)」等、今では立派な一ジャンルになっています。

この「要素を散りばめた」年賀漫画は、この後も何回か描きましたが、見直してみると、この時が一番まとまったように思えます。
「レイアウト」や「配色」が良かったのでしょうか。

ちなみに、この物語の「秘宝」は「巨大な黄金の鼠」なのです。



2009年(平成21年)は喪中。干支は「丑(うし)」。

2009年は牛年です。

前年2008年3月に私の肉親が亡くなり、翌2009年は年賀を出しませんでした。

もしも、描いていたとすれば。

「牛年」なので、ハリー・ハウゼンあたりの「ストップモーション・アニメ映画」みたいな絵を描いていたでしょう。
牛頭の「ミノタウロス」やギリシャ神話の怪物たちが闊歩する様な世界です。



2010年(平成22年)の年賀状。干支は「寅(とら)」。

2010年は虎年です。

「ユニバーサル・モンスター」と呼ばれる怪物たちがいます。
「魔人ドラキュラ(1931)」「フランケンシュタイン(1931)」「ミイラ再生(1932)」「透明人間(1933)」「倫敦の人狼(1935)」「大アマゾンの半魚人(1954)」等々、昔から私の愛する「怪物たち」であります。

私が初めて「ロンドンの大英博物館」に行ったのは1991年11月でしたが、上の「年賀漫画」はそんな博物館が舞台です。

開館時間がとうに過ぎた深夜。
何らかの理由で忍び込んだ男女(+犬)が、突然蘇った「虎のミイラ男」に「朝まで」追っかけ回される、という絵なのでした。

「深夜になると昼間とは考えられないほど怖くなる状況」、その双璧として、私は「学校」と「博物館」があると思っています。

映画「ナイト ミュージアム(2006)」みたいな状況です。
「虎のミイラ男」が「虎」と言うより「ピューマ」っぽくなってしまったのが残念ですが、ここの「男と女と犬」の絵は気に入っています。



2011年(平成23年)の年賀状。干支は「卯(う)」。

2011年は兎年です。

「巨大なロボット」が街中で暴れ回るという「SF映画」は、日本特撮のお家芸でありましょう。

「キングコングの逆襲(1967)」や、「ゴジラ対メカゴジラ(1974)」、テレビでも「ジャイアントロボ(1967〜68)」があります。
特に「ウルトラセブン(1967〜68)」では、数多くの傑作「巨大ロボ」が登場しています。
「第14・15話 ウルトラ警備隊西へ」の「キングジョー」、「第17話 地底GO!GO!GO!」の「ユートム」、「第38話 勇気ある戦い」の「クレイジーゴン」等です。

上の「年賀漫画」は突如、銀座に「兎型の狂った巨大ロボ」が出現するというモノです。
「ゴジラ(1954)」の様に「和光ビル」に襲いかかっています。
路面電車が走っている事から時代は「昭和初期」だと判ります。

この絵の男女が「巨大ロボ」を見上げていないように思うかも知れませんが、この「嘘視線」がSF怪獣ポスターでの「お約束事」なのでした。

出来るなら、この絵は「伊福部昭」の音楽を掛けて観て貰いたいモノであります。



2012年(平成24年)の年賀状。干支は「辰(たつ)」。

2012年は竜年です。

この年からまた「要素を散りばめた年賀漫画」を描いています。

ジョン・カーペンターの「ゴーストハンターズ(1986)」みたいな世界で、男女の「カンフー使い」が様々な敵を倒して進んで行く「冒険活劇モノ」であります。

二人の服には「竜」が描かれています。
そして、この男女は「恋人」と言うより「姉弟」だと思います。
そう絶対に「姉弟」です。
二人の両親は「悪者」に殺され、そのための「復讐劇」なのです。

「カンフー」「復讐劇」、こうして、また、私の妄想は膨らんでいくのでした。

「姉弟のカンフー使い」「ナチスみたいな改造軍団」「謎の強襲チーム」「超兵器」「忠実な犬と裏切りの猫」。
ライトサーベルのような「ビーム」で繋がっている「蜘蛛メカ」が気に入っています。

背景に描かれているのは「福」の文字を逆さにしたモノ。
中国ではこれを「倒福」と呼び幸運を招く「印」であるのでした。



2013年(平成25年)の年賀状。干支は「巳(み)」。

2013年は蛇年です。

山川惣治の「冒険活劇 絵物語」で有名なのが、「少年ケニア(1951〜55)」でありましょう。
テレビドラマ(1961〜62)になり、後年、角川映画で劇場アニメ(1984)にもなりました。

80年代、「角川映画」は意欲的な劇場アニメを作っていました。
「幻魔大戦(1983)」「カムイの剣(1985)」「火の鳥 鳳凰篇(1986)」と傑作・佳作が多かったのです。
その中で作られたのが「少年ケニア(1984)」でした。

監督を大林宣彦、声を原田知世、音楽を宇崎竜童と一見、面白そうな大作アニメーションでしたが、脚本と作画が悪く、結果、日本アニメの「影歴史」的な作品になってしまいました。

上の「年賀漫画」は「少年ケニア」から題を取り、いつもの私の好きな「SF冒険活劇」にアレンジしました。
すなわち。

「大蛇に跨がった少年と少女」「ナチスみたいな改造軍団」「生きていた古代生物」「超兵器」「原住民の美少女と親子」「宝の地図」「ライオンとオウム」。

ナチスの女将校と原住民の美少女が同じ「瞳の色」をしていますが、実はこの二人、生き別れた「姉妹」なのであります。
多分。



2014年(平成26年)の年賀状。干支は「馬(うま)」。

2014年は馬年です。

「敵中突破モノ」というジャンルがあります。
文字通り、敵陣の中を通って味方の陣地まで脱出する物語です。

義経、弁慶一行の「安宅の関」を抜ける歌舞伎の「勧進帳」や、黒澤明の娯楽大作「隠し砦の三悪人(1958)」が有名です。

上の「年賀漫画」は、未来からやって来た「少女」を連れ、敵陣を突破する若い「鎧武者」を描いたモノ。
アイディアは、宮崎駿が昔描いた「イメージボード集」から頂きました。
羽の付いた「オーニソプター(羽ばたき機)」は、少女を連れ戦国時代にやって来たタイムマシンです。

「額にプラス、マイナス」が刻印された忍者は石森章太郎「サイボーグ009」、城に覆い被さる巨大ロボットは「仮面の忍者 赤影(1967〜68)」、双子のキツネは「狼少年ケン(1963〜65)」のオマージュです。キツネの名前はもちろん「チッチとポッポ」。

「緑色の中世老騎士」は不死の人、「刃が付いたトンファ」を握っている女の名前は「那由他姫」。
「那由他」は「なゆた」と読み、「極めて大きな数字」の意味。
この人も実に哀しい運命の「不老不死の人」なのであります。



2015年(平成27年)の年賀状。干支は「未(ひつじ)」。

2015年は羊年です。

この年は「大正ロマン」な「年賀漫画」にしてみました。
江戸川乱歩が書きそうな「探偵小説」で、林海象のデビュー作「夢見るように眠りたい(1986)」みたいな世界です。

サーチライトに照らされる「怪人」。
その男を追う「探偵」と「新聞記者」。
怪盗が狙うのは「黄金の羊」です。

「双子の童子」、チェスをする「學天則」、巨大な「異形飛行船」、そびえ立つ「浅草十二階」、壊れた「ラジオ」、「三輪パトカー」、その全ては「活動大写真」の様に「キャメラ」に納められてゆき・・・。

「黄金の羊」の眼がダイヤモンドになっています。
昔、テレビのヒーロー番組で「光の戦士 ダイヤモンド・アイ(1973〜74)」と言うモノがあり、そのデザインが少し「不気味」だったのですが、この羊も「不気味」になってしまいました。

ちなみに、「探偵」とコンビを組むのは「女の新聞記者」と、「ウルトラQ(1966)」の時代から決まっているのであります。
うん。



以上「物語を感じる年賀状」というテーマで私が描いた「年賀漫画」です。

ところで。
「干支一巡」する前、私はどんな年賀状を描いていたかと言うと。



2003年(平成15年)の年賀状。干支は「未(ひつじ)」。

こんな「年賀状らしい年賀状」なのでありました。
え?
12年前の方が上手いですって!?
ほっといたって。



年賀状を書き、出す目的は各人様々でしょう。

私の場合は親しい人に「今年もよろしく」と新年の挨拶する事はもちろん、それより何より、当時の私が「一体何を考え、一体何をやっていたか」を思い出すヒントにするため、なのでした。

と言うワケで。

来年2016年(平成28年)からの「干支十二支」は、何をテーマに描いて行こうかしらん?と考えている今日この頃なのであります。

つーか。
数少ないとは言え、こんな「漫画絵」でも描いて出すの大変だから、もう止めちゃおうかな・・・。



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