SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.159
「妖星ゴラスの日付問題」
について

(2015年5月2日)


私の大好きな東宝SF映画「妖星ゴラス」は、富士山麓の宇宙港から「隼号」というロケットが飛び立つところから物語が始まります。
そして、そのロケットが出発した日にちが問題なのです。


一説によれば「1976年9月29日、隼号出発」とあります。
また、別の説によれば「1979年9月29日、隼号出発」とあります。
「日付」はどちらも「9月29日」と同じなのですが「年」が違う。出発年が違うのです。
どっちやねん。

私の手持ちの「東宝SF映画の本」をざっと調べてみました。
こうなりました。

【1976年(昭和51年)説】
1)東宝SF特撮映画シリーズ(東宝出版事業室。1985年出版)では1976年。
2)DVD「妖星ゴラス」(期間限定プライス版。2013年発売)の「倉敷保雄」司会によるオーディオ・コメンタリーでも「1976年9月29日20:00出発」と言っている。
3)劇中に登場する「JX-1隼号」船内の太陽系を描いた「航路図」でも1976年。
4)劇中に登場する隼号の遭難を伝える雑誌でも「1976年9月富士山麗宇宙港を発進した隼号」と記載されている。

【1979年(昭和54年)説】
1)東宝特撮映画全史(東宝株式会社出版事業室。1983年出版)は1979年。
2)東宝特撮怪獣映画大鑑(竹内博編。朝日ソノラマ。1989年出版)も1979年。
3)東宝特撮、超兵器画報(大日本絵画。1993年出版)も1979年。
4)日本特撮映画図鑑、東宝編(成美堂出版。1999年出版)も1979年。
5)ファンタスティックコレクション、東宝特撮怪獣映画「未公開」写真集(竹内博編。朝日ソノラマ。2002年出版)も1979年。
6)『東宝特撮映画大全集』(ヴィレッジブックス。2012年出版)も1979年。ウィキペディア参考。

ネットで「妖星ゴラス」の紹介記事を探してみると「1979年説」が多いみたいです。
中には「隼号の出発年には諸説3年ほど違いがある」と書かれているモノもありました。
「1976年説」「1979年説」どちらが正しいのでしょうか?


まず、劇中に登場する「JX-1隼号の航行図」では「出発1976年9月29日20時00分」とはっきり書かれています。
しかし、劇中の隼号遭難を伝える新聞は「1979年12月25日(火)の毎朝新聞」なのです。
そして、私たちを(私を、か)悩ませるのは、その紙面の隼号発射写真に「1976年9月富士山麓宇宙港を発進した」のキャプションがある事なのでした。
どっちやねん。


劇中登場した記述を並べてみますと、

0)隼号の航路図。
・「出発1976年9月29日20時00分」→「10月3日11時08分。火星軌道通過予定」→「10月9日01時33分。木星軌道通過予定」→「10月15日14時15分。土星到着予定」
※この航行図の出発日の記載が全ての元凶です。

1)「1979年12月25日(火)の毎朝新聞」
・隼号遭難。
・魔の星ゴラスに衝突!
・1976年9月、富士山麓宇宙港を発進した隼号。
※日付問題発生。新聞発行日と写真のキャプションが違う。

2)「1979年12月25日の(火)時報新聞」
・新星ゴラス突入。
・宇宙世紀最大の事故。
・全世界にショック。
※隼号がゴラスに遭難したのが前日1979年12月24日だと推測。

3)「1979年12月25日(火)の報道ジャーナル」
・隼号妖星ゴラスに衝突!
・太陽系外1267億キロメートル。
・宙空を慣性飛行する隼号(国際第一宇宙ステーションより撮影)。
※太陽系外1267億キロメートル!?これには後で触れます。

4)「1980年1月23日(水)のデイリージャパン」
・地球最後の日来るか?
・400万年に一度の偶然が起こった。
・隼号報告から算出されたゴラスの軌道。
・イラスト。「1892年の太陽系」。「1982年」の明らかな誤植か。
・イラスト。ゴラス軌道が土星をかすり「1982年2月中旬」地球と交差する。
※事故の翌年早々、1982年2月中旬に衝突と報道している。

5)「1980年1月23日(水)の日本報道ニュース」
・1982年2月地球に衝突するゴラス。
・日本宇宙物理学会。緊急国連科学委員会開催を要請。
・この瞬間にも地球を目指して突進している。
・恐怖の黒色矮星ゴラス。超重量の正体。
※緊急国連科学委員会開催を要請。ここで「南極推進機関」を提言される。


本作「妖星ゴラス」は1962年3月21日に公開された「東宝SF映画」です。
当時の「映画プレスシート」によれば「20年後の未来を描いたSF映画」とあります。
公開「1962年」から20年後つまり「1982年」です。

劇中、ゴラスが地球に最接近するのが「1982年2月中旬」です。「20年後」とはこの年を指しています。

遡って考えて行けば、「1982年」2月にゴラスが地球に最接近、「1981年」11月地球の大移動開始、「1980年」国連会議→南極ジェットパイプ建設がスタート、「1979年」12月に隼号がゴラスに遭難。
つまり、「隼号」が地球を飛び立ったのは「1979年」が正解なのでした。

本エッセイを読んでいる人には「ん?1976年9月29日に出発して1979年12月24日にゴラスに遭難したんじゃないの?」と指摘する方もいるかも知れません。
恒星間航行する宇宙船にとって「3年」ぐらい航行するのは「当然」だと思うかも知れません。しかも、遭難したのが「太陽系外1267億キロメートル」なのです。
でも、「東宝SF映画」には「当然」はないのです。
この理由は、後で書きます。


何故、劇中の重要な小道具「航路図」で「出発1976年9月29日」なるミスを犯したのか。

私はこれは「単純に197『9』年の発注を(多分助監が美術に発注した)、『9』を『6』に見間違えたのでしょう」と推測します。見間違えたのが「発注側」か「受注側」かは判りませんが。
当時の事ですから、「発注書」も「手書き」しかも「殴り書き」の読みにくい判別しにくい文字で書かれていたのでしょう。現場スタッフの書く文字は読みにくいモンなのです。
いや、文書での発注があったかどうかも判りません。
もしかしたら「口頭で発注」したのかも。
そんな事ぁ、ないか。

何にせよ多分、これが「妖星ゴラスの日付問題」の顛末だと思うのでした。



もう一つの「日付問題」を書きます。

前述した隼号の航路図では「出発1976年9月29日20時00分」に続いて、
「10月3日11時08分。火星軌道通過予定」、
「10月9日01時33分。木星軌道通過予定」、
「10月15日14時15分。土星到着予定」
と記載されています。

劇中はっきりとは明言していませんが、隼号は「原子力」で動く宇宙船です。
私はこれを「核融合パルス推進」と妄想しました。
「核融合パルス推進」は理論だけで、現実には実現していない技術です。
でも、実現に向けて研究・開発されているようで、「火星まで9日、木星まで約40日、冥王星まで約154日」で行けるそうなのです。

そうなのです。
例え「原子力ロケット」それが「核融合パルスエンジン」であっても、映画のように「地球を立って4日目で火星」「地球を立って10日目で木星」「地球を立って16日目で土星」には、絶対行けないのです。
どうやら、「東宝SF映画」では、私たちが知っている「理論」とは全く違う「超理論」が働いているようなのでした。

また、隼号は「9月29日」に地球を立って「86日目」、12月24日にゴラスと衝突しています。
劇中の記事によれば「太陽系外はるか1269億キロの彼方で隼号が消滅」とあります。
前述「核融合パルスエンジン」を使って「地球から54億キロの冥王星」まででも「154日」かかります。
つまり、「1269億キロ」のゴラスまで「86日」では絶対に行けないのです。

どうやらこの手の宇宙を舞台にしたSF映画では、ある種「距離の事は考えない」お約束事があるらしいのでした。
つまり「適当」です。


昔のSF映画で「メテオ(1979)」という作品があります。
火星・木星間にある小惑星帯に彗星がぶつかり、その大小の破片が地球に降り注ぐという物語です。
その映画では彗星がぶつかってから、破片が地球に降り注ぐのにたった「6日後」なのです。
どんなスピードで破片は飛んでくるんだ。

も少しちゃんとした映画もありました。
「ディープ・インパクト(1998)」です。
発見者の名前を取って「ウルフ・ビーダーマン」と呼ばれる新しい彗星が地球と衝突するのは、発見から「2年後」なのです。
その間に政府は秘密裏に対策を進めるのです。

「妖星ゴラス」は、その「適当」と「正確」の中間ぐらいでしょうか。
いや「適当」に近いのかな。



「妖星ゴラス」が公開されたのは1962年です。
ですが、映画で描かれるのは「1979年から1982年」の世界です。

つまり、全てのSF映画の傑作・名作がそうであるように「過去に作られた未来の話」なのです。

「遠い昔。遥か彼方の銀河系で」で始まる「スター・ウォーズ(1977。日本公開は78)」は、今にして思えばとても上手いやり方でした。
問題は「キューブリック」の「2001年宇宙の旅(1968)」です。なにせタイトルに「年」が入っているのですから。

幸いな事に私が「2001年宇宙の旅」を観たのは、まだ子供の頃でした。
公開時(1968)ではなく、何回目かのリバイバル公開の時、京橋の「テアトル東京」で観たのです。この「テアトル東京で『2001年宇宙の旅』を観た」事は、もっと自慢しても良いかも知れませんが、ま、本エッセイでは置いておきます。


「スタンリー・キューブリック」が制作の「33年後」、木星まで行く宇宙船が本当に出来ているとは思っていなかったかも知れません。
しかし、当時の科学者やNASAに考証を得て作ったのですから、「当たらずとも遠からず」とは思っていたハズです。
描いている内容に「妥当」「正確」なタイトルだと思っていたハズです。
しかし、「ディスカバリー号」なんて出来なかったのです。

私は現実に「2001年」になった年、軽いショックを受けたのでした。

地球・月間の宇宙ステーションはなく、そこへ行く「パンナム」の定期便もなく、月面基地も無く、木星まで行く巨大な宇宙船なんてモノは、全く存在していなかったのです。
「キューブリック」の嘘つき!

「過去に作られた未来の話」

でも、私は子供の時に「2001年」を観ていた事を「良かった」と思っています。
実際の「2001年」がやって来るまで、ワクワク出来たからなのです。

未だ「2001年宇宙の旅」を観た事がない人たちは、「幸せ」であると同時に「可哀想」でもあります。
その人たちは、「2001年は、こんな未来になるんだなあ」とワクワクする事が出来ないからであります。

もちろん、実現しなかったモノの代わりに、思いも寄らなかったモノが実現していました。

私は子供の頃、自分専用のコンピュータを家に持つなんて考えてもいませんでした。
歩きながら話せる無線電話、掌に入る小さく軽量なモノも、子供の頃には思ってもいませんでした。
持ち歩く「個人用の通信機器」なんてモノは、「科学特捜隊」や「ウルトラ警備隊」にならない限り、「有り得ない」と思っていたのです。


まったくもって「科学を司る神」ってヤツは。
気まぐれで天邪鬼らしいのであります。




目次へ                               次のエッセイへ


トップページへ

メールはこちら ご意見、ご感想はこちらまで