SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.16
「掻き混ぜる人」について

(2002年2月2日)


世の中には二種類の人間がいます。
「掻き混ぜる人」と「掻き混ぜない人」です。

例えば「卵ご飯」。
小鉢の縁に片手で持った生卵を「コツン」と当てて殻を綺麗に真ん中から割り、中の卵白と卵黄を小鉢の中に移した後、そこに醤油を垂らして箸で「カチャカチャカチャ」と数回軽く掻き混ぜる。
それを傍らに用意してあったまだ湯気が上がっているアツアツのご飯の上に「トロリ」とかける。
と、ここまではみなさん、よろしいですね?

問題はこの後です。
世の中にはこの「生卵のかかったご飯」をさらに「掻き混ぜる」人がいるのです。
そりゃ私だって、ご飯の上に生卵をかけた後、数回「サクサク」というカンジで、ご飯の下まで生卵をよく浸透させるために箸を入れたりはしますが、「掻き混ぜる人」はそんな程度じゃなく、もう「グチャグチャグチャ」と何回も何回もご飯と生卵を満遍なく「両者渾然一体」となるまで一心不乱に掻き混ぜるのでした。
その時の様子を端から見ていると、まるで何かに取り憑かれたかのように「卵ご飯」の一点を見つめ、こちらが話しかけても何も聞こえていない様子。
そして、「ドロドロのグチョグチョのゾル状態」となった「卵ご飯」を前にして初めて意識が戻り、ようやくその「お茶碗の中のモノ」を食べ始めるのでした。
あー、恐い。
だいたい、そんな事をしてはせっかくの「暖かいご飯」が冷めてしまうじゃありませんか。ですし、美味しい「ご飯」の甘みも、ツルリンとした「白身」の喉ごしも、奥深い「黄身」の味わいも感じられなくなってしまうではありませんか。
それを問いつめると「だって、こうした方が美味しいんだモン」とニコニコして言うのでした。
あー、恐ろしい。

例えば「納豆ご飯」。
これももちろん、ご飯にかける前には良く掻き混ぜますが、ご飯の上にかけてからは「上手にご飯の上に納豆が乗っかるように箸で持ち上げて食べる」という事に世の中的にはなっていると思うのですが、「掻き混ぜる人」は、ご飯の上に納豆をかけた後からも徹底的に全体を「掻き混ぜる」のでした。
まさに「ご飯の中に平均して納豆豆が存在するように」とことん掻き混ぜるのです。
そんな事したら、せっかくの納豆の豆同士がお互いに引き合うあの「ネバネバの旨味」も、本来口の中で噛まれてこそ初めて実現する「ご飯のホワッとしたやわらかさが続いた後に時折やって来るプリッとした豆の食感」も、みんな台無しになってしまうではありませんか。
それを詰問すると「だって、こうした方が美味しいんだモン」とニコニコして言うのでした。
あー、恐ろしい。

例えば「カレーライス」。
「掻き混ぜる人」は、このカレーライスにだって容赦はありません。
な、なんと、食べる前に「ご飯」と「カレールー」を執拗に「掻き混ぜ」て、全体が均一な状態になってから食べ始めるのです。
そんなの「カレーチャーハン」じゃないかっ!
それを哀願すると「だって、こうした方が・・・(以下略)」。
あー、(以下略)。

そして「鰻重」にすら、その魔の手は伸びるのでした。
「掻き混ぜる人」は、この「鰻重」も、食べる前に「グチョグチョ」と掻き回し、ご飯の中に鰻の「断片」が全体に交じり合わさる様になってから食べ始めるのでした。
・・・。
あ、でも、これは私もやってみたのですが、結構・・・旨かったですよ・・・。
・・・。


えー、何はともあれ、「掻き混ぜる人」は私にとって非常に驚異の存在です。
一体何が彼らをそこまで「掻き混ぜる」事に駆り立てるのでしょうか。
幼児期の成長過程で何かがあったという事なのでしょうか?
それとも思春期において何かトラウマがあったという事なのでしょうか?
私は関東の人なのですが、この「掻き混ぜる人」は私の経験から言うと、何故か「九州」の人に多いような気がしています。
九州の知人たちが、かなりの確率で「掻き混ぜる人」なのです。
いやあ、まったくもって、不可解なのでありました。


ところで、みなさん。

「トマト」には「砂糖」を付けて、食べていますよね?



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