私がモンティ・パイソンで好きなのは。 この人が正常で、この人が異常だ、と思っていたコントが(モンティ・パイソンではこれを〈スケッチ〉と呼びます)、話が進んでいくにつれ次第に性格が怪しくなり、最初、異常だと思っていた人は「明らかに異常」で、最初、正常だと思っていた人が「著しく異常」だと判る展開にあります。 この「結局、どっちも異常」「どっちもキチガイ」な身も蓋もないコントは、モンティ・パイソン以前には無かった「笑い」だと思います。 それは従来の「笑い」が、一人の「おかしな人」と、それに対する「正常な人」で成り立っていたからであります。 モンティ・パイソンの「おかしな人」VS「正常な人」から、「どっちも(やがて)おかしな人」の構図は、最初の頃には無かったのです。 モンディ・パイソンは「BBC、英国放送協会」のテレビ番組です。 正式タイトルは「空飛ぶモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)」で、それを作っていた人たち(そして出演者)を「モンティ・パイソン」と呼んでいます。 テレビ・シリーズは「1969年」から「1974年」まで続く長寿番組となりました。 その好評から、「劇場映画」も作られたのです。 モンティ・パイソンの映画は全部で「5つ」あります。 1つ目は「モンティ・パイソン・アンド・ナウ(1971)」。 最初の劇場映画で、テレビ・シリーズで有名なコントを再撮影して製作されました。 2つ目は「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(1975)」。 モンティ・パイソンの映画オリジナル脚本で、イギリスで有名な「アーサー王と聖杯物語」を彼ら用に脚色したモノでした。 3つ目は「ライフ・オブ・ブライアン(1979)」。 前作「イギリスで最も有名な物語」をスケール・アップ。 今度は「世界で最も有名な物語」、つまり、イエス・キリストを取り上げたのでした。 4つ目は「モンティ・パイソン・ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル(1982)」。 アメリカのハリウッドにある有名な野外音楽堂「ハリウッド・ボウル」でのライブを、劇場映画にしたモノでした。 5つ目は「人生狂騒曲(1983)」。 原題は「Monty Python's The Meaning Of Life」。 「人生の意味」をモンティ・パイソン風に考察したオムニバス映画でした。 テレビ・シリーズでもモンティ・パイソンのコントから、ヒットした数々の挿入歌が生まれています。 「ランバー・ジャックの歌(The Lumberjack Song)」や「スパム・ソング(Spam Song)」、「マネー・ソング(Money Song)」等々です。 そして、映画からも幾つかの名曲が誕生しているのです。 「ライフ・オブ・ブライアン」からは、「いつでも明るい面を見ていよう(Always Look on the Bright Side of Life)」。 「人生狂騒曲」からは、「ギャラクシー・ソング(Galaxy Song)」と、本エッセイでご紹介する「全ての精子は神聖なり(Every Sperm is Sacred)」であります。 モンティ・パイソンのコントの基本に、「もの凄く下らない事を、もの凄く真面目にやる」というモノがあります。 「あまりにも下らない」事を「あまりにも真面目にやっている」ので、「これはひょっとしたら、実は高度で哲学的な意味が隠されているのではないだろうか?」と勘違いしてしまいます。 しかし、よく考えると「やっぱり下らない」。 それが面白いのです。 「全ての精子は神聖なり」も、そおいったコントなのでした。 イギリスの下町の最下層。 日々貧困にあえぐ「子だくさん」の夫婦。 「マイケル・ペイリン」演じる気の弱そうな小男の父親と、「テリー・ジョーンズ」演じる優しそうな太った母親。 その「子だくさん」ぶりは尋常ではなく、彼らの家は屋根裏や居間、食堂や床下、衣装箪笥や食器棚、ありとあらゆる場所が子供たちで溢れかえっている。 その数は優に百人はいるだろうか。 父親は家中に溢れた子供たちに苦慮し、ついに我が子を「人体実験用」に売り払う事に決める。 哀しそうな目をして父親を取り囲む子供たち。 「だって、オレ、ローマ・カトリックだから」と、言い訳を始める父親。 その中の一人、まだ永久歯も生えていない歯の抜けた幼い少女が立ち上がり、賛美歌のように清んだ声で歌い始める。 「♪全ての精子は神聖なり 全ての精子は偉大なり もしも精子を損なえば 神の怒りに触れるのさ♪」 かくして、父親と母親、大勢の子供たち、町中の人々も巻き込んだ壮大なミュージカル、「全ての精子は神聖なり」が繰り広げられるのだった・・・。 「カトリック教」では神の摂理に反するとして、「避妊」を認めていません。 もちろん、「人身売買」も認めていないのですが、「こうなったのも、オレがカトリックだから」と居直るのがモンティ・パイソンのコントなのです。 それを揶揄ったコントが、「全ての精子は神聖なり」なのでした。 「♪全ての精子は有益で 全ての精子は素晴らしい 神は皆のを求めてる 僕のも、俺のも、私のも♪」 本コントを観た方なら驚くと思いますが、かなり「きわどい」歌詞を子供たちや大人たちが、声高らかに大合唱しているのです。 大人たちは良いとして、汚れを知らない幼い少女までもが、「きわどい」歌詞を嬉々として歌っているのです。 これには種明かしがあり、実際の撮影時には「問題のない歌詞」で歌わせておき、後から「問題のある歌詞」に差し替えていったのだそうです。 もちろん、「口の動き」に合わせた似たような単語を選んで。 例えば、「スパム(Spam)→精子(Sperm)」といった具合です。 その歌詞の過激さはとは裏腹に、まるでディケンズの心温まる名作「オリバー・ツイスト」のミュージカル大作のように、大人も子供も一糸乱れる素晴らしい踊りと歌声を見せてくれるのでした。 このコントの撮影で本作「人生狂騒曲」の予算の大部分を使い切ってしまった、と言います。 それほど壮大で、しかしバカらしい、モンティ・パイソンでしか出来ない「傑作ミュージカル・シーン」が誕生したのでした。 「バカバカしい事を、真面目にやる」のはモンティ・パイソンの「基本コンセプト」です。 それを映画では、「バカバカしい事を金を掛けてやる」ようになったのでした。 嗚呼、素晴らしい。 この「全ての精子は神聖なり」は、「精子」という単語や、それを子供に歌わせる(ように見える)過激さから、顰蹙を買う人も多いと思います。 でも、私は、 「♪全ての精子は求められ 全ての精子は善良で 全ての精子は望まれた 汝の隣人に♪」 全ての人は生まれて来て良かったのだ、生まれて来て正解だったのだという、素晴らしい「人間賛歌」にも聞こえるのであります。 あまりの下らなさと卑猥さとは反対に、です。 え?そのワリには「人身売買」してる話ですって? ・・・。 あー。 |
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