SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.167
「守護獣たちの休息」
について

(2015年12月12日)


守護獣たちの休息。
「守護獣」は「しゅご・じゅう」と読みます。


主(あるじ)を守る動物の事で、身近な所では神社にある「狛犬」が「守護獣」であります。
「狛犬」がその神社の「神様」を守っている動物だからです。
このルーツは中国はおろか「タクラマカン砂漠」を抜け「パミール高原」も越え、遙か中東・古代オリエントにまで求められるのだそうです。
そう、王の墓「ピラミッド」を守る半獣半人の巨像「スフィンクス」、あれも「守護獣」なのでした。



ヨーロッパの教会や城の高い尖塔の壁面に、「カーゴイル」という翼の生えた怪物がいます。
あの彫像は、雨樋から流れ込んだの雨水の出口になっています。
あれも魔除け、教会、城等の建物を守る「守護獣」なのでした。

日本に話を戻しますと。
銀座三越デパートの玄関にある二頭の「ブロンズ獅子像」。
あれはロンドンのトラファルガー広場にある、ネルソン像を守る「ライオン像」を真似たモノですが、これも「守護獣」です。

沖縄の門や屋根の上に居る「シーサー」も、村や家を守る「守護獣」です。

また、神社には「狛犬」がいますが、稲荷神社には「キツネ」が守護獣となっています。
稲荷神社が「稲」を守る農業神を奉っていて、稲穂の形に似た「キツネ」が選ばれたのでした。
もっとも、正確に言えば稲荷神社の「キツネ」は「守護獣」というより、神様に近い「神様の眷属」らしいのです。
神様の代わりに私たちの身近に居る存在、「神使(しんし)」と呼ぶのだそうです。


主(あるじ)の傍らにいつも付き添い、いざという時には自己犠牲を厭わず、自分をも盾として身を挺して主(あるじ)を守る、それが「守護獣」です。
ここまで書くと、とあるアニメ・漫画のキャラクターが思い浮かぶのです。
「風の谷のナウシカ」のキツネリスの「テト」であります。



腐海調査に赴いていた「ユパ・ミラルダ」が、大王ヤンマに攫われていた「キツネリス」を助けたのが始まりでした。
その後、そのキツネリスは、風の谷の族長の娘「ナウシカ」に貰われて行く事になります。
この二人の出会いは、アニメでも原作漫画でも描かれている名場面です。

突然、自分の指に噛みついた気性の激しいキツネリスを、ナウシカは慌てず騒がす、穏やかに優しく諭すのです。
「ホラ こわくない」。
「ねっ・・・」。
「おびえていたんだね でも もう だいじょうぶ」。
噛んだ口をナウシカの指からゆっくり離していくキツネリス。
こうして、二人の間の「絆」が生まれたのでした。

ナウシカの旅をいつも側で見守っていた「テト」。
アニメでは描かれていませんが、漫画原作では、その「テト」の死が描かれています。

いにしえの科学文明 その最後の落とし子である巨神兵「オーマ」。
彼と共にナウシカとテトの旅は続いていくのですが、「オーマ」の身体から知らず知らずの間に放出されていた「毒の光」が、二人を確実に蝕んでいたのでした。
そして、小さい「テト」は亡くなってしまうのです。

聖都シュワ近郊の廃墟の町、大きな木の根元にナウシカによって埋葬される「テト」。
「立派な木 千年以上生きている・・・」。
「ここならテトもきっと さみしくない やがて木の一部となって・・・」。
「風や訪れる鳥達を感じるわ・・・」。

作術的に言えば、ナウシカを守り共に旅を続ける者が、「テト」から「オーマ」へと代わったのです。
キツネリスの「テト」も巨神兵の「オーマ」も、実は同じ存在なのだと思います。
その証拠に、大きさは極端に違えど、この二人は「よく澄んだ緑色の目」を持っているのであります。

ま、「テト」と「オーマ」の話をすると、もっともっと書きたい事が出てくるのですが、このへんで止めておきます。
本エッセイは「守護獣」について、なのです。



「ナウシカ」と「テト」ほど強固な関係ではありませんが、「宮崎アニメ」には他にも、「主人公」とその相棒の「小動物」を見る事が出来ます。

「となりのトトロ(1988)」の、「サツキ」「メイ」と「ネコバス」(ススワタリや大トトロ、中トトロ、小トトロも入るかな)。

「魔女の宅急便(1989)」の、「キキ」と相棒の黒猫「ジジ」(この場合は〈守護獣〉と言うより、魔女だから〈使い魔〉かも知れませんが)。

「もののけ姫(1997)」の、「アシタカ」と愛馬(カモシカ)「ヤックル」。

「千と千尋の神隠し(2001)」の、「千尋」と「太ったネズミ」と「ハエドリ」。

「ハウルの動く城(2004)」の、「ソフィー」と犬の「ヒン」(カルシファーとカブも入れて良いかも)。

「崖の上のポニョ(2008」)」の、主人公「宗介」と金魚姫「ポニョ」。

これらの「主人公」と相棒の「小動物」の図式は、別に宮崎駿の専売特許ではなく、彼の前身「東映動画」にそのルーツを見る事が出来るのでした。


「東映動画」、今では「東映アニメーション」ですが、日本のアニメーションの「祖」であり、日本のアニメーションの全ての始まりの場所。
今ではアニメの定番となっている多くの「約束事」が、ここ「東映動画」で生まれているのでした。
この「主人公」と相棒の「小動物」も、そうなのでした。

宮崎駿も関わった「太陽の王子 ホルスの大冒険(1968)」でも、主人公「ホルス」には子熊の「コロ」が、もう一人の主人公「ヒルダ」には子リスの「チロ」と、白フクロウの「トト」がいつでも寄り添っていました。

しかし、宮崎駿が入社する以前の「東映動画」でも、「主人公」と相棒の「小動物」パターンは数多く作られているのでした。



「白蛇伝(1958)」は「東映動画」の日本最初の劇場長編アニメーションです。
日本のアニメ文化史に残る金字塔です。
キャッチコピーは「蛇精の姫、幻術使い、珍獣の数々の乱舞跳梁」。
主人公「許仙(しゅうせん)」は、いつもジャイアントパンダの「パンダ」とレッサーパンダの「ミミィ」を連れていました。
ヒロイン「白娘(ばいにゃん)」には「小青(しゃおちん)」という「青魚の精」が相棒でした。

「少年猿飛佐助(1959)」では、「佐助」には子熊の「コロ」と子鹿の「エリ」、猿の「チロ」が仲間でした。

「安寿と厨子王丸(1961)」では、「安寿」と「厨子王」にはネズミの「ちょん子」と子熊の「モク」、愛犬の「らん丸」が友達でした。

「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険(1962)」では、主人公「シンドバット」には少年「アリ」と「子猫」が冒険の仲間でした。

「わんぱく王子の大蛇退治(1963)」では、「スサノオ」にはウサギの「アカハナ」が友達です。

「ガリバーの宇宙旅行(1965)」では、「テッド少年」は野良犬「マック」と友達になりました。

「少年ジャックと魔法使い(1967)」では、「ジャック」には「子熊」「子狐」「いぬ」「ねずみ」が大切な仲間でした。

「空飛ぶゆうれい船(1969)」では、「隼人」は飼い犬「ブラックジャック」をいつも連れていました。

「海底3万マイル(1970)」では、「イサム」の相棒は「チータ」なのでした。

「西遊記(1960)」や「わんわん忠臣蔵(1963)」、「どうぶつ宝島(1971)」など最初から動物が主人公の作品は別にして、「東映動画」の劇場アニメーションは、「主人公」と相棒の「小動物」が基本だったのです。


「東映動画」の創生期から第一線のアニメーターである「大塚康生」によると、それには二つの理由があったといいます。

ちょっと長くなりますが以下、「大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽」(実業之日本社)から引用させて頂きます。

「小動物が絶えずつきまとわないとアニメーションではない、と思われていた時期があるんです。ディズニーの影響ですね。
ディズニーは、創業のときから動物重視。
ミッキーの『蒸気船ウィリー』に始まって、小動物ばかりですよ。
子供がお母さんと一緒に観に来て『あら、かわいいわね』と受けるキャラクターを出そうということで、ミッキーとか、ドナルドとか、グーフィーとか、人気キャラクターをいっぱいこしらえてきた。
そういう傾向は、前にも話した、人間の動きを描くことの困難さから動物に逃げたことも無縁ではありません。
ディズニーの小動物趣味が世界に与えた影響はやたらに大きくて、日本でも、ロシアでも、フランスでも、小動物が出てくるのがアニメーションの一つのルーティンみたいになったわけです」。

「もともとアニメに小動物を出すのには二つの理由がある。
一つは、年少のお客さんをつなぎとめること。
もう一つは、描きやすいこと」。

「小動物を必ず出せというのが至上命令だった。
大川博社長(当時の東映の社長)も幹部たちも、みんなそう考えていた。
あの『太陽の王子』でさえ、子熊とフクロウとリスを出したでしょう。それくらい厳然たる制約があって、企画段階から小動物を組み込まなきゃシナリオさえ通らなかったんですから」。

そんな日本のアニメーションが「小動物マスト」の呪縛を逃れ、人間中心・物語重視へ舵を切った事が、昨今の「日本アニメの発展」に繋がっていると大塚康生は指摘しています。


その昔、「アニメ」が「漫画映画」と呼ばれていた頃。

日本初の劇場長編アニメーション「白蛇伝(1958)」には、「日本最初の総天然色 長編漫画映画」という肩書きが付いていました。

当時の「東映動画」が目指していたのは、幼児を主な観客層とした「明るく楽しい漫画映画」であり、漫画映画の「可愛い」「楽しい」「滑稽」「愉快」な要素を「小動物たち」に求めたのでした。

「子供たちへ向けた善意で描く」とは「東映動画」の卒業生たち、宮崎駿はもちろん、高畑勲や、大塚康生がよく言うセリフです。
これが彼らの作品作りのモットーなのです。

今日の日本アニメの隆盛は確かに「アニメーションの小動物離れ」から始まったのかも知れませんが、「子供が楽しむアニメーション作品を作る」という「東映動画のDNA」は、確実に宮崎駿に生きているのだと思います。



イギリスの作家「フィリップ・プルマン」の児童文学「ライラの冒険」は、架空の世界が舞台のファンタジー小説でした。

登場人物には全員、自分の分身ともいえる動物「ダイモン」が纏わり付いていました。
「ダイモン」はその人を守る「守護精霊」なのです。
「ダニエル・クレイグ」「ニコール・キッドマン」という豪華なキャストで映画化もされましたが(ライラの冒険 黄金の羅針盤〈2007〉)、大河小説の一部だけの映画化、という大変残念な仕上がりになっていました。

中国から日本に伝わった陰陽五行には、「四神」という四匹の神獣が登場します。
彼らは東西南北、それぞれの方角を守る「守護獣」なのです。
東を守る青龍(せいりゅう)、南を守る朱雀(すざく)、西を守るの白虎(びゃっこ)、北を守る玄武(げんぶ)であります。
これを上手く脚本に活かしたのが、私の好きな怪獣映画「ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒(1999)」でした。

昔の角川映画の劇場アニメーション「幻魔大戦(1983)」では、「幻魔」の先兵「ザンビ」が、神社の狛犬に化けていました。

狛犬は神社の「守護獣」。
稲荷神社の「守護獣」、「神使(しんし)」は「キツネ」です。

神様を守り、いつも傍らにいる「動物」は、この狛犬、キツネに限られた事ではありません。
福岡の「太宰府天満宮」には「牛」、大阪の「住吉大社」には「ウサギ」、奈良の「春日大社」には「鹿」、滋賀の「日吉大社」には「猿」、彼らは神様の傍らで、いつも私たちを見守っているのでした。



最後に「ナウシカ」と「テト」の絵的な元ネタになったかも知れない、大昔の作品を二つ上げておきます。
TVのアニメと実写ヒーローです。

1つは「宇宙少年ソラン(1965〜67)」。
宇宙でサイボーグ化された少年が地球に帰ってきて、様々な悪者と戦う物語です。
その相棒が宇宙リスの「チャッピー」でした。

もう1つは、TV特撮SFドラマの「光速エスバー(1967〜68)」です。
宇宙人が地球の少年「東ヒカル」に託した物は、特殊な能力を持つ「強化服」と小鳥型ナビゲーション・ロボットの「チカ」でした。

そして、このヒーローの相棒の小動物「チャッピー」も「チカ」も、主人公の肩に、いつも「ちょこん」と乗っているのでした。


宮崎駿のアニメーションに見る「小動物」は、劇中のヒーロー・ヒロインの「守護獣」なのでしょう。
と同時に、観客、つまり子供たちの「守護獣」なのかも知れません。




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