私は昔、いや大昔、会社の後輩Mと「10日間」の長期休暇を取り、イギリス・ロンドンへ旅行した事がありました。 それは仕事ではなく、全くの「趣味の旅行」でした。 私は昔から、子供の頃から、イギリス・ロンドンが好きでした。 ロンドンのいろいろな事に興味があったのです。 イギリス・ロンドンは私の好きな「シャーロック・ホームズ」が生まれた場所であり、私の好きな「シュール」や「ナンセンス」の、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」やBBCの「モンティ・パイソン」の国でした。 私の好きなSFの、ウエルズの「タイムマシン」や特撮人形劇の「サンダーバード」の国であり、ファンタジー・児童文学の、トールキンの「指輪物語」やスウィフトの「ガリバー旅行記」、バリーの「ピーターパン」が生まれた土地でした。 さらに、私の関心をそそる猟奇事件・物語の「スウィーニー・トッド」や「切り裂きジャック」の国でもあるのでした。 私は子供の頃から、機会があればイギリス・ロンドンに行ってみたいと思っていたのです。 それはアメリカ・ニューヨークに行きたいよりも、フランス・パリに行きたいよりも、エジプトやタヒチに行きたいよりも、私はロンドンに行ってみたかったのでした。 かくして、大学を卒業し社会人になった数年後に、その念願が叶ったのです。 イギリス・ヒースロー空港に降り立つ前、飛行機から見たロンドンの街並みは、まさに「石で造られた灰色の都市」でありました。 まだ「ビック・ベン」やら「ロンドン・アイ」が無かった時代の話です。 あ。さすがにビック・ベンはあったかー。 蛇足ですが、なんで英国は「ロンドン・アイ」みたいな無粋な建造物を作ったのでしょうか。 「我が良きロンドン」の景観が台無しじゃないですか。 本題に戻って・・・、行ったのは11月の初めです。 「マダム・タッソー」の蝋人形館を見て、シャーロック・ホームズの「ベーカー街」を散策し、「ギネス博物館」「ロック・サーカス」「ビック・ベン」を見て回りました。 「大英博物館」を丸一日中見て、「ロンドン・ダンジョン」を見て、「プリンス・エドワード・シアター」で当時話題になっていたミュージカル「スナーク狩り」を観劇しました。 この舞台、原作はルイス・キャロル。 「デヴィッド・マッカラム」が(0011ナポレオン・ソロのイリア・クリアキン)ルイス・キャロルを演じていたのです。 その後、私たちはロンドンからリヴァプールへ移動しました。 ご存じの通り、リヴァプールはあの「ザ・ビートルズ」が生まれた、イギリス北西部の港町です。 ここでは「ビートルズ博物館(The Beatles Story)」を見ました。 その年のイギリスはとてつもない寒さで、一応薄手のコートは持って行ったのですが、さすがにそれでは辛抱出来ず、現地で新しい「厚手のコート」を買ったのでした。 そして、そこからさらに「北アイルランド」へと渡ったのです。 アイルランドはイギリスの西に位置する「九州の二倍ぐらい」の大きな島で、立派な独立国家です。 一部「北アイルランド」のみがイギリス領となっています。 当時は「俺たちもイギリスから独立するんじゃい!」とした過激派たちが、頻繁に街中でテロを起こしていたのです。 「IRA(Irish Republican Army)」、アイルランド共和軍です。 私たちが北アイルランドに渡る前日にも、「今日、北アイルランドで爆弾テロが起こりました」とTVで伝えており、小心者の私は「ねえ、大丈夫かねえ?ヤバいんじゃないかねえ?」とかなりビビっていたのです。 「SYUちゃんが嫌なら考えるけど・・・俺ひとりだったら絶対行くよ。だって、こんな機会はもう二度とないからね」。 これは今でも覚えているMのセリフです。 そうして私たちは、イギリスから「北アイルランド」へ飛んだのでした。 |
イギリスが「シャーロック・ホームズ」「不思議の国のアリス」「モンティ・パイソン」「サンダーバード」「指輪物語」、そして「切り裂きジャック」の国であるように、アイルランドは「妖精」の国なのでした。 私は昔から「妖精」にも弱い(好き)のです。 妖精の靴屋「レプラコーン」、死を告げる者「バンシー」、アイルランドの人魚「メロー」、いたずらっ子「プーカ」等々。 アイルランドの道端には「妖精注意!」の看板もあるほどなのです。 最初の日、北アイルランドの首都「ベルファスト」の郊外にある立派なホテルに泊まりました。 そして二日目、「アルスター民族交通博物館」に行ったのです。 |
ここはアイルランドの人びとの「昔の暮らし」を紹介している博物館なのです。 その展示は大きく「乗り物」と「住居」に別れています。 素晴らしいのは「住居エリア」です。 広大な敷地の中に昔のアイルランドの住居たちが、実物展示されているのでした。 日本の「明治村」を数十倍、巨大にしたような場所なのです。 中世ヨーロッパ農村の麦わら屋根や、無造作に積み上げられた煉瓦壁の住居を見る事ができるのです。 場所によっては、中の台所やリビングまで再現されているのでした。 こ、これは。 ここは。 すんげー面白れー! 私たち二人は(もしかしたら私だけだったのかな?)、段々と暮れていく時間・閉園時間を気にしつつ、広大な敷地を大急ぎで歩いていたのでした。 今回は書きませんが、ここ「アルスター民族交通博物館」のもう一つの見所「交通博物館」にかなりの時間を取られていたのです。 そんな時です。 私たちの後を付けてくる一匹の若いネコに気がついたのです。 そして、そのネコは私たちを先導するように前を歩いて行くのでした。 今回、本エッセイを書くまでは、「あれは黒猫だったよなあ」と思い込んでいたのですが、本エッセイを書くにあたり、当時撮った写真を久しぶりに引っ張り出してみると、黒猫ではなく「三毛猫」だった事が判りました。 世界的には「Calico cat」、キャリコって言うのでしょうか。 斑(まだら)模様があるネコでした。 |
「白」「黒」「茶」の三色斑(まだら)模様が珍しい事もあり、「幸運をもたらすネコ」と信じられているみたいなのです。 遺伝子の関係なのか「オスは珍しく、多くはメス」らしいのです。 日本ではよく見かける「三毛猫」ですが、世界的には希少価値があるネコなのでした。 |
私たちがはるか北アイルランドの田舎町で、「三毛猫」に出会ったのは単なる偶然だったのでしょうか? 日本にルーツを持つと言われる「三毛猫」だからこそ、道に迷った私たち日本人の後をつけ、そして先導するように前を歩いてくれたのではないでしょうか? 「おいおい、ちゃんと出口判っているのかよ?」と心配して、道案内してくれたのではないでしょうか? 東アジアの「ブータン」では道案内する聖なる動物は「カラス」なのですが、ここ北アイルランドではネコ、この「三毛猫」だったのかも知れません。 こうして私たち二人は、広大な敷地の「アルスター民族交通博物館」から無事、出る事が出来たのでした。 閉園時間の間近でした。 「アルスター民族交通博物館」から一般道に出るには「陸橋」を渡ります。 「どこまで私たちに着いてくるのかな?鞄に詰めて日本まで持ち帰っちゃおうかな?」と思っていた瞬間、そのネコは現れた時と同様「ふい」といなくなってしまったのです。 その後、私たちは北アイルランドからロンドンに戻りました。 再訪問したロンドンでは「ロンドン塔」を一日見て回りました。 血塗られた忌まわしいロンドン塔の歴史や、たくさんの鎧兜は何時間見ても飽きないモノでした。 次の日、「アビー・ロード・スタジオ」前の横断歩道を見て、もちろん歩いた写真も撮りました、「トラファルガー広場」を見て、ソーホーの「ピカデリー・サーカス」周辺で土産物屋を覗き、たくさんの私の趣味「おもちゃ」を買いました。 そうして出発から10日後、私たちは日本に帰ってきたのです。 久しぶりに日本に戻ってきた感想は・・・、「カビ臭い国だなあ」というモノでした。飛行機を降りて成田空港に入った途端、そう感じたのでした。 あれから数十年が経ってしまいました。 生きてりゃ人生いろいろあるモノです。 あの時、一緒にイギリスに行ったMは、4年前の夏、突然亡くなってしまいました。 生きてりゃ人生、本当にいろんな事があるモノなんです。 でも私はあの時、北アイルランドで出会ったあの「三毛猫」は、 今でもあの場所を歩き回っているような気がしているのです。 |
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