SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.172
「葦(あし)と葦(よし)」について

(2018年1月1日)


「日本において人々は葦を『悪し』に通じ、忌(い)んで『善し』と呼ぶようになる。
ではなぜ、『人間は考えるヨシである』と呼ばないのだろうか」。

これは私の大好きな漫画家「大島弓子」の初期の短編「パスカルの群れ(1978)」の冒頭の一節です。


「葦」は河川や湖の水際に生息する背の高い茎を伸ばす植物です。
古来、日本ではこれを竹や樹木の安価素材として、様々な「工作物」に使用されていました。
すなわち、「葦簀(よしず)(すだれの事)」や「葦船(あしぶね)」「葦笛」等々です。
そして、この「葦(あし)」を場合によっては「よし」と呼ぶのです。

東京の「吉原」は元々葦が生い茂る湿地帯「葦原」であったという説があります。
行った事、ありませんけども。


「忌み言葉」という概念があります。
不吉を連想させる縁起の悪い言葉です。
そういう場合、日本では「縁起の良い方」に言い換えて使うのでした。

上の「葦(あし)」「葦(よし)」がそうですが、良く使われるのは「結婚式」の場面でしょう。
「ウエディングケーキを切る」ではなく「ウエディングケーキにナイフを入れる」もしくは「ケーキ入刀」と言い換えるのです。

結婚式では祝いのスピーチにも注意を払わなければなりません。
「スタートを切る」ではなく「スタートラインに立つ」。
「料理が冷めないうちに」ではなく「料理が温かいうちに」。
「最後の言葉」ではなく「結びの言葉」。
結婚式での忌み言葉は他にも、「別れる」「離れる」「終わる」「破れる」「割れる」「去る」等々、いろいろあるのでした。

それにしても「入刀」なんて、結婚式以外では聞かない単語ですよねえ。
「斬鉄剣、入刀!」とか聞いた事ありませんモノねえ。


結婚式以外でも、「忌み言葉」その言い換えはたくさん行われています。
植物の「シネラリア」は「死ね」を忌んで「サイネリア」と呼ばれ、猿は「去る」を忌んで「エテ(公)」と呼ばれ、塩は「死を」を忌んで「波の花」と呼ばれ、梨は「無し」を忌んで「有りの実」と呼んだりするのです。
年賀状も「去年」ではなく「昨年」「旧年」と書くのです。

そして「摺る」を忌んで「スルメ」は「あたりめ」になるのでした。

これは忌み言葉とは違うかも知れませんが、「泥鰌」を「どぢやう」「どじやう」と暖簾に出すと「四文字(死文字)」になってしまうから、縁起を担いで無理矢理「どぜう」としているのも有名な話です。



閑話休題。

パスカル(ブレーズ・パスカル、1623〜1662)は17世紀のフランスの哲学者、数学者です。
彼の「人間は考える葦である」は有名な金言で、「人間は考える事によって他の生物と異なる」という意味です。
反対にいえば、「考える・思考する事を止めてしまえば人としての存在意義がない」という事。

彼が発見した「パスカルの定理」でも有名です。
円に内接する六角形の対辺の延長線の交点は一直線上にあり、二次曲線上に異なる六つの点 P1 〜 P6をとると、直線 P1、P2 と P4、P5の交点 Q1、P2、P3 と P5、P6の交点 Q2、P3、P4とP6、P1の交点 Q3は同一直線上にある、というモノ。
ま、何言ってるんだか全然分かりませんけど。

大島弓子の「パスカルの群れ」は、高校生の一人息子が同性愛者だと知った父親と、その息子の数日間の葛藤劇でした。
物語は複雑に、そしてシンプルなハッピーエンドを迎えるのでした。

「物語は複雑に、やがてシンプルなハッピーエンド」は70年代の少女漫画の基本であったように思います。
ああ。我が良き少女漫画の時代・・・。


と言うワケで。

今回のエッセイはこれにて終わり、あ、いや、お開きなのであります。




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