「日本において人々は葦を『悪し』に通じ、忌(い)んで『善し』と呼ぶようになる。 ではなぜ、『人間は考えるヨシである』と呼ばないのだろうか」。 これは私の大好きな漫画家「大島弓子」の初期の短編「パスカルの群れ(1978)」の冒頭の一節です。 「葦」は河川や湖の水際に生息する背の高い茎を伸ばす植物です。 古来、日本ではこれを竹や樹木の安価素材として、様々な「工作物」に使用されていました。 すなわち、「葦簀(よしず)(すだれの事)」や「葦船(あしぶね)」「葦笛」等々です。 そして、この「葦(あし)」を場合によっては「よし」と呼ぶのです。 東京の「吉原」は元々葦が生い茂る湿地帯「葦原」であったという説があります。 行った事、ありませんけども。 「忌み言葉」という概念があります。 不吉を連想させる縁起の悪い言葉です。 そういう場合、日本では「縁起の良い方」に言い換えて使うのでした。 上の「葦(あし)」「葦(よし)」がそうですが、良く使われるのは「結婚式」の場面でしょう。 「ウエディングケーキを切る」ではなく「ウエディングケーキにナイフを入れる」もしくは「ケーキ入刀」と言い換えるのです。 結婚式では祝いのスピーチにも注意を払わなければなりません。 「スタートを切る」ではなく「スタートラインに立つ」。 「料理が冷めないうちに」ではなく「料理が温かいうちに」。 「最後の言葉」ではなく「結びの言葉」。 結婚式での忌み言葉は他にも、「別れる」「離れる」「終わる」「破れる」「割れる」「去る」等々、いろいろあるのでした。 それにしても「入刀」なんて、結婚式以外では聞かない単語ですよねえ。 「斬鉄剣、入刀!」とか聞いた事ありませんモノねえ。 結婚式以外でも、「忌み言葉」その言い換えはたくさん行われています。 植物の「シネラリア」は「死ね」を忌んで「サイネリア」と呼ばれ、猿は「去る」を忌んで「エテ(公)」と呼ばれ、塩は「死を」を忌んで「波の花」と呼ばれ、梨は「無し」を忌んで「有りの実」と呼んだりするのです。 年賀状も「去年」ではなく「昨年」「旧年」と書くのです。 そして「摺る」を忌んで「スルメ」は「あたりめ」になるのでした。 これは忌み言葉とは違うかも知れませんが、「泥鰌」を「どぢやう」「どじやう」と暖簾に出すと「四文字(死文字)」になってしまうから、縁起を担いで無理矢理「どぜう」としているのも有名な話です。 閑話休題。 パスカル(ブレーズ・パスカル、1623〜1662)は17世紀のフランスの哲学者、数学者です。 彼の「人間は考える葦である」は有名な金言で、「人間は考える事によって他の生物と異なる」という意味です。 反対にいえば、「考える・思考する事を止めてしまえば人としての存在意義がない」という事。 彼が発見した「パスカルの定理」でも有名です。 円に内接する六角形の対辺の延長線の交点は一直線上にあり、二次曲線上に異なる六つの点 P1 〜 P6をとると、直線 P1、P2 と P4、P5の交点 Q1、P2、P3 と P5、P6の交点 Q2、P3、P4とP6、P1の交点 Q3は同一直線上にある、というモノ。 ま、何言ってるんだか全然分かりませんけど。 大島弓子の「パスカルの群れ」は、高校生の一人息子が同性愛者だと知った父親と、その息子の数日間の葛藤劇でした。 物語は複雑に、そしてシンプルなハッピーエンドを迎えるのでした。 「物語は複雑に、やがてシンプルなハッピーエンド」は70年代の少女漫画の基本であったように思います。 ああ。我が良き少女漫画の時代・・・。 と言うワケで。 今回のエッセイはこれにて終わり、あ、いや、お開きなのであります。 |
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