SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.176
「今日の名台詞 その(20)」
について

(2019年1月1日)


私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。
中には「名台詞」じゃないけども、当時私が本、テレビ、ネット等で気になった「雑学」も入っています。

と言うワケで、今回も昔の日記からそれらを抜き出してご紹介するのであります。
(2010年の日記からの抜粋です。
今回ちょっと長くなりましたので『3つ』に別けます。
本エッセイはその前編です)

コメントはその当時のモノ。
※印付きのコメントは、今の私の補足説明です。

またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。



「あ。見て見て、流れ星!はあ〜、星降る夜の大文字かあ。うん、素敵!」
「星が降ってくるんじゃない。逆に星屑の中に地球が」
「ロマンでしょ。何でも数式みたいにキチッとしていない方が面白い」
「数式はロマンだけど、ロマンで数式は解けない」

普通の女子大生「早良(サワラ)京子」とコテコテの理系女子「楠木(クスノキ)ふみ(愛称・凡ちゃん)」の会話。
映画「鴨川ホルモー(2009)」より。
凡ちゃんの愛称は「大木凡人」に髪型が似ているから。
※現代の京都を舞台にした大学対抗「陰陽師合戦」はとても興味深く、面白いモノでした。
数十年前から「現代京都の大学が舞台」という小説が出てきて、最初はミステリー、「綾辻行人」の「十角館の殺人(1987)」あたりから始まったと思うのですが
(この前、新本格ミステリー30周年なんてやっていてビックリ。もうそんなに経ったんだなあ)、
近年は「鴨川ホルモー(2006)」の「万城目学」やら「夜は短し歩けよ乙女(2006)」の「森見登美彦」など、ミステリー以外にも増えているのでした。


宮藤官九郎「このシーン撮った時に、あの、えーとドラムの、ドラムの彼か何かに、凄く犬塚さんが『ドラムは最後はこうやって、ジャーンって決めがあって、こうやってこうやって』って指導していたら、彼が『え?音楽やっていたんですか?』って・・・」
みんな(笑いながら)「あー」「やってたも何もって」「クレージー・キャッツとか知らないんだあ」
キム兄「先人はいろいろ経験していたと思いながら接するべきですよね。自分の尺度で計っているワケでしょ結局、おじさんなのにって事でしょ。
いや、おじさんになるためには歴史があるちゅーねん、って事ですから」

監督の宮藤官九郎、木村裕一、田口トモロヲ、三宅弘城のオーディオ・コメンタリー。
映画「少年メリケンサック(2009)」より。
※本作に出ている「犬塚弘」のアドバイスに若い俳優がビックリした、というエピソード。
マジで今日日、「クレージー・キャッツ」なんて、知らない人が増えているんだろうなあ。


「ワルチング・マチルダ」
タイトルから連想されるような「ワルツを踊るマチルダという女性」という内容ではなく、放浪者が羊泥棒を働いて、追いつめられて自殺するというストーリーの歌である。
そもそもこの曲はワルツ特有の三拍子ではない。
ワルチングはワルツとは関係なく「当てもなくさまよい歩く」という意味である。
マチルダというのは放浪者が持ち歩くズダ袋で、食料や必需品を詰め、夜には枕にもなるといった唯一の財産であった。

ウィキペディアより。
※私はこの「ワルチング・マチルダ」という曲が大好きなのでした。
それはこの曲がメインテーマ曲である大昔のSF映画「渚にて(1959)」が大好きなせいだと思います。


「めでたい人」と「おめでたい人」は違うって、
NHKの小野文恵アナウンサーも言ってました(笑)。

友人Mのブログより。
※これを聞くと私は「俺は笑うのは好きだけど笑われるのは嫌いだ」という「吉田拓郎」のセリフを思い出すのでした。


毒蛇は急がない。
映画「トキワ荘の青春(1996)」の中、机をひっくり返して部屋中を墨汁だらけにした、赤塚不二夫の部屋の襖に貼られていた標語。
※昭和30年代、漫画家を目指す若き青年たちの青春群像劇は、今まで様々な媒体でドラマになってきました。
私は本映画(監督・市川準)は、そのベストであろうと思っているのです。


右脳・左脳、ゲーム脳・・・脳科学の「神話」にご注意を。
2010年1月23日(土)17時38分配信 読売新聞
世は空前の脳科学ブーム。タイトルに脳のつく書籍は、この5年間で3000冊以上も出版された。
しかし、脳に関する気になる話は、研究結果を拡大解釈した俗説も少なくない。
経済協力開発機構「OECD」は、こうした俗説を「神経神話」と呼ぶ。
典型的な例として「論理的な左脳と創造的な右脳」というような単純な区分けと、3歳児までに豊かで多様な刺激を与えた方が頭が良くなるという「3歳児神話」の二つをあげる。

※やっぱりなあ。胡散臭いと思っていたんだ。
真面目な血液型A型の私が言うんだから間違いありません。


中産階級の家に生まれ、不良でも優等生でもなく、普通に生きて来た。ディランの様に旅に出る必然も無かった。
それが僕のコンプレックス。ロックに対するコンプレックス。だから、僕の作る歌には嘘がある。
不幸な事に「不幸な事」が、無かったんだ・・・。

中島のセリフ。漫画「アイデン&ディティ(1992〜2004)」より。
※作者は「みうらじゅん」。
「不幸な事に不幸な事がなかったんだ」は、ある世代共通のコンプレックスかも知れません。


文明は人が尤も必要とする時に、崩壊するとも言える。
しかるべき状況では、人は誰でも恐ろしい犯罪が出来る。

ロシア外交官「ヨリッシュ・カカノビッチ」のセリフ。
映画「インベーション 特別版(2010)」より。
※これは「ジャック・フィニィ」のSF小説「盗まれた町(1955)」の4度目の映画化であります。
「ボディ・スナッチャー/恐怖の町(1956)」「SF/ボディ・スナッチャー(1978)」「ボディ・スナッチャー(1993)」「インベーション(2007)」で、私は全部観ているのであります。
それで思うのですが、人間なんか「50個ぐらいの物語」で一生楽しめるんじゃないかと思ってしまいます。
後はリメイク、リメイク、で。


「何故、数学の本は悲しいのか?」
「何故?」
「たくさんの問題を抱えているから」

「ターミネイター・サラ・コナー」(海外SFテレビ・ドラマ)より。
児童心理学者に、女社長(実は未来から来たT-1000の変装)が、開発中のAIが不可解な図柄を出していると相談する。
その図柄は「?マーク」「数式」「本」「泣いている人々の写真」等々・・・。
それを見て児童心理学者は一発で意味が判り、笑う。
が、アンドロイドの女社長は理解できない。
※何故、未来からやって来たアンドロイドが現代のAIに能力で劣るのか。
よく判らなかったんだけども、判りました。
未来からやって来た殺人アンドロイド「T-1000」は、現在のAIが獲得した「ウィット」やら「とんち」などの能力は必要なく、彼女「T-1000」はそおいう進化を遂げてこなかったから、なのでしょう。


「手羽先」ハ、15メートル ハナレルト、「クロワッサン」デス。
ラーメンズ「不思議の国ニポン」より。
※第15回公演「ALICE」の「不思議の国ニポン」です。
ラーメンズは「小林賢太郎」と「片桐仁」からなるお笑いコンビです。
最近は二人が同じ舞台に立つことがなく、とても寂しく思っているのでした。


「大人になったなあ、と思う事はありますか?」
「ああ」
「それはどんな事ですか?」
「切符を・・・、無くさなくなったね」

ラーメンズ「インタビュー」より。
※第8回公演「椿」の「インタビュー」です。
ちょい前まで「切符を切る駅員」を知らない若い人が増えたねえ、とか言っていましたが、最近はその「切符」自体 知らない人が多いのでした。


いいか「説得力」ってのは、な。
意見にあるんじゃねえ、言い方にあるんだ。

ラーメンズ「3rd floor」より。
※このロジックは大昔「ラジカルガジベリビンバシステム」でも使っていました。
ラーメンズって「筒井康隆」だ「井上やすし」だ、って思ってたけど、ラジカル「宮沢章夫」も入っているんだなあ。


「サイコロを振らない者に上がりはない」
「それ フロイトか?」
「いや。親父だよ」

ラーメンズ「条例」より。
※第16回公演「TEXT」の「条令」です。
私は吉田拓郎の「落陽」って歌が大好きなのでした。


「だから透明人間は居ないって事を、証明してみろよ」
「何故だろう。昇ってもいない山を下山させられている気がする」

ラーメンズ「透明人間」より。
※第6回公演「FLAT」の「透明人間」です。
理不尽な要求。


東京都が都議会に提出した「東京都青少年の健全な育成に関する条例(青少年育成条例)」の改正案をめぐり、ネットでは内容を危惧する声が高まっている。
アニメや漫画などに登場する18歳未満のキャラクターも「非実在青少年」と定義し、内容によって不健全図書指定も可能になっているなど、従来より踏み込んだ内容となっている。

この条例いろいろと問題がありそうなのだが、それよりも「非実在青少年」って造語、ちょっと良いなあ。
※「非実在幼児」←怖い。「非実在老人」←怖い。「非実在中年」←うーん・・・これはどうでも良いかな?


ご隠居とわたしが仲がいいのは、なぜだと思いますか。
悪人同士だからです。
ご隠居が悪人だということは、悪人にはわかるんです。
そして老人の大半は、本質的に悪人です。

筒井版バトルロワイアル。
筒井康隆「銀嶺の果て(2006)」より。
※筒井康隆の描く老人同士のバトルロワイアル。
これを聞いて読みたくならない人は・・・多分もう一生 筒井康隆は読まない方が良いでしょう。


しかし、わが帝都は尽きせぬ慈愛を照らす菩薩にすがるばかりではない。
帝都がいただく守護霊は、もはや祟り神たるを脱して救世の鬼となられたる平将門すなわち明神である。
わが明神は、神田をはじめとして処々にその威光をあらわされ、万敵より東京を護りたもう。
さてまた、明神に勝るとも劣らぬ威光を有される御(オン)霊は、菅原道真公すなわち天神である。
湯島天神こそは晴らさぬ恨みを慈愛にまで高らしめられた、道真公の御(オン)住まい。

荒俣宏「帝都物語 神霊篇(1987)」より。
※学問の神、菅原道真を奉る福岡県太宰府天満宮では、「飛梅伝説」で知られる大きな梅の木が境内にあり、毎年多くの受験生たちで賑わっている。
銘菓「梅ヶ枝(ウメガエ)餅」を一口食べ「来年もまた一緒に来ようね」と尋ねる僕に、君は何も答えない、と「さだまさし」の「♪飛梅(1977)」は歌うのであります。


きみだって覗きカラクリに熱中したことがあるだろう?
「覗く」という行為は、見たいと念じていたものを実際に肉眼で見てしまうための「秘儀」みたいなものだから。

荒俣宏「帝都物語 神霊篇(1987)」より。
※「覗き」で思い出すのが江戸川乱歩の短編「押し絵と旅する男(1929)」です。「浅草十二階」から双眼鏡で片思いの女性を覗いていた男の話。
も一つ、「覗き」で思い出すのがヒッチ・コックの映画「裏窓(1954)」です。車椅子の男の唯一の楽しみは、カメラの望遠レンズで隣のアパートを覗く事だったのです。
そして、二人とも大変な事に巻き込まれてしまうのでした。


「むかし、幸田露伴先生に聞いたことがあるの。
古くから日本人は『わざわい』に対して、三通りのふるまいを示してきたって」
「三つの?」
「そうよ。まず最初が『斎(イワ)い』ね」
「まあ、あのお祝いのことなの?」
「現代語でなら、祝いといってもいいでしょう。
古くはね、わざわいを近づけないようにすることを意味したの。良いことが続くには、わざわいを近づけないのが一番よね。
お祝いに贈りものをする風習も、きっとそこから出たのでしょう。わざわいを寄せつけない魔力のある護符。
これを差しあげるのも、お祝いだものね」
「それで二番目は?」雪子は興味をもって母親に問いかけた。
「ええ、二つめは『忌み』よね。これは祝うことの逆。
わざわいに近づかないようにすることよ」
「ははあ、お通夜に使われる忌中だわ」
「そして最後が『祓(ハラ)い』ね。
祓うとは、わざわいを消滅させること。わざわいそのものを消してしまうのだから、根本的な解決になるわ」

母親 辰宮由佳理と娘 雪子の会話。
荒俣宏「帝都物語 戦争ウォーズ篇(1988)」より。
※辰宮雪子が活躍する話ってあるのかな?本家にはないにしても、コミケあたりの同人誌関係になら、いっぱいありそうだなあ。


新造の都市、原野のただ中に生まれた都市には、古くて腐敗した他の都市に比べ、唯一、「文化」を欠くという欠陥があった。
そこで昭和十年以降になると、満州の固有文化を育てようと意気込む人々があらわれた。むろん、その先陣は歓楽街である。
新しい都市に第一番に侵入する「文化」は、いつの時代にも歓楽街だった。

荒俣宏「帝都物語 戦争ウォーズ篇(1988)」より。
※荒俣宏の「帝都物語(1985〜1995)」は私の大好きな大河小説です。
この長い物語、特に好きなのが「神霊篇(1985)」から「龍動篇(1986)」までの映画化(1988)された時代の話であります。
明治、東京の歓楽街が「浅草」から、大正12年の関東大震災で浅草十二階が崩落し、その後の銀座線開通により、
昭和、東京の歓楽街が「銀座」に移っていった、あの懐かしくも素晴らしい時代なのであります。


ひとつの謎があざやかに氷解する際には、いつも偶然の加護が介在するものだ。
理性をまどわす謎は、理性と何の関係もない「偶然」の力に、おもいがけないほどあっさりと屈してしまうものなのである。

荒俣宏「帝都物語 戦争ウォーズ篇(1988)」より。
※人事を尽くして天命を待つ、って事ですかね?


誰だって、六歳の頃のことはすらすら思いだせても、九歳の頃のこととなると思い出すのは容易ではない。
理由はかんたんだ。
六歳のほうがよほど「死」に近い状況にあって、そのぶんだけ賢さを残しているから。
老人が死んだあとと、赤ん坊が生まれる前というのは、たがいに「死」へつながり合う地つづきの世界だ。
それに、人は「死」に近いほどたくさんのことを記憶していられる。
幼児期へ遡れば遡るほど記憶が鮮やかだから、九歳の頃のことでさえ思いだしにくいのに、
まして十二歳のある日の出来ごとを思いだせというのは、読んでもない物語のあらすじを話せ、と脅すのも同じだ。

荒俣宏「帝都物語 戦争ウォーズ篇(1988)」より。
※私は三歳ごとに、幼い時は特に、人生のキーポイントとなる事と巡り会ってきた様な気がします。
3歳、6歳、9歳、12歳、15歳、18際、21歳、24歳、27歳、30歳・・・。
日本の学校教育が6・3.3.4となっている事にも影響しているのでしょうが、それぞれ、小学校に入る前だったり、中学校に入る前だったり、
高校に入る前だったり、大学に入る前だったり、なのであります。


労民(ロウミン)は寓話と奇跡を信じる。
戸川純「労働慰安唱歌 」より。
※私は昔から戸川純が好きなのですが、その歌声の素晴らしさは無論、彼女の作詞にもいつも感心するのです。
「労働者はいつも物語と奇跡を信じている」、これを政治色なしに彼女は語れるのです。


複製は複製であることを自覚した段階で、複製としての資格を失う。
京極夏彦「邪魅の雫(2006)」より。
なんだか格好良いような、訳の分からない押井守あたりが言いそうなセリフである。
これに続く文章は、「複製であると云う自覚は、オリジナルには発生し得ないものなのである。複製であることを自覚した段階で、複製は複製としてのオリジナル性を獲得してしまうことになる。それは、真の意味での複製ではない」。
これも押井守チックだなあ。
※例えば「複製は複製であることを自覚した段階で、複製としての資格を失う」というセリフは、押井守監督の「攻殻機動隊(1995)」でも、いやその前の「機動警察パトレイバー the Movie(1989)」でも、そのセリフが脚本にあったとしても、全然違和感がないのであります。


山岸凉子は様式美の人である。
歌舞伎と言うより能の世界。

出典不明。
※「歌舞伎と言うより能の世界」。何となーく判ります。
「歌舞伎の世界」の人は竹宮恵子、かな?


幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。
アンナ・カレーニアの有名な始まりの台詞。
山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※「アンナ・カレーニア(1873〜77)」はレフ・トルストイの大長編小説です。
後二つ有名なのが「戦争と平和(1864〜69)」と「イワンのばか(1885)」。
へえ、「イワンのばか」は一年で書き上げたのか。
やれば出来るじゃん。


「イソップ寓話集」
紀元前6世紀に、ギリシアの奴隷身分にあった物語作家アイソーポス「イソップ」が作り上げたといわれる寓話集。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※そうか。「イソップ」って人の名前なんですねえ。


古代インドのバラモン教の聖典を総称して「ヴェーダ(veda)知識の意」という。
神々を祀り利益を祈願する儀式のための、詩歌、祭礼の規則や式次第、教義問答などを含む。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※スター・ウォーズの「ダース・ベイダー」ってここから来ている?
全然関係ない?


マニ教は、ゾロアスター教、仏教、キリスト教を融合させた宗教。3世紀ごろペルシア人のマニが教えを説き、自ら教団を組織した。
山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※「風の谷のナウシカ(原作漫画)」に出てくる「マニ族の僧侶」ってこれと関係があるのでしょか?
全然関係ない?


「機巧図彙(からくりずい)」
江戸時代の技巧書。
「からくり半蔵」との異名を取った細川半蔵頼直の、寛政8年(1796)の著作。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※「からくり半蔵」たぁ、格好良いです。「からくり半蔵」が主人公の漫画を描いてみたくなるほどです。
も、そんなのあるのかな?


「十五少年漂流記」1888年刊。
原題は「二年間の休暇」だが、1896年に森田思軒が英語から重訳して「十五少年」と名付けてから、日本ではこの題名が一般的となっている。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※原題の「二年間の休暇」だと、日本でここまで後世に残る物語にはならなかったかも知れません。
「二年間の休暇」と「十五少年漂流記」では、「どちらの方にロマンを感じるか」と言えばやっぱ後者でしょう。


「神曲」
14世紀のイタリアの大詩人ダンテの代表作である大長編叙事詩。神曲とは日本だけのオリジナル題名である。
まだこの叙事詩が未訳のころ、森鴎外がこう名付けたために広まったもので、本来の題名を直訳すれば「神聖喜劇」となる。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※「神の曲」たぁ、こんなタイトル、一番最初に付けた人のもう「勝ち」なのであります。


「ツァラトゥストラはかく語りき」
ドイツの哲学者ニーチェによて書かれた寓話による哲学書。「超人」と「永劫回帰」の思想を語っている。
超人とは自立した人間への進歩を促すという意味。
永劫回帰とは、時間は無限であり、物質は有限である、の事。
つまり、宇宙の状態が現在と全く同じ状態が、未来にも何度でも繰り返されるあろうという考え方。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※「怪しい彼女(2014)」という韓国映画があります。
無為な人生を送ってきた老婆が、ひょんな事から二十歳の頃の姿に戻って、青春を謳歌し直すという映画でした。
後に中国、ベトナム、日本でもリメイクされました(日本版の主演は多部未華子)。
私はこれを観て「あれ?これって大島弓子の『秋日子かく語りき(1987)』じゃん」と思ったのであります。
あんまり調べてないけど、これ当時、問題にならなかったのかしらん?


「ネクロノミコン」
久遠に臥したるもの、死することなく、怪異なる永劫のうちには、死すら終焉を迎える(クトゥルフ神話TRPG、サンディ・ピーターセン、リン・ウィリスほか著)、
この有名な短文は、「ネクロノミコン」の文章に由来し「クトゥルー」を指している。

山北篤 監修「幻想図書事典(2008)」より。
※8世紀頃、中東で書かれた禁断の魔導書。
ホラー作家「H・P・ラブクラフト(1890〜1937)」による架空の書籍ですが、「あまりにも恐ろしい本なので、全ての記録が残されていないだけなのではないか?」と熱狂的なファンたちは妄想するのであります。


稲垣足穂が「詩は歴史に対して垂直に立つ」って言うてる。
俺はこれは恋愛についても言えてると思うんや。
一瞬しかね、成立しない。その瞬間は非日常で、まさに天空の一番上へ昇っていく。

出典不明。
※私は、足穂の「詩は歴史性に対して垂直に立つ」を聞くと、いつも「すべての縦縞は交差したがる」を思い出すのです。
これは京浜兄弟社のオムニバス・アルバム「誓い空しく」の中、「ツィプレッセン」の曲のタイトルであります。


「茶碗の中」
小泉八雲の未完の怪談。

京極夏彦「百器徒然袋―風(1999)」より。
※昔、小松左京が考えた「もの凄く怖い怪談。あまりに怖すぎて、どんな話か、知っている人はいない」という「件(クダン)の母」を思い出します。


「犬走り」
垣と溝の間や土手の斜面に設けられた、細長い通路や平地部分。
犬が通れるくらいの幅しかない道、という意味合いから呼ばれる。

京極夏彦「百器徒然袋―風(1999)」より。
※私は大昔、郵便物RPGの自分のキャラに「犬走猫太郎」という名前を付けていたのでした。
入っていた部活は「夜間写真部」。


「仙台四郎」
仙臺四郎(せんだい しろう、1860年頃〜1902年頃)は、江戸時代末から明治時代に仙台(仙臺)に実在した人物。
本名は芳賀四郎。
知能障害で話すことができなかったが、四郎が訪れる店は繁盛するとして存命中から各地でもてなされた。
没後、商売繁盛の福の神としてその写真が飾られるようになった。

京極夏彦「百器徒然袋―風(1999)」より。
※健滝叔三(1869〜1931)は、明治初頭、山梨の養鶏業者の三男坊として生まれました。
卸先の唐揚問屋の美味調理啓蒙に奔走し、叔三が訪れる店は繁盛するとして存命中から各地でもてなされ、没後、
商売繁盛の福の神として、各地の軒先には彼の立像が飾られるようになったのです。
↑嘘です。


「ロイマチス」ドイツ語。リューマチ。
京極夏彦「百器徒然袋―風(1999)」より。
※大昔の藤子不二雄の漫画「怪物くん(1965〜69、1967〜69)」の三人のお供、フランケンがいつも「フンガー!フンガー!」って」言ってるじゃないですか。
あれはドイツ語で「hunger!hunger!(腹減った!)」って言ってるんですってね。
あれ?これ前にもどこかで書きましたっけか?


「俚諺は常に真理だなあ」
箴言(しんげん)とは、いましめとなる短い句。格言のこと。
俚諺(りげん)とは、俗間に伝わってきた諺(コトワザ)のこと。
そして、聖言とは、箴言や俚諺を超えて、万世を揺るがした言葉。

京極夏彦「百器徒然袋―風(1999)」より。
※金言(きんげん)とは、人生の手本とすべき優れた言葉、
名言(めいげん)とは、心に響く言葉で、
隠元(いんげん)は美味しいのであります。


峠の釜飯が900円。
安いですよねーと言っていたけども・・・高いじゃん!

TBSラジオ、キラキラより。
※私が子供の頃、毎冬「草津温泉」に家族で行っていたのですが、その途中「高崎駅」でこの「峠の釜めし」をいつも買って貰っていたのでした。
だから、当時の家にはその駅弁の容器「益子焼き」の「土釜」がゴロゴロ溜まる溜まる。


オリジナルである博物学は、大航海時代に探検家達が行き着いた「未開の地」で「採集」した「珍奇」なモノゴトを持ち帰り並べて見せるところから始まった学問です。
つまり、博物学なる学問は植民地主義の副産物でもあったのです。

京極夏彦「妖怪の理 妖怪の檻(2007)」より。
※18世紀のフランスの博物学者「ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン(1707〜88)」による「怪物の定義」とは、
1)過剰。2)欠如。3)部分の転倒、もしくは誤った配置、なのだそうです。


乱歩は合理的決着があるものを探偵小説、合理的決着がつかないものを怪奇小説に振り分けた。
京極夏彦「妖怪の理 妖怪の檻(2007)」より。
※ある時期まで「探偵小説」と「怪奇小説」の棲み分けはなかったのです。
どちらも「不思議な怪しい物語」というだけで。
それを江戸川乱歩は「棲み分け」するべきだとしたのでした。
で、です。
そう言われてしまうと後年「やっぱ区分すべきじゃないんじゃないかなあ?」と思う人も生まれ(何か決められてしまうとそれに反撥する人はいつでもどこでもいるのです)、
「ミステリー。でも、ちょっと不思議」な「新本格派」が生まれたのでした。


そもそも「新しいモノゴト」に関する限り、「コトのモノ化」は民族社会においてすでに始まっているということもできます。
「歩行中に壁が現れ動けなくなるという体験」を「ヌリカベ」と名付けた瞬間に、「コト」は「モノ化」を開始しているからです。
この「名付け」という行為こそが、キャラクター化の第一歩であることは疑いようがありません。

京極夏彦「妖怪の理 妖怪の檻(2007)」より。
※「妖しい雰囲気・気配」に名前が付けられ「鳥山石燕」たちが絵にした事によって初めて、「妖怪」となったのでした。


「角書き」
浄瑠璃の名題(なだい)、歌舞伎の外題(げだい)、書物の題名などの上に、その主題や内容を示す文字を2行または数行に割って書いたもの。

京極夏彦「妖怪の理 妖怪の檻(2007)」より。
※広告業界的に言えば「リード・コピー」もしくは「ショルダー・コピー」ですかね?


例えば「怪獣」には欠かせない身長体重などの生物学的データは「妖怪」にはほとんど付されなくなっています。
(後に水木しげるがパロディ的に作製するまで、解剖図のある妖怪はガンマー、ペロリゴン程度のものでした)
代わりに添えられたのは出身地や故事来歴などの文化的「正統性」であり、「歴史」を保証するための(作中では語られない)物語だったのです。
「怪獣」を作品の外側から支えたのが「理系」のデータであったのなら、「妖怪」を作品の外側から支えたのは、そうした「文系」のデータだったわけです。

京極夏彦「妖怪の理 妖怪の檻(2007)」より。
※「怪獣」が「理系」、「妖怪」が「文系」によって支えられてきたという指摘は、とても興味深いのでした。


このヌリカベくんは、要するに「起きているコト」の漫画的表現なんですね。
水木さんは、柳田の記述から壁のような形のキャラクターを創り出されたのです。

京極夏彦「妖怪の理 妖怪の檻(2007)」より。
※今やってるTVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎(1968〜69、1971〜72、1985〜88、1996〜98、2007〜09、2018〜)」は「6回目のリメイク」なんですね。
で、鬼太郎以下、目玉のおやじ、猫娘、ねずみ男、砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿、そしてヌリカベが、「悪い妖怪を懲らしめる正義の味方チーム」になっているんですねー。


おめぇは神ではない!それと正反対のものだぁ!
村はずれのおばば菊姫の台詞。
「トリック映画版(2002)」より。
※悪魔、魔物というには大人しすぎる、もっと禍々しいモノを想像します。名前を呼ぶのも恐ろしい、もっと原初的で不吉なモノであります。
こおいうのを「いがらしみきお」に描かせたら上手いのです。


「絶対、終わらないですよ!えっへっへっへっへ」
「何だって始まりゃ、終わる」

三日月と熊本の台詞。
「時効警察5(9話。最終話)」より。
総武警察署 時効管理課の慰安旅行、それを妬む別部署の三日月が新しい時効捜査が始まった事を知り、意地悪く喜ぶ。
応えたのは時効管理課課長。
「何だって、始まれば、終わる」とは数々の小説で言われた名台詞。
※三日月を演ってたのが女優「麻生久美子」。
彼女の「えっへっへっへっへ」はとてもキュートなのでした。
もう彼女が演る「三日月しずか巡査部長」なんて、もう見られないんだろうなあ。


私には・・・自分に才能がない事を知る才能しか無かったんです!
冴島の台詞。
「時効警察5(9話。最終話)」より。
※これ結構すごい才能の様な気がします。
私も含めて多くの人は「自分に才能がない事を知る才能」を持っていないと思うのです。


地獄よ。話がツマラナイのって。
男と女はね、愛し合ってる時間よりも、話している時間の方が圧倒的に長いからね。

熱賀しおりの台詞。
「帰ってきた時効警察 最終話」より。
※ですよねえ・・・。



まず前編はここまで。

昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。
その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。

このまま中編へ続きます。



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