私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。 中には「名台詞」じゃないけども、当時私が本、テレビ、ネット等で気になった「雑学」も入っています。 と言うワケで、今回も昔の日記からそれらを抜き出してご紹介するのであります。 (2010年の日記からの抜粋です。 今回ちょっと長くなりましたので『3つ』に別けます。 本エッセイはその後編です) コメントはその当時のモノ。 ※印付きのコメントは、今の私の補足説明です。 またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。 だからこそ、おれたちは一千機で爆撃にでかけたりするわけだ。 このくらいいりゃ、ドイツの戦闘機だって、手いっぱいで、クリスマスの朝に山ほどプレゼントをもらってはしゃぎまわる子どもみたいに、あちこち走りまわらなきゃならない。 数は安全なりってやつだ。 他の飛行機がやられているときに、自分の機は安全ってこと。ロバート・ウェストール「ブラッカムの爆撃機(1982)」より。 ※数は正義。 第二次世界大戦でこれを実証したのは「アメリカ」でした。 ドイツの「タイガー戦車、1300台」に対してアメリカの「シャーマン戦車、50000台」(第二次世界大戦中の生産数)には極端な違いがあります。 もちろん、タイガー1台でシャーマン数台は簡単に仕留められるとしても、です。 することがあれば、考えごとをする暇なんてなくなっちまう。考える暇なんていりゃしない。戦争で死ぬのは、考えるせいだ。 親父はみんなをいつもいそがしくさせておいた。 ロバート・ウェストール「ブラッカムの爆撃機(1982)」より。 ※戦争で考えると死ぬ。死なないためには考えない事。 やっぱ嫌だなあ、戦争ってのは。 ドイツもイギリスもくそくらえだ。 ガソリンと爆弾を積んで、地上五千メートルを飛んでる連中と、そうでない連中があるだけだ。 本当の違いってのは、それだけなんだ。 空を飛ぶ連中と、空を飛べと命令する連中、それしかないんだ。 ロバート・ウェストール「ブラッカムの爆撃機(1982)」より。 ※「戦争とは老人が命令して若者が死ぬものだ」という有名な名言を思い出します。 ロビン「一生逃げまわっていたくせに」 フォイル「おれが?とんでもない。おれはずっと追いまわしてばかりいたのさ」 ロビン「あなたは逃げまわっていたのよ。攻撃性逃避ということを聞いたことはないの?現実から逃避するために、それを攻撃し、それを否認し、それを破壊する・・・、 ご存じないの?あなたのやってきたことはそれなのよ」 アルフレッド・ベスター「虎よ、虎よ!(1956)」より。 ※「攻撃性逃避」かあ。 「戦略的撤退」という言葉もありますね。 他にも「壊滅的打撃」「抜本的対策」「希望的観測」「根本的解決」「教育的指導」「奇跡的回復」とか。 「信仰への信仰だ」彼はかんがえた。 「何か信ずるものをもつことは必要ではない。どこかに何か信ずるに値するものがあることを信ずることが必要なのだ」 長き復讐の旅の末、フォイルは悟る。 アルフレッド・ベスター「虎よ、虎よ!(1956)」より。 ※「どこかに何か信じるに値するものがある事を信じる」、素晴らしいです。 人々の話題は今朝勃発した第3次世界大戦ですが、 当番組ではちょっと視点を変えて長時間、安楽椅子に座れば足が休まるのかを検証します。 モンティ・パイソン、ディスク7、第4シリーズ4話。 ネイション・ワイドのスケッチより。 司会者はエリック・アイドル。 ※「臨時ニュースの途中ですが」ってやったのもパイソンだっけかしらん? ん?「劇団健康」でしたっけか? 日本や東南アジアは温暖で降雨量が多いため、植物が育ちやすい。そのため、穀類や芋類、野菜などで満腹にすることが可能だったのである。 それに比べて、ドイツやイギリスなどの欧米の国々は寒くて降雨量が少ない。そのため、冷涼で湿度の低い条件でも栽培可能な麦類を作ってきた。 ところが、麦は畑作のため同じ作業を続けて作ると、地力が低下して連作障害が起きてくる。 欧米の人たちが、肉や食肉加工品、乳製品、野菜などに少しのパンという食生活をしてきたのも、パンを腹いっぱい食べることができなかったのだ。 決して豊かだったから、肉や乳製品を食べてきたわけではない。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※なるほど、なあ。 つまり戦後、官民学が一体となって、パン(小麦粉)を食生活に定着させるため、さまざまな栄養改善運動をしていたことが分かる。 さらに昭和三十三年に発行された「頭脳」という本では「米を食べる民族は、パンを食べる民族よりも劣る」という『米食低能論』を展開し、発売後三年で五十万部を突破するほどのブームを巻き起こした。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※大昔、私がまだ若い頃、マクドナルドの「ビックマック」を食パンで上下に挟み「ビックマック・サンドじゃあ〜!」とムシャムシャやっていた事がありました。 いつも腹が空いていて、何でもよくたくさん食べていた時代の話です。 また、昭和三十九年の東京オリンピックは「日本人は小さい」ことを実感させる役割を果たした。 そして「牛乳を飲まなければ大きくなれない」「肉を食べればスタミナがつく」と、多くの人に信じられるようになったのだ。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※特にスポーツの国際大会になると、外国人と日本人が一緒に並ぶ事も多く、昭和39年(1964年)だと「日本人って小さくて貧弱だなあ」となったのでしょうねえ。 考えてみれば、私たちが生まれてきたときの体重は、わずか三キログラム前後だったはずである。 それが、大人になると五十キロにも六十キロにもなっている。その増えた分は食物以外の何物でもないのである。 毎日何気なく食べている食物、その積み重ねが今のからだを作っているその積み重ねに間違いがあれば、どこかに異常が出ても不思議ではないのだ。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※至極ご説ごもっとも、であります。 寒くて雨が少ない欧米は肉や乳製品中心の食生活になり、温暖で雨の多いアジアでは米が主食の食生活になったということは、前にも述べた通りである。 食生活は気候風土によって長い年月を経て、自然に育まれてきたもので、誰かが勝手に米を主食にするとか、乳製品を中心にするとか決めたものではない。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※「寒くて雨が少ない欧米は肉や乳製品中心の食生活になり」、合わせてその条件がワインを作るのに最適な土地だったのでした。 その分、大量のワインが作られ、彼らは大量に飲むのです。 結果、トントンなのかな? 世界のさまざまな民族の食生活を調べてみると、どの民族も「偏食」をしていることが分かる。 前にもふれたが、例えば偏食の代表といえるイヌイットの人たちは、アザラシや白熊の肉、魚介類が主食で、穀類や芋類はもちろん、野菜や果物はほとんど食べていない。 砂漠に生活する遊牧民たちはチーズなどの乳製品が主食で、椰子はほとんど食べていない。 そしてパプア・ニューギニアの高地に生活する人たちは、一日一キログラム以上の芋と、少しばかりの豆、野菜という食生活を送ってきた。 どの民族も気候風土の条件のなかで食べられるものを食べてきた結果で「バランスよく何でも食べる」という食生活じゃなくても、そのために民族が絶えることはなかったのだ。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※「バランスよく何でも食べる」とか「毎日5色、赤、黄、青、緑、黒を食べる」とか、近年 何故か盛んに言われるようになってきましたねえ。 カタカナ食品からひらがな食品に転換(した方が健康になれる)。 パン→ご飯。ラーメン→そば。スパゲティ→うどん。ピザ→お好み焼き。サンドイッチ→おにぎり。カレーライス→ざるそば。ピラフ→焼き飯。スープ→みそ汁。 ハンバーグ→がんもどき。ムニエル→焼き魚。ハム→ちくわ。チーズ→豆腐。サラダ→お浸し。ドレッシング→三杯酢。ソース→しょう油。ピクルス→ぬか漬け。 ミルク→豆乳。アイスクリーム→かき氷。ケーキ→まんじゅう。シュークリーム→大判焼き。クッキー→せんべい。スイートポテト→焼きいも。ゼリー→寒天。オレンジ→みかん。 ジュース→麦茶。コーヒー→緑茶。ウイスキー→日本酒。ブランデー→焼酎。 ピザの代わりにお好み焼きを、ハンバーグの代わりにがんもどきを、カレーライスの代わりにざるそばを、たあ、ちょっと無理矢理じゃないかな。 幕内秀夫「粗食のすすめ」より。 この人、ちょっと国粋主義が入っているなあ。 ※「カレーライス→ざるそば」は卑怯だと思う。 どう考えても「カレーライス」より「ざるそば」の方が健康的で身体に良いと判るからです。 でも、食べたい時にはどっちもそれぞれ無性に食べたくなるのよねー。 現実的に、意外と多くに人が現代型の栄養失調になっているケースがある。 たしかに食べるものはたくさんあるから、食糧難の時代のように食べる量が不足して栄養失調になるのではない。 現代型の栄養失調は先にふれたように、ビタミン類やミネラル類の微量栄養不足によって引き起こされるものなのである。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※巷のドラッグストアに行くと、大量のサプリメント類が売られていてビックリします。 サプリメントのない時代、みんな病気だったかと言えば、そうでもないのでした。 しかも、最近は加工食品がかなり氾濫している。 コンビニエンスストアは確かに便利だが、そこで売られているさまざまな食品は、ほとんど加工されたもの。 ポテトチップスはあっても、じゃがいもはなく、にんじんジュースがあっても、生のにんじんはほとんどない。 これらの加工食品は長期保存し、長期流通させるため、製造過程でほとんどの微量栄養素や食物繊維を捨ててしまう。 人間にとって不可欠なこれらの栄養素は、虫やカビ、湿気や酸素にとっても不可欠で、取り除かないと腐敗やカビなどの原因になるからである。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※人間にとって必要な栄養素は、虫やカビにも大好物なんですね。ま、そりゃ、そうか。 動物の世界に目を移してみると、モグラは昆虫を食べ、ウシやヒツジは草を食べ、オオカミやライオンは肉を食べる。 食べるものの種類は極めて少ないわけだが、これらの動物を偏食だという人はいない。 どの動物も「ある一定の食物を食べる性質」があるのだ。 それを「食性」という。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※偏食というのでもないと思うのですが、私は何か一つ気に入ると、そればっかり食べている事があります。 一時期、キュウリにハマり、キュウリばっかり食べていた時がありました。わしゃ河童か。 ある時はカツオのたたきに凝り、カツオのたたきばっかり食べていた時もありました。わしゃ青柳裕介か。 何千年、何万年という長い歴史の中で「より良く生きる」ために、人間は多くの食物を選択し、料理法を工夫し、その知恵を伝えてきた。 それを「伝統」というのだろうが、別な言い方をすれば「人体実験の集積」ともいえると思う。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※よく言われるのが「最初にナマコ食った人って偉いよなあ」なのであります。 あと「最初にイカスミ・パスタを考えた人」も。 徳川時代中期に「安藤昌益」という医師であり思想家がいた。 昌益は「人は米なり」といった名言を残している。 ひるがえって現在でも、「日本人は米食民族」とされる。 だが、もはやこの言葉は過去のものになろうとしている。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※じゃ何で、米を食べないアメリカ人が米国人なの? って子供の時よく言いませんでしたか? 人間が穀物を直接口にしたときと比べると、その穀物を家畜に与え、肉なり牛乳なりを口にした場合では、カロリーでは7%から21%、タンパク質では10%から32%程度しか確保できなくなってしまうのだ。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※「土」と「太陽」の栄養を得て成長した植物。 その「植物」を食べ成長した豚や牛。 「豚や牛」を食べて生きている私たち人間。 なら、最初から「土」と「太陽」で人間も生きて行ければ良かったのにねえ。 以前、私も研究のために、飲尿療法などいろいろな健康法を試してみたが、その結論は 「こんなことをしてまで病気を治そうとする気があるのなら、治っても不思議ではない」ということである。 だいたい、健康法に使われる食品というのは食べにくいものなのだ。 アロエは苦いし、尿は汚い。土を食べるというのもあった。当たり前の食品では効果がないのだ。 その昔、三粒で一千万という糖尿病の薬を売った人がいたそうだが、治りたい一念でそれを買うくらいの人なら、おそらく治ったのではないだろうか。 この人のこの言い方が面白い。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※病気が治るなら死んだって構わない!ですかねえ。 肝臓ガンができたマウスが食べたのは魚ではなく、魚の焼きコゲでもなく、魚肉のタンパク質でもなく、そのタンパク質を構成しているアミノ酸の一種、トリプトファンを加熱した中の「トリプP-1」「トリプP-2」という物質なのである。 つまり、コゲた魚を食べたマウスに肝臓ガンができたわけではないのだ。 もちろん、人間が魚の焼きコゲを食べるとガンになることを証明した実験でもないし、焼き魚を食べるとき、コゲだけを食べる人など一度も見たことがない。 これも興味深い。最後の一行も笑った。 幕内秀夫「粗食のすすめ(2000)」より。 ※なんで「コゲ」は美味しいんでしょ。 ご飯のコゲは当然だとしても、焼き魚のコゲも旨いし、焼き鳥のコゲも旨い。 そしてデリバリー・ピザで、紙皿にこびり付いた焦げたチーズの、あの美味さといったら! そして「孤独な豚は太れない」、あるいは「さびしい女は太る」という言葉があるように、都会の孤独、人間関係の疎外感とでもいうのだろうか、 精神的充足感を食べることで解決しようとする、お父さんなら「赤ちょうちん」、女性なら「お口の恋人○○○」というような面もあるのではなかろうか。 最近よくいわれる「終末過食症」などはその典型であろう。 幕内秀夫「粗食のすすめ」より。 ※「さびしい女は太る」って初めて聞いたんだけど。 子鹿のゾンビ。 「つボイノリオ-ハイヤング京都(1983-11-31) 」より。 YOUTUBEに大昔の深夜放送がアップされている。 ※「♪子鹿〜の バンビ〜は、可愛い〜い、な〜♪」という大昔流行った唄を知っていれば、このギャグはさらに面白いように思います。 孔子がこうしたと孟子がもうした。 これも「ハイヤング京都」。 ※当時流行ってたのは投稿者が自分に付ける「お地蔵さんネーム」でした。 自分のペンネームとはまた別に付けるのです。 「タップで踊るお地蔵さん」とか「生まれたままのお地蔵さん」とか「血を吸う青白いお地蔵さん」とか「一日おきに京大に通うお地蔵さん」とか。 「ぎなた読み(異称・弁慶ぎなた式)」 日本語における言葉遊びの一種。 文章の区切りを間違えて読むこと、および、わざと文章の区切りを意図的に変えて読むことを言う。 日本語以外の諸言語にも、同様の言葉遊びは存在する。 ウィキペディアより。 つボイノリオの金太の大冒険。 ※そおいやあ、昔、TVドラマ「トリック(2000、2002、2003、2005、2010、2014)」でも、「お食事券」と「汚職事件」と ぎなた読みをやってましたっけ。 それが結構重要な伏線になっているのも、「トリック」っぽかったのでした。 「ミミズ食品」 TVで、相撲の野球賭博事件で景品スポンサーを降りるところが増えてきている、と報道している。 相撲が始まる前に、男がスポンサー名を書いた幟(ノボリ)を持って土俵の上を回るのだが、その写真が報道されている。 先頭は毎度の「永谷園」。 続き「森永乳業」「タマホーム」等の知った名前があるのだが、その中に「ミミズ食品」となる名前を発見。 何じゃこりゃ?と思ったのでさっそくネットで調べてみた。 本当にあるんだな。食用ミミズの粉末らしいのであった。スゲエ。 出典は2ちゃんかな? ※ネットで調べて見ると、ミミズを粉末にしてカプセルにつめ、瓶に入って売っているのですね。 どうやら精力剤の一種みたいで、Amazonでも売っていてビックリ。 しかも、結構 高価で。 浜口はうるんだ眼を天井に向けた。 「秋の田の、稲穂のタニシの種おろし、だるまの足さえまっ黒けのけ」。 浜口は月観光ロケットのパイロット。 今度の客は農協だと聞き、おかしくなる。 筒井康隆「農協 月へ行く(1979)」より。 ※筒井康隆の書く狂った人の言うセリフは、昔から上手いし、面白いなあ。 日本ガッカリ名所のナンバー1は北海道の時計台。 ナンバー2は高知のはりまや橋。 ナンバー3は吉本のお前や。 というネタが「笑点」の「大木こだま・ひびき」であったんだけども、1、2は正しいのかも知れないな。 となると高知の「はりまや橋」、一度は見てみたいなあ。 確かに北海道の時計台はガッカリ ナンバー1だよなあ。 ※マジな「日本がっかり名所」は、「北海道の時計台」「高知のはりやま橋」「長崎のオランダ坂」なのだそうな。 仕事で使うものは鉛筆と紙で充分。 映画監督の宮崎駿さんが、アップルのタブレット型端末iPadにダメ出しをしたとネットで話題になっている。 iPadを使っている人は新製品にとびついて得意になっているだけの「自慰行為」そのもので嫌悪感すら覚える。 誰もがiPadで入手できる程度の情報はたいしたものじゃない、というのだ。 宮崎さんのこの発言はスタジオジブリが発行しているフリーマガジン「熱風」(2010年7月発行)の7号に掲載されている。 ※消しゴムも必要だと思います。結構、重要。 力を合わせて戦うというと聞こえはいいが、弱点も五倍に増えるということだ。 五人の守護天使に対し、 一人虚空の先輩戦士「ゴセイナイト」の台詞。 TVドラマ「天装戦隊ゴセイジャー」より。 ※私はこのセリフが大好きなのでした。 小木「受け手が重要なんだって、こういうのは! こういうのって『受け手8』の『霊媒師2』だからね」 おぎやはぎ「霊媒師になりたい」より。 ※優れた霊媒師は実はその相手側が上手いのだ、という実に的を得た指摘なのであります。 パーティを組むということに肯定的ではない監督の考えが反映されているのだろうが、「俺は手を抜かない」と言われたって実写に関しては要するに「下手」なだけではないか。 ネット映画評サイト「S」から。 その通り「押井守の実写映画は要するに『下手』なだけ」なのだ。わはははははは。 ※いいなあアニメで儲けて、自己満足で好きな実写映画を作って。 ちなみに彼の「トーキング・ヘッド(1992)」は実写映画だけどマジで面白いです。 「オメガは極めて複雑だが、見事に調和している。 存在自体が完璧なのだ。ボーグにとっての理想だ」 「ボーグの聖杯ね」 「何?」 「何でもないわ。じゃ 1時間後に」 ジェンウェイ艦長と元ボーグのセブンの会話。 スタートレック・ヴォイジャー 第89話「戦慄!オメガ破壊指令 The Omega Directive」より。 ※追い求め探し続ける、と宿命づけられたモノ。 でも「井上陽水」がこう言っています。 「探すのを止めた時、見つかる事もよくある話で♪」。 シモン「諦めたらそこで終わりだ!忘れたのか、このドリルが天を衝くドリルだって事を!ヴィラル、あれを殺るぞ!」 ヴィラル「なんだぁ?さっそく命令か!」「いや、提案だ」「なら、やらせてもらおう!」 シモン「人と獣の二つの道が、捻って交わる螺旋道!」 ヴィラル「昨日の敵で定めを砕き、明日の道をこの手で掴む!」 二人「宿命合体!グレンラガン!! オレを、誰だと思ってやがるっ!!!」 「天元突破グレンラガン 螺巌篇(2009)」より。 いつもの「中島かずき節」である。 これが好きなヤツには堪らないんだろうなあ。 ※中島かずきはケレン味の脚本家です。 あまりにケレン過ぎて、時々息苦しくなるのですけども。 ワレンスキ「昔の事を考えることは?」 フランク・バムステッド警部「そりゃ、まあ、人並みには」 ワレンスキ「オレも思い出してみた。はっきり過去の事を思い出そうとした。 だけど思い出そうとすればするほど駄目なんだ。はっきりしなくなる。現実とは思えない。 まるで夢の中にいるようなそんな気がする。目が覚めたら別の人間になっているかも知れん。 別人にだ!」 映画「ダークシティ(1998)」より。 あっ!これは「ビューティフル・ドリーマー」じゃないか! ※「これはあくまで仮説でして・・・。 私の呆けたアタマが生み出した夢想なら、無論それに越したことはないんですが・・・。私はこう思っておるんです。 昨日も一昨日も、いやそれ以前からずーっとずーっと以前から、気の遠くなるくらい前から、私らは学園祭前日という同じ一日の、同じドタバタを繰り返しとるんじゃなかろうか、と。そして明日も」 「何を馬鹿な!」 うる星やつら2、ビューティフル・ドリーマー(1984)。 温泉マークとサクラ先生の会話であります。 子供の頃って吃驚する事は怖い事だったんだけど、 大人になってからはそれが可笑しい事に変わるんですよねえ。 TBSラジオ「永六輔 その新世界」より。 ゲストの北山修の台詞。 さすが精神科のお医者さんだけあるセリフだなあ。 しっかし、北山修の声を始めて聞いた様な気がするんだけども、こんな声なんだあ、と吃驚した。 昔の役者「大泉晃」みたいな声じゃないか!! 思わず2チャンネルのTBSラジオ実況を見てみたのだが、そんな指摘をする人は一人もいなかったなあ。 ※私は2010年頃、初めて北山修の声を、もちろん大昔のフォーク時代の歌声は聴いていたけども、喋る声は初めて聴いたのでした。 データのモノローグ「ホームズの演繹的推理理論は、極めて実用的なものです。 彼の言葉で言えば不可能なものを消去してゆき、残ったものはいかに突飛に見えても真実なのです」 スタートレック ネクスト・ジェネレーション 85話「ヒューマン・アンドロイド・データ」(Data's Day)より。 ※私はシャーロック・ホームズ好きで、新スタートレックのデータ好きなので、昔から 「ホームズになりきったデータのホロデッキでの大活躍」を1時間半ぐらいの劇場映画で見てみたいなあ、と思っているのです。 データのモノローグ「この状況で最も安全で論理的なのは、艦隊本部に連絡し、その指示を仰ぐことでした。 しかし過去の例から言って、ピカード艦長がそうする可能性は17%だと私は予測しました」 立ち上がり、制服の裾を伸ばすピカード。 「非常警報、クルーは全員戦闘態勢につけ」 スタートレック ネクスト・ジェネレーション 85話「ヒューマン・アンドロイド・データ」(Data's Day)より。 ※好戦的なピカード。 地味なエピソードが続いた「デープスペース9」でも「ヴォイジャー」でも「エンタープライズ」でも、「戦闘回」になると視聴率が上がるというから、 アメリカ人って、やっぱ好戦的なんですよねえ。 ジェーンウェイ提督「時空工学の教えに従うわ。『今は二度と訪れない』」 「ヴォイジャー 最終話」より。 ※前「新スタートレック(ネクスト・ジェネレーション)」の最終話(前編・後編)も見応えのあるとっても面白い話でしたが、 本「スタートレック ヴォイジャー」の最終話(前編・後編)もとても面白かったのでした。 それにしても、スタートレックって「平行宇宙ネタ」好きですよねえ。 クラッシャー「・・・本来なら次の質問には答えがないはずよ。コンピューター、宇宙の正しい定義を述べなさい」 コンピュータ「宇宙とは直径705メートルの回転楕円面の領域のことです」 スタートレック ネクスト・ジェネレーション 第79話「恐怖のワープ・バブル」(Remember Me)より。 ※私がスタートレックが好きなのは、ま、SFが好きなのですが、「予想もしていなかった会話や展開」が繰り広げられていくところであります。 いわゆる「センス・オブ・ワンダー」です。 上記の話は「700名の乗組員と共に宇宙を進むエンタープライズC号。 ある日を境に医療主任『ビバリー・クラッシャー』の周囲の人間が次々と消えていく。 しかも、その異変に気づいたのはクラッシャーただ一人。 一体何が起こっているのか?」というモノ。 原題は「Remember Me」。傑作です。 この前、落合が言ってたんだけど「ヒットというのはホームランの打ちそこない」なんやて。 先日、駅へ向かって歩いていたら、前を歩いてた若い関西系のカップルの男が。 ※「毎回、ホームランを打とうとしてバッターボックスに立っているのがプロ選手」という案外意外と忘れがちなこの事実、なのであります。 個性の強烈な男性に出会うと、女性というものは一種のデジャヴ現象を起こし、その男性を以前から知っていたように思いはじめるのである。 いっておくが、個性が強烈であるということは、必ずしも本人の人格が立派であることを意味しない。 いちばん強烈な個性の持ち主は一に気ちがい、二に精薄、三に酔っぱらいなのだから。 筒井康隆「心狸学・社怪学(1986)」の「睡眠暗示」より。 ※私は同性にしても異性にしても、そんな強烈な個性の持ち主は、自分の近くにいて欲しくないのです。 良くても悪くても強烈な個性の持ち主は苦手なのです。 一生、仕事といえるほどのことを何もしないで無為に死んでいった人間が、どれほど多いことか。 また、機械なら数秒でできるような単純な仕事を一生かかってもできず、死んでいった人間や、やったことすべてが無駄になり、結局人間として何の役にも立たなかった人間、 間違ったところから出発し、自分ではきづかぬまま一生を間違いばかりで過ごした人間、そういった連中がいかに多いことか。 全部足したら全人類の半分くらいになるのではないか、信太郎は思った。 筒井康隆「心狸学・社怪学(1986)」の「マス・コミュニケーション」より。 ※半分?全人類の10分の9ぐらいは「何の役にも立たなかった人間」となるのではないでしょうか? もっともっと多いかしらん? 桁(ケタ)が一つ二つ違うかな? 作曲って言うのは「反復可能」な曲が出来た時に「作曲」って言うんです。 キダタローの台詞。 TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」より。 だから「猫が鍵盤を歩いただけでも、それを録音していたなら、それは作曲なのだ」と言う。 ※私は大昔の子供の頃、自分で作詞作曲した唄があるのです。 タイトルは「腹が減ったよの唄」。 「♪腹が減ったよー、腹が減ったよー、腹が、腹が、腹が、腹が、腹が減ったよー♪」 この唄を遠足の時、バスの中で一人、頭の中で繰り返し歌い続けると、車酔いしないのでした。 寒ダラとガンダーラは似ている。 と言うのを今日思いついたんだけども。 出典、俺。 ※こんな下らない事を、昔からいつも考えているのでした。 遠くから足音が聞こえる。その場合、美人は来ない・・・。 足音がうるさい女に、美人はいない。 Yahoo「ダイヤモンドオンライン」より。 この文章はさらに「美人は音の環境を気にしている。騒音を立てないように配慮して生きている。たとえばモノを置く時の音が小さい。つまりそっと置くのだ」「音を立てない意識。それが『美人のもと』になっていく」と続いていく。 なるほどなあ。 ※朝、駅に向かって歩いていると「カツ!カツ!カツ!カツ!カツ!」と高いヒールの音を立てて歩いて行く女がいて、怖くてしょうがないのです。 それも一人じゃなく、何人かいるのでした。 寝坊して慌てて家を出たのなら、ハイヒールなんか履くなよなあ。 夜とひるのあいだには、自然が眠っている時間がある。 その時間を見ることができるのは、早おきの人たちか、 夜どおし旅をつづける人たちだけだ。 フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」より。 ※アン・フィリパ・ピアスはイギリスの児童文学作家です。 私はこの人の「トムは真夜中の庭で」という話が大好きなのでした。 寒風に吹きさらされている夢から覚めると、寒風に吹きさらされていた。 これでは夢としての機能を果たしていない。 吾妻ひでお「失踪日記」より。 ※「吾妻ひでお」は一時期、浮浪者生活をしていた漫画家です。後、アル中にもなっていました。 よく持ち直したよなあ。 また、忘年会の定番料理と言えば「お鍋」。 これについては9位に「鍋奉行な人」、続く10位に「待ち奉行・待ち娘」が挙がっている。 「宴会で気になる人々」より。 鍋奉行に待ち娘かー。なるほどなあ。出典不明。 ※大昔、私は友人たちと「全日本青少年鍋の会」というクラブをやっていたのです。 ま、単に毎週末集まって、毎回 違う鍋を作って食べる、という飲み会でしたが。 その時、結構旨かったのが「石狩鍋」でした。 鮭が入ってるヤツ。 幸せな夢を見た朝は、悪夢よりも、胸が苦しい。 奥浩哉「GANTZ」224話のアオリ文。 「GANTZ」には毎回こおいうアオリ文が付いてるのだが、例えば236話は「策を隠して 恐怖隠さず」とか下らないモノが多いのだが、これはちょっと気になった。 ※よく判ります。 私はよく悪夢を見るのですが、目が覚めるとその最悪な事態から解放され、本当にホッとします。 反対に、最高に幸せな夢から覚めた後は「こっちが現実なんかい!」としばらく愕然とするのでした。 「どうして時は過ぎていくの?」 「時は過ぎていくものじゃない。やってくるものなんだ」 「じゃあ、またやってくる?この時代へ?」 筒井康隆「時をかける少女(1967)」より。 ※どぎついスラップスティック、卑猥で暴力的な喜劇、超過激な問題作ばかり作っていた「私の大好きな昔の筒井康隆」の「リリカル・ベスト3」は、「時をかける少女」「我が良きウルフ(1973)」、そして「北極王(1990)」なのであります。 間違いありません。 とりあえず今回はここまで。 昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。 その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。 |
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