SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.179
「カツカレーの逡巡」
について

(2019年5月4日)


「逡巡」は「しゅんじゅん」と読み、悩み迷い決められない事であります。


私は「カツカレー」が大好きなのです。
それは昔のエッセイ「カツカレーの思想」にも書きました。

諸説ある「カツカレーの誕生」の中で最も有名なのが、1948年(昭和23年)、読売巨人軍のプロ野球選手「千葉繁」が銀座の洋食屋「銀座スイス」で、「カレーライスにカツを乗せてくれ」と豪快に注文したのが始まりだとされています。

明治時代に生まれた日本の二大洋食が「カツレツ」と「カレーライス」でした。
そのいいとこ取り、「盆と正月が一緒にやって来たような」、夢の様なご馳走が「カツカレー」なのです。
ですから、「カツカレー」が昭和の千葉繁までなかったというのには少々疑問が残ります。

本エッセイは、私が今まで食べてきて「一番旨い!」と思った「カツカレー」を紹介するエッセイです。



「カルネのカツカレー」

大昔の話。
私は大学を卒業してすぐ、西新橋にある会社に勤めていたのです。

一ヶ月の仕事の半分は社内に閉じ籠もって作業をし、残りの半分は社外に出て働くのです。
社外の時は適当な飯屋に入っていたのですが、社内の時、特に仕事が建て込み、閉じ籠もって作業する時には近所から「出前」を取っていたのでした。
夕食、深夜食はもちろん、繁忙期には昼飯でさえ「出前」を取っていたのです。

「カルネ」は会社近くにある「出前専門の洋食屋」でした。「キッチン・カルネ」と言ったかな?
注文するのはもちろん「カツカレー」でした。

「カルネ」の良いところは、ちゃんとした「食器」でやって来る事でした。
ちゃんとした瀬戸物の食器に盛られ、ちゃんとしたステンレス製の大きなスプーンとフォークでやって来るのです。

他の店でも「カツカレー」は頼むのですが、その多くは「発砲スチロール製の使い捨てカレー皿」と「使い捨て小さな成形プラスチックのスプーンとフォーク」で来るのです。
「カルネ」は違っていたのです。

丸く白い陶器の大皿に、ステンレスの大きなスプーンを使って「カチャカチャ」と音を立てて食う「カルネのカツカレー」は、発砲スチロールと簡易プラスティックのスプーンで「コスコス」と食う「カツカレー」よりも数倍、いや数千倍、いやいや数万倍、美味しく感じられたのでした。

食い終わった後は、会社の小さな給湯室で食器とスプーンやフォークを洗い、会社の階段の踊り場に出しておく、その作業も全部含めて「カルネのカツカレー」は美味しかったのでした。




「チリのカツカレー」

大昔の話。
仕事で会社の先輩と二人、南米の「チリ」に二週間ぐらい行っていた事がありました。

「チリ」は南米にある太平洋に面した細長い国で、その真ん中に主都「サンティアゴ」があります。
そこにある「HOTEL NIPPON」というホテルに何日か宿泊していたのです。
日中は仕事先で食事していたのですが、夜、宿に戻ってきてからはホテル近くの「Restaurant Japon」という日本料理屋に通っていたのでした。

せっかく海外に行ったのなら毎日違う店を開拓し、毎日違う店で食事をすれば良いだろうと思われる方もいらっしゃるでしょう。
でも、日中働き詰めで夜、帰ってきたホテルから「街中探検」をする気力は、私も先輩も無かったのでした。
その日本料理屋で毎晩、私は「カツカレー」を注文していたのでした。

一緒に行った先輩Yさんは「毎日毎日SYUちゃんはカツカレーばかりでよく飽きないなあ」と呆られていました。
と言うYさんも毎日、そこで「寿司定食」を食っていたのです。

日本から一番遠い、地球の真反対にある「チリのカツカレー」は、意外な事にとても美味しかったのです。
ちゃんとした真面目で正統的な「カツカレー」だったのです。

「カレー粉」をふんだんに使い、決して甘くないピリッと辛い王道の「カレールー」。
ご飯も細長い「南米米」じゃなく、モチッとした「日本米」。
「カツ」も薄すぎず厚すぎない豚ロースを使い、卵の黄身とパン粉で包んで、注文の度にカラッと揚げた本格派なのでした。
嬉しい事に「福神漬け」も、ご飯の端にちゃんと乗っているのです。

スペイン語圏である南米チリの通過はペソ(チリ・ペソ)です。
そのカツカレーは一皿「3.520ペソ」でした。
当時のレートで「÷4」が日本円相当でしたので、つまり880円。
「普通かな?」と思われる方の参考に、その店の当時の料金表を簡単に紹介すると、

鰻丼5.720ペソ。すき焼き4.180ペソ。天ぷら4.840ペソ。
刺身4.840ペソ。天丼3.520ペソ。カツ丼2.860ペソ。
月見そば2.200ペソ。ご飯550ペソ。味噌汁550ペソ。

普通よりは「ちょっと高い食事」という感じでしょうか。


「越路のカツカレー」

大昔の話。
社会人になってから、私はよく六本木に通っていたのです。
目的は三つあり、「シネ・ヴィヴァン」で映画を観るため、「青山ブックセンター」で本を探すため、そして、「淡路」でカツカレーを食うため、なのでした。

東京メトロ日比谷線(当時は地下鉄日比谷線)の「日比谷駅」を地上に出た所にある「日比谷通り」。
その三つは、いずれも駅近くの日比谷通り沿いにあったのです。

六本木のミニシアター「シネ・ヴィヴァン」は他の一般的なロードショー館では観られない、ハリウッド映画ではない洋画、フランス、イタリア、メキシコやオーストラリアなどの珍しい洋画を観られる映画館でした。
「ミツバチのささやき(1973、日本公開1985)」、「ピクニック at ハンギングロック(1975、日本公開1986)」、「エル・トポ(1971、日本公開1987)」等々、「シネ・ヴィヴァン」がなければ観る事がなかった映画ばかりでした。

「青山ブックセンター」は普通の書籍も置いてるのですが、絵本や写真集、洋書関係が充実している本屋でした。
そこで私は日本では出ていない洋書のイラスト集や、映画のメイキング本をよく観ていたのでした。

そして「越路」のカツカレーです。
「越路」は大きな建物に挟まれた小さなカレー屋でした。
特徴的なのは、入り口に「勤労青年の店」という文字が出ていた事でした。

狭い店内はカウンター席とテーブル席も少しあった様な気がします。
私が座るのはカウンターの方です。

六本木というオシャレな街には似合わない「ニッカボッカ」を履いた兄ちゃんたちを店内で見かけた事があります。
さすが「勤労青年の店」です。
カレーを頼むと必ず「味噌汁」が付いてきました。ワカメの味噌汁だったかな?
「労働者諸君!塩分足りているかあ?栄養取ってるかあ?」という店主の優しい気遣いが伝わってくるようです。

カウンターの上には卓上の醤油瓶やソース瓶が置かれていて、私は普段カレーライスには醤油もソースもかけないのですが、ここに来ると何故か「たら〜り」とかけてしまうのでした。
自然と身体が塩分を、味の濃いモノを求めてしまうのでしょう。
さすがやっぱり「勤労青年の店」なのでした。



温かくふっくら炊きあがった炭水化物のご飯の上に、上質のパン粉と新鮮な卵で包んだ豚肉ロース、大量の油の海で泳がせるように揚げたトンカツを乗せ、小麦粉とたっぷりのバターと香り豊かなカレー粉で作ったトロトロ濃厚、脂質の固まりのルーを満遍なくかけた・・・、
極上の「カツカレー」!!

前に「盆と正月が一緒に来たようなご馳走がカツカレー」と書きましたが、言い換えれば、「盆と暮れが一緒に来たようなダイエットの天敵」、太る元凶、悪魔の享楽、罪深き「カツカレー」なのであります。

時々、福神漬けやラッキョウで箸休めをするのも「贖罪」の意味があるのかも知れません。


さて。
今回のエッセイの最後は「これらの店は実は皆、今はもう無いのです」という文章で締めようと思っていたのですが。
ネットで調べて見ると、チリの日本料理屋はまだある事が判りました。ビックリです。

と言ったワケで。

皆さんもチリに行った際にはそこの「カツカレー」、是非食べてみて下さいね。
って、チリには行かんかー。




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