「物干し台」が出てくる私の大好きな物語が三つあります。 いずれもその物語の中でとても重要なシーンに出てくるのです。 一つは漫画で、二つは映画。 それは「サイボーグ009」と「世界大戦争」と「東京物語」であります。 若い人には「物干し台?」と聞いてピンとこない方もいらっしゃるかも知れませんので、少し説明します。 一階の屋根の上に組み立てられた「洗濯物を乾すための足場」の事です。 その「物干し台」へは二階の「窓」から出たり、地上からの「簡易階段」で上がったりするのです。 |
「物干し台」は大昔の東京下町や、地方都市でも良く見かけたモノでした。 今は「洗濯物を乾す場所」は、庭がある場合はその「庭」に、団地やマンションは「ベランダ」に取って代わられています。 「晴れた日に洗濯物を乾すのが目的」ですので、当然屋根はありません。 「吹きっさらし」なのです。 まずは、石森章太郎の「サイボーグ009(1964〜)の地下帝国ヨミ編(1967)」です。 美しい星空が広がる夜。 姉と幼い弟が「物干し台」に上がる。 その二人の前に美しい流れ星が落ちた。 「ねえ、カズちゃんは何を願った?」「ううんと。おもちゃのライフル銃が欲しいって。お姉ちゃんは?」「私は戦争のない平和な世界になりますように、って」。 その流れ星は宿敵「ブラックゴースト団」と大気圏外のアジトで死闘の末、力尽きて地上に落下する「002」と「009」の最後の姿だったのです。 この感動的なシーンはレイ・ブラッドベリの傑作SF短編「万華鏡(1965)」のパクリ、あ、いや、オマージュである事は有名な話です。 そのパクリ、あ、いや、に「武器を願う弟と平和を願う姉」という大変リリカルな要素を加えた事が、私は本当に「昔の石森章太郎は素晴らしい」と思うのです。 いろいろな雑誌、年代に長きに亘って連載が続いた「サイボーグ009」の、初期のエピソードの一つです。 ですが、私はこれが「サイボーグ009」の実質的な最終回だと思っているのです。 |
次は、大好きな昔の東宝SF映画「世界大戦争(1961)」です。 東京の下町で勤勉なタクシー運転手として働く「田村茂吉(フランキー堺)」は、どうしても納得出来なかった。 どうしても理解が出来なかった。 何故、私たちが死ななきゃならないのだ? 私たちが何か悪い事をしたのか? ある日 世界は箍(たが)を外し、核ミサイル戦争に突入したのだ。 数分後には日本にも核ミサイルが飛来する。 田村は「物干し台」に駆け上り、まもなく破壊される夕焼けの東京の町並みに向かって叫けんだ。 「母ちゃんには別荘を建ててやるんだ! 冴子にはすごい婚礼をさせてやるんだ! 春江はスチュワーデスになるんだ! 一郎は大学に行かせてやるんだ! 俺の行けなかった大学に・・・」。 このシーンは今書いていても、無性に泣けて泣けてしょうがない場面なのです。 最後は、小津安二郎の「東京物語(1953)」です。 広島の尾道で暮らす老夫婦「平山周吉、とみ(笠智衆と東山千栄子)」は、久し振りに東京の子供たちを訪ねた。 広島 東京間が一日半もかかる時代の話。 年老いた二人にとって、これが最後の長旅になるかも知れない。 子供たちに会うのも楽しみだ。 しかし、長男も長女もそれぞれの家庭を持ち、多忙に明け暮れ、老夫婦を邪険に扱ってしまう。 唯一、戦争で亡くなった次男の嫁「紀子(原節子)」だけが親身に接してくれるのだった。 周吉は物干し台に上り、団扇片手に東京の町並みをボンヤリと眺める。 工場の煙突から黒い煙がモクモクと立ち上っている。 「何もかもみんな予定とは違っていたなあ」 周吉はそう思うのであった。 昔の東京の「物干し台」は、夕暮れに佇む町並みを眺める場所であり、美しい夜空を見上げる場所であり、幸せを願う場所であり、叶わなかった夢を語る場所であり、そして 深く人生を顧みる場所であったのです。 そお言えば、昔の東宝映画「ゴー!ゴー!若大将 (1967)」でも、若き加山雄三が「物干し台」で、未来を夢見てトランペットを吹いてましたっけ。 |
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