私は昔から「押井守」の大ファンでした。 アニメ作家のあの「押井守」です。 劇場アニメ「ビューティフル・ドリーマー(1984)」や、OVA「機動警察鳩レイバー(1988-89)」同じOVAの「御先祖様万々歳!(1989-90)」、実写映画「トーキング・ヘッド(1992)」等々、初期の「押井守」が私は大好きなのです。 彼のケレン味溢れる演出や、一筋縄ではいかない捻くれた物語にハマっていたのでした。 私はこれらの「押井守」節とも言える「へりくだった物言い」や「簡単な事を小難しい単語羅列で饒舌に語る」つまりは「中二病ロジック」「中二病演出」が大好きなのです。 面白くて。「ケレン味」溢れていて。「皮肉たっぷり」で。「物々しく」て。下らなくて。 「押井守」節は、これも同じ時期にハマっていた「マーフィの法則」にも似ています。 「バタ付きのパンは塗った面を下にして落ちる」「悪い事は必ず起きる」「無くしたモノは探すのを止めた時に意外な場所で見つかる」等々の「マーフィの法則」です。 簡単に言うと「皮肉たっぷりの論理」であります。 というワケで。 「多分、押井守だったらこんな言い回しをするだろうなあ」とか「こんなフレーズが好きだろうなあ」と、私が勝手に妄想した「言い回し」「フレーズ」を書き出してみました。 私が勝手に妄想した「押井守だったらこう言うだろうなあ」ですから、実際にそおいうフレーズが出てくる作品があるワケではありません。 あくまで私の妄想した「押井守ならこう言うだろうなあ」なのです。 日本の警察は「泣く子と地蔵には勝たない」って明治の頃から決まっているの! ちなみに「地蔵」じゃなく「地頭」、「泣く子と地頭には勝てない」が正しい言い回しです。 「地頭(じとう)」とは、時の権力者の事であります。 俊足のシェパードより食い意地の張ったダックスフントであれ。 「押井守」は昔から「イヌ好き」でした。 当時の「自画像」もマンガの犬でしたっけ。 十に一つの真実を貫く弾丸と、十中八九外れる弾丸となら、どっちが欲しい? 劇中の主人公は後者の弾丸を選びます。 何故なら、その方が次の展開、次の行動を決めやすくなるからであります。 もし虚構が現実の落とし子だとしたら、永遠に続く恋人たちの白日夢なんだ。違うか? 違うか、と言われましても。 第三次立ち喰い蕎麦屋憐れみの令。 様々な物に固執する「押井守」ですが、「立ち喰いソバ」への情熱は大昔から続く生粋の「好きなモノ」なのでありましょう。 汎用天玉ソバ零式。 なにやら強そうなのであります。 よく知らんけど。 暴れ馬の銭失い、大海を知らず。 これは本当にありそうな金言ですね。 よくワケ判らんけど。 物語の結末が白紙なら日常を繰り返す意味が何処にある? いや、物語の結末が白紙だからこそ、現実の世界では日常を繰り返す意味があるんだろうなあ、多分。 夢電波興信協会から来ました仲村です。仲村歩です。 昔の「押井守」は「興信所」やら「探偵業」が絶対好きだったと思います。 氷河の中から十三挺のPzB39対戦車ライフルが発掘された。 資料に寄れば先の大戦の独軍巨象部隊の秘匿品だという。 「押井守」は強固な「ミリタリー・マニア」でもあります。 町中華解放前線。 「立ち喰い蕎麦」同様「町中華」への拘りも、「押井守」は半端ではありません。 我々は大勢であるゆえ臨界に立ち尽くす哀れなユダたちなのだ。 「聖書」ネタも好きですよね。 「我が名はレギオン。大勢であるがゆえに」は、「新約聖書マルコによる福音書」に出てくる言葉。 日常に浸蝕してゆく瑠璃色の朱鷺は、永遠に続く隣人たちの白日夢なんだ。違うか? この元ネタは「押井守」監督の実写映画「トーキング・ヘッド(1992)」の、「あらゆる映画の予告は実は映画そのものの予告であるに過ぎないし、それが優れた予告の条件でもある。予告は単に予告である事のみによって成立する。違うか?」にあります。 「違うか?」と言われてもなあ。 やっぱ本物には敵わないのであります。 と言うワケで。 いくつか「押井守だったらこう言うね」を、好き勝手に考えて見ました。 閑話休題。 本エッセイのタイトルは「みうらじゅん(+田口トモロヲ)」の昔の名著「ブロンソンならこう言うね(1995)」を真似したモノであります。 |
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