一説によれば、今までに出たシャーロック・ホームズのパスティーシュやパロディ小説の数はかるく「1万作」を越えるのだとか。 ちなみに、「パスティーシュ」とは「贋作」と訳され、「まるで原作者のコナン・ドイルが書いたかのような」小説の事。「パロディ」とはホームズやその物語に登場するキャラクターたちを使って「面白く書かれた」小説の事。 さすがにそれらを全部読む事は出来ませんが、比較的簡単に手に入り、そして当然「日本語」で書かれたヤツはなるべく読んでおこうと思っている私。 今回は、その中からいくつかご紹介したいと思います。 「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」。 「マンリー・W・ウェルマン&ウェイド・ウェルマン」著。 「深町眞理子」訳。 創元推理文庫。 1901年の暮れ、ホームズはロンドンのグレート・ポーランド街にある古びた骨董品屋でひとつの水晶玉を手に入れます。その水晶玉は見慣れぬ異国の風景を映し出す不思議な物でした。 これは「H・G・ウェルズ」のSF短編「水晶の卵」が元ネタ。 そしてホームズは旧友である「チャレンジャー教授」に相談を持ちかけます。 チャレンジャー教授とは「コナン・ドイル」が「失われた世界」で登場させたエキセントリックな動物学者です。 その二人の観察と推理により、その水晶玉に映し出される風景は「火星の大地とそこに作られた建造物」である事が分かります。 そして翌1902年の5月、イギリスの王立天文台が火星の地表上での人工的な「爆発」を観測、続いて6月にイギリス各地に円筒形の物体が落下するに及んで、ホームズとチャレンジャー教授は「異星からの侵略事件」に巻き込まれていくのでした。 フィクションの世界において、「ヴィクトリア朝末期の最大の事件」と言えば、1897年にH・G・ウェルズが書いた「宇宙戦争」の中の「火星人の襲来」でありましょう。 また、同じフィクション世界での「ビクトリア朝末期の有名人」といえば「シャーロック・ホームズ」。 この二つの要素を組み合わせ、この小説は当然のように発想され書かれたのでした。 さらにホームズの作者であるコナン・ドイルが創り出したもう一人の魅力的なキャラクター「チャレンジャー教授」も登場させるという用意周到な二重三重のパロディなのでした。 が、この小説、ホームズが火星人の襲来を予測・推理するところぐらいまでは面白いのですが、いざ実際に火星人がロンドンにやって来てからは単に「観察者」になってしまい、物語的なカタルシスがないまま終わってしまうのでした。 もっとも原作の「宇宙戦争」自体が、「地球侵略にやって来た火星人が地球の病原菌によって自滅していく」という人間側の活躍がない話なので、これはしょうがないのかも知れません。 でも、この小説にはもうひとつ致命的な最大の欠点があるのでした。 それはホームズと「ハドソン夫人」を恋人同士に設定した事です。 これは大方のシャーロキアンに反発される「余計な」創作であったと言えるでしょう。 やっぱりホームズは女嫌いで「孤高」の人じゃないと、キャラクターの魅力が半減すると思うのは決して私だけではないでしょう。 この小説、「ホームズ・パスティーシュは全部制覇するぞ」と思っている人向け、だと思います。 「ホック氏の異郷の冒険」。 「加納一朗」著。 双葉文庫。 これは第37回の日本推理作家協会賞の長編賞を受賞した作品です。 明治24年9月、時の農商務大臣「陸奥宗光」がしたためた日英外交秘密文書が鹿鳴館での晩餐会の最中、忽然と姿を消してしまいます。 その文書が公開されれば戦争も起こりかねないという重要なモノ。 その極秘文書紛失事件の特別捜査のため、宗光の知人で医者の「榎元信」と、たまたま日本に訪れていた謎の英国紳士「サミュエル・ホック」の二人が抜擢されるのでした。 そう、この「サミュエル・ホック」とは秘密裏に日本にやって来ているシャーロック・ホームズの偽名なのでした。 「パスティーシュだと言っても、日本にホームズが来るのはさすがに嘘っぽいんじゃないか」と思われる方もいるかも知れませんが、以前のエッセイで書いたように、ホームズは1891年の5月、スイスのライヘンバッハの滝で宿敵モリアーティ教授と滝壺に落ち(たと思われていた)、1894年4月に再びワトスンの前に姿を現すまでの3年間、「消息不明」の期間があるのです。 事件が起こった明治24年と言えば西暦で1891年。 つまりは、その時「日本」に来ていたとする事は可能なのでした。 また、ライヘンバッハの滝でのモリアーティ教授との格闘の際、何故ホームズだけが助かったのかと言うと「日本の格闘技であるバリツの心得があったため」とは原作にある記述。 この「バリツ」というのは「武術もしくは柔術の事」とシャーロキアンの間では定説になっていますが、このパスティーシュの中の訪日の目的のひとつが「バリツの師匠に表敬訪問するため」という設定も納得がいくモノなのでした。 この小説、各章のタイトルも「緑色の香炉」「男爵夫人の醜聞」「歌舞伎役者の失踪」等々、原作のパロディになっているのもとても楽しく、ホームズの性格描写や行動原理にも破綻がなく、細かい所まで「原作を知っている人には楽しめるネタ」が詰まっています。 欧米の傑作と言われるパスティーシュ小説に決して引けを取らない面白い「日本人作家のホームズ・パスティーシュ」だと思います。 物語の中でホームズは一個だけ推理のミスを犯すのですが、それも「日本独自の文化を知らなかったため」というエピソードも、とても良く出来ていると思ったのでした。 この小説はホームズが好きな人にはぜひともお勧めです。 「日本版 ホームズ贋作展覧会 上下」。 河出文庫。 これは日本で書かれたホームズのパスティーシュ・パロディ小説の短編集です。 収録作品は、「黄色い下宿人 山田風太郎」「兵隊の死 渡辺温」「絶筆 赤川次郎」「まだらのひもの 横田順彌」「死の乳母 木々高太郎」「シャーロック・ホームズの口寄せ 清水義範」「シャーシー・トゥームズの悪夢 深町眞理子」「えげれす伊呂波 都筑道夫」「オペタイ・ブルブル事件 徳川無声」「戦艦『三笠』設計図 海渡英祐」(以上上巻)、 「ダンシング・ロブスターの謎 加納一朗」「名探偵誕生 柴田錬三郎」「葉桜の迷路 阿刀田高」「シャーロック・ホームズの内幕 星新一」「新赤髭連盟 鮎川哲也」「赤馬旅館 小栗虫太郎」「ガリバービル家の馬 中川裕朗」「狂った蒸発 山村正夫」(以上下巻)と、そうそうたる作家が揃っています。 「黄色い下宿人」は、ロンドン留学時代の夏目漱石がホームズと推理合戦を行い、なんと漱石が勝ってしまうというモノ。 この明治の文豪がロンドンに留学していたのは1900年(明治33年)から2年間ほどで、当然その当時ホームズと出会っていたとしてもおかしくないワケなのでした。 「えげれす伊呂波」は、江戸は北町奉行所の同心「顎十郎」が、英国領事館での懐中時計紛失事件を見事な推理で解決する、という話です。 舞台が日本の江戸時代、どこにホームズが絡んでくるのかと思っていると、「そういう手があったか!」というオチが待っています。 「ダンシング・ロブスターの謎」は、前述の「ホック氏の異郷の冒険」の番外編ともいうべき好短編です。 「葉桜の迷路」「シャーロック・ホームズの内幕」「新赤髭連盟」は、原作「赤髭組合」に題を取ったもの。 「赤髭組合」のトリックはよほど推理作家たちに受けが良いらしく、このネタのパスティーシュやパロディは他にも数多く存在しています。 この短編集は「日本人作家のホームズ・パロディは押さえておきたい」と思っている人にはお勧めです。 「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」。 「島田荘司」著。 集英社文庫。 「御手洗潔シリーズ」で有名な「島田荘司」は「ミステリー者」なら誰でも知っている有名な作家でしょう。 また、「御手洗潔シリーズ」自体が「ホームズのパロディ」だという説もあります。 コナン・ドイルの書いたホームズ物語、正典には「ワトスンの未発表事件簿」というのが登場します。すなわち、「チャリング・クロスにあるコックス銀行の金庫室のどこかに、長旅に傷んだ、がたがたのブリキ製文書箱がひとつ、おさまっているはずであり、その蓋には、元インド派遣軍所属、医学博士ジョン・H・ワトスンとの名前がペンキで書き込まれており、中には書類がぎっしり詰まっている」のでした。 パスティーシュ作家たちは、この「語られざる事件」に空想力をかき立てられ、「ワトスン博士が書いた未発表原稿が最近になって見つかった」という導入でいくつもの作品を書いています。 この「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」も、そのパターンで始まるのでした。 山田風太郎の「黄色い下宿人」同様、この話にはロンドン留学中の夏目漱石が登場します。 毎晩、漱石の下宿先に出没するという幽霊の事件。 未亡人メアリー・リンキィの弟が一夜にしてミイラと化してしまった怪奇な事件。 この二つの謎をホームズと漱石が協力しあって解いていきます。 この小説の特出すべき点は、「漱石が書いた事件記録」と「ワトスンが書いた事件記録」の二つが各章ごとに交互に展開し、しかも、ダブって同じ話を書きつつも両者の描写が異なっている、というところです。 さらに、ワトスンが書いた章は原作に忠実な良質の「ホームズ・パスティーシュ」となっているのに対し、漱石の書いた章は「ホームズ・パロディ小説風」と、二重三重の仕掛けが施された非常に凝った構成になっているのでした。 そして、二つの謎と二人の書き手の話は最後において、見事なひとつの大団円を迎えるのでありました。 「ホームズ・マニア」じゃなくても、「ミステリー・マニア」じゃなくても、その凝った構成とお話が面白く、小説好きにはお勧めの作品です。 「シュロック・ホームズの迷推理」。 「ロバート・L・フィッシュ」著。 「深町眞理子ほか」訳。 光文社文庫。 これはホームズのパロディ短編集です。 当然、「シュロック・ホームズ」とは「シャーロック・ホームズ」の事。 相棒「ワトスン」も「ワトニイ」という名前となっています。 また、住んでいる所も「ベイカー街221B」ではなく「ベイグル街221B」。 パロディ小説にはこの様に「名前をもじって」ホームズを登場させる作品が幾つかあります。 「シャーロー・コームズ」「ピックロック・ホールズ」「シンロック・ボーンズ」「シャイロック・ホームズ」「ヘムロック・ジョーンズ」「パーロック・ホーン」「ホルムロック・シアーズ」「ハーロック・ショルムズ」「シャムロック・ジョーンズ」等々。 中でも「オーガスト・ダーレス」」の「ソーラー・ポンズ」シリーズが有名なところでしょうか。 さて、この「シュロック・ホームズ」シリーズでは毎回毎回、例によってホームズが些細な手がかりから推理を展開していくのですが、それがことごとく「大外れ」の迷推理。それによって「事件」でもなかった事柄が「本当の大事件」に発展していくというユーモア小説です。 ホームズ好きというよりもユーモア小説好き向け、だと思います。 「『吾輩は猫である』殺人事件」。 「奥泉光」著。 新潮社。 「吾輩は猫である。名前はまだ無い」で始まる「夏目漱石」の「吾輩は猫である」は誰でも一度は読んだ事がある明治時代の傑作文学でしょう。 この小説はその「続編」という形を取っています。 「吾輩は猫である」のラストで物語の主人公である「名無し猫」の「吾輩」は、ビールを舐めて酔っぱらい、台所の水瓶に落ちて溺死した事になっていますが、この小説では「何故か生きて」おり、しかも気がついた時には「上海」に到着した船の中にいるのでした。 「吾輩」が到着した1905年当時(明治38年)の「上海」は、各国の外交官が集う「国際都市」であり、陰謀が渦巻く「魔都」でありました。そして、人間同様、各国の猫たちも、その飼い主と共にこの地に集まって来ていたのでした。 フランス猫の「伯爵」、ドイツ猫の「将軍」、ロシア猫の「マダム」、ご当地中国猫の「虎君」。そこに日本猫である「名無し君」が加わり、「上海」の中央部に位置する「パブリック・ガーデン」では夜ごと猫たちによって「サロン」なる集まりが催されていました。 その時の話題は様々で、「政治」を語るかと思うと「恋愛」を語り、ある時には「哲学」やら「近代科学」を語るというモノでした。 そんな時、「名無し君」は日本人街に落ちていた日本の新聞で、自分の飼い主であった「苦沙弥先生」が密室状態の自宅で何者かによって殺された事を知ります。 一癖も二癖もある猫たちによって「苦沙弥先生殺人事件」の「推理合戦」が始まります。 そこにイギリスからやって来た猫が新たに「サロン」の仲間に加わります。 その名は「ホームズ」と「ワトスン」。 この小説、オリジナルである「吾輩は猫である」の夏目漱石の明治時代の文体を真似て書かれており、全編「旧仮名遣い」。 しかも、1ページにびっしりと文字が並んでいて、私の読んだハードカバー版では全500ページ以上というかなりボリュームのあるモノでした。読み終えるのにずいぶん時間がかかった小説でした。 また、劇中登場する猫たちによる「蘊蓄」が半端じゃありません。 「モーツアルト」「エピクテタス」「カーライル」「ホーマー」「アウグスチン」「パラケルスス」「ホフマン」「カント」「パブロフ」「ダーウィン」「フレイザー」「ユークリッド」「デカルト」「ポー」「ベルリオーズ」「バイロン」「シェークスピア」「ウェルズ」「マルクス」「マキャベリ」「フロイト」「アインシュタイン」等々が言及、引用されていたりしています。 物語は二転三転し、事件の真相も複雑怪奇。 「『吾輩は猫である』殺人事件」というタイトルからすると、「ちょっと軽め」の小説を思い浮かべるかも知れませんが、これはなかなか骨太の超大作なのでした。 何故「吾輩」は生きていたのか? 何故「上海」にたどり着いたのか? 「苦沙弥先生」を殺害したのは一体誰なのか? そして、何故、「吾輩」には「名前が無い」のか? やがて物語は意外な結末を迎えます。 この小説は「ホームズ・パスティーシュ」と言うよりも、「奇想小説」と呼んだ方がふさわしいかも知れません。 物語の最後はちょっと昔の「安部公房」の「超科学幻想小説」の様でもあります。 読み終えるのにはかなりの体力を必要としますが、全ての「小説好き」にお薦めの一冊だと思います。 今回紹介した小説のいくつかは昔に発売されたモノです。 ですから新書で見つけるのはちょっと難しい本もあるかも知れません。 もし、興味を持ち読んでみたいと思われた方は、まずは古本屋で探してみるか、近くの図書館に行くのが良いかも知れません。 図書館などに行くと、これ以外にも大量の「ホームズ・パスティーシュやパロディ小説」を見つけてきっと驚かれる事と思います。 しかし、その中から自分にあった面白い「ホームズ・パスティーシュやパロディ」を見つけるのも、これ、楽しい事なのではないでしょうか。 ちなみに、ワトスンもこう言っています。 「問題はつねに、探すことにはなく、選ぶことにある」(覆面の下宿人)より。 |
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