プロ野球の「巨人」のお話ではありません。 「巨大な人間」の「巨人」です。 それも「3メートル4メートル」といった巨人ではなく、「十数メートル数十メートル」といった大きな巨人のお話です。 石森章太郎の傑作漫画「サイボーグ009」の中に「怪物島」というエピソードがあります。 不思議な怪事件が多発する謎の森にやってきたサイボーグ戦士たち。 彼らはそこで森の木よりもはるかに背の高い「巨人たち」に襲われます。 変身能力のある007「グレート・ブリテン」はそれに対抗すべく自分も「巨人」に変身して戦います。 私がこの漫画を初めて読んだのは、はるか昔の子供時代の事。 当時の漫画月刊誌「冒険王」の1967年の5月号から12月号に渡って連載された作品です。 そして最近、三度目のリメイクであるテレビアニメの「009」でもこのエピソードは製作され放送されました。 そのアニメを見て、私は今でも原作漫画版の「腰布一つの半裸姿の巨人になった007」というビジュアルをハッキリと覚えている事に気がつき、ビックリしたのでありました。 ストーリィはすっかり忘れてしまっていたのですが、「巨人になった007」という「絵」だけは、あれから数十年経っても鮮明に私の頭の中に記憶されていたのでした。 それだけ「007の巨人化」というビジュアルにインパクトがあったのだと思いますが、それに加え、私の子供時代にはこの手の「巨人モノ」が様々な映像メディアに溢れていたという事情もあるのです。 そう、私の子供の頃、当時は「巨人たちの時代」だったのです。 もはや古典ともなった傑作SFテレビドラマ「ウルトラQ」の「第22話 変身(1966)」でも、この「巨大化した人間」が描かれています。 日本アルプスの山中に幻の「モルフォ蝶」を追い求めて消えたアマチュア昆虫学者の「浩二」は、その蝶の不思議な鱗粉によって身長20メートルの「巨人」へと変貌してしまいます。 人間たちから身を隠すように森の中をさまよい続ける彼のエピソードは、ウルトラQの中でも異色の物語であったと思います。 同じ「ウルトラQ」の「第17話 1/8計画」では、物語のヒロイン「江戸川由利子」が間違って「人間縮小機」にかかり、全てが1/8サイズに縮小された都市へと強制的に移住させられてしまいます。 そんな彼女を救助すべく、その都市にやってきた主人公「万城目淳」と相棒の「戸川一平」の二人は、縮小人間たちから見ると身長10メートルを越す「恐ろしい巨人」となって街に驚異をもたらすのでありました。 これも「巨人モノ」のバリエーションのひとつでありましょう。 また当時、映画においても「巨人モノ」がありました。 1965年に公開された東宝SF映画「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」です。 第二次世界大戦末期にドイツより日本へと密かに運び込まれた「フランケンシュタインの心臓」は、戦後もその成長を続け、ついには20メートルの巨人となって人々の前に姿を現します。 この映画の素晴らしい点は、彼「フランケンシュタイン」の巨大化していく段階をきちんと描いたところです。 特に、身長が5メートルになった「フランケンシュタイン」が研究施設を脱走した後、彼の保護者であり理解者であった女科学者「戸川季子(演じるは水野久美!)」の住む団地に訪ねてくるシーンが、その特撮の出来の良さも合わせ、東宝SF映画史上に残る傑作名場面となっています。 (この映画の続編で、『サンダ対ガイラ』というこれまた私の大好きな傑作SF映画もあるのですが、これは正確には『人間の巨大化』ではないので、また別の時に書きたいと思います)。 海外でもこの「巨人モノ」はすでにいくつも作られていました。 例えば、「戦慄!プルトニウム人間(1957)」という映画がありました。 アメリカの陸軍大佐が核実験場の事故で被爆してしまい、巨大化するというストーリィ。 製作は当時愛すべきB級C級SF映画を「濫作」していた「AIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)」です。 これは日本では劇場未公開なのですが、私の子供時代にテレビで放送され、私に強烈な印象を残していました。 顔右半分が醜く焼けただれ、もはや人語さえ理解できない怪物と化してしまった彼の姿には、本当に恐怖を感じたモノなのでありました。 この映画には続編の「巨人獣 プルトニウム人間の逆襲(1958)」があり、またその女バージョン「妖怪巨大女(1958)」も製作されました。 「妖怪巨大女」はさらに1993年に「ジャイアント・ウーマン」というタイトルでリメイクもされています。 また、その前年の1992年には「ジャイアント・ベイビー」なる映画も作られており(1989年製作のミクロ・キッズの続編)、アメリカという国はよほど「人間の巨大化」が好きなんだなあ、と思うのでありました。 「巨人の惑星」という「そのままズバリ」の海外SFドラマシリーズもありました。 日本でオンエアされたのは1969年の事(製作は1968-1970)。 プロデューサーは当時「原潜シービュー号(1964-1968)」「宇宙家族ロビンソン(1965-1968)」「タイムトンネル(1966-1967)」など、様々な傑作SFドラマシリーズを製作していた「アーウィン・アレン」です。 ストーリィは数十名の客を乗せた旅客宇宙船が着陸寸前に異次元空間へ入り込み、たどり着いた先は数十メートルの巨人たちが住む未知の惑星だった、というモノ。 毎回、彼らを捕まえようとする巨人たちとの攻防戦が描かれるアクション特撮ドラマでありました。 ウルトラQの「1/8計画」や「巨人の惑星」は別として、これらの「巨人モノ」に共通しているのは、通常の人間が何かの災難に遭うことによって本人の意思とは関係なく、ある日突然「巨大化」してしまう事であります。 そして、彼らは「野蛮人」のような「腰布一つの半裸姿」となり、その姿同様、人間としての知性や理性は失われ、やがて「怪物」と呼ばれる事になるのでありました。 人間たちから恐れられ、阻害され攻撃され、いずれも最後は哀しい結末を迎えるというのも、これらの物語に共通している事であります。 どうやら、「巨大化する事」は「文明社会から離脱する事」であり、それはすなわち「怪物となる事」という図式が、当時のこれらの「巨人モノ」にはあったのでした。 が、これらの物語が持つ「悲劇性」とは裏腹に、私には「巨人」が非常に魅力的にも見えたのでありました。 子供の頃、私は「巨人になったら面白いだろうなあ」と思っていたのでした。 巨人になって自分よりも小さなビル街を歩き回ったり、自動車を持ち上げたりしてみたいなあ、と思っていたのです。 今、私が趣味で「1/6ドール」を集めたり、その「小道具」をチマチマ作ったり、「1/35の戦車模型」に細かく手を入れてみたり、小さなおもちゃを買ったりしているのも、実はこの子供の頃の「巨人になってみたい」という夢を実現させるためなのかも知れません。 そう言えば、「テリー・ギリアム」監督の「バンデットQ(1981)」という映画にも、印象的でもの凄く大きな巨人が登場していましたっけ。 海の彼方からやってくる巨大な帆船。 そのまま帆船は陸に向かって進んできます。 やがて大海原が盛り上がり、空へと持ち上がっていく巨大な帆船。 そして帆船の下から見えてくる巨大な顔。 なんとその帆船は、とてつもなく大きな巨人が頭に乗せている「単なる帽子」だったのでした。 馬鹿らしくも非常にインパクトがあり、初期のテリー・ギリアムの才能を見せつけてくれた素晴らしい映像なのでありました。 |
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