SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.36
「東宝SF映画(3) 世界大戦争」
について

(2002年11月9日)


「人間には誰にも生きていく権利があるというのになあ。それを同じ人間が奪い取るなんて、どっか間違ったんだ。みんなが今、東京に帰りたいと言うように『生きていたい』と言えば良かったんだ。もっと早く人間みんなが声を揃えて『戦争は嫌だ。戦争は止めよう』と言えば良かったんだ・・・。人間は素晴らしいもんだがなあ・・・。一人もいなくなるんですか・・・、地球上に・・・」。

これは1961年の東宝SF映画「世界大戦争」のラストのセリフです。
核ミサイルによって消失した東京へ、それでも帰ろうとする外洋船「笠置丸」の船上で、炊事長「江原(笠智衆!)」が最後の珈琲を全員に振る舞いながら、誰に言うでもなく口にするセリフです。

「世界大戦争」。
監督は「松林宗恵」。
脚本は「八住利雄」と「木村武」。
特技監督は「円谷英二」。
「東宝SF映画」の監督と言えば「本多猪四郎」が有名ですが、本作の「松林宗恵」は、「潜水艦イ-57降伏せず(1959)」「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960)」「太平洋の翼(1963)」「連合艦隊(1981)」等の特撮を使った「戦争大作」を得意とする監督です。
(また音楽もいつもの東宝SF映画でお馴染みの『伊福部昭』ではなく、本作では『團伊玖磨』が担当しています。そう言った意味からも本作はいつもの東宝SF映画とは少々違う毛色を持った作品と言えるでしょう)。


第二次世界大戦の終結から16年。
世界繁栄のその背面下では「同盟国軍」と「連邦国軍」の緊張が高まっていました。
そんなある日、同盟国軍が連邦国軍の潜水艦を北大西洋の演習海域で拿捕するという事件が起きました。
続いて地中海沿岸で連邦国軍の軍用機が撃墜され、38度線でも戦闘が開始。
さらに北極のベーリング海上空で両陣営の戦闘機が交戦する事態が発生してしまいます。
一つの疑念が次の疑念を呼び、一つの危機が次の新たな危機を呼んで、やがて世界は「ICBM(大陸間弾道弾)」や「IRBM(中距離弾道ミサイル)」、「SLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)」を使用した「第三次世界大戦」の幕を開けてしまうのでありました。

こうして人類は一気に滅亡への道を歩き始めたのです。

物語の主人公は外人記者クラブの専属運転手、「フランキー堺」演ずる「田村茂吉」。
「茂吉」は病弱な妻「お由(乙羽信子!)」と長女「冴子(星由里子!)」を筆頭に、まだ幼い「春江」「一郎」の三人の子供を持つごく普通の中年男でした。
この映画の素晴らしさは、そんな普通の市民を主人公にして「世界の終末」を描いた点にあると思います。
小さな幸せだけを望み慎ましやかに暮らしていた人々の生活が、自分のあずかり知らない所で起こった「戦争」という大きな力によって、ある日突然砕かれてしまうという、まこと理不尽で残酷な未来を描いたSF映画の名作なのであります。
また、この映画は「怪獣」も「怪物」も「宇宙人」も登場しない、数少ない「東宝SF映画」の一つでもあります。
私はもちろん「怪獣」も「怪物」も「宇宙人」も大好きなのですが、それらが一切登場しない「大人の」SF映画も大好きなのであります。

私は常々「SFってのは大きな嘘をいかにして上手につくかが大切であり、それだけに根底にある人間ドラマがしっかりしていなければならない」という持論を唱えているのですが、この「世界大戦争」はその部分がしっかりと描かれています。
本作において「世界を破滅させてやる」などといった紋切り型の悪役は誰一人登場しません。
同僚の「物騒な事になるんじゃないかな?」という問いかけに、「へえ、心配するなって事よ。地球ぶっ潰しておめえ、誰が得するんだよ」と応じる主人公「茂吉」のセリフに代表される様に、連邦国軍側も同盟国軍側も必死になって最終戦争の切っ掛けとなるミサイル発射を最後の最後まで食い止めようと努力します。
誰もが「人類滅亡」を望んではいないのです。
が、しかし、それでも結果的に「最終戦争」が起こってしまう、その恐ろしさ無惨さ馬鹿馬鹿しさをこの映画は見事に描いているのであります。

またこの映画、特撮面でも特出すべきモノがあります。
原子力潜水艦同士の息を飲む追撃戦や、両陣営のミサイル基地のミニチュアの素晴らしさ、スピード感あふれるジェット機の空中戦など、「東宝SF特撮」の一つの頂点とも言える完成度なのであります。
物語の最後、世界各国の首都が核ミサイルで破壊されるシーンは圧巻です。
美しい夜空を背景に建つ国会議事堂。
その上空に静かに侵入してくる光の点。
それがゆっくりと段々と近づいてきて・・・・・・、次の瞬間、辺りは真昼の様な明るさに包まれます。
そして砕け散る国会議事堂!砕け散る東京タワーや丸の内のビル街や空港や港や民家やありとあらゆる建物たち!
吹き飛ぶ車や飛行機や船や電車やありとあらゆる乗り物たち!
やがてカメラは富士山のはるか向こう、関東平野に立ち上がる巨大な「キノコ雲」を捉えます。
続いて、モスクワ、ニューヨーク、ロンドン、パリの街が同様に砕け散っていくのでありました。

繊細で確かな演出の「ドラマ部分」と緻密で大胆なミニチュア・ワークの「特撮部分」が、互いに互いを引き立てながら一つの壮大な物語を作り上げていく、それが本作品であり、私の大好きな「東宝SF映画」なのであります。


この映画の中で私がとっても好きなシーンが二つあります。
「好きな」というかとっても「哀しい」シーンです。
何回観直してもそのシーンで私はボロボロと泣いてしまうのであります。
世界の微妙な均衡が破れ、ついに「核戦争」が始まった日のエピソードです。

その一つ目。
ある日、田村家の幼い子供たちが早々と小学校から帰って来ます。
「なんだ?お前たち。学校はどうしたんだ?」と驚く両親を前に、「アラ?何も知らないの?戦争が始まるんだって」と屈託無く言う幼い娘。
子供たちにとって「戦争が始まる」という事がどういう事か理解できず、単に「学校が突然休みになった」事が嬉しくてたまらないのです。
「えっ!!戦争っ!!?」と驚愕してラジオをつける両親(フランキー堺と乙羽信子の素晴らしい芝居!)。
ラジオからは「我が国もまた核弾頭ミサイルの攻撃を受ける危険が」と緊迫したアナウンサーの声が聞こえてくるのでした。
そう、「最後の日」が始まったのでした。
さらに逃げまどう隣近所の人たちを見て愕然とする両親・・・。
その晩。
田村家の食卓には「ご馳走」が並びます。
「お正月みたいだね!」と喜ぶ幼い息子。
ちゃぶ台の上に並んだ「お稲荷さん」「巻きずし」「オムレツ」「メロン」・・・。
「でもいいの?父ちゃん。どこか逃げなさいってラジオが言っているわよ」と幼い娘。
「べらぼうめ!9000万日本人がよ、今更何処に潜り込めるんだよ。なあ母ちゃん、そうじゃないか・・・」。
「さ、みんな、好きなもんをたくさん食べるんだよ」。
田村家は最後の日を迎え、何処に逃げることもなく、家族みんなで過ごす事に決めたのでした。
ラジオから流れる終末へのカウントダウン。
そして。
「俺たちは絶対死なねえ!原爆でも水爆でも来てみやがれ!俺たちの幸せに指一本ささせねえから!俺たちは生きてんだチキショウッ!!」。


その二つ目。
とある貧しい母子家庭の母と幼い娘。
母の名は「お春」、娘の名は「鈴江」。
娘は都内の保育園に預けられ、母親は朝から晩まで保育園から遠く離れた横浜のホテルで単身働いています。
その日も母親は風邪気味の娘を保育園に残し、横浜まで働きに出ていたのでした。
そして「最後の日」。
滅亡の時を迎え、町は逃げまどう人々でパニックになっています。
東京から逃げようとする人々の流れとは反対に、横浜から都内の保育園にひとり戻ろうとする母親。
その保育園では次々と我が子を連れ帰ろうとする父母で溢れかえっています。
やっとの思いで公衆電話に入り込み、保育園に電話する母。
電話ボックスの周りは逃げまどう人々。
「品川まで来たんです!すぐ駆けつけたいんですけど町は大変なんです!乗り物はみんな止まっちゃった様だし、そこまで駆けていくより他には!」。
その後、電話は娘の「鈴江」に代わります。
「かあちゃん!」
「あ!鈴江!元気な声だね!病気治ったんだね!うんうん、うん良かったね!」
「かあちゃん!動物園行こうよ!」
「ああ、そうだったね!クリームパン買っていくよ!ゆで卵もたくさんね!」
「早く来て、かあちゃん!」
「鈴江!すぐ行くから待っててね!母ちゃんが鈴江と会うまで何も起こりゃしないよ!起こるもんかね!」
しかし、この親子が再びめぐり会う前に、東京上空で核爆発が起こるのでした・・・。
私はこの「クリームパン」のところで、何度も何度も泣いてしまうのでした。



人類滅亡をテーマにしたSF映画は、古今東西いろいろな傑作・名作を生み出してきました。
また一様に「人類滅亡テーマ」と言っても、それはまたその中で幾つかのジャンルがあり、「宇宙人侵略モノ」「細菌ウィルス滅亡モノ」「コンピューター反乱モノ」「核戦争モノ」等々いろいろです。
「世界大戦争」は「核戦争モノ」。
このジャンルには、スタンリー・クレイマー「渚にて(1959)」、スタンリー・キューブリック「博士の異常な愛情(1963)」、シドニー・ルメット「未知への飛行(1963)」、ジェームズ・B・ハリス「駆逐艦ベットフォード作戦(1965)」、ニコラス・メイヤー「ザ・デイ・アフター(1983)」など傑作が多いのであります。

この「世界大戦争」、田村家の長女「冴子」が船乗りの恋人「高野(宝田明!)」を岩壁で見送るシーンや、物語のラスト、外洋に出ていた「笠置丸」の乗組員たちがすでに水爆で消失した東京に「それでも帰ろう」と決断するところなど、「渚にて」の影響が強く見受けられます。
さしずめ、この「世界大戦争」は「渚にて」の日本版だと言えるかも知れません。


私がこの映画を最初に観たのは幼い頃、多分テレビでの放送だったのだと思います。
それでも長い事、主人公一家の「最後の晩餐」シーンをとても印象深く覚えていたのであります。
「ご馳走」を前にはしゃぐ子供たちと、無理矢理明るく振る舞う夫婦の姿は、まるでトラウマの様に私の記憶に刻みつけられていたのでありました。
後年、大きくなってからこの映画を再び名画座で観た時に「ああ!この映画のワンシーンだったんだ!」と感激したモノなのであります。

そう言えば、今年公開されたアメリカのSF映画「サイン」(2002、M.ナイト・シャマラン監督)にも「最後の晩餐」シーンが登場していましたっけ。
明日は人類滅亡かも知れないという前夜、父親が家族全員に「今日はみんな食べたいモノを思いっきり食べよう」と提案するのです。
そこで彼らが望んだモノは・・・。

父親→「チーズバーガーとベーコンたくさん」。
父親の弟→「チキン・テリヤキ」。
息子→「フレンチトーストとマッシュポテト」。
娘→「スパゲッティ」。

うーん・・・。アメリカ人らしいと言うか何と言うか・・・。




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