SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.39
「クリスマスには何かが起こる」
について

(2002年12月15日)


私の好きな映画の話です。

「ダイハード1」と「未来世紀ブラジル」。
この二つの映画に共通している事は何か?
答えは、いずれも「クリスマスに起こった大事件」を描いている事であります。
「大事件」というか「惨劇」というか。

そう、クリスマスには「何かが起こる」モノなのでした。



「ダイハード1」は1988年のジョン・マクティアナン監督作品。
クリスマスを妻子と共に過ごすためにニューヨークからロサンゼルスにやって来た刑事マクレーン。
彼はそこでテロリストたちのハイテクビル立てこもり事件に巻き込まれてしまいます。
外部から遮断された高層ビルの中、マクレーン刑事は単身、テロリストたちに孤独な戦いを挑む事になります。
クリスマスの夜、クリスマス・ソングの代わりに響き渡る銃弾と爆発の音。
全身傷だらけになり、「なんでクリスマスに俺だけこんな目に遇うんだ!」と毒づきながらも、人質解放のため、マクレーン刑事は孤軍奮闘するのであります。

ダイハード・シリーズは全部で3作作られています。
私はこの「ダイハード1」も続編の「ダイハード2」も大好きなアクション映画なのですが、「ダイハード3」だけは、今ひとつ面白くなかったのであります。
その理由はいろいろあるのですが、最も大きな理由は「ダイハード3」だけが、「クリスマスに起こった出来事」という設定でない事にあります。
「クリスマスのみんなが幸せな時に一人だけとんでもない災難に見舞われているマクレーン刑事」という図式が面白かったのになあ、と思うのです。
噂によれば「ダイハード4」の計画もあるみたいですが、ぜひとも「クリスマスの災難」という設定を復活してもらいたいのであります。


「未来世紀ブラジル」は1985年のテリー・ギリアム監督作品。
この作品は、テリー・ギリアム独特のブラック・ユーモアたっぷりの近未来SF映画の傑作なのであります。
物語は、とある未来のとある国。
そこは「情報省」というのが国民の情報を全て統括しており、政府の思惑と違う行動をする者は全て処罰するという恐ろしい管理国家でした。
その情報省に勤める平凡な男、サム。
クリスマスも近づいたある日、サムは一人の女性ジルに恋してしまいます。
しかし彼女は反政府テロ組織の一員なのでした。
同僚に裏切られ、上司に裏切られ、サムはジルと共に追われる身になってしまいます。
事態は二転三転、四転し、最後は情報省に囚われてしまうサム。
度重なる拷問の末、意識朦朧となった監獄のサムの前にやって来たサンタクロース。
彼はにこやかに、そして厳かにサムの処刑を告げるのでありました・・・。

「未来世紀ブラジル」は私の大好きなSF映画です。
別に「SF映画」という括りでなくても、「今までに観た映画の中でベスト5を上げろ」と言われたら、この「未来世紀ブラジル」が、私の中では迷わず入るぐらい好きな作品なのであります。
テリー・ギリアムのシニカルで悪趣味なビジュアルと、彼の持つイノセントでリリカルな素質が、とてもバランス良く配合された良く出来た映画だと思うのです。
多分、彼の監督作品の中でも、この「未来世紀ブラジル」を越える作品は未だに作られていないのではないでしょうか。
というか、「未来世紀ブラジル」以降の彼の作品は、私的にはどれも「いまいち」なのであります。
(というか、段々つまらなくなって来てる気がする・・・)。


古今東西、様々な「クリスマス映画」が作られてきました。
「素晴らしき哉、人生!(1946年、フランク・キャプラ監督)」、
「34丁目の奇跡(1947年、ジョージ・シートン監督)」、
「ホワイトクリスマス(1954年、マイケル・カーティス監督)」
などの名作定番古典から、
「ゴースト(1990年、ジェリー・ザッカー監督)」、
「めぐり逢えたら(1993年、ノーラ・エフロン監督)」」、
「ユー・ガット・メール(1998年、ノーラ・エフロン監督)」
などのロマンチックな恋愛映画まで、いろいろです。
もちろん、これらの観ていて温かい気持ちになる「正統派クリスマス映画」も私は好きなのですが、それよりも何よりも「クリスマスに異常な出来事が起こる」という、ちょっと「異端」なクリスマス映画に、私はゾクゾクするのであります。


映画「ベイブ(1995年、クリス・ヌーナン監督)」の劇中。
農場の動物たちが近づいてきたクリスマスの日を前に、「クリスマスは殺しの日だ!」と大騒ぎするシーンがあります。
確かに、クリスマスの「ご馳走」になってしまう、彼らにとってはクリスマスは楽しい日どころか恐ろしい日であったに違いありません。


私の好きな映画監督「ティム・バートン」は、この手の「異端」なクリスマスを、とても哀しく、そしてとても美しく描く作家であります。
「シザーハンズ(1990)」では、クリスマスの日に人造人間が己の深い孤独と絶望を知り、「バットマン・リターンズ(1992)」では、雪降る日に「蝙蝠男」と「猫女」と「鳥男」という闇の住人たちの激しくも虚しい戦いが繰り広げられ、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス(1993)」(これは正確には監督ではなくプロデューサーでしたが)では、ハロウィンの怪物たちが嫉妬と羨望からサンタクロースを誘拐するのです。


クリスマスが持つ「無条件に幸福な世界観」と、それに反して繰り広げられる「異常な事件」「惨劇」「異人たちの暗躍」というそのギャップのある組み合わせが、多くのクリエイターのイマジネーションを刺激し、そして私のような「ひねくれたクリスマス好き」の琴線にふれるような作品を多く生み出しているのであります。


「ニューヨーク東8番街の奇跡(1987年、マシュー・ロビンス監督)」ではサンタクロースの代わりにやって来たのは小さなUFOでしたし、「グレムリン(1984年、ジョー・ダンテ監督)」ではクリスマスの贈り物の可愛いペットが恐ろしい怪物へと生まれ変わり、「ゴーストバスターズ2(1989年、アイバン・ライトマン監督)」ではニューヨークの怨霊「大魔王ビーゴ」がクリスマスに復活するのであります。
また、昔の東宝SF「妖星ゴラス(1962年、本多猪四郎監督)」でも、地球へ向かってくる巨大彗星「ゴラス」が最初に発見されたのは、地上がクリスマスで浮かれ騒いでいる時でしたし、未だに何故かLDでもDVDでも発売されない東宝SF映画「ブルークリスマス(1978年、岡本喜八監督)」」も、クリスマスの日に「青い血」を持った人間の大虐殺が行われるのであります。
さらに、第二次世界大戦の収容所モノの古典「第十七捕虜収容所(1953年、ビリー・ワイルダー監督)」にしてもクリスマスの日に起こったちょっと哀しい脱走事件の話でしたし、「1941(1978年、スティーブン・スピルバーグ監督)」でも「日本軍上陸」というデマに踊らされるクリスマスの日のロサンゼルスの大混乱を描いたモノだったのであります。

クリスマスの日に起こる異常な出来事・・・。

そもそも、映画だけに拘らずとも、全ての「クリスマス物語」の元祖と言える19世紀のイギリスの作家ディケンズの「クリスマス・カロル」自体が、「クリスマスに三人の幽霊がやって来る」という、「怪談」なのでありました。

クリスマスには、何かが起こる、のです。



それでも。

「僕はクリスマスが廻って来るごとに、その名前といわれの有り難さは別としても、尤もそれを別にして考えられるかどうかわからないけれど、とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。
親切な気持ちになって人を赦してやり、情けぶかくなる楽しい時節だと思うんですよ。
男も女もみんな隔てなく心を打ち明け合って自分らより目下の者たちを見ても、お互いみんな同じ墓場への旅の道づれだと思って、行き先のちがう赤の他人だとは思わないなんて時は、一年の長い暦をめぐって行く間に、全くクリスマスの時だけだと思いますよ!」

ディケンズ「クリスマス・カロル」より。




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