私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。 と言うワケで、今回も昔の日記からそれを抜き出してご紹介するのであります。 コメントはその当時のモノ。 ※印付きのコメントは今の私の補足説明です。 またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。 「つまり、殺人とは他人への自殺衝動なのです」 「モンティ・パイソン 1」より。 ※英国人はこおいった「屁理屈」が大好きです。 私はそんな英国人が大好きです。 「哀しみで一つになるよりも、微笑みで一つになるのさ」 上々颱風「花のように鳥のように」より。 ※上々颱風は私の好きなアーティスト。 ちなみに、彼(彼女)らのビートルズの日本語カバー「Let it be」はいつ聴いても泣ける大傑作です。 「メトロン星人状態」 桜玉吉「ファミコン通信 1992年7・24号 しあわせのかたち」より。 「世界初!全く新しいバイオテクノロジーシステムの超高性能超小型熱帯魚用ろ過装置」を近所の○△バイオ研究所に買いに行った作者。 訪ねて見ると、そこは汚いアパートの2階。 ランニングを着た親父と2人、むさ苦しい四畳半の部屋で向かい合う羽目になるのであった。 その状態を指して言ったセリフ。 ※メトロン星人はウルトラセブン(1967-1968)の第8話「狙われた街」に登場する宇宙人。 謎の男を追いつめて下町のとある古いアパートに入った諸星ダンは、そこで「ちゃぶ台」を挟んで宇宙からの侵略者と対峙する事になるのであります。 この、畳の部屋で胡座をかき、ちゃぶ台を挟んで向かい合うヒーローと宇宙人というシュールな図式に、当時のSF少年たちはみんな度肝を抜いたのであります。 「お兄ィはいつのまにかとても恐い顔をしていた。あたしは、ワケわかんないけど大事な話かもしれないからちゃんと聞こうという思いと、お兄ィはもう宇宙人の電波と波長の合うヤバい人になっちゃったのかもしれないという想像とで、胃のあたりがキューっと縮まるような気がした」 山崎マキコ「1992年PCPOWER 8月号 あたしの好きなパソコン少年」より。 山崎マキコはいつも不覚ながら、読んでいて泣ける様な文章を書く人であるなあ。 ※山崎マキコは小説家&エッセイスト。 彼女の初期の著作「健康ソフトハウス物語」は半ノンフィクション小説の傑作です。 「私の最も困難な問題のいくつかにたいする回答は、私がそれを解こうとすることをやめた後にやってくる」 トーマス・エジソン。 「時は何故こんなにも早く過ぎ去るのであろうか・・・」 「パパ!それは実に簡単な原理なんだよ。時間と年齢の相関関係だよ。例えば、2歳の時には1年が人生の半分でしょ、でも40歳だったら1年は40分の1しかない・・・。年をとるにつれて、1年の比率はどんどん小さくなるんだよ」 エド・ファリス「週刊モーニング プレーン通り42番地」より。 ※これは、1992年当時に連載されていたエッセイの中の一文であります。 この例えは、他の人の著作でも見かけるので、昔からある一般論なのかも知れません。 「道理のわからん年寄りは多いし、人間ができた若者も多い」 「NIFTY FJON」より。 ※まったくもってその通りであります。 「お願い!靴だけは踏まないで!体は怪我してもなおるけど、足に合う靴はこれしかないの」 アメコミ版「バットマン・リターンズ」より。 街中に突如現れ大暴れする異形のサーカス団に人々はパニックとなる。 上司のシュレックに渡し忘れたスピーチ原稿を届けようと街に出たミズ・セリーナ・カイル(後にキャット・ウーマンになる)も、そのサーカス団のひとりに捕らわれてしまう。 その時の彼女のセリフ。 映画にもこんな洒落たセリフがあったっけか? ※映画にはなかったセリフであります。 「飼い主が勤め人の猫にとって、夏の昼間を涼しく過ごす場所をみつけるのは重要なコトである」 たけだみりこ「「1992年まんがライフバラエティ 8月号 ゴロニャワン」より。 ※私は猫を飼った事はないのですが、ウチには時々野良猫が勝手に入ってくるのです。窓とか開けていると。 いつもはすぐに追い出すのですが、たまに、その入って来た猫の行動を見守る時もあります。 見ていると彼女(彼氏かも知れませんが)は、しばらくキョロキョロしながら部屋の中で当然のように自分の居場所を探そうとしているのであります。 まったく、猫ってヤツはズーズーしい。 さらに蛇足ながら、「自分の居場所を探す猫」と言えば、私はいつもロバート・A・ハインラインの「夏への扉」というSF小説を思い出すのであります。 「うだるような夏の日・・・。ひややっこを食べながらいつも思っていた。この中にからだをしずめてみたい!そして熱帯夜の今宵ー、ついに夢がかなう・・・。バスタブにしきつめた『420丁のひえた 絹ごしどうふ!!』」 岡林みかん「1992年まんがライフバラエティ 8月号 福の種 真夏の夜の夢」より。 ※「牛乳風呂」ってのは良く聞きますが、さすがに「豆腐風呂」ってのはあまり聞きませんね。 夏の暑い日、実際にやってみたら、確かに気持ち良いかも。 「宣教師達はジャングルへ行って、裸の野蛮人達を、永遠の無知から救ってくれるそうです。でもねえ、あの人達が来るまでは、インディアン達も、自分達のことを馬鹿とは知らなかったわけですからね」 ロブ・マグレガー「インディ・ジョーンズ 第七の魔力」より。 ※「馬鹿」とは穏やかじゃありませんが、このセリフには文化的侵略者に対する皮肉が含まれているのだ、と思います。 余計なお世話。 「夢を見ている時は、普通の状態よりも目が醒めていることがよくある」 ロブ・マグレガー「インディ・ジョーンズ 第七の魔力」より。 ※夢の中でいろいろな発見・発想を得る事は多いのであります。 問題はいかに目覚めた後までそれを覚えているか、なのであります。 ぼく「この世界がいつか終わってしまうと気に病んだことはありますか?」 アクマ「まったくない。終わらないんじゃないかと気に病んだことはあるがね」 「劇団ブリキの自発団」の演出家「生田萬」のセリフか、「鈴木翁二」の「東京グットバイ」のセリフ。 ※と、当時の日記には書いてあるのだけども、出典は不明。 少なくとも鈴木翁二(漫画家)の「東京グットバイ」の中にはなかったのであります。 はて? 「恋愛における偶然と必然について考えたことがある。『うまくいくのは偶然で、失敗するのは必然ではないか』ということだ」 古瀬幸広「ネットワーカーズ・ハンド・ブック」より。 ※古瀬幸広は科学ジャーナリスト。 「マーフィの法則」に代表される様に、コンピュータ関係者やプログラマーには「悲観主義者」が多いみたいなのであります。 ま、「楽観主義者」のプログラマーってのも、ちょっと心配だけども。 「竜を追う者は、自らもまた竜となる」 野阿梓「凶天使」より。 ※野阿梓はSF作家。 このセリフのオリジンは、19世紀の哲学者ニーチェの「怪物と戦う者はその際、自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。長い間、深淵をのぞきこんでいると深淵もまた君をのぞきこむ」でありましょう。 「最後にひとつ、AT互換機を買うポイントを付け加えておこう。それは、買った後、数ヶ月間は広告を見ないことだ」 「1992年PCPOWER 8月号」より。 本当に、コンピューターって、そーなんだよなー。 ※これは10年前のコンピュータ雑誌に載っていたセリフでありますが、これは今でも(そしてこれからも)有効なセリフなのであります。 得てして新しいパソコンを買った直後に、それよりももっと良いパソコンを発見するモノなのであります。 「タッスルホッフ・バーフット」キャラモンがいかめしく言う。 「ひょっとしたら、これまでのことはすべて、神々がおまえ一人をおもしろがらせるために企てたんじゃないかと思うときがあるぞ。ひょっとしたらだがー」 「ドラゴンランス伝説 6 奈落の双子」より。 最終巻にしてこのキャラモンのセリフ!なるほど、もしかしたら、案外、それが真実かも知れないな。 あの奈落くんだりまで行って女王と戦おうとしたレイストリンにしても、このタッスルの駒に過ぎなかったりして・・・。 ※「ドラゴンランス」はRPG風ファンタジー大河小説。 「キャラモン」は、その中に登場する「戦士」。 「タッスルホッフ・バーフット」は、その中に登場する悪戯好きのケンダー族(小人族)の「盗賊」。 パーティの中のトラブルメーカーである「タッスル」が、実は世界の命運を決めるキーなのかも知れない、というセリフであります。 「また油断しちまったがよ 今度は命をかけてやるぜー」 「なんだとォー?命をかけるだとォー?ガキみてえなこと言いやがってェ。なにかかけねえと 本気にもなれねえようなヤローになにができるゥー!」 いがらしみきお「ぼのぼの 5」より。 ヒグマの部下がスナドリネコに対して言ったセリフに、ヒグマの大将が怒ってこう言う。 ※「ぼのぼの」は名台詞の宝庫なのであります。 「若いうちの苦労は買ってでもしろ」 「『若いうちの黒は勝ってでも白』!? どおいうイミかしら!?」 「少年ガンガン 9」より。 ※少年ガンガンはエニックスから出ている月刊漫画誌。 出典作品名は忘れてしまいました。 柴田亜美の「南国少年パプアくん」だったかなあ。 「神の死により、見知らぬ場所に天使たちが置き去りにされる」 昔、プログラマーがフォールトチェックを行わないと、無限ループが待っているDECのオペレーティング・システムがあったそうだ。人間であるご主人様が見張ってないと、コンピューターの小宇宙がカオスに投げ出されるかも知れない。 システムを作ったプログラマーは心配になって、コードに皮肉を込めて、こう、コメントを入れたそうである。 ※「見知らぬ場所に天使たちが置き去りにされる」っていうフレーズが格好良いと思ったのであります。 巨大コンピューター・プロジェクト、その6つの段階。 1)熱狂 2)幻滅 3)パニック 4)犯人探し 5)ぬれぎぬ 6)何もしないものが賞賛と名誉を受ける 「笑うコンピューター」より。 ※「笑うコンピューター」は10年ぐらい前に技術評論社から出ていた、プログラマーたちのジョークなどを集めた本。 この「6つの段階」は、コンピュータ・プロジェクト以外にも当てはまる法則だと思います。 例えば「別れることになってしまった恋人たち」とか・・・。 「Little pot is soon hot」 大きな器の人間にならなきゃいかん、という事。 「シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』から僕が得た結論は、民衆政治においては最後まで話し続けた者が勝利する、ということだった。これは結構正しいと思う。異論がある人間は、論争の場から去ってはいけないのだ」 「NIFTY FCOMIC」より。 ※これがなかなか難しいのです。議論が長引くと、疲れたり飽きたりしてしまうモノなのです。 結局、議論も体力のある方が勝ち、って事かなあ。 「あんたはあたしを正義といったが そんなつもりは全くないよ。たまたま嫌いな奴に 悪党が多いだけの話さ」 冨樫義博「少年ジャンプ 幽遊白書」より。 強敵「死々若丸」を撃破した際、妖術師の老婆「幻海」が言ったセリフ。 ※「少年ジャンプは相変わらずトーナメント戦が好きだなあ」などと呆れつつも、一時期この漫画を面白く読んでいたのであります。 彼は新聞やメモや、そのほか見たところ雑多な書類が積みかさなっている自分の机のほうへぶらぶら歩いていった。とつぜん、彼はくるりとふり返った。 「ハドスンさん!」と彼は叫んだ。 わたしたちの家主は、ホームズのよごれたシャツを手にしたまま、寝室から急いで出てきた。 「ハドスンさん、ぼくの机からなくなったものがあります」 「なくなった、ですって?」 「とてもだいじなものです」 「おやまあ、思いあたりませんけど」 「ほこりですよ」 彼は机の表面にそって指を走らせ、その指を彼女にむけてぴくぴく動かした。 「ぼくがはっきりたのんでおいたのに、かたづけましたね」 「何も動かさないように気をつけましたわ」ハドスン夫人はつよく言い返した。 ホームズはじれったそうに首を振った。「ほこりというやつはね、ハドスンさん、ぼくの整理法の一部で、切りはなせないものなんです。ほこりの厚さで、どの書類でもすぐ、いつのものかわかるのだから」 わたしたちの家主は腹立たしげに鼻を鳴らすと、人差し指と親指を1インチばかり離して突きだした。 「ほこりがこんなに厚いところもありましたわ」 「それは1883年の3月のものだろう」 M&M・ハードウィック「シャーロック・ホームズの優雅な生活」より。 ※ホームズの正典(原作者コナン・ドイルの書いた作品をシャーロキアンはこう呼ぶ)にも名台詞は多いのですが、パスティーシュやパロディにも名台詞が多いのであります。 乱雑な部屋に住むホームズという図に、私は非常に親近感を持つのであります。 私の部屋もそうだから。 「宮崎君。好きで動画を作る時代は終わった。いまでは文部省とか日本航空だとか、つまらないものを背負ってアニメを作る時代だ」 「NIFTY 塚森」より。 宮崎駿のアニメーション「紅の豚(1992)」の主人公ポルコ・ロッソに、旧友「フェラーリン少佐」が映画館の中で言うセリフのパロディ。 ※オリジナルは、「冒険飛行家の時代は終わっちまったんだ!国家とか民族とか下らないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだよ!」。 このコメントを書くために久しぶりにLDで「紅の豚」を観たのですが、とても面白かったのでした(公開当時に観た時には今ひとつという感想だった)。 これは非常に良く出来た宮崎駿の「漫画映画」であります。 公開当時観た人で私と同様に「今ひとつ」だった人も、今、再見をお薦めするのであります。 「夏休みというのは、いつかは終わるんです。いつか必ず!」 新城十馬「蓬莱学園の犯罪 下」より。 ※面白い小説とか物語、面白い映画ってのはいつでも「素晴らしい夏休み」を描いているのではないか、と私は常々思っているのであります。 だからこそ、それらの「名作」を見終わった後にはいつも「一抹の寂しさ」を感じるのではないか、と私は思うのであります。 「物語の主人公というのは、普通の人間がめったに行かないような場所を旅している旅人のようなモンだと思います」 岩明均「月刊アフタヌーン 寄生獣 原作者ノート」より。 ※なるほどなあ、なのであります。 私たちが読んでいる「物語」ってのは、みんな「旅行記」でもあるのですね。 「ねえ、ペペ・・・。ふしぎだと、思わない?私は 小さい頃 お父さんや お母さんは ずっと前から お父さんお母さんなんだって思ってた。でも みんな こうして お父さんや お母さんに なっていったのね」 「ドラゴンクエスト 5」より。 ※ドラゴンクエスト5の副題は「天空の花嫁」。 主人公(プレイヤー)と結婚し、子供を産んだヒロイン「ビアンカ」が言うセリフ。 ちなみに、「ペペ」とは私がドラゴンクエスト・シリーズでいつも主人公に付ける名前なのであります。 「こんな時代なのにうちの子ったら 船乗りに なっちまって・・・。世界中の宝をさがすなんて 言っているのよ。自分の命が 一番の宝だって 早く 気づいて ほしいわ・・・」 「ドラゴンクエスト 5」より。 ※とある村のとある母親が言うセリフ。 「どんな時代でも 酒と おどりで 心を うるおすことを 忘れない。ま 本物の戦士がもつ よゆうと 言うやつだな。わっはっはっ」 「ドラゴンクエスト 5」より。 ※いつも酒屋に入り浸りの駄目キャラが自慢たっぷりに言うセリフ。 「メイドの土産」 「(C)SYU」 ※こんな下らない事をいつも考えているのであります。 でも、これは誰でも考えるフレーズかな。 考えないか。 「ついてゆく千匹の羊となるより、ただひとりの羊飼いとなるべし」 島本和彦「LOGIN ワンダービット」より。 「結婚指輪より女は手錠の方が似合う」 「女は異端者、みんな処刑しろ!」 ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」より。 独身主義者ヘンリー・ヒギンズ教授のセリフ。 ※物騒ですが、これはヒギンズ教授の「照れ」から生まれたセリフなのであります。 「前は花は売ったけど体は売らなかったわ。レディになった今は体を売るしかないのね」 ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」より。 貧しい花売り娘「イライザ」は、言語学者「ヒギンズ」のとある実験のために特別の英才教育を受ける事になる。 しかし、憧れであった淑女になってみて初めて、今の自分には何も残っていない事を知り愕然とするのであった。 ※「マイ・フェア・レディ(1964)」は私の好きなミュージカル映画。 ヒロインの「オードリー・ヘップバーン」も素晴らしいし、ヒギンズ役の「レックス・ハリスン」も素晴らしいのであります。 もちろん音楽も。 「凄い!星がいっぱいだ!」 「2001年」より。 木星調査に向かったリチャード・ボウマン船長が最後に残したセリフ。 このセリフを最後にボウマンは行方不明になる。 ※妙に私が感動したセリフなのであります。 「チャンドラー博士。私は夢を見ますか?」 「2010年」より。 HAL9000のセリフ。 ※このセリフも大好きです。 映画「2010年(1984)」は今ひとつのSF映画でしたが、もっとも名作「2001年(1968)」の続編なんて誰が作っても「今いち」であったでしょうが、スーパーコンピュータ「HAL9000」と、生みの親「チャンドラー博士」とのエピソードはちょっと好きでした。 これはチャンドラー博士との別れの際、HAL9000が最後に言うセリフ。 私はこの手の「知能を持ったメカ(コンピュータやロボット)」が、死ぬ間際(壊れる間際)に言う「一言」に、弱いのであります。 「物語は、それが現実離れしたものであればあるほど、作り手はディテールを精密に語らなければならない」 アンドレ・モロワ。 ※アンドレ・モロワはフランスの作家。 これはSFやファンタジー物語を作る時の基本であります。 「才能に勝る、努力なし」 つかこうへい。 ※この人の、こおいう「ひねくれた」言い回し、私は好きなのです。 「危険なダークダックス」 大川興業のネタ。 ※ダークダックスは童謡や世界の民謡、ポップス等を歌う、ほのぼの系男性コーラス・グループ。 「危険なダークダックス」、そんなのがいたら、凄く怖いと思うのであります。 とりあえず今回はここまで。 昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。 その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。 |
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