SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.45
「今日の名台詞 その(5)」
について

(2003年3月30日)


私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。

と言うワケで、今回も昔の日記からそれを抜き出してご紹介するのであります。

コメントはその当時のモノ。
※印付きのコメントは今の私の補足説明です。

またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。




「君の意識は今、まどろみの中にある。これが現実なのか夢なのか君には分からない。いつでも自分の選んだ道が現実となり、常に他の一方は夢になるんだから・・・」
「夜桜忍法帖」より。
※「夜桜忍法帖」とは、1993年に「遊演体」が行った郵便を使ったRPG(ロールプレイング・ゲーム)。
月一回送られてくる会報の中に書かれている「行動選択肢」を選び投稿すると、それから一ヶ月後、再び送られてきた会報に「行動結果」が描かれており、それを一年間続けるという、今にして思うと、とても「気の長い」ゲームなのでありました。


「もし今の仕事についていなかったら何をしていたか?」
「今の仕事を目差してた」

戸川純があるインタビューに答えて。
※「戸川純」は私の大大大好きなアーティスト。
この人の「玉姫様」を初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れる事は出来ないのであります。


「『個性を伸ばす教育』など存在しない。個性を潰そうとする圧力に抵抗することから個性が生まれるのだ」
「NIFTY、RPGフォーラム」より。
※なんだかアナーキーなセリフであります。


「僕の目的はただ一つ・・・。グロテスクであること。もし僕がグロテスクでなければ、僕は何物でもない」
オーブリー・ビアズリー。
※「ビアズリー」は19世紀末に一世を風靡した画家。
その退廃的でグロテスク、エロチックで特異な画風は今でも多くのファンを持つのであります。


「笑わす!!泣かす!!燃えさせる!!M・C(マルチ・コメディ)、略してマルコメ作家・おおた文彦先生の作品掲載はJ(ジャンプ)だけ!!」
「少年ジャンプ 93年3月22日号」より。
あいかわらずの「ジャンプ」である。まあ、しかし、「M・C」などという造語を勝手に作り、さらにそれを略して「マルコメ」などと言っているのに、呆れつつも感心するのであった。
※これは漫画のコマの外に書かれている「アオリ文」であります。
この手のアオリ文は編集部の人間が考えているのだと思うのだけども、当時、「マルコメ作家」などという肩書きを付けられた「おおた文彦先生」の気持ちはいかなるモノであったか、今でも気になるのであります。


「なにしろダメOLだったから・・・」
「うそー マジメそうなのにー」
「マジメなのにダメなのよ・・・。つらいものがあると思わない?」
「・・・・・・うん」

秋山りす「OL進化論」より。
※秋山りすのOL漫画は、こちらがOLじゃなくても「そうだよなあ」などと共感させてくれるセリフが多いのであります。


「あの堀くん!」
「やあ 滋子ちゃん 何だい?」
「うん あの今晩あたり・・・ 一緒に 食事でも どうかなと・・・」
「今晩!? ごめんよ 滋子ちゃん 今日はだめなんだ!!」
「あ ああ そう・・・」
「どうしても手が放せない、だいっっじな用事があってね!」
「・・・・・・」
「何しろあと 50メートルなんだよ・・・」

東海林秀明「堀まくり一家の婚礼」より。
※もはや何が「50メートル」なのか忘れてしまっている私ですが、タイトルから想像するに「穴掘っている」というシチュエーションみたいなのであります。
デートの誘いを断る理由が「あと50メートルだから」ってのは、これ、なかなかシュールです。


「いつか活きるかもしれん、と残しておいて、活きるモノなど、何もない」
出典不明。
※昔の雑誌の切り抜きとか、ファミコン雑誌の付録のシールとか、何故か未だに捨てられない私・・・。


レイモントは苦い顔をした。
「船長は第三の可能性を見落としておられる。生き残ることはできても、悲惨な状態になる可能性を・・・」

ポール・アンダースン「タウ・ゼロ」より。
※「タウ・ゼロ」は1993年の星雲賞(海外長編部門)を受賞したハードSFです。
亜光速で進む恒星間宇宙船が、事故のために減速する事が出来なくなり、ひたすら加速して宇宙の果てまで突き進む・・・という物語でした。


「あなたはそれほど死ぬのが怖い?」
「いや。生きるのが好きなだけだ」

ポール・アンダースン「タウ・ゼロ」より。
※「宇宙の果て」ネタと言えば、昔のテレビSFドラマ「キャプテンウルトラ(1967)」」の最終話や、映画の「スター・トレック5 新たなる未知へ(1988)」などが思い浮かびます。
また、「死ぬのが怖いのじゃなくて生きるのが好きなのだ」というセリフは、いかにもアメリカ人チック、だと思うのであります。


「目羅博士の殺人の動機ですか。それは探偵小説家のあなたには申し上げるまでもないことです。なんの動機がなくても、人は殺人のために殺人を犯すものだということを知り抜いていらっしゃるあなたにはね」
江戸川乱歩「目羅博士」より。
※「目羅博士」(私が子供の頃に読んだ時には、『目羅博士の不思議な犯罪』というタイトルだった様な・・・)は私の好きな江戸川乱歩の短編小説であります。
物語の中に出てくる上野の「不忍池」は、長い事、私の憧れの場所でもありました。
実際に行ってみると、別になんちゃない池なんだけども・・・。


「人間と恐竜の違いは、未来を選択する事ができるかどうか、という違いだ」
というコピー(宣伝文句)がでかく書かれたポスターが、ある日、駅に貼ってあった。
どうやら、「人間には知性があるのだから、絶滅の危機の前に、ちゃんと自衛策を講じて危機を回避することが出来るだろう。絶滅するしかなかった恐竜よりも、人類ははるかに賢いのだ」という意味らしい。
なんて「思い上がった」考え方なのだろう。
恐竜が「未来を選択する事が出来なかった」様に、人間も「選択の余地がないまま滅んで行く」のではないだろうか。
「滅び」を自ら選択するヤツはいなく、「滅び」というのは選択の範中を越えたところにある「不可避な結果」だと思うのである。
※何のポスターだか忘れてしまったけども、1993年頃の広告ポスターに書かれていた文句であります。


「神はサイコロを振らない」
アインシュタイン。
※時代から抜きん出た天才の言うセリフはみんな格好良いなあ、と思うのであります。


「最初はビリだったのに、段々最先端になっていく喜び」
中島らも「沈没都市除霊紀行・大阪の悪霊」より。
そおであったか。
日本人はよくよく並ぶのが好きな民族だと常々思っていたのだが、そおいった喜びが、そこに隠されていたワケなのだなあ。
※でも実際は、欧州とか行くと彼らも平気で何時間も並んでいたりします。
反対に日本人の方がイライラするぐらい。
列を作って並ぶのが好きなのは、人類共通の「特性」なのでありましょう。


「僕は誰もが皆、機械になるべきだと思う。僕は誰もが皆似ているべきだと思う」
アンディ・ウォーホル。
※ウォーホルは20世紀を代表する現代アート作家。


「電気グルーヴの石野卓球が旅先でラーメンを喰っていたんだ。すると、『武道館のステージに立っていた奴が、地べたでラーメン喰ってる!』と言われたそうだ。でも、その時、卓球は思ったさ。『いや、地べたでラーメン喰っている奴が、たまたま武道館のステージに立ったのだ・・・』と・・・」
三本義治「新人漫画大行進」より。
※これは今は廃刊してしまった(確か廃刊したんだよなあ?)月刊漫画誌「ガロ」に昔、載っていた漫画の中のセリフ。
ちょっと格好良いと思ったのであります。
ちなみに、三本義治は私の好きな漫画家の一人で、この人の「テロル」という作品は近年希にみるサイコ・ホラー漫画の傑作でありました。


「いいか朝比奈、この世界には絶対に変えることのできない根本的な法則がある。それは、すべての事象は悪化するという法則だ」
新城十馬「蓬莱学園の初恋!」の「悪運バッドラッキィ・ベッキィ」のセリフ。
※オリジナルは「マーフィの法則」でありましょう。


「法律が悪くないとは言っていない。だが、誰かがそれを直してくれるまでそれを守るのが俺の義務だ」
「ダーティハリー2」のハリー・キャラハンのセリフ。
※「ダーティハリー」はクリント・イーストウッド主演で、1971年から1988年にかけて全5作が作られた、サンフランシスコ市警「キャラハン刑事」の物語です。
「ダーティハリー2」では、警察内部の過激派若手警官たちとの戦いが描かれていて、上の様なセリフをキャラハン刑事が言うのであります。
しかし、シリーズの他の話ではキャラハン自身が「超法規的」に悪者を処刑したりしているのであります。
ズルい!


「世の中には、無駄とか、きっとダメだろうとか、わかっていてもやらなきゃならないことがあるよね。ベルリンの空を覆い尽くす米四発重爆と、それを護衛するサンダーボルトやムスタングの大群。そんな、味方より15倍も20倍もの戦闘機の群れに、それでも突っ込んで行ったドイツ空軍戦闘航空団のように、だ」
「ファミコン通信 1993・5・28」より。
これ、新しいゲーム紹介記事の(別に戦争のゲームでもなかったのに)、その冒頭のマクラの言葉なのである。なんとマニアチックな例えなのであろうか!
※以前にも書きましたが、当時のアスキーから出版されていた雑誌のライターには、面白くて素敵な文章を書く人が一杯いたのであります。


「フロッピー?犬の名前みたいだね?」
イッセー尾形「イッセー尾形が見たい!92'2 とある営業マンの転職」より。
※一時期、イッセー尾形の一人芝居にハマっていた事があるのです。
上記の「フロッピー」とは勿論「フロッピー・ディスク」の事であります。パソコンを知らない中年男のセリフなのであります。
が、これから段々と「フロッピー・ディスク」という記録メディアは無くなっていき、反対に若いパソコン・ユーザーがいつかはこおいうセリフを言う様になるのだろうなあ、とか思うのであります。


「世界の人口は2つのグループに分けられるという人がいる。つまり、ビデオの録画ができる人そうでない人である。おそらくこの瞬間にも、『12:00』と点滅したままの電子機器が1,000万、いや1億台も存在するだろう。持ち主がタイマーのセット方法を知らないからだ。『12:00』と点滅している電子レンジやビデオは、アメリカだけではなく世界中にあふれている」
リチャード・ワーマン「理解の秘密」より。
※20世紀後半、いろいろな物に時計・タイマーが付くようになりました。
そして本来、時間から我々を解放する目的で付けられたタイマーが、現実ではその反対に、さらに時間に束縛させる事になっているというこのアンビバレンツ・・・、面白いなあ、と思うのであります。


「自暴自棄と死亡時期は似ていると思う」
「ファミコン通信 1993・6・4」より。
※この「○○と○○は似ている」というシリーズ、そのまったく関係ない二つの単語の語呂が似ている事プラス、「よく考えると何だか意味合いも似ている」というのがポイントなのであります。


「子供はみんな科学者だった」
荒俣宏「大東亜科学綺譚」より。
※今度、学研から30数年前の「科学」が教材付きで複刻発売されるのだとか。
もちろんターゲットは当時、少年少女だった現在の大人たちなのであります。
私も久しぶりに「押し入れ」でパンでも発酵させてみるかなー。


「博物学者は、自分の愛する専門対象を『食う』ことができる唯一の科学者なのである」
荒俣宏「大東亜科学綺譚」より。
※なるほど、なのであります。


「世界の中心には名曲がある。肉体を切り裂く音のするな。俺はその音量を上げるのだ」
「ヘルイレイザー3」より。
※「クライヴ・バーカー」原作のこのホラー映画シリーズ、映画を観た事がない人でも、劇中に登場する魔導士「ピンヘッド」は知っている事でしょう。
顔中に無数のピンが刺さったその姿は、ホラー映画史上に残る名キャラクターでありましょう。


「他者の存在を理解することは往々にして困難だが、必要なことである。殺すも殺されるも理由があってのことなのだから」
「夜桜忍法帖」の「水原静」のセリフ。
※ちなみに、このゲーム中の私のキャラクター名は「犬走猫太郎」というモノでありました。
プレイヤーたちが八つの忍者軍団に別れ、それぞれが戦い合うという物語。
私が所属していた忍軍は「卍宗」というところでしたが、全然活躍しないまま終わってしまいましたっけ。


「坂道を登りつめれば海が見えるような気がするのだが、もうずいぶん長い事試みながら成功に至らない」
望月勝広「骨(ガロ1993・7)」より。
※望月勝広は現在では「逆柱いみり」という名前で描いている漫画家です。
「その坂道を登りつめれば海が見えるハズ」という感覚、凄く良く分かるのであります。


「真実ではないが真理ではある。意味はないけど理由はある。そういったものに近頃益々興味を惹かれるのだ」
根本敬「因果鉄道の旅」より。
※根本敬もガロ系で活躍していた漫画家ですが、上記の「因果鉄道の旅」は人間観察のエッセイ集です。
ちなみに、彼の「未来精子ブラジル」(これは漫画)は超大傑作でありますが、あまり人には薦められない「問題作」でもあります。


「動いているプログラムはすでに時代遅れ」
遠藤諭「コンピューターに関するマーフィーの法則(ASCII 1993・7)」より。
※なるほど、なのであります。


「ある分野の先進性は、そのジャンルの雑誌の数に反比例する」
遠藤諭「ASCII 1993・7」より。
※これも、なるほど、なのであります。


「周辺機器の法則。使う可能性の低い周辺機器ほど欲しくなる」
「ASCII 1993・7」より。
※これもこれも、なるほど、なのであります。
これらは10年前の「ASCII」に載っていた文句でありますが、この手のコンピュータ関連の「警句」は、何年経っても有効なのであります。
あー、スキャナーが欲しいなあー。


「暗くて、ドラマチックで、憂欝で、悲しくて、重苦しいもの。そのほうが健康なんだと思う」
ティム・バートン。
※健康的かどうかは分かりませんが、「暗くて、ドラマチックで、憂鬱で、悲しくて、重苦しい」ティム・バートンの映画は私、好きなのであります。
でも最近は、そうでもなくなって来ていて、ちょっと残念に思っているのであります。


「あてのラバさん タヌキの親戚で コロコロコロコロコロ 転がっている 阿弥陀如来を 頭に埋め込んで 光速で走るよ」
モダンチョキチョキズの2枚目のアルバム「ボンゲンガンバンガラビンゲンの伝説」の中、「有馬ポルカ」という曲から。
なんだか分からないが、もの凄いイメージだなあ、コレは。
特に「阿弥陀如来を 頭に埋め込んで 光速で走るよ」というのが、凄まじい。
なんとなくサイバーパンクっぽい世界観すら感じるのである。
そして、このようにして始まったこの歌、次の歌詞で終わるのである。
「空から降りつむ無情の月に 涙こらえる私は十八 テレパシーもどきの暗黙の了解なんて 有馬温泉一泊二日」。
ううむ。凄すぎるぜ。
※いやあ、モダンチョキチョキズの歌詞はみんなブッ飛んでいて大好きなのであります。
また「濱田マリ」をボーカルにして復活しないかなあ。


「白き夜に、鳴かぬカラスの声きけば、生まれぬ前の母ぞ恋しき」
朝倉喬司「上々颱風、愛があるから大丈夫、ライナーノーツ」より。
※朝倉喬司はノンフィクション・ライター。
「闇の夜に 鳴かぬカラスの声聞かば 生まれぬ先の父ぞ恋しき」というのがこれのオリジナルみたいです。
何でも白隠禅師という人が作った「不条理」歌なのだとか。


「ひとは、たとえ架空のものであろうと、敵を・・・混沌を『作り上げた』主体を・・・想定することによってのみ、秩序を回復できるという錯覚に陥るのだから」
横山茂雄「別冊歴史読本 ユダヤ/ナチス」の中、「物語としての同祖論の『起源』」より。
※いつの時代でも人類は「敵」を必要として(そして敵を作り出して)生きていく、らしいのであります。
困った事です。


結局、ヒトラーというのは資本主義者だった。
「ブルジョアがひそかに良心の呵責を感じながらやっている事を、我々は何のやましさも感じずに行う。我々が連中の車をぬかるみから引き出したのだ。支配は犯罪的な手口なのだ」

アドルフ・ヒトラー。
※いつの時代でも支配者というのはもっともらしく、そして一見「格好良い」セリフを吐くモノなのであります。
困った事です。


「いい思い出も悪い思い出もあらへんで。記憶は記憶。残った記録はみんないい記憶や」
いがらしみきお「のぼるくんたち、最終回(月刊アフタヌーン9)」より。
※記憶というのは不思議なモノです。
「悪い記憶はやがて忘れてしまう」という人もいますし、反対に「悪い記憶しか覚えていない」という人もいます。
上記のセリフは「良い記憶も悪い記憶もない。残った記憶はみんな良い記憶なのだ」という、まこと奥が深いセリフなのであります。


「今日は朝からあいにくの日曜日でして・・・」
春風亭柳昇。
※私が子供の頃、大好きだった落語家がこの「春風亭柳昇」でした。
かなり年輩の大御所であったのにも関わらず、当時の若手芸人の誰よりも「アバンギャルド」で「アナーキー」、そして「ナンセンス」で「シュール」な話芸の持ち主だったのであります。


水玉「やっぱり、リトルメジャーよりも、ビッグマイナーってことで」
伊藤「じゃあ今後、水玉ファンはどういうメディアをチェックすればいいんでしょう?」
水玉「それは秘密ですよ。仕事の全貌がわからないというのも、ビッグマイナーの重要な要素じゃないかと」

水玉=水玉蛍之丞、伊藤=伊藤ガビン「EYE・COM 16・17」より。
※「リトルメジャー」「ビッグマイナー」とは、1970年代の終わり頃、共に多くのマニアックなファンを持っていた漫画家「いしかわじゅん」と「吾妻ひでお」に対して使われていた敬称です。敬称かな?
すなわち、「いしかわじゅん」は「リトルメジャー」な作家で、「吾妻ひでお」は「ビッグマイナー」な作家、という具合に。
一般的な認知率は低いけれども、熱心で狂信的な多くのファンを持つという点ではどちらも共通しているものの、その二つの立場は「微妙」に違うのであります。
「ビッグマイナー」の方が「オタク性」がちょっと強い感じでしょうか。
で、私は「ビッグマイナー」の作家の方が好きなのであります。




とりあえず今回はここまで。

昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。
その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。




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