SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.46
「東宝SF映画(4) キングコング対ゴジラ」
について

(2003年5月18日)


今回は1962年の東宝SF映画「キングコング対ゴジラ」であります。


1954年に日本で生まれた「ゴジラ」はその8年後、ついに外国の怪獣相手に戦う事になるのであります。
しかも相手は怪獣界の大御所「キングコング」!
まさに東西の雌雄を決する夢の対決なのであります。
本作は「東宝30周年記念作品」として製作され、監督は「本多猪四郎」、特技監督は「円谷英二」、そして脚本は「関沢新一」でした。


「キングコング対ゴジラ」が製作された60年代は、東宝映画の黄金時代でもありました。

1956年より製作が開始された「森繁久弥」主演の「社長シリーズ」はその最盛期を迎え(信じられない事に60年代だけでも社長シリーズは27本も製作されている!)、1961年には「加山雄三」主演で「大学の若大将」が作られ「若大将シリーズ」がスタートし、翌1962年には「クレージーキャッツ」の「ニッポン無責任時代」が製作、これも「東宝クレージー映画」としてシリーズ化され、一世を風靡するのであります。

また、東宝の大看板である「黒澤明」もこの時期、「悪い奴ほどよく眠る(1960)」「用心棒(1961)」「椿三十郎(1962)」「天国と地獄(1963)」「赤ひげ(1965)」などの傑作・名作を作りました。

さらに、「名もなく貧しく美しく(1961)」「ゲンと不動明王(1961)」「新・夫婦善哉(1963)」「伊豆の踊子(1967)」などの文芸作品もありました。

そして、当然、我が愛すべき東宝SF映画もこの60年代に数多くの傑作が作られました。

「電送人間(1960)」「ガス人間第一号(1960)」「モスラ(1961)」「世界大戦争(1961)」「妖星ゴラス(1962)」「マタンゴ(1963)」「海底軍艦(1963)」「モスラ対ゴジラ(1964)」「宇宙大怪獣ドゴラ(1964)」「三大怪獣・地球最大の作戦(1964)」「フランケンシュタイン対地底怪獣(1965)」「怪獣大戦争(1965)」「フランケンシュタインの怪獣・サンダ対ガイラ(1966)」「ゴジラ・エビラ・モスラ・南海の大決闘(1966)」「キングコングの逆襲(1967)」「怪獣島の決戦・ゴジラの息子(1967)」「怪獣総進撃(1968)」「緯度0大作戦(1969)」「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オールスター怪獣大進撃(1969)」。

以上、これだけでも十分「凄まじい製作本数」だと言えるのに、さらに東宝は「戦争大作」も作っていました。

「独立愚連隊西へ(1960)」「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦・太平洋の嵐(1960)」「紅の空(1962)」「太平洋の翼(1963)」「青島要塞爆撃命令(1963)」「太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965)」「ゼロ・ファイター大空戦(1966)」「日本の一番長い日(1967)」「連合艦隊司令官・山本五十六(1968)」「日本大海戦(1969)」。

「お笑い」があり「青春」があり「ドタバタ」があり「人間ドラマ」があり「時代劇」があり「SF」があり「怪獣」があり「戦争」がある。

当時の東宝映画のキャッチフレーズの一つは「いつも楽しい東宝映画」というモノでしたが、まさに、そんな東宝が一番隆盛を極めていた時に、持てる力の総力を結集して製作した「娯楽超大作」が、「キングコング対ゴジラ」だったのであります。



少々前フリが長くなってしまいました。
お話は、こうです。


「パシフィック製薬」の定年間近の冴えない宣伝部長「多湖(有島一郎)」は苛ついていた。
「TTV」で放送中の自社提供番組「世界驚異シリーズ」の視聴率が最低を記録しているからだ。
その原因は番組内容のツマラナさである。
「何が『驚異』だッ!視聴率5パーセントの方がよっぽど『脅威』だッ!」。
社長からも叱責され進退窮まった多湖は、そのテコ入れ策として、ソロモン諸島の沖「ファロ島」に伝わる「巨大なる魔神」の取材を企画する。
最近、その魔神が目覚めたらしい、という噂を耳にしたのだ。
多湖をリーダーにTTVのカメラマン「桜井(高島忠夫)」と演出部員「古江(藤木悠)」の海外取材班が結成される。
半信半疑のまま現地に飛ぶ桜井と古江。
そんな時、北極海の水温異常の調査に向かった国連の原潜「シーホーク号」は、「チェレンコフ光」を放つ異様な氷山を発見した後、その消息を絶つ。
南の島で目覚めた魔神「キングコング」。
北の氷山の中から復活を遂げた古代竜「ゴジラ」。
ゴジラ南下の報を聞き、多湖はファロ島のキングコングを捕獲し日本に連れて来る計画を立てる。
二匹を戦わせようと言うのだ。
それを「パシフィック製薬」提供番組として放送しようと言うのだ・・・。
「宣伝にやり過ぎはないッ!」。
暴走する多湖部長を止められる者はもはや誰もいない。
不思議な運命に操られ、二匹の巨大獣は決戦の場を求めて日本へ。
「キングコング対ゴジラ!!」、そう叫ぶ多湖部長の顔には、今まで誰にも見せた事のない喜びに満ち溢れていた。
史上最大の対決が・・・、こうして始まったのだった・・・。


東宝SF映画は様々な名キャラクターを生み出してきました。
怪獣や怪物、宇宙人や怪人はもちろん、それに対峙する人間側にもたくさんの名キャラクターがいます。
例えば、「ゴジラ」の孤高の天才科学者「芹沢博士(平田昭彦)」。
「モスラ」の正義漢溢れる新聞記者「福田(フランキー堺)」。
「海底軍艦」の無骨な旧日本海軍軍人「神宮司大佐(田崎潤)」。

そして本作、「キングコング対ゴジラ」のパシフィック製薬宣伝部長「多湖」も、東宝SF映画史に残るそんな名キャラクターの一人なのであります。
その「エキセントリック」で半ば「狂的」な彼のキャラクターには、今なお、多くのファンが存在しているのであります。
自社の宣伝のためにキングコングを捕獲し、さらには日本に連れて来てゴジラと戦わせてしまうという多湖部長の常軌を逸した滅茶苦茶ぶりは、ともすれば「嫌な奴」「悪い奴」となってしまいがちです。
この「営利目的のために怪獣・怪物を捕獲し、それによって大惨事が起こる」というプロットは、怪獣映画の定番のひとつです。
それこそオリジナルの「キングコング(1933)」自体が、「見せ物」にするために連れてきた南洋の大猿がニューヨークで大暴れするというお話でしたし、東宝の「モスラ(1961)」でも悪徳興行主「ネルソン」がインファント島から小美人を誘拐してきたためにモスラは東京を破壊したのです。
放漫で利己的な怪獣映画の悪者たち。
しかし、多湖部長にはそんな歴代の「怪獣誘拐犯」の持つ狡猾さや陰険さはまったくありません。
確かに彼は、自分の会社が提供しているテレビ番組の視聴率を上げるためにキングコングを日本に連れて来ちゃいますが、その当初の目的も映画の後半ではどうでも良くなっている感じです。
「ボ、ボクは宣伝マンとして、キングコングに賭けているんだ」とうそぶきつつも、次第に「単にキングコングとゴジラの世紀の戦いを見てみたい!」という無邪気な子供の様な気持ちに変化していくのです。
ちょっと困った「大人子供」。でも愛すべき「大人子供」。
この「トラブルメーカー」ながらも「どこか憎めない魅力的な」多湖部長のキャラクターは、シナリオでの設定というよりも、それを演じた「有島一郎」に負うところが大きいと思います。
有島一郎は当時、数多くの喜劇映画に出演しているとても達者な個性派俳優でした。
その役柄の多くは、「我が儘だけど小心」「頑固だけど無邪気」「神経質だけど善人」というモノで、それがそのまま本作の多湖部長のキャラクターになっているのでありました。

物語の最後、ゴジラとの戦いを終え、再び南の島に帰っていくキングコングを見送る多湖部長の後ろ姿には、「ああ。俺の人生最大のイベントが終わっちゃったなあ・・・」という祭りを終えた男の持つ、一抹の寂しさすら感じられるのであります。


この映画において、もう一つ特出すべき点が脚本の完成度の高さであります。
魅力的な多湖部長を筆頭に、「弥次喜多」の異名をとる桜井(高島忠夫)と古江(藤木悠)、桜井の妹「ふみ子(浜美枝!)」とその恋人「藤田(佐原健二!)」らが繰り広げる人間ドラマ部分の面白さ。
ウイットのある洒落た会話や丁寧に張り巡らされた伏線は、何度観ても決して飽きる事がありません。
(ちなみに、本作の伏線の張り方は非常に緻密で巧妙なモノです。何故、多湖部長を製薬会社の人間に設定したのか?何故、桜井の初登場シーンがドラムの演奏シーンなのか?何故、キングコングのファロ島では頻繁に雷雲が発生していたのか?何故、ふみ子はキングコングに狙われたのか?恋人の藤田が開発した特殊繊維の意味は?等々、後々の展開に重要な意味を持ってくる伏線がいたるところに埋め込まれているのであります)。
そして、もちろん、本タイトルである二大怪獣の描写にも力が入っています。
地球の北で出現したゴジラと、南で出現したキングコング。
その二つののエピソードをテンポよく交互に見せつつ、段々とその二つの事件が互いに影響を及ぼし、最終的にはその両エピソードが一つになり、映画の大団円に向けて大きな盛り上がりを見せていく。
本作は「怪獣対決モノ」の「教科書」とも言える優れた構成・脚本を持つ傑作映画でもあります。
平成ガメラ・シリーズの脚本家「伊藤和典」が、第一作目「ガメラ 大怪獣空中決戦」の話を作るに当たって、この「キングコング対ゴジラ」を念頭に置いたというのも、まこと納得出来るのであります。

特撮シーンも、「東宝30周年記念大作映画」に相応しい非常に大きなスケールで描かれています。
キングコングが目覚める「南洋の島」。
ゴジラが復活する「北極海」。
眠らせたキングコングを曳航する「巨大な貨物船」。
ゴジラに破壊される「原子力潜水艦」や「北方の軍事基地」。
共に日本に上陸し、那須高原での両雄の「最初の戦い」。
ゴジラの東京侵入を阻む自衛隊の「埋没作戦」と「電撃作戦」。
片や東京の街を蹂躙するキングコングと、その「空中輸送作戦」。
再び繰り広げられる激しい「富士の裾野での戦い」。
そして最終決戦地である「熱海城」等々、まさに見せ場見せ場の連続なのであります。

素晴らしい役者たちと完成度の高い脚本、贅沢な特撮で描かれた「怪獣映画」が面白くないワケがありません。

1962年の8月11日に全国公開された「キングコング対ゴジラ」は、観客動員数「1,250万人」という驚異的な大ヒットとなり、この数字は歴代のゴジラ映画、いや、日本で作られた全ての怪獣映画の中でも、未だに破られる事のない輝かしい記録を誇っているのでありました。



ところで。

この「キングコング対ゴジラ」というタイトル、決定するまで紆余曲折があったそうです。
よく出演者の名前を映画のオープニングやエンディングで出す際、「誰を一番最初にクレジットするか」という問題で製作者サイドが神経を使うのと同様、この「キングコング」と「ゴジラ」、どちらの名前を先にしてタイトルとするかが問題になったのです。
つまり、「東宝で作るのだから当然『ゴジラ対キングコング』だろう」と言う人もいれば、「いやいや、わざわざ海外から客演で招いているのだから『キングコング対ゴジラ』でしょう」と言う人もいたワケです。
喧々囂々の議論が続き、皆が疲れ果てた頃、一人の東宝の偉いさんがこう訊ねたそうです。
「ゴジラとキングコング、どちらが年輩かね?」。
当然、「キングコング」の製作は1933年、「ゴジラ」の製作は1954年で、キングコングの方が古いワケです。
「じゃ、やっぱり、『キングコング対ゴジラ』だよ。年寄りには敬意を表さなくっちゃ、ね」。
こうして目出度く「キングコング対ゴジラ」とタイトルが決定したのだそうです。


私がこの「キングコング対ゴジラ」を始めて観たのは小学二年生の時でした。
小学校の体育館で「授業時間」に観たのであります。
何故か、その当時、私の通っていた小学校では定期的に「文化教育の一環」として「映画上映会」が開かれており、全校生徒が体育館で「体育座り」して映画を観るというイベントが年に1・2回行われていたのです。
その時の私の担任は、若い女の先生でした。
そしてその先生が、体育館に向かう直前の教室で、ちょっと戸惑いがちに、「えー、今日は、とっても大きなゴリラの・・・出てくる映画です・・・」と言ったそのセリフを、今でも私は懐かしく覚えているのであります。




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