SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.52
「少年の友達は、異形(1)」
について

(2003年11月1日)


古今東西、書かれてきた小説はみな、結局は「聖書に出てくる47種類の物語パターン」に分類されるのだそうです。

とどのつまり、今までに作られてきた映画や演劇、漫画やアニメーションなども、その「47種類の物語パターン」から作られているワケです。

そんな数少ない物語パターンの一つに「異世界からやって来た友達」というのがあるのではないでしょうか。

例えば、こうです。


ある夜、少年は自宅の物置で奇妙な生き物を発見します。
それはまるでドラム缶を飲み込んだ大蜥蜴のような、実に醜い姿をしていました。
しかし、平べったい頭部の中の見開かれた二つの瞳には、どこかしら「知性」も感じられたのです。
その証拠に、助けを求めるかのような憂いを秘めた眼差しで、その生き物は少年を見つめていたのです。
少年は家族に内緒でその生き物を「飼う」事にします。
やがて、少年とその生き物は言葉ではなく、不思議な共感で結ばれていきます。
いや、その生き物は少しずつ言葉も覚え始めていたのです。
彼は星空を見上げて、こう呟いたのでした。
「E.T. phone home...」。


ご存じ、スティーブン・スピルバーグ監督の「E.T.(1982)」であります。
地球の少年と外宇宙からやって来た異星人との間に芽生えたこの友情物語は、映画史に残る大ヒットを記録し、これを「異世界からやって来た友達」モノのベストとする人も多いかも知れません。

この映画の中には「異世界からやって来た友達」モノにおける、いくつかの「基本フォーマット」が存在します。
すなわち、
1)少年は「孤独」である(父か母、もしくは両方がいない)。
2)異世界からやって来た友達は「異形」の姿をしている。
3)二人の出会いは周囲を巻き込んで「大事件」へと発展していく。
4)最後には悲しい「別れ」が待っているが、それはそれぞれの「新しい旅立ち」でもある。
というモノです。

物事には全てに意味があります。
何故、孤独でなければならないかと言うと、少年はその友達によって「癒され」なければならないからであり、何故、異形かと言うと、その友達は両親や人間の友達から「隠される」べき存在だからであり、何故、大事件が起こるかと言うと、その友達には「真の使命」があるからであり、何故、別れなければならないかと言うと、事件の後に少年は「成長」し、その友達は本来の「自分の居場所」を見つけるから、なのであります。

この設定は、「長靴をはいた猫」「ピーターパン」「クマのプーさん」「メアリー・ポピンズ」「風の又三郎」「エルマーと竜」などといった「童話」や「児童文学」「少年少女向け小説(ジュブナイル)」「ファンタジー物語」などの、昔からの王道でもあります。
いつでも少年や少女たちは「異界」を夢見、「異世界からの友達」をずっと待ち望んでいるのです。


1960年代の海外TVドラマ「名犬リンチンチン(1954〜1959)」「名犬ラッシー(1954〜1974)」「わんぱくフリッパー(1966〜1968)」(日本放映年)などの「少年と賢い動物」物語も、「異世界からの友達」パターンのひとつと言えるかも知れません。
自分とは違う世界からやって来た「人」ではない「友達」。
しかし聡明で頼りになる「力」を持つ「友達」。
そう言えば、同時期のSFドラマ「宇宙家族ロビンソン(1966〜1968)」においても、少年「ウィル」の友達役には「ロボット(フライデー)」が設定されていたのです。

日本のテレビでも古くから「異世界からの友達」で数々のドラマが作られました。
日本初の実写とアニメの合成ドラマ「宇宙人ピピ(1965〜1966)」は、東京の下町に住む小学生「俊彦」と「良子」の所に、宇宙から小さな黄色い宇宙人がやって来る話でした。
「ウルトラQ(1966〜1967)」の「第6話 育てよ!カメ」や「第12話 鳥を見た」も少年と異世界の友達の物語でした。
また、ウルトラQ以降のウルトラシリーズ「ウルトラマン」から最近の「コスモス」に至るまで、そのシリーズ中に必ず一作は「少年と怪獣」のお話が作られているのも、とても興味深い事実です。
これらの作品を作った「円谷プロ」では、「快獣ブースカ(1966〜1967)」というそのままズバリ「少年と異形の友達」をテーマにしたTVシリーズもありました。

「がんばれ!!ロボコン(1974〜1977)」から続く一連の「東映特撮ファンタジー路線」においても、様々な「異世界からやって来た友達」物語が作られています。
「ぐるぐるメダマン(1976〜1977)」「ロボット110番(1977)」「ロボット8ちゃん(1981〜1982)」「バッテンロボ丸(1982〜1983)」「もりもりぼっくん(1986)」では、少年の友達となるのは「ヘンテコなロボット」たちでした。
「透明ドリちゃん(1978)」「ペットントン(1983〜1984)」「どきんちょ!ネムリン(1984〜1985)」「てれびオバケてれもんじゃ(1985)」「勝手に!カミタマン(1985〜1986)」では、「妖精」や「オバケ」、「神様」までが少年の友達となってしまいます。
また、「コメットさん(1967〜1968)」や「好き!すき!!魔女先生(1971〜1972)」をルーツに持つ、「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!(1989)」「魔法少女ちゅうかないぱねま!(1989)」「美少女仮面ポワトリン(1990)」「不思議少女ナイルなトトメス(1991)」「うたう!大竜宮城(1992)」「有言実行三姉妹シュシュトリアン(1993)」などのいわゆる「実写魔法少女モノ」も、「異世界からやって来た友達」の亜流であると言えるでしょう。
さらに、友達が悪魔という「悪魔くん(1966〜1967)」、友達が巨大兵器という「ジャイアントロボ(1967〜1968)」、友達が河童の「河童の三平 妖怪大作戦(1968〜1969)」など、そしてまた数え切れないほどのTVアニメ作品を加えると、日本のテレビ界はありとあらゆる「異形の友達」を作ってきたのであります。


当然、映画の世界でも、先に挙げた「E.T.」を筆頭に、様々な「異世界からやって来た友達」物語が作られています。

療養中の母親のため、父と共に田舎へと移り住む事になった幼い姉妹「さつき」と「メイ」の二人。彼女らが森の中で出会ったのは太古の昔からその森に棲む不思議な生き物でした。

母を亡くし、心霊学者の父と共に幽霊屋敷に住む事になった12歳の少女「キャット・ハーベイ」。そこで彼女が友達になったのは一人の子供の幽霊でした。

母親と二人きりで暮らす10歳の少年「ホーガース・ヒューズ」。ある夜、森の中で発見したのは全長15メートルの巨大なロボットでした。

両親を失い、幼い弟と親戚の家で暮らす孤独な少女「比良坂綾奈」。彼女が唯一心を許したのは、祠の中で見つけた怪生物でした。

小学生の仲良し四人組「木下岬」「坂本祐介」「大野俊也」「松岡秀隆」。キャンプの夜、落ちてきた光の隕石の中から彼らが発見したのは、未来からやって来た小さな球形のロボットでした。

両親を亡くし、姉の「ナニ」と暮らす幼い女の子「リロ」。彼女がペットとして選んだのは宇宙からやって来た凶悪なモンスターでした。

それぞれ、「となりのトトロ(1988)」「キャスパー(1995)」「アイアン・ジャイアント(1999)」「ガメラ3 邪神覚醒(1999)」「ジュブナイル(2000)」「リロ・アンド・スティッチ(2002)」であります。

先に、これらの「異世界からやって来た友達」の基本フォーマットとして、
1)少年(少女)は孤独。
2)友達は異形。
3)大事件へと発展。
4)別離と新しい旅立ち。
という四つをあげましたが、上記の映画にもその条件のいくつかが当てはまっている事と思います。
そしてまた、「異世界からやって来た友達」物語に共通したもう一つの重要な「ファクター」があるのです。
それは、「飛ぶ」という事です。

さつきとメイに抱きつかれた「トトロ」は夜空へと舞い上がり、「キャスパー」は縦横無尽に屋敷中を駆け抜け、ホーガースと共に「アイアン・ジャイアント」は月光の雲海を飛翔し、「イリス」は満月を背に怪しい羽根を大きく広げ、「テトラ」は再び過去へと跳躍し、「スティッチ」は初めての家族を取り戻すため自ら空を飛ぶのであります。
もちろん「E.T.」でも「飛ぶ」シーンは、物語のハイライトでした。
(これを書いる最中、『飛ぶ時はいつも満月』という別のエッセイを思いつきました。それはいずれまた)。


さて。


この「異世界からやって来た友達」を、デビュー以来、繰り返し繰り返し描き続けてきた日本の漫画家がいます。
「藤子不二雄」です。
その藤子不二雄の作品の中で私が一番好きなのが・・・。


と言ったところで、今回のエッセイは少々長くなりそうな気配、
次のページに続くのであります。






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