SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.53
「少年の友達は、異形(2)」
について

(2003年11月1日)


本エッセイは前作「少年の友達は、異形(1)」の続きであります。


さて。


デビュー以来、繰り返し繰り返し「異世界からやって来た友達」物語を描き続けてきた日本の作家が「藤子不二雄」でした。
私の大好きな漫画家なのであります。


人間の世界で生まれた「オバケ」が少年の友達となる「オバケのQ太郎(1964〜)」で大ブレイクした後も、藤子不二雄は「異世界からやって来た友達」パターンの漫画を次々と発表していきます。

「忍者ハットリくん」「怪物くん」「ウメ星デンカ」「ビリ犬」「モジャ公」「ドラえもん」「仙べえ」「ジャングル黒べえ」「キテレツ大百科」「ポコニャン」「バウバウ大臣」「T.Pぼん」「ミラ・クル・1」「宙犬トッピ」「ウルトラB」「チンプイ」「パラソルへんべえ」等々・・・。

藤子不二雄にはこの「異世界からやって来た友達」以外に、もう一つの大きな柱と言うべき「自らが異世界の住人となる」というパターンもあるのですが(パーマン、みきおとミキオ、魔太郎がくる!!、オヤジ坊太郎、シャドウ商会変奇郎、中年スーパーマン左江内氏、エスパー魔美等)、私は当然、前者の方が好きなのです。


その中でも一番好きなのが、「怪物くん」なのであります。



「鈴本ヒロシ」は幼い頃に両親を亡くし、姉と二人きりで暮らしているごく普通の小学五年生でした。
とある美しい満月の夜。
姉弟が住むオンボロ木造アパート「アラマ荘」の隣の部屋に、新しい入居人がやって来ます。
それは野球帽を目深に被り、ドングリ眼の愛くるしい一人の小さな男の子でした。
不思議な事に、その子の部屋の中には大きな冷蔵庫が一つあるだけで、他の家財道具は一切ありませんでした。
そして、その日を境に、ヒロシの周りでは異常な出来事が頻繁に起こるようになるのです。
「アラマ荘」の隣にあった大きな廃館、通称「怪物屋敷」に毎夜毎夜、明かりが灯るようになった事・・・。
そして、そのヒロシの周りに「異形」の姿が昼夜を問わず出現するようになった事・・・。

男の子の正体は「怪物ランド」から三匹のお供のモンスター「ドラキュラ」「オオカミ男」「フランケン」を連れてやって来た、怪物族の幼い王子「怪物太郎」でした。
「異形の友達」を持った事により、ヒロシの日常は段々「非日常」へと侵蝕されていきます。
ヒロシの住む「ご近所」に平然とモンスターが出没するようになり、さらには「ベラボー怪星人」を始めとする地球征服を狙う「外宇宙の怪物たち」や、怪物族と敵対する「悪魔組織デモーニッシュ」の侵略などが始まって、平々凡々だった小学生ヒロシの生活は一変するのでありました。
挙げ句、普通に人間の親に育てられる宇宙怪物の子供(サトルくん)や、普通に人間の小学校に通う子供(ハニワくん)や、普通に人間のプロレスに乱入する双頭怪物(キョウダイゴン)や、普通に遊園地で働くタコ怪物(八郎くん)が現れたりして、すっかり日常は「異界化」してしまうのでした。

「異形」は「異界」を引き寄せるのであります。


「怪物くん」は1965年1月から月刊漫画誌「少年画報2月号」で連載が始まった「モンスター・コメディ漫画」でした。
1967年からは週刊漫画誌「少年キング」でも連載が開始され、月刊誌と週刊誌の同時連載がスタートしました。
凄いのはそれがどちらかの「再録」ではなく、それぞれオリジナルの新作を発表・掲載していた事です。
また、1968年からはTVアニメも始まり、まさに当時は「怪物くん」ブームであったのです。
連載が終わったのは「少年画報」も「少年キング」も同じ1969年の4月の事(アニメも同年の3月に終了)。
先に「少年画報」での連載が終わり、続いて「少年キング」の連載が終了したのですが、これにより、「怪物くん」には二種類の「最終回」があるのです。
(藤子漫画にはこのパターンが多く、オバケのQ太郎やドラえもんにも複数の最終回がある事が知られています)。

私は昔からユニバーサルの怪奇映画に登場するモンスターや、B級A級SF映画・SFテレビに登場する怪獣や怪物、宇宙人が大好きでした。
「吸血鬼ドラキュラ」「フランケンシュタインの怪物」「狼男」「ミイラ男」「半魚人」「蠅男」「蛇女」「透明人間」「ワニ人間」「ゾンビ」「ゴーレム」「マッド・サイエンティスト」「巨人」や「金星ガニ」「火星グモ」「メタルナミュータント」「大頭人」「イーマ竜」「マリア」「ゴート」「ロビー」「トリフィド」「モーロック」等々、挙げ出したら切りがないほど、私は「異形」の存在が大好きなのです。
「怪物くん」はそんな私の趣味趣向にピッタリ当てはまった藤子漫画でした。
毎回登場する怪獣や怪物、悪魔たちのキャラクターの魅力はもちろん(藤子漫画の中でも、『怪物くん』ほどサブ・キャラが充実している作品は他にはありません)、基本は「コメディ」にありつつも、ある時は「SFチック」なストーリィが、ある時は「怪奇チック」なストーリィが展開していくというバラエティに富んだシリーズ構成も、今読んでもとても優れていると思うのです。

主人公「怪物くん」のキャラクターも実に魅力的です。
可愛い小さな男の子ながらも、生まれは由緒ある「怪物ランド」の王子様。
根は優しくて純情ですが、とても我が儘で今で言う「キレやすい」性格をしています。
もっとも、キレる直前には「3・・・、2・・・、1・・・」とカウントするという「変な律儀さ」を持ち合わせています。
好物は「あんみつ」。
苦手なモノは「雷」。
また、どんなモノにも顔を「変形」させる能力と、手足を自由に伸縮させたり、「念力」により身体全体を「ダイヤモンドよりも硬く」する技を持っています。

近年ハリウッドでは、製作者や監督が子供の頃に熱中して読んだ「アメコミ」の実写映画化が盛んですが(最近、日本でもその傾向がありますね)、この「怪物くん」も「金と時間」をかけて実写化すれば、とても面白いモノになるのになあ、などと思う私です。
当然、「今風」のアレンジを加えて実写化するワケです。
あくまで「リアルな怪物」を描くワケです。
ユニバーサルやMGM、ハマー・フィルムやAIP、その他諸々の版権を全部取って、登場する怪物や宇宙人、怪獣はオリジナル通りの造形を再現、いやいや、それ以上の「今風リアル」で再現するワケです。
登場する怪物・宇宙人は総勢50体以上という豪華さです。
もちろん、「昭和40年代初頭」の東京の町並みと人々の暮らしは完璧に再現し、「異形」の闖入によって巻き起こる「高度成長時代」の悲喜劇をドラマチックに描いていくワケです。
基本的にはコメディですが、最後には「異形」と「異能」の哀しみが描かれて、少しホロリとさせるワケです。
「怪物族」と「宇宙怪物たち」、それに「デモーニッシュ」を加えた三つ巴の派手な戦闘シーンもあり、大迫力で見応えも充分!
どうです!!
誰か私に「100億円」ぐらいポンと出資する人はいませんかっ!?
私がぜひとも監督します!!

などと妄想が膨らんできましたので・・・・・・、
話を元に戻します。


1951年に「天使の玉ちゃん」でデビューした藤子不二雄は、「藤本弘」と「安孫子素雄」の合作ペンネーム(実際に藤子不二雄の名前で作品を発表するのは翌年から)です。
1988年には合作ペンネームを止め、それぞれ「藤子・F・不二雄」「藤子不二雄A」名義で作品を発表する様になります。
それ以降に発売された単行本は、例え過去の作品であっても、そのどちらかの名前が付けられるようになりました。
「怪物くん」は「藤子不二雄A」の作品となります。

しかし、「藤子漫画ファン」の間では、その二人が別れる以前から「これは藤本さんが描いた漫画だ」「これは安孫子さんが描いた漫画だ」と推測し合っていました。
もちろん合作ペンネーム時代には、実際にお互いが協力し合って作品を描いていたのでしょうが(怪物くんの中でも、藤本弘が描いた回や絵を見つける事が出来ます)、物語や絵柄から「どちらがメイン作者であったか」が判るのです。

藤本弘の志向は「SF」であり「ファンタジー」であり「ユーモア」であり「ヒューマン」であり「ジュブナイル」なのに対し、安孫子素雄の志向は「怪奇」であり「ホラー」であり「ブラック」であり「シニカル」であり「アダルト」です。
また、絵柄も藤本弘は「明るく柔らかい軽妙なタッチ」であるのに対し、安孫子素雄の方は「陰影の多い癖のある固いタッチ」なのです。
藤本弘の方は映画的で自由奔放なレイアウトを駆使しますが、安孫子素雄はあまりカメラの動かない演劇的なレイアウトを好んでいます。
面白いのは二人の性格が作品とは「真逆」であった事です。
藤本弘は大人しく内向的な性格で、安孫子素雄は外向的で活発な性格であった様です。
私はよく藤子漫画好きの友人と、誠に勝手ながらも親しみを込めて、「明るい漫画を描く暗い方」「暗い漫画を描く明るい方」などと呼んでいたモノなのであります。

もちろん、優れた作家の作品は決して「一元的」なモノではありません。
藤本作品の中にある「絶望的な毒の部分」や、安孫子作品の中にある「楽観的な人生観」をそれぞれ見つけ出す事も、これまた可能なのであります。


少年画報版の「怪物くん」の最終回は、こうです。

辛い別れをヒロシに告げられず、何も言わず人間界から密かに怪物ランドに帰っていく怪物くんたち。
翌朝、もぬけの殻になった怪物屋敷を発見し、愕然とするヒロシ。
しかし二人はそれぞれの世界で生きていく決意をするのでした。

そして問題の最後の見開きページ。
ページをまたがって中央に描かれた美しく巨大な満月。
右のページには怪物ランドに戻った怪物くんと彼の母親が、
左のページには人間界に残ったヒロシとお姉さんが、
その同じ満月を見上げているのです。
そこに同時進行で、二人の台詞が入ります。
「ヒロシに初めて会った時も、ちょうどこんな満月の夜だったなあ・・・」
「怪物くんが初めてきた時も、ちょうどこんな満月の夜だったなあ・・・」

満月の夜から始まった「物語」が、満月の夜で終わる、実に抒情的で見事な傑作最終回なのでありました。






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