私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。 と言うワケで、今回も昔の日記からそれを抜き出してご紹介するのであります。 (今回は1994年頃の日記からの抜粋です) コメントはその当時のモノ。 ※印付きのコメントは、今の私の補足説明です。 またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。 香貫花クランシーのマンションの鍵をコジ開けつつ進士 「でも、これって犯罪じゃありません?」 太田「犯罪は犯罪者がやるもんだっ!!」 「香貫花レポート」より。 ※「機動警察パトレイバー」は、「ロボット・アニメ」にはほとんど食指が動かない私が(大昔のロボット・アニメは別ですが)、唯一ハマった「ロボット・アニメ」でした。 いや、この作品は「ロボット物」と言うより「青春群像劇」だと私は思っているのであります。 もちろん、ハマったのは私の大好きな「押井守」や「伊藤和典」が関わっていた作品だからでもあります。 「香貫花レポート」は1989年から始まったテレビ・シリーズの第23話で、気弱な「進士幹泰」巡査をそそのかし、同僚の「香貫花クランシー」の部屋に押し入る「太田功」巡査のセリフが上記のモノなのであります。 「不正義の平和だろうと、正義の戦争よりは、よほどマシだ」 「パトレイバー2」より、後藤隊長のセリフ。 ※「機動警察パトレイバー2 the Movie」は1993年に公開された劇場アニメでした。 「正義の戦争ほどやっかいなものはない」と私も常々思うのです。 「お義父さん 夏の陽ざしにできる影って濃くて深いよね」「人生も濃くて深い影があれば その裏にはかがやくまぶしい光がぜったいある!」「ぜったいにあるんだよ お義父さん」 大島弓子「毎日が日曜日」のスギナのセリフ。 ※大島弓子の漫画はいつ読んでも「わんわん」泣いてしまうのであります。 「・・・ふたりは、会ってしもうたか やはり宿命は、かえられなかったようじゃな」 「マダラ2」より。 ※「魍魎戦記マダラ2」は、1993年にコナミから発売されたスーパーファミコン用のRPGでした。 須弥山の金剛国に住み全土を魍鬼で支配する天帝ミロク。 彼は生まれたばかりの息子マダラから身体にある8つのチャクラを奪い取り川に捨てる。 マダラは身体の多くを喪っており、その後、流れ着いたヒジュラ人のタタラによって機械仕掛けの擬体を与えられる。 成長したマダラは魍鬼を倒す事で、本来の身体を取り戻す事ができるのだ。 って、何の事ぁない、手塚治虫の「どろろ」なんですが。 でも当時、私はこの「マダラ」が大好きでした。漫画もゲームもハマっていたのです。ゲームでは「コナミ矩形波倶楽部」によるBGMもとても格好良かったのであります。 「直前まで日程が決まらない会議は、3ヶ月前に予約したコンサートの日に設定される」 「ASCII 7月号」マーフィーの法則より。 「怒られているときに、脇から現れていっしょに怒る奴は、なぜかもっと怒っている」 「ASCII 7月号」マーフィーの法則より。 「俺、もうすぐ結婚するんですよ」という刑事は必ず死ぬ。 「ASCII 8月号」マーフィーの法則より。 ※同様に「もうすぐ定年退職なんだ」という刑事も必ず死ぬのであります。 「何かをきれいに整理しようとすると、そこではいやなことが起こっている」 「ASCII 8月号」マーフィーの法則より。 ※久しぶりに片づけた古雑誌の山の下から、虫の死骸が出てくるとか。これは「物理的」な例ですが、上の法則は「精神的な場合」にも当てはまるのであります。 「人生なんて楽しけりゃいいってモノ」 「人生なんて楽しくてアタリ前」 別冊モダチョキ臨時増刊号「ジャングル日和」より。 ※「別冊モダチョキ臨時増刊号」は、1994年に発売された「モダンチョキチョキズ」の三枚目のアルバムCDでした。 「生きてるだけで丸儲け」とは、よく明石家さんまが使うフレーズですが、上記のフレーズ同様「そうかも知れないよなあ」と私は思うのであります。 「生きている事の意味」は単に「生きている事にのみ」、あるのかも知れません。 「十五、十六、十七と、あなたの人生、話し中」 「底なし沼に底はない」 「十五、十六、十七と、あなたの人生、停電ね」 別冊モダチョキ臨時増刊号「THE 絶望行進曲」より。 ※かと思うと、モダンチョキチョキズにはこんな歌もあるのです。 「底なし沼に底はない」とは、「降れば土砂降り」や「バターつきのパンはいつもその面を下にして落ちる」同様、私の好きなフレーズになりました。 「ねえちゃんよ」 「ねえちゃん?」 「お。死ぬ前に一発、唄歌わせてくれよ」 「クレージーの大冒険」より。 国際偽札団(実はナチスの残党組織)のUボートに囚われ、冷徹な女指揮官から「魚雷管から発射してフカの餌にしておしまいっ」と死刑宣告された直後の、植木等のセリフである。 ※「クレージーの大冒険」は1965年の東宝娯楽大作映画で、私の好きな映画の一つです。 東京で発生した偽札事件から、物語は加速度的に膨らんで行き、終いにはヒットラーが隠れ住むナチス残党の秘密島まで登場するのであります。 当時のクレージー映画では、植木等が要所要所で脈略無く「突然歌い出す」のがお約束になっており、それがとても素敵なのであります。 また、この映画、「越路吹雪」演ずる「ナチスの女将校」が凄く格好良いのです。 「話しかけられても返事をしない権利」 この言葉を今日、「何処か」で聞いたのだが、一体何処で誰が言ったセリフなのか忘れてしまった。 でも、それを聞いて「そういう権利ってあるよなあ」と思ったのを覚えている。 ※この「話しかけられても返事をしない権利」がどんどん失われている様な気がします。 今に、小型の通信機が人間のこめかみ辺りに埋め込まれ、人は起きている時は常時、誰かと喋っている様になるのではないでしょうか? まるで石森章太郎の「ミュータント・サブ」なのであります。 「ジャン・ギャバンの映画で、これから銀行強盗に行くので地下室から機関銃持ってきながら『あのころはよかったなあ』と言う。レジスタンス時代の事です」 堀田善衛「時代の風音」より。 ※堀田善衛は硬派な作家です。 「レジスタンスの時代を懐かしむギャング」という図式に、私は感じたのであります。人は、どんな時代になったとしても「あの頃は良かったなあ」と昔を懐かしく感じるのかも知れません。 私はそうです。 「先生、僕も富士で空飛ぶ円盤らしいモノを見ました!」 「見た?」 「白石の妹さんも一緒に見ています!」 「何故今まで言わなかったんだ」 「しかし・・・、科学者として確信も無い事を・・・」 「確信を得てからでは遅すぎる事もある」 「地球防衛軍」より。 ※「地球防衛軍」は1957年の東宝SF映画で、これも私の大好きな映画です。 「確信を得てからでは遅すぎる事」も、もちろんありますが反対に「確信もないのに発表して混乱する事」も多いのであります。 「嵐が来ないと虹は出ないのよ」 「世界まる見えテレビ特捜部」で楠田枝里子が言ったセリフ。 ※私はこの手のセリフに昔から弱いのです。 「おとうさんどうだった?」 「ん?」 「スナドリネコさんは倒れた木をちゃんとどかしてくれた?」 「ああ」「うまくいったよ」「ただ頼んだだけじゃあ、なにもやらないヤツだからな」 「思ったとおりになって楽しい?」 「まあね」「しかし・・・」「思ったとおりにならなかった楽しさというのもあるものさ」 「まんがライフ 9月号」ぼのぼのより。 策略家のクズリのお父さんは一計を案じ、遠回しにスナドリネコに自分の家の前に倒れた巨木をどかしてもらう事に成功する。 ※策略家はいつでもその先を読んでいるモノであります。 物事がどちらに転ぼうと、その先にある幾つかの可能性を同時に熟考しているのです。 それはすなわち、結果が出た段階で、想定していたほとんどが外れてしまうという事であり、これ策略家の悲哀なのであります。 「主張と収入の和は一定である」 渡辺和博のセリフ。 ※何も言わずに我慢してコツコツ働くか、やりたい事して少ない賃金を貰うか、人はそのどちらかを選ばなければならないのであります。 もちろん、やりたい事やって金を稼いでいる人もいるのでしょうが。 「祭の前は、なんだか、夢の中に似ている」 ※祭りの前、それは運動会の前でも学園祭の前でも結婚式の前でも子供が産まれる前でもよいのですが、大きなイベントの前には特有の同じ感覚がある様に思います。 これは私が考えたフレーズですが、オリジンは何かの小説か映画にありそうです。 「正しいものと、正しくないものとがいて、それが戦ったとして・・・、正しいものが負けると、君は思うかね?」 「マザー2」より。 ※「MOTHER2 ギーグの逆襲」は1994年に任天堂から発売されたスーパーファミコン用のRPGでした。 当時、テレビゲーム界には「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」という二大傑作RPGが存在していましたが、この「マザー・シリーズ」は、その二つとはまた違うRPGの面白さを持っていました。 つまり、ポップな世界観とシャレた会話です。 「鈴木慶一」の音楽も従来のRPGの音楽とは違うとても素敵なモノでした。 「せいだせば こおるまもなし みずぐるま」 「マザー2」ブリック・ロードのセリフ。 「いい?きみ じんせいは おかねもうけよ。それを わすれちゃだめ。わたしは そうやって いきてきた。おかねで かえないものなんて 『あい』と 『ゆうじょう』と 『けいけんち』くらいなもんよ」 「マザー2」から劇場『トポロ』の女支配人のセリフ。 ※そのシャレた会話は原作者であり総監督である「糸井重里」によるところが多かったのだろう、と思います。 「ホテルは にし。おれ こんなセリフしかなくって さみしいよ」 「マザー2」からオネットの住人のセリフ。 ※RPGに登場する村人のセリフは、「その世界観・生活感を演出するモノ」と、「プレーヤーに情報を伝えるモノ」の二つに大別できると思います。 そして、日本のRPGはその発生当初から、どうやら「登場人物たちはみな、自分たちの世界がテレビゲームの中である事を自覚している」らしかったのであります。 もちろん、海外のパソコンRPGにおいても、その創世記からゲームの登場人物たちは「我々の世界とは違う上位概念があるらしい」と気づいていましたが(ウルティマとかウィザードリィとか)、それらは(つまり、電源を入れたり切ったりデータをセーブしたり)「神の領域」と設定されていた様に思います。 日本のRPG世界の上位概念は「神」ではなく、実際にテレビ・ゲームをプレイしている「プレイヤーたち」であり、この違いは実に興味深いところなのであります。 「映画のラストはハッピィ・エンドでなければならないと?」 「『終わる事』が出来れば、何でもハッピィだと思いますが」 「トーキング・ヘッド」より。 ※「トーキング・ヘッド」は1992年に公開された「押井守」の三番目の「実写映画」でした。 私は押井守の実写映画はみな「つまらない」という感想を持っているのですが、この「トーキング・ヘッド」だけは別格で、ちょっと好きな映画なのであります。 「ひとつ質問してもいいスかね?」 「ああ?」 「予告と本編は別物だとは言え、ストーリィも定かでない映画の予告が可能だと?」 「あらゆる映画の予告は実は映画そのものの予告であるに過ぎないし、それが優れた予告の条件でもある。予告は単に予告である事のみによって成立する。違うか?」 「なるほど」 「トーキング・ヘッド」より。 ※何が「なるほど」か分かりませんが、押井守特有のこの「解りにくく饒舌な論理」も、実は私は好きなのであります。 いわゆる「押井守節」という「ケレン味」演出の一つだと私は思っているのです。 「仏ほっとけ。神かまうな」 「トーキング・ヘッド」より。 ※このフレーズも押井守は好きですね。 いろいろな作品で使っています。 「映画につながらないカットなんざ存在しないさ」 「トーキング・ヘッド」より。 ※この「トーキング・ヘッド」は、〆切間際のアニメ映画の監督が突然失踪し「流れのアニメ演出家」がピンチヒッターとして起用される、という物語でした。 その「流れのアニメ演出家」が饒舌に「映画論」を語り、それがやがて「現実・虚構論」となって行くのは、これ、押井守映画のお約束の一つなのであります。 「詩人にはペンが、画家には画筆が、そして映像作家には軍隊が必要なのだ」 オーソンン・ウェルズのセリフ。 ※これも「トーキング・ヘッド」の中で引用されていたのかな? 確かに、自分一人で何もかもやってしまう器用な監督でない限り、映像作家「監督」には「兵隊たち」が必要なのであります。 ピカード船長「イドの神よ、私の声が聞こえるか?いや、それのみならず宇宙の全生命に言いたい。『正義』について私はこう思うのだ。『法』が絶対であるかぎり『正義』は存在し得ない。この『人生』自体、『例外』の連続ではないか」 副長「『正義』は『法』のように単純なモンではないんだ・・・」 「新スタートレック」より。 ※「スタートレック・ネクストジェネレーション」第8話「神からの警告」の中のセリフです。 超生命体である「神」と対決するというテーマは、最初の「宇宙大作戦」の頃から度々取り上げられる「スタートレック定番ネタ」なのであります。 そして、度々取り上げられる割には「傑作がない」のも事実。 西洋人が好きそうな「神との対峙」というテーマが、今ひとつ日本人にはピンと来ないのかも知れません。 「不思議だ。他の二人と違ってあなたが環境にスムーズに適応している原因は何です?」 「ここに来てからの事か?死んでから400年経ったって、へへへ、曲は変わっただけで、ダンスの仕方は変わんめえよ」 「新スタートレック」より。 ※これは第26話「突然の訪問者」の中のセリフです。 宇宙空間を漂う一隻の旧式宇宙船。 その中から発見されたのは、冷凍冬眠で眠り続けていた三人の20世紀の人間でした。 エンタープライズ号の中で蘇生させられた三人は、当初みな24世紀の世界に戸惑いながらも、やがて三人三様の反応を見せ始めるのでありました。 「ネクストジェネレーション」の中でも私の好きなエピソードの一つです。 「『物語』はたいがいハッピーエンドだが、現実はそんなに甘いモンじゃない・・・」 「新スタートレック」より。 ※これは何のお話だったか、忘れてしまいました・・・。 まあ、いろいろな作品でよく使われる定番フレーズですね。 「バカばっかしだ。なんとかしなくっちゃ」 「1941」より。 ※1979年のスティーブン・スピルバーグ監督の「1941」は大駄作であるという世の中の評判とは裏腹に、私はこの映画が大好きなのでした。 「真珠湾攻撃直後のハリウッド」「ディズニー映画」「クリスマスの夜」「ダンス・パーティ」「イ号潜水艦」「街中の空中戦」「イルミネーションの遊園地」「暴走するM3中戦車」等々、私の琴線に触れるエッセンスが詰まっているからです。 また、登場人物たちが全員一人残らず「狂っている」のが、もう凄いと思うのでした。 戦争映画で「登場人物がみんな狂っている」と言えば「キャッチ22」という名作がありましたが、この「1941」はさらにパワーアップ、壮大なスラップスティック・コメディになっているのであります。 「生魚の頭や米の飯なんか食えるか?」「ナチにディズニーがわかるか?」「ミッキー・マウスがフランスを襲うか?」「プルートは?」「ドナルド・ダックは?」 「1941」より。 ※これはロサンゼルスに日本軍が攻めてきたと勘違いした兵士が、同僚の兵隊たちを「扇動する」際に言うセリフなのですが、後半は「まったく意味が無くて」もう大好きなのであります。 最も「アジテーション」というモノ自体、最初に群衆の心を掴んでしまえば、後は何を言おうが一緒、という事なのかも知れません。 「バカのカーニバルだな。まだ出てきそうだ」 「1941」より。 ※まさに、そういう映画でした。 単に「バカのカーニバル」だけなら、「アニマル・ハウス」を撮った「ジョン・ランデス」あたりでも出来た様な気がしますが、スピルバーグの偉いところは、それプラス「大ミニチュア・ワークのハリウッド」「浮上する潜水艦」「戦闘機と爆撃機のドッグ・レース」「街中を暴走する戦車」「壊滅する遊園地」等をこの映画に持ち込んだところにあると思います。 「ジョン・ウィリアムズ」のテーマ曲も、いつ聴いてもワクワクします。 「・・・今日の映画会社はまったく16世紀の王宮みたいなところなんです。シェイクスピアが目にしたような光景が展開されているわけ。専制君主の絶対的な権力、廷臣、茶坊主、道化師、抜け目なく様子を窺う野心的な謀略家。そして絶世の美女がいて、無能な寵臣がいる。突如として恥辱にまみれてしまう偉大な男がいる。常軌を逸した地上最大の浪費と、数ペンスをケチるという意外な倹約精神がある。見かけ倒しの壮麗な華々しさ、そして現実の背後に隠された卑劣なあさましさ。ほんの気まぐれからうっちゃられてしまう広大な計画。みんなが知っていて、話題に上がることのない秘密。2・3人の誠実な助言者までいますよ。彼らは真剣に耳を傾けられることがないように、おどけた口調で深遠な真実を口にする宮廷の道化師なんです。彼らは何くわぬ顔をしながらも、一人になると髪をかきむしって、咽び泣いていますよ」 「すごく面白いところみたいに聞こえますね」 「ファイナル・カット 『天国の門』製作の夢と悲惨」より。 ※「天国の門」は、1980年の「マイケル・チミノ」監督の壮大な失敗作で、これによって当時の「ユナイテッド・アーチスツ」が倒産してしまったという曰く付きの作品でした。 「ファイナル・カット 『天国の門』製作の夢と悲惨」は、その顛末をドキュメントした本で、映画好きにはお薦めの一冊であります。 「往きかかる 来かかる足に 水かかる 足軽いかる おかるこわがる」 蜀山人。別名を太田直次郎。狂歌の先生。 ある日、何やら人混みの大騒ぎ。 その人混みを分けて入ると、足軽が「おかる」という町家の女を無礼打ちにしようとしている。 訳を聞くと、埃が立っていたので水を撒いてところ、運悪く通り合わせた武士の袴の裾に水をかけてしまったという。 そこで蜀人山が一句。 足軽の怒りも無事、笑いに変わったという。 ※最後の「おかる、こわがる」が、とても可愛いと思うのであります。 「わたしは事実を知りたいのでございます」フロラはまっすぐに相手の目を見ながら言った。 「事実をすべてですか?」 「はい、すべての事実を」 「では、お引き受けいたしましょう」小男は静かに言った。「そして、いまのお言葉を、あとで後悔されることがないように祈ります。では、事情をすっかりおきかせください」 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※ミステリー小説において「事実を知る」という事は「不幸になる」事でもあります。 知って不幸になるよりも、知らずに幸福。 しかし、人間とはやっかいなモノで、知らずにいるよりも知る方をいつも望むのでした。 「そうです、どう考えても、どうでもいいことなんです」とポアロは答えた。 そして、「だからこそ実に興味があるんですよ」と、やさしくつけ加えた。 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※ミステリー小説において「探偵」とは、「どうでもよい事」に多大なる関心を持つ人種なのであります。 「椅子のことは本当です。ほかのことはわかりません。先生、あなたもこの種の事件にたくさん関係されるとおわかりになると思いますが、ある一つの点については、みんな共通しているんですよ」 「それはどういうことですか?」私は興味をおぼえてたずねた。 「事件の関係者は、ひとり残らず、なにかかくすことをもっているということです」 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※ミステリー小説において「いかに怪しい人物をたくさん登場させるか」に作家は苦心するのであります。 「さて、ここで見るべきものは、みんな見てしまったようですね」 私も、あたりを見わたした。「もしこの壁に口があったら」と私はつぶやいた。ポワロは首をふった。 「口だけでは足りません」とポワロは言った。「目も耳も持っていませんとね。しかし、こういう生命のないものでも、いつも黙っていると思うのはまちがいです」ーーそう言いながら彼は書棚の上に手をふれたーー「ときには、話しかけてくれることもありますーー椅子も、テーブルもーー彼らは、それぞれ言いたいことをもっているのですよ」 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※ミステリー小説において、「無生物」でさえ供述者や共犯者に成り得るのであります。 「なるほど!」ポワロは叫んだ。「私もそれを標語にしているのですよ。方法、順序、それから小さな灰色の細胞」 「細胞ですって?」警部は目をまるくした。 「小さな灰色の脳細胞ですよ」ベルギー人の探偵は説明した。 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※「小さな灰色の脳細胞」は名探偵「エルキュール・ポワロ」がよく口にするフレーズです。 名探偵にはこの手の「定番フレーズ」が必要なのですが、シャーロック・ホームズの「それは初歩的なことだよ、ワトスン」は、実は彼は正典中、一度も言った事がないのでした。 「だが、待てよーーこれは、もう一度考え方を組み立て直さなければならない。方法と順序、ーーこれが一番必要なんだーーあらゆることが、ぴたりとおさまらなければならないーーおさまるべき場所に、きちんとーーさもないと、とんでもない方向へそれてしまう」 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※ミステリー小説において「名探偵」とは、ジグソーパズルの断片を根気よく収集し、それを組み合わせて一枚の絵を完成させる職業なのであります。 例え思いもしなかった絵が出来上がろうとも、です。 「なるほど」私は、すこしばかり驚いて言った。「それではペイトンはクロと出そうですね」 「そうでしょうか」ポワロは言った。「そこがあなたと私の意見のわかれるところです。三つも動機があるなんてーーこれじゃ多すぎますよ」 アガサ・クリスティ「アクロイド殺人事件」より。 ※ミステリー小説において「一番怪しい人物は真犯人ではない」というのが定番ですが、その裏をかいて「やっぱり真犯人だった」事もあります。 しかし、さらにそのまた裏をかいて「でもやっぱり違ってた」という事もあります。 結局、誰が犯人だか判らないのでした。 「私は『マザー2』発表後の躁状態から、『マザー3』制作前の鬱状態に移行しつつあるところで、嫉妬深く傷つきやすく希望にあふれ疲れやすく欲望ギラギラで謙虚で全能感いっぱいで無力な毎日をすごしているのであります」 糸井重里「ゲーム批評2」より。 ※結局「MOTHER3」は出なかったなあ。 待っていたんだけどなあ。 その顛末は糸井重里氏のサイトに詳しいのであります。 (今も載っているのかな?) とりあえず今回はここまで。 昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。 その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。 |
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