SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.60
「日本漫画映画初期における猫キャラ」
について

(2004年7月18日)


今回はアニメーションのお話です。

先日(2004年7月14日)、東京木場にある「東京現代美術館」にて「日本漫画映画の全貌」なるイベントを拝見する機会があり、その際に思った事を書きます。


日本漫画映画の初期において、動物のキャラクターを主役とする動画作品が非常に多く、その中でも「猫」を主人公とする作品が際立っている様に私には思えました。

国産初のカラー長編漫画映画は「東映動画」による「白蛇伝(1958)」でしたが、その前、東映動画が1956年に発足する以前より、多くの動画作家たちにより数々の漫画映画が作れていました。
当然、それは戦前・戦中・戦後と長い間にまたがります。

下川凹天や幸内純一、北山清太郎や木村白山、山本早苗や村田安司、大藤信郎、瀬尾光世、大石都雄、持永只仁、芦田巌、熊川正雄、桑田良太郎、古沢日出夫、政岡憲三や森やすじなどの優れた動画作家たちが、先人たちの技術を踏襲しつつも新技術・新技法を自らの作品の中に積極的に取り込み、次々と名作・傑作を生み出してきたのです。

その中でも、政岡憲三の「すて猫トラちゃん(1947)」に始まる一連の「トラちゃんシリーズ」や、森やすじの「こねこのらくがき(1957)」「こねこのスタジオ(1959)」などの「猫」を主人公にした動画作品がとても魅力的で優れていた様に思います。

彼らの作品を観ると、本当に生きている様に「絵の猫」が自由自在に動き回っている事に驚かされます。
何故、彼らは「猫」を主役に動画作品を作ったのでしょうか?

それは、猫というキャラクターが持つ「記号化のしやすさ」「立体視のしやすさ」「動画表現のしやすさ」にあったのではないでしょうか?
その秘密は猫の耳にあります。

極初期の紙切りアニメーションやグラフィカルなアニメーションなどを除いて、漫画映画・アニメーションは「いかに平面上の絵をあたかも立体物であるかのように見せて動かすか」に苦心してきました。
二次元物である平面上の絵に命を吹き込み、自由自在に動かす事に無上の喜びと精力を注いできました。
そのためには正確で緻密に計算された絵を、何百枚・何千枚も描かなければなりません。いわゆる動画にしなくてはならないのです。
アニメーションの多くが未だに「シンプルなフォルム」「シンプルなライン」で構成されている多くの理由は、ここにあります。

その点、猫というキャラクターは非常にシンプルな構成で出来上がっており、動画にするのはもってこいの素材であったと思うのです。
そう、「猫の耳」がここではとても重要なのです。


猫(の顔)の基本は「円」と「二つの三角」で出来ています。

この三つのパーツだけで、ちゃんと「猫」に見えるのです。

また、二つの耳のパーツの配置を少し変えただけで、



それが前を向いているのか(もしくは後を向いているのか)、斜め横を向いているのか、はたまた真横を向いているのかが判るのです。
描く物体の状態を、瞬時に観客に伝えなければならない動画作品において、これは実に有効なポイントだと言えるでしょう。

それらを丁寧に繋げていけば、

こうして立派な立体的に見えるアニメーションとなるのでした。

また、猫の耳は「感情」も表現してくれます。
突然、起立させれば、

「驚愕」や「注意喚起」などを、
ゆっくり寝かせれば、

「脱力」「意気消沈」などの感情も表現する事が出来るのでした。
(上のアニメーションは立派じゃなく稚拙なアニメーションですが、それはご勘弁を・・・)


もちろん、初期の動画作品は「リアルで大人の観客を対象にしたシリアスな映画」ではなく、「小さな子供たちに喜んで貰えるような楽しい漫画映画」を目指しており、その点からも猫(や動物のキャラクター)が選ばれた事も事実でありましょう。
が、しかし、上に挙げた様な「記号化のしやすさ」「立体視のしやすさ」「動画表現のしやすさ」という点からも、猫というキャラクターが主役に選ばれた一因であると私は愚考するのであります。

そう言えば、日本のアニメーションの老舗である東映動画(東映アニメーション)の代表作が「長靴をはいた猫(1965)」であり、今なお会社のシンボル・キャラクターに長靴をはいた猫の主人公「ペロ」を使用している事も、実に象徴的だと思うのであります。

もちろん、アニメーションの面白さは平面上の絵が「立体的に見えて動く」という事だけではありません。
「ハンナ・バーベラ」の作品に代表される様な「単純に(立体物には見えないけども)絵が、イラストが動く」というのもアニメーションの面白さのひとつです。
また、制作条件(予算やスケジュール)的に、現在のテレビ・アニメーションの多くがこの「動くイラスト」アニメである事も事実でしょう。最近はこれに「CGで作られた立体メカ」がプラスされたりして、「平面キャラと立体メカ」の同居が見られるという誠に興味深いアニメーション世界が確立されつつあります。
しかし、日本の漫画映画やアニメーションの創世記を考えた場合、そして動画作品にワクワクする様な不思議な魔法が息づいていた時代、その基本は「猫キャラ」にあったのではないでしょうか?



(蛇足)
1)平面上の絵を立体物に見せる際に「猫の耳」が果たした役割とは別に、日本のアニメーションには「都合の良い解釈に基づく立体描写」という歴史もあります。
例えば「鉄腕アトムの角」とか「明日のジョーの髪形」とかです。
二次元創作物的には不都合を感じないけども、実際に三次元化した際には整合性を欠く、という形状です。
しかし、日本のアニメーションはそれらもちゃんと動かして「アニメーションの中だけに存在する立体物」を創り上げてきたのであります。
これはこれで実に興味深い話ですので、いずれまたエッセイに書く事にいたしましょう。

2)と同時に、国産初のテレビ・アニメーションが猫の耳を持つ(実際は角ですが)「鉄腕アトム(1963)」であった事も注目に値します。この話もいずれまた。

3)さらに、日本のアニメーションの老舗である東映動画のシンボルが猫(長靴をはいた猫)ならば、アメリカの本家がネズミ(ディズニーのミッキー・マウス)であるのも、実に面白い事実です。
「向こうがネズミなら、こっちはネコだぁー!」という事なのでしょうが、これもいずれ一考してみたいテーマなのであります。





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