SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.63
「漫画とアニメ、ホッペタに入る斜線」
について

(2004年11月27日)


先日、テレビの深夜にやっているアニメ「蒼穹のファフナー」をたまたま観ていて、ビックリした事があります。

それは、ほとんどの登場人物のホッペタに「斜線」が入っていた事なのであります。

こういうヤツです。



全然似ていない私の模写ですが、絵の稚拙さはご勘弁下さい。
(以下、出てくる絵に関しても同様であります)

「昔の漫画読み」であれば、上の絵を見て「この女の子は頬を赤らめているのだろう」と思うに違いありませんが、違うのです。
これが、このキャラクターの「常態」なのであります。
この斜線が無いと、このキャラは成立しないのです。

もちろん、ずいぶん前から、この「ホッペタ斜線」が、一部の漫画やアニメーションでよく使われていた事は知っていましたが、「蒼穹のファフナー」では、登場人物の少年少女はもちろん、大人の「おばさん」に至るまで、この「ホッペタ斜線」が入っていたのであります。

私の把握としては、この手の「ホッペタ斜線」は「瑞々しい少年少女たちの肌質感」という風に思っていましたので、おばさんキャラにまで入っていた事にビックリしたのでありました。

このアニメーションで「ホッペタ斜線」が入っていなかったのは、「中年のおじさん」「老年の女性」だけで、それ以外は頑なに「ホッペタ斜線キャラ」のオンパレードであったのです。

どうやら、このアニメにおいては「膨らんでいるホッペタ」の記号として「ホッペタ斜線」が使われている様な気がします

そもそもこの「ホッペタ斜線」が頻繁に使われる様になったのは、一体いつ頃の事なのでしょうか?
この「ホッペタ斜線」とは、一体何なのでしょうか?
(ちなみに、前もって言っておきますが、今回のエッセイではその結論は出ませんのであしからず、なのであります)



古い漫画好きにとっては「ホッペタに斜線が入る」というのは、「頬を赤らめている」つまり「恥ずかしがっている」という記号でありました。
例えば、こういうヤツです。



この表現は、さらにその昔にあった「顔全体に斜線」を描く



簡略化表現でありました。
こうして昔の漫画では「頬を赤らめている」記号として、この「頬に斜線を入れる」というのが、一般的であったのです。


ちなみに、この記号をさらに簡略化させ進化させたのが、私の大好きな「大島弓子」でありました(多分)。
彼女は「ホッペタに斜線を入れる」のはなく「眼と眼の間に斜線」を入れて「恥ずかしがっている」記号としたのです。
例えば、こういうヤツです。



これはこれ以降、「赤面」という表現の一つのスタイルとなりました。
彼女に言わせれば「この方が(描くのに)楽」という事なのであります。
と、これは横道に逸れてしまいますので、話を本筋に戻しますと。




当然、「赤面」以外の意味合いでも昔から「斜線」は使われてきていましたが、それは「影」として、「立体物」としての記号でありました。
例えば、こういうヤツです。



これらは特に「リアルな絵を描こう」とした「劇画」というジャンルでの使用が多かった様に思います。
もちろん、これは絵画の「デッサン画で使う斜線」が、そのまま漫画の世界に入って来たモノであります。

また、「影としての斜線」以外にも、「ホッペタ斜線」は使われてはいましたが、



これらは皆、そのキャラクターに「常時付けられる」モノではなく、時と場合に応じて付けられていたのです。
(上の絵の場合は、『しもやけ』を描いたモノであります)。


それが、ある時。
「赤面」でも「影」でもなく、「質感を表す斜線」が使われだしたのであります。
私が思うに、それは「大友克洋」あたりであった様に思います。
そしてまた、その大友の斜線のルーツは、フランスのイラストレイター&コミック作家の「メビウス」にあった様に思います。
例えば、こんなヤツです。



ま、違うかも知れませんが。


で、その大友タッチは、彼の同期であり「ニューウェーブ」と呼ばれた80年代の新鋭気鋭の新人漫画家たちにも感染・踏襲されていきました。
私が知っている限り、当時の「さべあのま」は、この「斜線多様漫画家」でありました。
彼女は人物や背景はもちろん、フキダシにまで「斜線」を付けていたのであります。
例えば、こーゆーの。



(蛇足ながら、この「フキダシ斜線」は一時期、大学の漫画研究会で描かれる漫画でも大流行した事がありました)。

しかしまた、「大友克洋が使う斜線」と「さべあのまが使う斜線」には微妙な差異がありました。
前者が「質感」を出す「斜線」であるのに対し、後者は「ノイズ」としての「斜線」の意味合いが多く含まれていたからです。
もちろん、その意味するところはどちらも一緒で「リアル」を目指した効果でした。
が、大友の様な写実的で細密な絵を描く事が出来ない作家や、そもそもそういう絵を志向していない作家たちにとっては、この「ノイズ」を加える事で「リアル」を目指したのであります。

昔の漫画家は自分の絵に「斜線」を加えるなどという発想は(赤面や影以外の効果では)なく、それどころか、それを嫌っていた様に思います。
何故なら、自分の絵が「汚れる」からです。
自分の絵の「記号性が失われる」からです。
それが、このニューウェーブの漫画家が登場した時から、「自分の絵にノイズを加える」「絵の記号性を排除する」という新人たちが登場してきたのであります。
一歩自分の作品から身を引いた立場、つまり「体温の低い方が格好良い」「その方がリアルである」という感性が生まれてきたからだと思うのです。


昨今の漫画やアニメにおける「ホッペタ斜線」も、この「ノイズ」の一種なのではないでしょうか?


「赤面」でも「影」でも「質感」でもない「ホッペタ斜線」が多用されるようになったのは、1983年に始まったテレビゲーム(ファミコン)時代であった様に私は思います。
当時のゲーム内の登場人物たちは「ドット絵」で描かれた二頭身キャラでしたが、それらのキャラがファミコン雑誌の表紙やポスター等の媒体に登場する際にはリアルな「アニメ絵」と化し、そこにはこのノイズとしての「ホッペタ斜線」が描かれる事が多かったと思うのです。
「ゲーム内ではこんな二頭身キャラだけども、実際にはこんなに格好良いキャラクターなのだ!なんてね」という「なんてね」の部分がノイズとしての「ホッペタ斜線」だったのではないでしょうか?

その後、ノイズとしての「ホッペタ斜線」はアニメーションに投入され、さらに漫画に輸入され、再びアニメーションに逆輸入され、そして現在に至るのではないでしょうか?


全然違うかも知れませんが。
わははは。


私が驚くのは、「ホッペタ斜線」で設定されたアニメや漫画キャラが、かなりリアルな立体造形フィギュアになったとしても、ちゃんとそこには「ホッペタ斜線」が再現されている事であります。
多分、立体化しても、その頬にある斜線を再現しない事には、「原作に似ない」からでありましょう。
わはははは。
非常に面白いのであります。




ちなみに。

「怪物くん」の「ホッペタ斜線」は、これは「頬を赤らめている」のでも「フォルムを出すための斜線」でも「ノイズとしての斜線」でもなく、これは「ヒゲ」であります。
こーゆーの。



また、「巨人の星」の「星飛雄馬」の少年時代の「ホッペタ斜線」は、



これはそのまんま「頬が汚れている」という絵なのであります。
「頬が汚れている」、それはすなわち当時の「貧乏」の記号なのであります。

同様に、「おそ松くん」の「チビ太」の



これも「汚れている」=「貧乏」という記号の「斜線」であります。

もちろん、「飛馬雄」にしても「チビ太」にしても、「幼児」としての記号として「産毛が生えている」という意味合いもあったかも知れませんが。






目次へ                               次のエッセイへ


トップページへ

メールはこちら ご意見、ご感想はこちらまで