私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。 と言うワケで、今回も昔の日記からそれらを抜き出してご紹介するのであります。 (今回は1995年の日記からの抜粋です) コメントはその当時のモノ。 ※印付きのコメントは、今の私の補足説明です。 またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。 「長い間 人質になってると 自分が人質だってことさえ忘れちまうんだ」 高山和雅「電夢時空」。アフタヌーン3月号より。 ※この「アフタヌーン3月号」とは「1995年の3月号」の事であります。 高山和雅は私の好きな漫画家の一人で、とても面白いSF漫画を描いていた(今でも描いているのかな?)人です。 寡作の漫画家ですが、この人の「ノアの末裔」は「終末SF漫画」の傑作の一つだと私は思います。 「フランス人とは機嫌の悪いイタリア人である」 ジャン・コクトー。 ※昔パリに行った時、フランス人の太ったスチュワーデスのおばさんに、飛行機の中で、こっぴどく叱られた事がありました。 私はただ「日本茶が飲みたい」と言っただけなのにぃ。 「酒ばかり飲んでおります。『酒と薔薇の日々』の『薔薇』抜き」 ※大昔。大学時代に所属していたサークルの、私の「卒業雑誌」に書いたフレーズです。 そのサークルはまるで小学校や中学校みたいに、卒業時に卒業生たちが自ら「卒業雑誌」を創り、後輩に「配る」しきたりがあったのでした。 ああ、懐かしい。 「早い結論いい結論」 DのA氏のセリフ。 ※以前私がいた職場では「打ち合わせ」が2・3時間続くのはざらで、半日以上に及ぶ「長時間の会議」も珍しくなかったのです。 しかも、それが1日では終わらず、数日間続くのでした。 多くの人たちは「長い打ち合わせ」を好んでいましたが、私は「長い打ち合わせ」が大嫌いでした。 そんな中、A氏の会議はいつも短時間で終わったのであります。 ああ、素晴らしい。 「電話するなら電話すると電話しろッ!!」 タモリ。 タモリは電話嫌いらしく「あんな身勝手なコミュニケーションはない」と言う。 「ベルが鳴った時にその場に居ればその電話に出るのが当然だと誰もが思っているのがオカシイ」と言う。 まったく俺も同意見なのである。 人が風呂に入っていようとトイレに入っていようと、「出ろ出ろっ」とかかってくるのが電話である。 突然何かを誰かに強制させられるのは大嫌いなのである。 ※現在、状況はさらに悪化しているのであります。 携帯電話の普及です。 人々は「音声」だけでは厭きたらず、携帯メールを使い「文字」でもしょっちゅう誰かと「話し」続けているのであります。 いつから日本人は四六時中、誰かと「話していたい」民族になってしまったのでしょうか? 私が常々妄想している「脳内に端末埋め込み、24時間コミュニケーション時代」はもうすぐなのであります。 ああ、怖ろしい。 「私ね。今が一番幸福な気がするの」 「クロノ・トリガー」。トルースの民家にて。 脚本の堀井雄二が素晴らしい。 何気ないセリフにセンスの良さを感じるのだ。 ※「クロノ・トリガー」は1995年に発売されたスーパーファミコンのRPGで、私がとっても大好きな作品なのであります。 シナリオが堀井雄二。 キャラクターデザインが鳥山明。 このコンビは「エニックス」から発売されていた「ドラゴンクエスト」ですでにお馴染みでしたが、この「クロノ・トリガー」はそのライバルであり「ファイナルファンタジー」で有名な「スクウェア」から発売されたのでした。 今でこそ二つの会社は合併して一つの会社になっていますが、当時は「夢の二大競演!」的なソフトだったのであります。 良く出来たシナリオと構成。 魅力的で個性的な登場人物。 そして燃えるBGM! 私は一度クリアしたRPGを二度三度リプレイする事はほとんどありませんでしたが、この「クロノ・トリガー」だけは本当に大好きで、十数回リプレイしたモノなのであります。 と言うワケで、以下、しばらくこの「クロノ・トリガー」からの名台詞が続きます。 「また黒い風が鳴き始めた」 ※このRPGはタイムトラベル物でした。 主人公が過去や未来、さまざまな時代を駆け巡り、そこで知り合ったキャラとチームを組み、悪者を倒すという物語でした。 上記は中世時代に登場する「魔王」のセリフですが、この魔王も後半、時々チームに協力するのであります。 「あなたの目に見えている世界と、アタシの目に見えている世界とはまったくちがうものなのかもね。いい?宇宙は生命の数だけ存在するわ。見えるもの、さわれるものだけが本当と思っちゃダメよ」 魔法王国ジールの夢見る町、エンハーサにて。 ※この「見える物が現実とは限らない」というプロットは堀井雄二のお得意なのであります。 ドラゴンクエストでも、夜には町民たちで賑わっていた町が、昼間訪ねてみると「無人の廃墟だった」というネタがありましたっけ。 「この世界に、やまないあめはありません。どんな夜にも、いつかは終わりがくるのです・・・」 ※これは全てのRPGに共通するセリフでありましょう。 いや、RPGだけではなく、全ての「冒険物」に共通するセリフであります。 そう言えば昔のロボット・アニメにも、「日は沈むのさ。明日の太陽が昇るために!」というセリフがありましたっけ。 「こ、こんなところで、私のサイエンスが・・・、負けてたまるもんですか・・・」 ※メカ好き科学少女「チャイム」が中ボスと戦う時のセリフです。 ちなみに、 主人公を「リヨン(クロノ)」。 過去の少女を「ベル(マール)」。 メカ好き少女を「チャイム(ルッカ)」。 古代の原始人少女を「ブザー(エイラ)」。 中世のカエル戦士を「ケール(カエル)」。 未来のロボットを「ゲレゲレ(ロボ)」。 と私は名付けてプレイしていたのであります。 カッコ内はオリジナル名です。 ああ、懐かしい。 「ヤツは死んだ!弱き者は虫ケラのように死ぬ。ただ、それだけだ・・・」 ※魔王のセリフです。 彼は「孤高の戦士」でありました。 多分「クロノ・トリガー」ファンの3割ぐらいが、この魔王のファンなのではないでしょうか。 とても格好良いキャラクターでした。 「星の夢の終わりに」 ※「クロノ・トリガー」は章分け構成になっていて、それぞれの章にタイトルが付いていました。 これは最終章のタイトルであります。 「ドラゴンクエスト」も「ファイナルファンタジー」もSFではありませんでしたが(FFには少しSFが入っているかな)、この「クロノ・トリガー」は良く出来た「ジュブナイルSF」でありました。 チャイム「こ、これが・・・本体!?」 ゲレゲレ「シ!信じられマセン・・・!この星に生命がたんじょうして以来のあらゆる生物の遺伝子を持っていマス!」 ブザー「ブザー 負けない!!」 リヨン「今度こそ・・・きさまのさいごだ、ラヴォス・・・!」 ケール「ともに戦ってくれ・・・サイラス!」 ベル「こいつが・・・ラヴォス!」 ブザー「逃げない!ブザー 逃げない!逃げる 負けるより イヤ!!」 ※個性的で愛すべきキャラクターたちが、ラスボスと戦うシーンで上記のセリフを言うのであります。 いわゆる各人が戦う前に「見得を切る」のです。 カッコイイなあ。 以上、「クロノ・トリガー」からの名台詞でした。 「五割五分で勝ちなんだ」 糸井重里。 彼に言わせれば野球でも何でもリーグ戦では「五割五分」取れればそれは「勝ち」らしい。人生においてもそれは同じではないか?何を焦って9割目指さなければならないのか?と言う。 ※今日日、「五割五分」なら全然「勝ち」ですよねぇ。 というか「勝ち」「負け」って発想が、もはや古いかも知れませんねぇ。などと思うのであります。 「信者と書いて『儲』ける」 ワイドショーのコメンテーターの台詞(オウム真理教のサリン事件絡みで)。 ※今回抜粋している日記の「1995年」とは、「阪神・淡路大震災」があり「地下鉄サリン事件」があった大変な年でありました。 もう10年経っちゃったんですねぇ。 早いなあ。 「知的である」「誠実である」「ナチである」という3つの命題の全てを満足することは無い。 ヤスパースのパラドックス。 つまり、「知的で誠実であればナチでは無い」「知的でナチであれば誠実では無い」「誠実でナチであれば知的では無い」という事。 ※私は昔からこの命題が好きなのであります。 なるほどなあ、と思うのであります。 「ヤスパースのパラドックスの補足」。 「自分の内実」を「知的」かつ「誠実」に見つめちゃったら、もう、「○○」にはなれないよぉ、という話だと思います。 あくまでも知的であろうとすれば、人は悪魔にならなければなりません。あくまでも誠実であろうとすれば、人は天使にならなければなりません。「知的」と「誠実」の両能力が高ければ高いほど両立は困難になるわけです。 でもこのヤスパースのパラドックス。最初に聞いた時は「うまい!!」と思ったけど、一方で「ん??」と思ったのだが。 それで「ナチス」の代わりに「菜食主義者」を入れるとはまるはまる。 そういう経験ってないのですか? >ALL。 ※この長い文章は、最後「>ALL」という懐かしいフレーズで終わっているところを見ると、当時私がハマっていたNIFTYのパソコン通信の会議室にどなたかが書かれたモノだと思います。 で、私はこの方の意見には賛同できません。 「知的と誠実の両立は出来ない」とヤスパースは言っているのではなく、単に「知的と誠実が両立したナチはいない」と言っているだけだからです。 また「ナチスの代わりに菜食主義者」という件も納得できません。 何故なら「知的で誠実な菜食主義者」は「いる」からです。 などと、10年前のパソコン通信の書き込みに今、突っ込んでもしょうがない私なのであります。 何故、この文章が私の日記の「今日の名台詞」に書いてあったのかなぁ。 「そういう経験ってないのですか?>ALL」というフレーズが気に入ったのかな? 「カラオケに行くということは、もうどこにも行かないということだ」 香山リカ。 1995年、ユリイカ4月臨時増刊号「悪趣味大全」より。 ※「香山リカ」は私の「ファミコン熱中時代」を思い返す際には必ず登場するキーワードであります。 当時、ファミコン雑誌にもよく登場していましたし(今でもそうなのかな?)、気のきいたフレーズもたくさん言っていたと思うのです。 上記のヤツもそのひとつです。 「女には生理ってモンがあるんです。生理もない癖に『女』を語るなんて、私は許せない」 テレビでニューハーフになった男のドキュメンタリーをやっていて、その番組の司会役で軽薄そうなタレントが、その母親の所に「息子さんを許してやって下さい」と訪ねて行った。 その時、その母親が言ったセリフ。 ※この母親のセリフはとても格好良いと思うのであります。 「・・・・・。殺すのはいつもおれか」 「皿洗うのはぼくじゃないか!」 サイトーヨシコ「パスパス」。 ※昔読んだ大学の同人漫画雑誌「似非人間VOL.5」の中の作品。 シリーズ物のSF短編で、主人公の「アグニ」と「リン」は毎回奇妙な事件に巻き込まれるのであります。 いわゆる「相棒モノ」は、会話の妙が大切だと思います。 「朝、両手を大きく広げて、ウーンって伸びをしたとき、『隣に誰もいない』っていう、あの気持ちよさ! 寝るとき寂しいのと、あの気持ち良さとどっち取る?寝るときに誰かいて、朝になると帰ってていないのがベストなんだけど」 桃井かおり。 ※そりゃベストです。 「役者ってホントは生きた小道具だから、発言しちゃいけないのかもしれない」 桃井かおり。ヒッチコック系コメントであるなあ。 ※映画監督のヒッチコックがある時、記者に「あなたは俳優は家畜だ、とおっしゃったそうですね?」と問いつめられた事がありました。 それに対してヒッチコックは「私はそんな事は言った事はないよ。私は、俳優は家畜なみに扱うべきだ、と言ったんだ」と応じたのでした。 私はこのエピソードが大好きなのであります。 さらに続いて、彼の映画「スミス夫妻(1941)」のクランクインの日。 ヒッチコックがスタジオに入ったら、主演女優の「キャロル・ロンバード」がセット脇に「家畜小屋」を作らせていたそうです。 このエピソードも私はとてもとても大好きなのであります。 「水が入ったバケツに一匹のカエルを入れて火にかけ、だんだん火を強くしていく。優れた適応力を持つカエルは、これまでに経験した事のないほどの熱にも耐えるが、最後はバケツの中でゆだって死んでしまう。適応力に優れ過ぎているためにバケツから飛び出そうとは絶対に思わないのだ」 「日本・バケツの中のカエル」より。 日米自動車貿易摩擦に関して、ニューヨーク・タイムズに載ったコラム。 筆者は同紙外報部のトーマス・フリードマン。 ※適応力に優れていたり我慢強かったりするのも、時には考えモノなのであります。 私は昔から適応力はありませんが我慢強い人間で(と自分では思っているのですが)、多少お腹が痛くても気持ち悪くても病院には行かないのです。 実に困った事です。 「そして人間はどんな醜悪なものにも自分自身を適応させていける、というところが危険なのだ。ドストエフスキーもいっている、『クープリン、真の恐ろしさは、恐ろしがらないことだ』と」 ※これは誰のセリフだったかなあ。 知っている方がいらっしゃいましたら、ぜひとも教えて下さい。 「四世紀半もの齢を重ねてきた彼女に対して、生き返ったばかりでまだ冷えきってもいない死者が保護者づらするとあっては、いらだつなと言うほうが無理というものだろう」 キム・ニューマン「ドラキュラ紀元」。 ヒロイン「ジュヌヴィエーヴ・サンドリン・ド・リール・デュドネ」は、15世紀フランス生まれの16才でヴァンパイアになった少女である。 ※国民の半数以上が吸血鬼になった19世紀末イギリスが舞台のこの小説は、「吸血鬼好き」「ビクトリア朝好き」の私にはとても面白い物語でした。 以下、しばらく「ドラキュラ紀元」からの名台詞が続くのであります。 「50、60になったとき、温血者ウォームのまま墓にはいりたいという決意は、愚かな片意地と思えるのではないか。罪悪ですらあるかもしれない。ヴァンパイアになることを拒否するのは、道徳的に自殺と等しいのではないか」 ※この小説世界では、大半の人間が自ら進んで吸血鬼になるのであります。 進歩的な人間は吸血鬼化を望み、旧態依然とした人間のみが吸血鬼化を拒んでいるのであります。 面白いのはこの両者が「共生」している事でした。 「無能は常に天才の誘い水であり、愚鈍はいかなるときでも洞窟から叡知を呼び出すことのできる『おとり』なのです」 ※劇中、「オスカー・ワイルド」が語るセリフ。 何となくシャーロック・ホームズとワトスン博士の関係に近いかな? などと言うと「ワトスン・ファン」にすごく怒られちゃうのであります。 「ぼくはあらゆる地獄に住む悪魔と顔馴染みなんですよ、ジェヌヴィエーヴ。要は、いかにして正しい悪魔を召喚するかですね」 ※ある時、吸血鬼の娼婦ばかりを狙った「連続猟奇殺人事件」が起こります。そう、「切り裂きジャック」です。 そして、吸血鬼の少女(実は15世紀生まれ)とディオゲネス・クラブ所属の人間の中年男がコンビを組み、犯人を追いつめていくのであります。 「もう一か月になるのね、二重殺人から」ジュヌヴィエーヴが口をきった。「事件はもう終わったのかしら」 ボウルガードは首をふった。彼女の言葉が物思いを破る。心のなかはペネロビのことでいっぱいだった。 「いや。良いことはひとりでに終わるが、悪いことは終わらせなくては終わらないものだ」 ※多くの物語の主人公たちは、この「悪い事を終わらせる」ために孤軍奮闘(もしくはチームで)するのであります。 また「何か悪い事が起こっている」と最初に気がつく事が出来る人間が、その物語の主人公となるのであります。 以上「ドラキュラ紀元」の名台詞でありました。 「好奇心は猫を殺すと言うぞ」 映画「バットマン・リターンズ」より。シュロックのセリフ。 ※ま、シュロックのセリフというよりも、昔から使われていた言い回しですね。 「歳をとるという事は、水を失っていく事なの」 NHKの番組宣伝コピーより。 ※「少女とは、水分がちょっと多い、少年である」と言ったのは誰でしたっけ? いずれにしても、人間というのは水分が多いか少ないかによって、男か女か、若いか年寄りかが決まるみたいなのであります。 「『山本るりこ』は世の中の役に立たない漫画を描いてやろうと思って始めた漫画だ。 何も意味がない。何も生み出さない。一歩も前に進まない。 かといって何かにたてつくわけでも破壊しようとしているわけでもない。 『地蔵も褒めず閻魔しからず』」 唐沢なをき「必殺山本るりこ」より。 ※「地蔵も褒めず閻魔も叱らない」とは、なんと中途半端で哀しい状態なのでありましょう。 「暴力がより強大な暴力によって排除されるのは、歴史の銘である」 朝日テレビ「連合赤軍の崩壊」より。 ※これはドキュメンタリー番組のナレーションだったかな? 違ったかな? いずれにせよ、そろそろ人類はそこから卒業しなきゃいけないだろう、と思うのであります。 「あんた地平線になっているわ」 俺の夢の中。 俺の相手をしていた関西の若い女漫才師のセリフ。 ※私はよく夢を見ます。 その中で、面白い話や気になったフレーズは夢から覚めてすぐ書き留めておくようにしています。 これもその一つです。 それにしても、何で、漫才師の若い娘に、こんな意味不明な事を言われなきゃならないのでしょうか私は。 「地平線にいる者だけが、全ての物を見渡す事が出来る」 夢の中の俺のセリフ。 ※上記の「あんた地平線になっているわ」に対して、私が切り返したセリフです。 何だか我ながら格好良いのであります。 あまりにも良く出来たシャレた会話なので、ひょっとするとオリジナルがどこかにあって、無意識に夢の中に出て来たのかも知れません。 「全艦、緊急退避。これは演習ではない。全乗務員に告ぐ、これは演習ではない」 新スタートレック第15話「盗まれたエンタープライズ」より、データの艦内アナウンス。 ※私は常々、SF映画やSFアニメ等に登場する「これは演習ではない」というフレーズが大好きなのであります。 二回繰り返すところも「とても格好良い」と思うのであります。 「恐いと思うのは大事な事なんだ。死なないために、ね」 アメリカの老スタントマンのセリフ。 ※前述の「バケツの中のカエル」に通ずるセリフです。 私は我慢強いからお腹が痛くても病院へは行かず、でも臆病なので「ああ、どうしよう・・・」と思い悩むという、非常に厄介で困った性格を持っているのであります。 「逃したホシの数は、星の数ほどある・・・」 中川いさみ「クマのプー太郎」の刑事のセリフ。 ※中川いさみは「シュール系4コマ漫画」の第一人者でありました。この人も一時期好きだったなあ。 「このままじゃ、・・・このままだ・・・」 中川いさみ「クマのプー太郎」より。 ※通常「このままじゃ」に続くのは「駄目だ」でありましょうが、「このままだ」と続けたのが、あまりにも当たり前かつ深淵だと思うのであります。 「じゃ人間ドックは?」 「ああいう所は行かない。病気が見つかりますから。病気が見つかると、病気になりますから」 上岡竜太郎。 ※私が以前、初めて「人間ドック」に行った時の話です。 宿泊無しの一日コースで、病院内を「次は採血室に行って下さい」「次は血圧検査を受けて下さい」と指示され、検査室をいろいろと巡り歩くという仕組みでした。 検査が嫌いな私は一日ドキドキしていました。 そして、「眼底検査室」で検査が終わった時の事です。 看護士が私に言ったのは、 「次は恐怖のレントゲンです」。 「えっ・・・!?」と私が青ざめたのは言うまでもありません。 が、再び聞き直してみると「恐怖のレントゲン」じゃなく「胸部のレントゲン」なのでありました。 ああ、恐かった。 「もしも 運命にさからえぬのなら 私たちが 生まれてきた意味が 見つかりません。人は それぞれの未来を きずくために 生まれてきた・・・。そう 信じたいものです」 「ドラゴンクエスト6」より。 ※「ドラゴンクエスト6」は、1995年暮れに「エニックス」から発売された「スーパーファミコン」用RPGでした。 昨年2004年暮れに発売されたのが「ドラゴンクエスト8」ですから、まあ、なんと息の長いシリーズなのでありましょう。 そりゃみんな歳取るわけです。 とりあえず今回はここまで。 昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。 その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。 |
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