今回は「夢」の話です。 以前にも書きましたが、私はよく夢を見ます。 「ボクは将来大きくなったらお金持ちになるんだ」の夢じゃなくて、夜寝ている時に見る「夢」であります。 昔、学生時代(中・高校生の頃)には枕元にノートを置き、目覚めたら見ていた夢を即「記録」する「夢日記」を付けていたのですが、ある時、「そういう事をやっていると精神的に宜しくない」との文章を何かの本で読み、それ以来ぷっつり止めてしまいました。 どうやら夢は「すぐ忘れるためにある」らしいのです。 しかし「夢日記」は止めたモノの、起きてからもしばらくは忘れずにいる夢はその後も書き留めておく事にしているのです。 今回はその中から幾つか、ご紹介するのであります。 見た時期はバラバラ。 しかも、「夢」ですから何の整合性も、物語としてのオチもありませんが、何卒ご勘弁を。 「東京タワーのロケットの夢」 夕暮れ時。 シルエット気味になった「東京タワー」の鉄骨の内部に、昔観たSF映画の様な流線型銀色の「ロケット」が入っている。 こんな感じである。 それを大学時代のサークル仲間と、ビルの会議室から見ている。 「みんなで逃げましょう」と俺が言う。 何で逃げるのか、何処へ逃げるのかは分からない。 俺の言葉に対して、サークルの「S嬢」が「ここに残る」と応える。 何だか裏切られた感じがして、とても悲しい。 気がつくとこの「東京タワー・ロケット」は、街のあちこちに建っていた。 「古本屋のノーチラス号の夢」 線路脇の古本屋にいる。 いつも行く古本屋ではないが、妙に懐かしい。 そこには模型雑誌のバックナンバーが全部揃っている。 パラパラ捲っていると、その裏表紙にタミヤから出る新発売の「ノーチラス号」の広告が載っている。 どうやらこれは、その「司令塔」の部分らしい。 これは俺の見た事にない「海底二万里」の「ノーチラス号」だ。 オリジナルなのだろうか。 欲しいなあ。 「ジェットコースターで映画館に行く夢」 もの凄いスピードで疾走するジェットコースターに乗っている。 前に座っている女の子が俺の方を振り返って「お兄ちゃん、何しているの?」と何回もしつこく訊ねてくる。 返答に困る俺。 俺はこれに乗って映画館へ行くのだ。 が、先の方を見るとレールが空中で途切れているのが分かる。 「ああっ!」と思った瞬間、ジェットコースターは止まり、安堵の胸を撫で下ろす。 でも、結局、映画には行けなかったなあ。 「ウォルター・マッソーの殺人鬼の夢」 ニコニコと話しかけてくる彼は、実は気の狂った殺人鬼である。 いつも注射器を持ち歩き、その中の「毒薬」を相手に注射するのだ。 何より恐いのは、その注射器の針の先が「二股」に分かれている事なのだ。 「猫のサイコロの夢」 徹夜で仕事をしている。 会社の一階にいると、道路に面した扉が開き「猫」が入って来る。 直立して歩く「猫」だ。 その「猫」からサイコロを貰う。 陶器で出来た掌ぐらいある大きなサイコロだ。 でも、その表面に彫られている「サイコロの目」に「汚水」が溜まっている。 ちょっと嫌だなあ、と思う。 でも、しょうがないか。 猫がくれたサイコロだから。 「渓流商店街の夢」 山間の渓流にいる。 その渓流の両脇が商店街になっている。 いや、商店街の真ん中に本来あるべき道路が「渓流」になっていると言うべきか。 川面からすぐ店の入り口へと続いているのだ。 並んでいる店舗は喫茶店やパチンコ屋、古本屋やレコード屋、土産物屋まである。 ここは温泉地の商店街なのかも知れない。 建物はみな古めかしく昭和30年代の雰囲気だ。 「何だか『つげ義春』が見そうな夢だなあ」と、夢の中の俺が思っている。 「中吊り広告の夢」 電車に乗っている。 満員というワケでも空いてるワケでもない。 何処から乗って何処に行くのかも分からない。 座席に座るでもなく、俺は吊革に掴まって立っている。 そして車内の中吊り広告を見ている。 その白い紙には写真が一つもなく、ただ太いゴシック文字でこう書かれていた。 「カニを喰う。二月中旬」 何だろう? 何だか分からないが俺はそれをずっと見ている。 そう言えば、この電車は本当に走っているのだろうか。 ね? 何が何だかワケ判らない話だったでしょう? でも、これが「夢」なのであります。 「夢」の面白さなのであります。 最後の「中吊り広告の夢」は最近私が見た夢であります。 ちなみに私はあまり「蟹」が好きではありません。 高価な割には「喰うのが面倒くさく」て。 |
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