私は昔から本や漫画、テレビや映画などに登場する「名台詞」を日記に書き留めておくようにしていました。 と言うワケで、今回も昔の日記からそれらを抜き出してご紹介するのであります。 (今回は1996・7年頃の日記を中心にした抜粋です) コメントはその当時のモノ。 ※印付きのコメントは、現在の私の補足説明です。 またまた前後の脈略無くズラズラズラと並べてみました。 「帰命頂礼、地蔵和讃・・・。いいかい お前さん。どんな人間でも大切にしてやんなきゃ いけないよ。だってさ わしらにゃ それがどんな人間なのか 何をしに生まれてきて 何をしでかすのか 見当もつかないんだからねえ。うん。ひょっとしたら その人間は わしらのため 世の中のために どえれえ いいことをしに 生まれてきたのかもしれないじゃないか。ねえ」 黒澤明「どん底」より。 遊び人「喜三郎」が、突然居なくなった巡礼「喜平」の真似して言うセリフ。 ※「どん底」は1957年の黒澤映画、原作は「マキシム・ゴーリキー」の戯曲であります。 私は上記のセリフを聞いてビックリしたのであります。 何故ならこれは「指輪物語」の中で、魔法使い「ガンダルフ」が言う有名なセリフとそっくりだったからです。 すなわち(ちょっと長くなる引用ですが)、 「死んだっていいとな!たぶんそうかもしれぬ。生きている者の多数は、死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか?もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではない。すぐれた賢者ですら、末の末までは見通せぬものじゃからなあ。ゴクリが死ぬまでに悪から癒される望みが大いにあるとは、わしも考えておらん。しかしその可能性はあろう。それにかれは指輪の運命にしかと結びつけられておる。わしの心の奥底で声がするのじゃ。善にしろ悪にしろ、かれは死ぬまでにまだ果たすべき役割があると」 黒澤明が「指輪物語」を読んでいたとは思えないので(ん?ひょっとして読んでたかな?)、これは「ゴーリキ」の原作にあるのかも知れません(原作は私は未読)。 「戦いは残酷だから恐ろしいのではない。その残酷さが時には美しく見えてしまうから恐ろしいのだ」 黒澤明。 ※黒澤明つながりで、これは「フランシス・F・コッポラ」の「地獄の黙示録(1976)」公開時の彼のコメントです。 確かに、黒澤明も「戦争」の恐ろしさと虚しさ、そして「美しさ」を描いた映像作家でありました。 これは言っても詮無い事なのですが、黒澤明が途中で監督を下ろされた「トラ・トラ・トラ!(1970)」を、ぜひ彼の演出で観てみたかったといつも思うのです。 「実際には、もしスタッフがこの場面は笑えるとかラッシュを見てすごいと思ったりするのなら、気をつけなくてはいけない。何かの要素がそれだけでうまく作用しているとなると、それはたいてい、その部分自体で完成されていて、作品全体の流れの中ではまるで役に立たなくなってしまうんだ」 エレノア・コッポラ「ノーツ コッポラの黙示録」より。 フランシス・F・コッポラのセリフ。 ※映画「地獄の黙示録」の撮影風景を記録したのが、当時彼の妻であった「エレノア」でありました。 映画監督は撮影した分を翌日の夜、スタッフ間で「ラッシュ上映」する事が多いのですが、これはそれに関して言及したセリフです。 監督は数ヶ月後の「編集」や「最終的な仕上がり」まで考慮して、上がってきた「一部分」を判断しなければならないのであります。 「彼はいう。よい監督というのは準備を入念に進め確固とした信念をもって作品にのぞむタイプではなく、さまざまに変化する状況を許容しながらそれらを最大限に生かして上質な部分を見極め、作品の肉づけとしていくタイプではないか」 エレノア・コッポラ「ノーツ コッポラの黙示録」より。 ※映画監督は実に孤独で、日々無力感に捕らわれる職業です。 「企画」「脚本」時に構想していた物事が、いざ撮影に望むとなると尽く「実現不可能」である事を次々と突きつけられてしまうからであります。 「映画は妥協の産物」とは昔から言われている言葉です。 「酷い映画は勇気を与えてくれる」と言ったのはキューブリック。 「映画っていうのは作り終わった途端に『しまった』っていうものの累積なんですよね」とは宮崎駿のセリフ。 多くの映画監督たちが「ああ!失敗した!」と心の中で呻吟し、そしてその多くがその通り「ツマラナイ失敗作」であり、でもほんの僅かな作品が「名作」「大傑作」として残るのであります。 「人間は一日約2時間夢を見るそうです。と、NHKが言っていました。NHKが言ってるのだから、たぶん本当でしょう。すると一生のうち、6年分は夢を見てるつー計算で、これはスゴイ事です。仮に時給千円で夢を見たとしたら、何と、五千万円にもなってしまいます。夢が仕事になればいいなと、つくづく思うのであります」 ガロ2月号、東陽片岡「じゅわいよくちゅーる漫画」より。 ※この「ガロ2月号」とは「1996年2月号」の事で、東陽片岡は当時私が好きだった漫画家の一人でした。 それにしても、「一生の内どれぐらい夢を見るか」とは誰でも考える事でしょうが、それを「時給」に換算するのがスゴい!と思うのであります。 ああ、私もそんな会社に入りたい・・・。 「例え銀河系級の宇宙船と言えども、設計ミスは起こりますよ」 新スタートレック。 「ジョーディ・ラフォージ」のセリフ。 ※「ラフォージ」は、新スタートレック(ネクストジェネレーション)の「エンタープライズD」の「機関部チーフ」です。 「銀河系級(Galaxy-class)」とは24世紀後半、連邦が所有する最新鋭の宇宙船で、「エンタープライズD」もこれにあたります。 そんな最新鋭艦の機関部部長が、さも当然の事の様に上記のセリフを言うのが「格好良い」し「頼もしい」のであります。 「今日の御恩は決して、明日まで忘れません・・・」 NHK「コメディ お江戸でござる」より。 ※私はこの手の「ふざけた」言い回しがとっても好きなのであります。 「落語」や私の好きな漫画家「杉浦茂」に通じるのであります。 「私○○は、健全な心と歳老いた体で、ここに遺言を記す」 NHK「大西部の女医 ドクター・クイン」より。 ※「遺言」の多くは「年老いた体」で行うモノであります。 が、多くの場合、その時点で「健全な心」かどうかは、これ、判らないのであります。 松本「犬猫の目をみてみい。まん丸で真っ黒で、こりゃどこか裏の方で神様と直接話しおうとるんやないかと思えるやないか」 梅本「そ、そうですか?」 松本「そや、夜中にゴミ箱の裏なんかに猫が集まってニャーニヤーゆーとるやろ、ありゃおめえ、日吉本町の梅本君は最近悪いことばっかりしとるからひとつ神様に頼んでバチの一つもかぶらせちゃったらどうやろね、一丁目の州平さんは善人やから、5,000万円の宝くじでも当てちゃったろーかね、とかゆーて話し合うとるんや」 モデルグラフィックス「松本州平」のセリフ。 ※「モデルグラフィックス」は今も続く模型月刊誌で、当時私は彼の製作記事が毎月楽しみだったのであります。 とても面白くて。 模型の製作記事は確かに「役に立つ」事も重要ですが、その前にやはり「面白い読み物」であるべきだと私は思うのです。 「Kの妹がまだ幼い頃、日本アニメーションの『フランダースの犬』の歌の最後で『ワンッ!パトラッシュッ!!』と言うのを、ずっと『ワンッ!また来週っ!!』だと思っていた」 ※Kは昔の私の会社の後輩です。 「巨人の星」の「重いコンダラ」に代表されるように、この手の「思い違いネタ」はいろいろと多いのであります。 「疑似体験も夢も存在する情報は全て現実でありまた幻なんだ・・・」 「小説や映画が人を変える様に?」 「人が一生のうちに触れる情報などごくわずかだ・・・一国の運命や一人の人生も大抵はゴミ扱いさ。この事件がほとんどの大衆に無縁な様にな」 士郎正宗「攻殻機動隊」より。 ※「夢」と「現実」の境界の曖昧さは、別に「サイバーパンク」やら「バーチャル・リアリティ」などが持て囃される以前、すでに小説の世界では一般的でありました。 「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」と看破した「江戸川乱歩」たち幻想文学者らには、であります。 「どんな撮影にも三つのやり方がある。早いのと、良いのと、安いのだ。でも一つだけじゃダメなんだ」 ジョン・ダイクストラ。 ※「ジョン・ダイクストラ」は「スターウォーズ」や「宇宙空母ギャラクティカ」「スター・トレック」等のSFXマンであります。 おそらく映画のプロデューサーにすれば「早くて」「良くて」「安い」のが理想なのでしょうが、現場サイドは「せめて、その内二つ」という事なのでありましょう。 そして観客は単に「良い」のだけが観たいのであります。 「王は殺し、神は滅ぼす」 「ピラミッドや神殿、昔の遺跡などを見るとそんな感慨に耽る」 森卓也のセリフ。 ※森卓也は映画・アニメに詳しい評論家です。 上記のセリフは何に書かれていたのか失念してしまいましたが、なかなか格好良いのであります。 ま、神様の方がいつでも「規模がでっかい」って事でしょうか。 追記)出典は「『愚直な志』への屈折した賛辞」(1997年9月2日号、キネマ旬報臨時増刊、宮崎駿と『もののけ姫』とスタジオジブリ)より。 「うすら納得」 D社K部長のセリフ。 ※何かの打ち合わせの時にK部長が「あいつのは、うすら納得だからなあ」と言ったのであります。 「うすら納得」という単語を今まで聞いた事がなかった私はビックリして、さっそくその日の日記に書いておいたのであります。 その後、「うすら納得」なる単語は二度と聞いた事がないので、これはK部長の「造語」だったのでありましょう。 でも何か良いなあ、「うすら納得」。 そしてまた。 この世の中というモノは「うすら納得」で充満し、それはそれで「それなりに上手く」回っているのであります。 うん。 「キロキロムシって頭がいいなあと思うこともある。上から物が落ちてきたりすると」 「・・・」 「落ちてきた物のそばに避難するのだ」 いがらしみきお「ぼのぼの」。 「キロキロムシは頭がいい」より。 ※何故「そばに避難するか」と言うと、そこに再び物が落ちてくる確立は低い、からなのであります。 「与えられるのは銃弾と不条理・・・、残されるのは絶望と無の世界・・・。それだけだ!!」 「ファイナル・ファンタジー7」の「ダイン」のセリフ。 ※「ファイナル・ファンタジー7」略して「FF7」は、「1997年」にシリーズ初の「プレイステーション」用ソフトとして発売されたRPGでした(最近PS2としてリメイクされたみたいですが)。 「CD-ROM三枚組」という大容量で、従来の「スーパーファミコン」とは格段違うとてもリアルな映像が描かれていました。 物語は、大企業「神羅カンパニー」の地球規模の陰謀に、若きテロリストたちが戦いを挑む・・・、と云った「超近未来ハードSFファンタジー」でした。 「俺たちが乗っちまった列車は、途中下車はできねえんだ!!」 「ファイナル・ファンタジー7」の「バレット」のセリフ。 ※これまたいかにも「熱い!」セリフなのであります。 こういう「臭いセリフ」も、実際にゲームにのめり込んでいる最中には「燃える!」のであります。 よく見かけるフレーズですが、こういうセリフが要所要所にピシッと決まるRPGはプレイしていて、とても気持ちが良いのです。 「芸術作品は決して完成されない。投げ出されるだけ」 昔の格言。 映画「2001年 宇宙の旅」にまつわる有名なエピソードがある。 「MGMがほとんど力ずくでスタンリーの手からあの映画をもぎ取らなかったら、彼は今も撮影を続けていただろう」 ※なるほど確かに「芸術作品」には「これで終わり」というモノが無いのかも知れません。 ちなみに、私の模型やフルスクラッチがいつまで経っても完成しないのは、これ単に「怠け者」だからであります。 とほほ。 「つぎは書類をとりにキューブリックのべつのオフィスーー静かな場所にあり、書き物ができるよう控室を改造したものーーに向かう。途中、大きな発電機をたくさん据えつけてあるが、いまは使っていない建物を通ったーー『危険!11,500ボルト』の注意書がドアに釘づけされている。『なぜ11,500ボルトだと思う?』とキューブリックが尋ねた。『なぜ12,000ボルトではいけないんだ? 映画にそんな注意書を使ったら、観客がウソだと思うからさ』」 スタンリー・キューブリック。 ※「リアルさとはどういう事か」を的確に言い表したエピソードだと思います。 切りの良い数字よりは半端な数字、「ノイズ」部分に人は「リアル」を感じるのであります。 「日本という国を立派に成立させているのは 義理・人情・面子・仁義・建前の5大原則なのさ」 モーニング、山本康人「内線893」より。 ※これは「1997年」の漫画のセリフですが、10年ほど経った現在、その「5大原則」は急速に変わってきている様な気がします。 それが良い事なのか悪い事なのかは、まだ判らないのであります。 「GOD。逆から読むとDOG」 出展不明。 ※犬好きの方々はこの逆「DOG。逆から読むとGOD」と引用・覚えているみたいなのであります。 「中学生のころは、夏休みの終わりは『小さな死』であった。本当に死ぬときは『長い夏休みの終わり』といった気分なんじゃないだろうか」 嵐山光三郎。 ※実に「なるほど」なのであります。 「楽しい事」も「面白い事」も「悲しい事」も「嫌な事」もたくさんあったけど、「でも良い夏休みだったなあ・・・」と思いながら人生の最後を迎えたいモノなのであります。 「女には二種類の人種がいてな・・・。生殖本能を刺激する女と・・・。闘争本能を刺激する女だ」 ザビエル山田「沼田さんが笑った」より。 ※「ザビエル山田」は四コマ漫画作家です。 これまた実に「なるほど」、なんて書いちゃうといろいろな所から石をぶつけられちゃうので書かないのであります。 「私はタマゴを生んだことは一度もありませんが、それでも、タマゴが腐っているかどうかは、ちゃんとわかります」 ウィンストン・チャーチル。 チャーチルは第二次大戦中のイギリスの首相。 彼がある時、新聞記者に「一度も絵を描いた事がない人が、ただ名士というだけで、美術展の審査員をやっているのはどう思われますか?」と訊かれて応えたセリフ。 ※これは私の大々々好きな「名台詞」なのであります。 「好きな名台詞ベスト5を選べ」と言われたら、迷わずこれが挙がるのであります。 私もこの様に、いろいろな事への洞察力や判断力に富んだ人間になりたいモノだと、日々思っているのであります・・・。 とりあえず今回はここまで。 昔の日記からの抜粋なので、記述間違いや出典間違いがあるかも知れません。 その場合は、間違いを教えていただければ、これ幸いなのであります。 |
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