小学三年生の時でした。 「ボクは大きくなったらタイムマシンを作る人になる!」 クラスで一番仲の良かった友達に、私はある日こう宣言したのでした。 多分、その前に子供向けのH・G・ウェルズの「タイムマシン」を読んだからなのでしょう。 映画化された「タイムマシン(1959年、監督ジョージ・パル)」をテレビで観たのかも知れません。 「時間旅行機」! 私は「タイムマシン」という素晴らしい機械の魅力にすっかり取り憑かれてしまったのでした。 「大人になったら」「偉い科学者になって」「タイムマシンを作る!」、これが私の子供の頃の夢だったのです。 しかし、現実は厳しいものであります。 この夢は、一番最初の「大人になる」以外は、全てはかない夢に終わったのでありました・・・。 と言ったワケで、私は子供の頃から「タイムマシン」が大好きなのです。 「自分で作る」という夢は実現しませんでしたが、それ以降、「タイムマシン物語」にはとても興味があるのです。 そして、今まで創られた小説や映画、漫画やアニメの中で、私が一番好きな「タイムトラベル物」は、今回ご紹介する 「タイムトンネル」なのであります。 「タイムトンネル」 これは「1966〜7年」にアメリカ「ABC」で制作された「SFテレビドラマ」で、「全30話」のシリーズ物でした。 日本で最初に紹介されたのは「1967年」の事で、「NHK」の「土曜日の夜8時10分(後半は日曜夜6時)」から放送されていました。 物語の設定は現代(と言っても制作された2年後の1968年という設定)。 アメリカ南西部に広がるアリゾナ砂漠。 その地下には秘密裏に建造された政府の「調査研究・実験施設」がありました。 「800階建てのビル」に相当する巨大な科学施設が、砂漠の地下に埋まっていたのです。 働く職員の数は「1万2千人」以上。 それは実に壮大な国家的極秘プロジェクトで、各階では時代ごとに区分された「歴史」の調査や、「時間」に関する研究がされており、そしてその「最下層」には本計画の真の目的である「タイムトンネル」装置が開発されていたのでした。 (私が妄想するに、各フロアの研究員たちも、最下層のタイムトンネルの存在は知らなかった様に思います) (何故そう思うかと言うと、そおいう設定の方が格好良いからであります) 「タイムトンネル」とは、人間や物質を過去や未来へと自由に送り込む「時空転送機」で、巨大な楕円状のリングが幾層にも並ぶ、まさに「トンネル」状の異様な機械でした。 本計画は「TIC-TOC(チック・タック計画)」と呼称されていました。 物語はこうです。 莫大な費用ばかり掛かり、一向に結果を出せないでいる「タイムトンネル計画」(もはやスタートから十数年経っている)に業を煮やした政府の上層部が、計画打ち切りの最終決定を行おうとします。 「君たちのくだらん遊びのために、政府は70億ドル以上払っているんだぞ!」 しかし、その決定に異を唱えた二人の若き科学者「トニー・ニューマン」と「ダグ・フィリップス」が、「タイムトンネル」から過去の世界へと旅立っていきました。 自ら最初の被検体として「計画」の有効性を示そうとしたのです。 しかし、実験は失敗。 「タイムトンネル」は重大な欠陥を抱えていたのです。 人間を過去に送る事は出来ても、再び現代に呼び戻す事が出来なかったのです。 こうして二人の過去や未来へ続く、当てのない放浪の旅が始まったのでした・・・。 これは昔からアメリカのテレビドラマが得意とする「バディ物(二人の相棒が主人公)」や「ロードムービィ(いろいろな場所を旅していく)」の「SF版」であります。 毎回「タイムトンネル」基地では二人を現代に「回収」しようとしますが成功せず、番組の終わりには違う時代へと「転送」させるのが精一杯。 こうして二人は様々な過去の歴史上の事件や、未来の驚異的な出来事に巻き込まれていくのでした。 (転送、回収、という言葉にSFチックな意味づけをしたのも、このドラマが初めてだった様な気がします) もう一つ。 この「時間旅行」を扱った本「SFテレビドラマ」での秀逸なアイディアが、「転送」先の二人の映像や音声を「タイムトンネル」側で「モニター」出来る様にした事にあります。 「タイムトンネル」装置の入り口辺りから迫り出してくる「二つの放射板」がスクリーンとなり、彼らや彼らが送り込まれた「時代風景」を映し出すのです。 これにより、その時代の二人の冒険と、彼らを「バックアップ」する「タイムトンネル」側の科学者たちのドラマが、緊迫したまま並行して描かれる事が出来たのでした。 と、またまた「前振り」が長くなってしまいましたが、 今回はこの「タイムトンネル」の私の好きな「ベスト5エピソード」をご紹介するのであります。 「世界の終わり End Of The World」 1910年。イギリスのウェールズ。田舎の鉱山町。 そこに「転送」された二人は、落盤事故で多くの鉱夫たちが坑道の奥に閉じ込められたのを目撃する。 町で救助を求めるが誰も取り合わず、見上げる夜空には巨大な彗星が禍々しく輝いていた。 そう「ハレー彗星」である。 町はずれの丘にある天文所の偉い学者が「地球の滅亡」を宣言し、皆が自暴自棄になっていたのだ。 「ダグ」は「ハレー彗星は地球には衝突しない」という「歴史的事実」を証明するため、一人天文所に赴き、天文学者の前の大きな黒板に「彗星軌道計算式」を書き始める。 その結果・・・。 彗星は地球に衝突する事が反対に証明されてしまう・・・。 「しかし、衝突しない事は事実なんだ・・・」 「SF映画に出てくる黒板フェチ」である私は、このエピソードが大好きです。 また、その1910年のハレー彗星を「モニター」していた現代の「タイムトンネル」が突如コントロールを失い、研究所内がパニックになるシーンも大好きです。 「過去の彗星が影響を及ぼすかっ!」 「でも、タイムトンネルは1910年に直結されているんだ!今!!」 と科学者たちが互いに怒鳴り合うシーンも、「うーん・・・。SFだぁ・・・」と子供心に思ったものであります。 今回の物語の最後、例によって別の時代に「転送」される二人ですが、「トニー」だけ一人「1958年のアリゾナ砂漠」に跳ばされてしまう短いエピソードが付いています。 1958年のアリゾナ砂漠と言えば、すでに「タイムトンネル計画」が始まっていた時代です。 しかし、「トニー」が「タイムトンネル計画」に参加するのが「1961年」の事で、それより僅か「3年前」に「転送」されてしまったのです。 したがって、顔見知りのハズの警備主任にはまだ髭がなく、続いて赤いスポーツカーでやって来た「ダグ」も、「トニー」の事はまったく知らないのです。 「不審者」として警備隊に射殺される瞬間、次の「転送」が起こって次回へと続くのですが、私は何故、この短いエピソードを展開させ独立した一本の話にしなかったのか、常々疑問なのであります。 とても面白そうなエピソードなのに、実に勿体ないのであります。 「火山の島 Crack Of Doom」 1883年。 インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカタウ島。 二人が「転送」されたのは史上最大の大噴火に見舞われた火山島だった。 爆発の危機が迫る中、「タイムトンネル」では「アイソレーション・セオリー」という危険な賭による「回収」を試みる。 これは二人同時の「転送」を一人に集中する事により、その実効性を高めると言うモノだった。 しかしそれは「フィードバック」による「タイムトンネル」自体の破壊も考え得る最後の方法であった。 はたして、「トニー」一人が「タイムトンネル」に「回収」される。 彼は「帰ってきた」のだ。 しかし、そこで彼が目にしたモノは、全てが「凍結」された「タイムトンネル」の姿であった・・・。 「無慈悲な時の神」は、放浪者の帰還を許さなかったのだ。 「どうした!?誰か動けないのかっ!」 恐れていた「フィードバック」により、「タイムトンネル」は過去と現在の「瞬間」に閉じ込められてしまったのだ。 「博士・・・。トニーです・・・。再び・・・、自分で、戻ります・・・。戻らなくてはならない・・・。ダグが・・・、待っている・・・」 こうして一枚のメモを書き残し、再び「トニー」は「タイムトンネル」の奥へと消えて行くのであった・・・。 これはアメリカの本放送では「6番目」に当たるエピソードでしたが、日本では「タイムトンネル」シリーズの最終話として放映されました。 アメリカ本放送では何故これを「最終話」に持って来なかったのか? 実に「タイムトンネル」の最後を飾るに相応しいエピソードだと私は思うのです。 これを日本の最終話に持って来た「当時の日本の誰か」は、本当に偉いっ!と思うのであります。 ちなみに、この最終話のラストに流れた日本ナレーションは、 「トニーとダグが回収されるチャンスはまたもや消え去り、二人は再び無限の時間の広がりに身を投じて行った・・・。このシリーズは一応終わるが、タイムトンネルは現在未完成のままである。スタッフは今後もあらゆる実験を試みて、完成への道を目差して行くだろう・・・。タイムトンネルの完成、それは現代、いや、人類の永遠の夢と言えるかも知れない・・・」 というモノでした。 「秘密兵器A-13 Secret Weapon」 1956年。 場所は東欧。 米ソ冷戦の真っ直中、「転送」された「トニー」と「ダグ」が兵士に連れて行かれた場所は、「タイムトンネル」と瓜二つの施設だった。 アメリカの「タイムトンネル」より12年前に、ソ連ではすでに同様の「タイムトンネル」を完成し、今まさに最初の「人体実験」を行おうとしていたのだ。 「トニー」と「ダク」を始め、「タイムトンネル」の科学者たちは皆その事実に驚愕する・・・。 これも大好きなエピソードです。 海外の「SFテレビドラマ」には、この手の「もう一つ別のそっくりな」というネタがよく登場します。 「もう一人の自分」や「もう一つの組織」や「もう一つの機械」等です。 1956年のソ連の「タイムトンネル」の実験体にされた「トニー」と「ダグ」の「転送」に合わせ(これは失敗する事が判っているのですが)、現代の「タイムトンネル」側が「転送タイムを同調」させ、現代に「強制回収」しようとする展開が、とても格好良いのであります。 「Dデー二日前 Invasion」 1944年。フランス。 二人が「転送」された先は「第二次世界大戦下」のフランス北西部「シェルブール半島」。 そこで彼らは「レジスタンス」と間違われ、「ナチのゲシュタポ」に捕らえられてしまう。 そして時代が、連合軍の「ノルマンデー上陸作戦二日前」である事を知る。 さらに最悪な事に、「ダグ」がゲシュタポの「洗脳実験」を受け、自分が「ナチのクルーガ大尉」であると信じ込まされてしまう。 刻一刻と「史上最大の作戦」が近づく中、「ダグ」と「トニー」の殺し合いが始まろうとしていた・・・。 ここでは「フランス国内のレジスタンス」に向けた、あの有名な連合軍上陸を告げるイギリス国営放送の「暗号文放送」が出て来ます。 19世紀のフランスの詩人「ポール・ヴェルレーヌ」の「秋の日の ヴィオロンのため息の 身に滲みてひたぶるに うら悲し」であります。 (ちなみに、私が子供の頃にテレビで観た映画『史上最大の作戦(1962)』での吹き替え〈多分一番最初の吹き替えバージョン〉、では、『秋の日の ヴィオロンのため息の 物憂くも単調に 我が心を痛ませる』だったと思うのですが、これ、誰に聞いても覚えていないんですよね・・・) 私は子供の頃から「SFが好き」で、「第二次世界大戦マニア」でもあり、さらに「ナチスの洗脳実験」という「おいしいアイテム」も加わり、本エピソードは私の「トリプル琴線に触れる」のであります。 「魔術師マリーン Merlin The Magician」 544年。中世のイギリス。 「タイムトンネル」施設の時間が突如「凍結」され、異様な風体の老人が出現する。 男は研究所を一通り見渡した後、「なるほどな。やはり思った通りだ。おもちゃだ。下らんな・・・」と最先端の科学技術を嘲笑う。 さらに、「トニー」と「ダグ」も時間流の中から「タイムトンネル」へと召喚させられる。 しかし、二人も「凍結」したままだ。 男は伝説の魔法使い「マリーン(マーリン)」であった。 「マーリン」は二人に「アーサー王」を救う使命を与え、二人と共に再び忽然と姿を消してしまう。 何事もなかったかの様に、再び動き出す「タイムトンネル」・・・。 「マーリン」は、イギリスの「アーサ王伝説」に登場する有名な魔術師であります。 私が好きなのは、再び「タイムトンネル」に現れた「マーリン」と科学者の会話です。 「魔法など誰が信じる!20世紀だぞ、ここは!」 「20世紀がなんだ。魔法は何世紀だろうと偉大な力を示す事が判らんのか」 それだけ偉大な力を持っているのなら、別に「トニー」と「ダグ」に協力を求めなくても良さそうなモノですが、彼には彼の理屈がありました。 「魔法ではある程度の事しかできん。その後は人間の捨て身の努力に頼るしかない」と言うのでした。 「魔法使い」が登場する物語のこの手の「方便」、私は好きなのであります。 続いて「ダグ」と「マーリン」との会話でも、それは言及されています。 「奇跡が起こせるなら、私たちなど必要がないだろう!」 「違う。人間の手で達成しなければならん事もある・・・」 本エピソードは、無事に全ての事件が解決した後、「マーリン」の目の前から「転送」で姿を消す「トニー」と「ダク」を見て、 「いよいよ奇跡の時代が始まった、か」 と、にこやかに呟く魔法使いのセリフで締められています。 私はいつも、このエピソードを観ると、あの「アーサー・C・クラーク」の有名な言葉、「高度に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない」を思い出すのであります。 「タイムトンネル」は、「60年代・70年代」に少年期(いや、少女期でも)を過ごした者にとって、様々な「SFマインド」や「SFビジュアル」を植え付けてくれたテレビドラマであったと思います。 特にその広大な撮影スタジオに組まれた「タイムトンネル」のセットが素晴らしいのです。 巨大なリングが何処までも続く「タイムトンネル」装置。 様々な色に点滅するコンソール・ランプ。 奇妙な波形を映し出すモニター。 盛大に回るコンピュータの磁気テープ。 数多く並んだ目的も判らないスイッチ群。 そして、ひとたび「タイムトンネル」に危機が迫ると・・・、 何故か火花を上げ煙を噴くコンピュータ。 激しく明滅する室内灯(稲妻の効果音付き!)。 今まで何処にあったのか、何処から吹いてくるのか、突風で研究所内に舞い上がる大量の書類たち。 「地下800階」を見下ろすメインシャフトの「渡り廊下」では、 意味なく大勢の職員や車輌が「わらわら」と走り回り、 巨大ドーム状の「パワー・コア」も狂った様に点滅を始め、 下からは蒸気(冷却器から発生する冷気?)が昇ってくる始末! 「転送」「回収」等の単語はもちろん、「映像を固定しろ!」やら「焦点を合わせろ!」「同調出来ません!」「出力が低下しています!」「何か異常な力が働いています!」等々、毎回繰り広げられる定番のセリフや、 初めて研究所を訪れた人が「タイムトンネル」が映し出した映像を見て、 「これは良く出来た映画だねぇ」 「映画じゃありませんよ。過去が、映っているんです」 とか、 過去の世界から「タイムトンネル」に偶然「転送」されてしまった人が狼狽えて、 「こんな魔法など、信じない!」 「これは魔法じゃない。科学だよ」 なんてやり取りに、 「うわー!SFだぁー!」と思ったモノなのであります。 やっぱSFは昔の方が面白かったよなあ。 いや、子供の頃に触れたSFが面白かった、という事なのかなぁ。 ところで今回、改めて奇麗な映像で「タイムトンネル」を観直してみると、登場人物たちが皆「うっすらと汗をかいている」んですね。 最初は緊張感を演出するためかと思っていたのですが、どのエピソード見ても皆汗をかいている。 何でもないシーンでも皆汗をかいている。 「ははあ。これは当時の撮影のライトが熱かったのだなあ」と気が付いた次第なのでありました。 ちなみに、本エッセイのタイトルは、「サディスティック・ミカ・バンド」の「タイムマシンにお願い(1974)」の捩りなのであります。 「1989年」に「桐島かれん」が、ちょっと前に、「木村カエラ」がリカバーしていましたっけ。 |
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