SYU'S WORKSHOP
ESSAY VOL.81
「ドジョウを飼っていた話」
について

(2007年8月1日)


夏が来れば思い出す話があります。

それは私が大昔、小学2年生の時に小さな水槽で十数匹のドジョウを飼っていた事、その顛末なのであります。


この水槽のサイズは22センチ×18センチ、深さ15センチぐらいの小さなプラスチック製の物で、上には1.5センチほどの隙間が並ぶ格子状の蓋が付いていました。
この取り外しが出来るポリ製の蓋は、透明感のある鮮やかな緑色をしていました。
蓋が付いていた事を考えると、これは水槽というよりもカブト虫やキリギリスなど昆虫用の飼育ケースだったのかも知れません。
が、私はこれを代々水槽として使用していたのでした。

その年の早春にはここで近所の公園の池から獲ってきたオタマジャクシを育て(このオタマジャクシの悲しい顛末についてはいずれまた)、夏前には当時小学生たちの間で大流行していたシーモンキーを孵化させ(このシーモンキーの恐ろしい顛末についてはいずれまた)、そして真夏になってドジョウを飼う事にしたのでした。

ドジョウは家から離れたところにある大きな川で獲ってきました。

水槽には数日間溜め置きしカルキを抜いた水道水で満たし、全長10センチから15センチほどのドジョウが十数匹、放されていたのです。

ドジョウを飼われた経験のある方なら誰でもご存知だと思いますが、彼らは実に愛らしく鳴くのであります。
「キュウ」「キュウー」と鳴くのであります。
ドジョウは水中をクネクネ泳いでいる時にはエラで呼吸しているのですが、時々水面に顔を近づけ、その際に水面から口先を出し、パクパクさせては「キュウ」と鳴くのであります。
池の鯉と同様、この時に深呼吸しているのかも知れません。


そんな夏のある日の事でした。
ドジョウを飼いだしてから二週間ほど経っていたと思います。

当時私には二階の小さな三畳間を宛われており、部屋の窓を開けると下には一階の水色のトタン屋根が広がっていました。
このトタン屋根は本来奇麗な青色で塗られていたらしいのですが、長い年月の間にすっかり退色し、淡い水色になっていたのです。
窓には小さく張り出した窓手摺りがあり、そこに例の水槽を置いていました。

暑い日の続く季節の事ですから、夜でも窓は開け放たれています。
部屋にはクーラーなど無く、窓と網戸があるだけでしたが、小学2年生の私にはそれで充分だったのです。
その夜はいつにも増して「キュウ、キュウ」と鳴くドジョウたちの声が騒がしかった様に思います。
「今夜はいつもより、うるさいなあ」と思いつつも、それ以上の詮索はせず、いつしか深い眠りについてしまいました。
そして次の日です。

私は今でも夜型人間なのですが、それは幼い頃から一緒でした。
昔から朝に弱く、夜更かしするのが大好きなのです。
その日はすでに夏休みに入っていましたので、ようやく私が起きたのは、昼に近い頃だったと思います。
共働きの両親はとっくに仕事に出ていました。
そしてふと目をやった水槽を見て、私はとても吃驚したのです。
少々濁った水の中、昨日まで元気に泳いでいた十数匹のドジョウが、一匹もいなくなっていたのです。
一匹も、です。

突然消えたドジョウの謎の答えは、水槽の向こう側に広がるトタン屋根の上にありました。
最初は煮干しかな、と思いました。
水色の屋根の上に点々と散らばっている煮干し、それはとても奇妙で幻想的な光景でした。
しかし、それをよく見ると、午前中の照りつける夏の太陽に灼かれ、すっかり干からび乾燥したドジョウたちだったのでした。

昨夜の彼らの鳴き声の大合唱は、水槽の濁った水の中で酸素を見つける事ができず、助けを求める陳情の声だったのです。

彼らは真夜中、酸素と自由を求めて水中から飛び上がり、何回目かのトライの末、水槽の蓋の狭い隙間から抜け出す事に成功し、下のトタン屋根に新天地を見つけたのです。
しかし日が昇ると同時にトタン屋根は灼熱の鉄板と化し、天空からは燃え盛る太陽に照らされ、かといって再び水槽に戻る事も出来ず、無念のまま皆絶命していったのです。

思えばドジョウを飼ってから一回も水槽の水を換えていなかった私が悪いのです。
狭い水槽に十数匹のドジョウを入れていた私が悪いのです。
水槽をトタン屋根の上に置いておいた私が悪いのです。

私は今でも夏が来て、蒼穹を押し広げるように白い雲が湧き上がる頃になると、あの時のドジョウたちの「キュウ、キュウ」という哀しい鳴き声が、何処ともなく聞こえてくる様な気がするのです。
本当にすまない事をしたと深く項垂れるのでした・・・。



ところで、東京の浅草に有名なドジョウ鍋専門店があります。


真夏の一番暑い日の夕暮れ時、川面を渡る風がようやく心地よく感じられるその時刻、古い木造店内の軋む階段をトントントンと二階の大座敷へと駆け上がり、空いているなら窓際の席に陣取ります。
手早く注文を済ませ、煙草をひと呑み、間もなく運ばれてくるのは宴の準備。
まるで氷塊から切り出したような霜降りの凍った大ジョッキに、なみなみなみと注がれた後頭部が痺れるほどキンキンに冷えた生ビールを、息つく暇なく「ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ」とまずは遣りつつも、卓上焜炉の青い火受けて、目の前の小さな鉄製の平鍋の中、少量ながらも濃い味付けの甘辛の醤油出汁で、今まさにグツグツ煮られるドジョウたちのその上さらに、大袈裟なくらい大量の刻み葱を山盛りにして、葱が煮えるのももどかしく、鍋から手元の白い小皿に移し取り、プンと香る山椒をハラハラハラと振り掛けた後、口腔が火傷するのもすっかり忘れ、「ホフ、ホフ、ホフ」と条件反射的に思わずそれらを掻っ込んで、慌てて冷えた生ビールで喉の奥に流し込む、「ゴキュ、ゴキュ」「ホフ、ホフ」「ゴキュ、ゴキュ」「ホフ、ホフ」はしばらく無心に繰り返されて、一緒に行った友人との会話もなく、その間はこれすなわち無の境地。
あの至福の時が、

私は大好きなのであります。


あれ?
小学生の時にドジョウを飼っていた話が、大人になってドジョウを喰ってる話になっているがな。

すいません。
諸行無常の響きあり・・・、なのであります。




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