昔のSF映画にはよく「バリア」が出てきました。 ご存知、物理的エネルギーで空間に張り巡らされる不可視の「障壁」の事であります。 何かというと「宇宙船」やら「円盤」やら「秘密基地」やら「エスパー」の周りには「バリア」が張られていたモノでした。 この見えない壁は、流星群を防ぎミサイルを消失させ光線を無力化し銃弾を弾き爆風から身を守る、のであります。 映像的には、見えなかった壁が攻撃された部分だけ「プラズマ発光」する、という表現がされていました。 この時みな指差して「あっ!バリアだっ!」と叫ぶのです。 印象に残る「バリア」が出てくるSF映画を二つ挙げておきます。 一つは名作古典「禁断の惑星(1956)」です。 本作にはかつての「SF少年」だった者を魅了させる素晴らしい「SFガジェット」が数多く登場します。 すなわち、「円盤型宇宙船」「万能ロボット」「光線銃」「異星人の古代遺跡」「イメージ実像化製造器(創造力養成器)」「原子破壊砲」、そして「バリア」です。 惑星「アルテア第4惑星」に着陸した宇宙連邦の調査船「C-57-D」は、謎の見えない怪物に襲撃されます。 三日目の夜、宇宙船の周囲には「バリア」を張り、「原子破壊砲」が用意されます。 そして再びやって来た怪物。 「バリア」に触れた見えない怪物は、そこで初めて恐ろしい全貌を現す事になります。 それは咆吼を上げる野牛の様な頭部と、二本の脚に怖ろしいかぎ爪を持つ、巨大怪物の姿でした。 これがSF映画史上、永遠にその名を残す事になる「イドの怪物」であります。 前述した「普段は見えない障壁が、攻撃された部分だけプラズマ発光する」というSF映画的お約束を、実に見事で効果的に利用した映像アイディアでありました。 本作では「バリア」は「パワー・フェンス(POWER FENCE)」と呼ばれていました。 もう一つが「砂の惑星(1984)」に登場した「バリア」です。 「砂の惑星」は多くの神話や物語の「原型」に見られる「貴種流離譚」のSF版であります。 ここには主人公が居住する「アラキス宮殿」の周囲に張り巡された「バリア」が出て来ますが、私が好きなのは「白兵戦闘用」に使用される一人の身体を覆う「バリア」の方です。 作品では一貫して「防御シールド」、もしくは単に「シールド」と呼ばれていました。 腰のベルトに装着された発生器から生ずるその「シールド」は、身体を「多面体の障壁」で覆い、人の動作に合わせ形状が変化していくのです。 今でこそ、この手の効果は「CG」が得意とするところでしょうが、映画が製作された当時そんな技術もなく、実写と合成された「アニメーション」で再現されていました。 「シールド表面」には中の人間が微妙に「透過屈折」して見えるという、大変凝ったオプチカル処理がなされていました。 しかし私が感心したのは、これらの映像表現に加え、この「シールド」の特性であります。 この障壁、光線や実弾や刀剣などの素早い動きは完璧に弾き返すものの、ゆるやかに「ジワリ」と侵入してくる物体は通過させてしまうのであります。 劇中、主人公「ポール」と武術指南「ガーニー・ハレック」との模擬戦でこの様子が描かれていました。 ひとくちに「バリア」といっても、その呼び方は様々です。 上に挙げた二つの映画でも分かる様に、字幕や吹き替えと原語が違う事も多々あります。 確か「スペース・バンパイア(1985)」でも、字幕だと「バリア」であったのが、原語では「フォース・フィールド(FORCE FIELD)」でありました。 さらに、この手の「SF用語」は時代と共に変化していきます。 「バリア」も、昔で言えば単純に「力場」でした。 それがある時から、「バリア」と言うより「シールド」「スクリーン」「フィールド」と呼んだ方が、より格好良く感じらたのです。 それら「シールド」「スクリーン」「フィールド」も、「偏向シールド」「防御スクリーン」「ATフィールド」と呼んだ方が、よりSFチックに感じられていくのです。 単に「バリア」と言うより「空間磁力メッキ」と言った方が、「おお!SFじゃん!」と思えた時があったものです。 「巨大戦闘ロボット」と言うより「モビルスーツ」や「汎用人型決戦兵器」と言った方が、より洗練された様な気がしたものです。 それでも、60年代の終わり頃、SFTVシリーズ「宇宙大作戦(1966〜69)」で、初めて「バリア」じゃなく「防御スクリーン」という言葉を聞いた時には、私はとても吃驚したのでした(原語ではシールド〈SHIELD〉)。 「SFは絵だ」とは、昔からの「SF者」なら誰もが知っている有名なフレーズです。 SFで大切なのはビジュアル、絵心なのであります。 しかし、SFには常に新しい「用語」や「名称」を新規開拓していく事も求められているのです。 もっとも私は、「ロボット」「宇宙人」「サイボーグ」「ロケット」「未来都市」「エアカー」「チューブ状ハイウェイ」「光線銃」「破壊光線」「原子熱線砲」「円盤」「地底戦車」「合成人間」「転送機」「自動計算機」「地底基地」等々、そしてもちろん「バリア」といった昔懐かしい「SF単語」を今でもこよなく愛しているのであります。 ところで「バリア」と聞くと思い出すのが「えんがちょ」であります。 これは生まれた地域や年代によって、その意味や対処方法も異なっている様です。 呼び方すら違う場合もあります。 私の知っている関東圏では、子供同士の間で汚い物に触った児童に対し(例えば道端の犬のウンコを踏んじゃったとか)、周囲の者が「えんがちょ!えんがちょ!」と囃し立てる様にして使われていました。 ウンコを踏んだ子供と自分との間に「見えない障壁」を築く事から、「えんがちょ」と「バリア」は同義であり、実際に「えんがちょバリア!」と叫んでいた子供もいた様に記憶しています。 さらに分析すると、「えんがちょ」には大きく二つの意味合いがあり、その両方が無意識の内に混在していた様に思います。 ひとつは「えんがちょ」は犬のウンコを踏んじゃった「穢れた者」を単に指し示す「名称」である場合です。 続く「えんがちょ切った、鍵かけた」で初めて我が身を守る「バリア」を張る事が出来るのです。 この時、親指と人差し指で作った両手の輪を「鎖状」にし、自分もしくは誰かに「切って」貰う仕草を行います。 しっかし、「鍵」まで掛けられる「バリア」ってのも、なかなか強力なのであります。 もうひとつは「えんがちょ」自体が「バリア」を張る「行為」である場合です。 「えんがちょ」と叫び、片手の人差し指と中指を交差させるポーズを取る事でこの「バリア」は発生します。 この時の「えんがちょ」は「バリア」を張る呪文であります。 この仕草は海外では「指十字」と呼ばれ、「魔除け」の意味で使われている様です。 ジブリのアニメ映画「千と千尋の神隠し(2001)」では、三番目の解釈と処置がされていました。 「湯婆」の使い魔「タタリ虫」を踏み潰し穢れてしまった「千」に対し、「釜爺」が「えんがちょ、千!えんがちょ!」と言いながら、彼女が両手の人差し指と親指で作った「円」を「断ち切る」シーンです。 「穢れ」に対し「えんがちょ」という「名」を与えた後、それを改めて「切る」事で、その「穢れ」を落とす、というパターンです。 これは「穢れ」を「人形」に託し、放逐する「流し雛」の考えと一緒です。 私は最初少し奇異に感じられたのですが、これも私が知らないだけで一般的な「えんがちょ」であったのかも知れません。 いずれにせよ、「えんがちょ」は我が身を守る「バリア」の一種である事には間違いありません。 しかし、この単語をSF映画で見かける事はないのであります。 すなわち、宇宙空間で突如繰り広げられる艦隊戦で、 「敵艦出現!三、いや四隻!囲まれました!」 「全周にえんがちょ展開!」 スガガーンッ! なんてやり取りもなく、 「左舷第二第三えんがちょ消失!あっ正面に敵艦もう一隻!」 「船首えんがちょ最大!」 スガガーンッ!スガガーンッ! なんて事もなく、 「船首えんがちょ60パーセントにダウン!」 「持たせろっ!」 「出力が足りませんっ!」 「第二波来ますっ!」 「機関室!ワープコアから艦首えんがちょに全エネルギーを回せ!」 「30秒!いや、20秒下さいっ!」 「5秒だっ!!」 ドギガギガガシャーンッ!! なんて会話もなされないのであります。 つーか、囲まれているってのに、艦首だけ防御固めてどうすんの、って気もしますけども。 本エッセイの冒頭で「バリアは『物理的エネルギー』で作られた見えない障壁」と書きましたが、『精神的エネルギー』で作られる見えない「障壁」もあります。 得てして「結界」と呼ばれるものです。 「えんがちょ」は、この「結界」に準ずるものなのかも知れません。 最後に。 よく物語で「ここは見えない特殊なバリアで守られている」といったセリフが出て来ましたが、大昔、小学生の頃の私は「特殊じゃないバリアなんてあるの?バリア自体が特殊なモンじゃん」などと思っていたのであります。 小憎たらしいガキでしたね。 |
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